第13話 家族
母が父の家に入るのは初めてのことらしい。
迎えの車で一緒に父の家に向かう途中、母はぽつりと教えてくれた。
いつでもいいから、一度会いたい。母はそう父に連絡したらしいが、返ってきた言葉は「そのまま珈涼と一緒に家に来い」。
母は珈涼を差し出すことはできないと拒絶したが、そういう話じゃないと言われたそうだ。
不安になって母が直接電話をすると、向こうも父が直接電話に出たらしい。父は頑として主張を変えず、車をよこすから今すぐに来いと言う。
「……わからないわ」
結局押し切られる形で、父の家に向かっている。不安そうにうつむく母の手を、珈涼はそっと握った。
父の心が少しわかったのは、通された部屋で父と再会したとき。
部屋にいたのは、父と真也の二人きりだった。父はいきなり立ち上がって、大股で母に近寄った。
今にも爆発しそうな剣幕で、珈涼は母が殴られると思わず身を引いた。
父は両手で母の肩を掴んだ。それは確かに少し乱暴だったが、父は数秒間もそのまま動かなかった。
ごくりと喉を鳴らして、父はうめくように言う。
「あまり……心配させるな。
珈涼はそのとき初めて、父をしっかりと見た気がする。
大柄で厳しそうな人という印象だった。実際、背が高くて肩幅が広い。でも母がそこにいるのを確かめるように肩をさする手、静かだが食い入るように母をみつめる目は、珈涼が思うよりずっと優しかった。
「親父は玲子さんと結婚したかったんだよ」
「え?」
「本当だよ。俺と親父はよくそういう話もするんだ」
顔を上げると、真也が珈涼の隣に来ていた。ぎこちなく話し始める父と母を見やりながら、真也も珈涼に話しかける。
「親父はじいちゃんに見込まれて組に入ったから、お袋と結婚しなきゃならなかったけど、玲子さんと別れることだけは絶対できなかったって。お前のこともよく話してた。体が弱くて心配で、手元で様子を見られたらどんなにいいだろうって」
父がそんなことを言っていたとは、にわかには信じられなかった。父は珈涼に無関心な態度で、ろくに話したこともない。
でもこの家に来てからたびたび父の視線を感じていた。母の店に来ているときも、父は特に何を話すでもなく珈涼を見ていることが多かった。
「お袋は親父のことはそう好きでもないけど、体面があるから離婚するのだけは許さなくて。それでも親父が食い下がるから、俺が跡目を継いだ後なら玲子さんと暮らしてもいいと、ようやくお袋が折れた。親父は俺に頼み込んだよ。お前には苦労をさせるが、そのためにできる限りのことはするから許してくれって」
珈涼は驚いて真也を見上げる。真也はしかめ面でうなずいた。
「……親父が俺にしてくれた最大のことが、月岡っていう切れ者を俺の補佐につけたことだったんだけどな。月岡はお袋にも全幅の信頼を置かれていたし。まさかあいつがお前を囲おうとしてたなんて、俺も親父も、お袋だって思ってなかった」
父と母の話は、ようやく一区切りついたらしい。父はそっと母の肩から手を離すと、珈涼の方に向き直った。
「珈涼。もう月岡のところにいなくていい。帰って来い」
たぶん父が珈涼を名前で呼んだのは、これが最初のことだっただろう。
「組がほしいならくれてやろう。どうせ猫元氏から月岡に、お前がここにいることは知れている。私が組を退いたとして、お前を養うくらいはしてやれる。……お前を傷つけるような男のところには置いておけない」
珈涼の頬のガーゼに目を走らせて、父は痛ましそうに顔を歪めた。
今確かに、珈涼は父の愛情を感じた。そんな父の提案に異を唱えない真也にも、想われていると知った。
母と二人きりの世界で生きてきた。それで何も不自由はなかった。
「お父さん、お兄さん」
でも二人きりの世界の外には、不器用だけど優しい人たちがいる。
「聞いてほしいことがあるんです」
話し始めた珈涼を、長い間他人だった家族がみつめていた。
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