第4話 言霊通信社

 カイルたちが乗ったオートドライブのマイクロバスは、ジェリーフィッシュに設けられた車の開閉口を入り、入口から続く密封された通路を通って自動ドアをくぐり、同じく窓も何も無い、密封された部屋にある消毒待ちの車の駐車スペースに誘導された。


 カイル達も隣接する部屋に入り、防護服を着たまま消毒液の噴霧を受ける。そして脱いだ防護服を廃棄処理用のボックスに入れると、また次の部屋で裸体に直接消毒を受けることになる。


 消毒する箇所は、体温感知器と細菌センサーを備えたAIが確認しながらノズルを調整し、まんべんなく消毒液を噴霧される。防護服の処理もオートで行う徹底ぶりで、万が一、人が触って菌に感染しないように配慮されていた。


 カイルたちが、長い管のような消毒室で一列になって裸で並んで消毒を受けるのはいつものことで、男同士の裸など見慣れていて気にもかけたこともなかったが、先ほどマライカに示した良平の不可解な態度が頭の片隅に残っているカイルは、つい隣に立つ良平に視線をやってしまう。


 アジア人の良平と、ヨーロッパの人種が色々混ざりあったカイルとでは、何か違いがあるのだろうかと、良平と自分を見比べて考えてしまった。


 ダークカラーの髪と瞳の良平は、今時珍しい日本人の純血種らしい。

 日本人にしろ、多くのアジア人は、彫がそんなに深くないのだが、良平は鼻梁が通った鼻と切れ長の目を持ち、背も175㎝と高くはないが平均はあって、どこにも余分な脂肪がついていない身体はすらりとしている。


 26歳で、言語学者にして、今流行りの通信会社の共同経営者という肩書があるため、結婚適齢期の女性が、彼に契約結婚を申し込んでくるのが後を絶たないという。


 対して、カイルは良平より5㎝ほど背が高く、年齢も良平より1歳年下で、科学者である。

 金茶の髪と、金色にも見える薄い茶色の瞳は、よく良平と比較され、光りと影のように一対で、切り離すことができない存在だと言われている。


 だからこそ、良平が、規定から外れた行動をしてまで興味を持つ意味が知りたくなるのだ。

 ちらりと胸の位置を見る。良平の無毛の薄い胸に比べると、ヨーロッパ人である自分の胸郭は少し厚みがあり、金茶の胸毛が薄く渦をまいている。


 研究者の目は、たまに常識を逸することがあり、視線は下方へと下っていく。本人はあくまで比較のつもりだったが、いきなり動いた良平の手がカイルの視線を遮った。


「医療チェックが必要なのはカイルの方じゃないのか? どうして人の身体をじろじろ見るんだ?」


 良平が冗談めかして小声でカイルに聞くと、カイルもふと我に返り、慌てて視線を良平の顔まで引き上げた。


「ああ、悪い。お前を研究対象にするところだった」


「マライカのことで僕が取った行動が気に入らないんだろ? 説明したいところだが、自分でもよく分からないんだ。あの大きなグレーの神秘的な瞳に吸い寄せられてしまって、身体と口が勝手に動いてしまった。不思議な感覚だよ」


 その不思議な感覚が何か考えて突き止めようとしたカイルの耳に、消毒終了のアナウンスが流れ、次の部屋への移動を促される。

 その先は私服を預けてあるロッカーがあり、それぞれが手の甲をロッカーのセンサーに翳すと、埋め込まれたマイクロチップを感知して、扉が開く仕組みになっていた。隣同士のロッカーへと歩いて行ったカイルが思いついたのは、男なら誰もが抱える問題だ。


「新しいセクサロイドをプレゼントしてやろうか?」


「カイル、マライカとセクサロイドを同じにしないでくれ! 何だか猛烈に腹が立ってきた」


 温厚な良平が珍しく語気を荒げ、足を速めてロッカーに着くと、さっさと先に着替えて、カイルを置き去りにして行ってしまった。


 取り残されたカイルも、二人の珍しい諍いを目にした仲間たちも、顔を見合わせるばかりで、何が良平をそんなにイラつかせたのか誰も答えが出せずにいた。


「何だろう。良平が別人になってしまった気がする」


 カイルの呟きに、同感だとみんなが頷いて、肩をぽんと叩いて元気付ける仲間もいる。カイルは苦笑しながら、お礼を言って、仲間たちに顔を向けた。


「みんな今日はご苦労様。新種の言霊が手に入ったので、これから役割とキャラクターについて、良平とデザインスタッフと一緒に話し合おうと思う。

 ユニバーサル・カレッジの学生は実地レポートを提出するように。言霊通信社のスタッフは、キャラクターが決まるまでの間、新しい言霊のケアをするのと、既存の言霊のチェックと、転送先でのトラブルが無いかを確かめてくれ。以上」


 カイルの言葉にみんなが一礼して、行先が表示されたエレベーターに乗り込んだ。そのエレベーターは高速輸送システムの乗り場に直結していて、真空チューブの中を、車両がジェット機のように高速で飛ぶように移動する。

 カイルの乗った車両もあっという間に、ユニバーサル・カレッジに到着した。


 カイルは大学生の頃に、良平と共に企業を起こしたので、大学の施設を特別に使用する許可をもらっている。

 独立する資金はあるが、大学側がカイルと良平に頼み込み、残るように説得をした。

 その結果、必要な研究材料は大学側と折半をして、研究は優秀な大学生を使うことができるので、研究費と研究員を雇う大幅な経費の削減となって利益を生み、言霊通信社は大きく発展していった。


 ユニバーサル・カレッジは、直に通う生徒と衛星通信を利用して授業を受ける生徒に別れている。

 真空チューブ内を移動する高速輸送システムは、他のジェリーフィッシュとも繋がっているので、実地訓練が必要な学科や、通学可能な距離にいる生徒たちはこの交通機関を使って大学に通っていて、遠距離とコロニーに住んでいる生徒たちはパソコンを使って衛星通信授業を受けている。


 大学内は学科に寄って棟が分かれているので、カイルたちは大学生たちと別れて、北西にある企業用の研究棟へと移動した。


 ところが、研究棟が見えた渡り廊下の先から、先に戻った良平が駆けてくる。カイルを見つけると、あっと声をあげてから、一直線にこちらに向かって来て、カイルの腕を掴んで早口にまくしたてた。


「カイル、大変だ。正直まさなおくんの不具合で言霊通信社が起訴された」


「何だって!? 今朝送る前にチェックした時は、ぜんぜん悪いところは無かったぞ!」


「ああ、僕も立ち会ったから分かっている。訴えたのは正直まさなおくんを転送した先のホワイトビレッジ建設じゃない。ホワイトビレッジ建設と契約を結ぼうとした貿易会社のブラックスワンの方だ」


 ブラックスワン? カイルはどこかで聞いた名前だと、左手で額とこめかみを揉むと、ふと数カ月前の出来事を思い出した。


「確か、ブラックスワンから入会と依頼の申し込みがあった時に、トラブルを防ぐために、会社を秘密裏に調査したんじゃなかったか?資材関係を扱う貿易会社だったと思うが、名前の通りかなりブラックで入会を断ったと思ったが‥‥‥」


「そうだ。その通りだ。同じように、あそこのあまり良くない噂を聞いて、ホワイトビレッジの社長が、ブラックスワンが用意した契約書に嘘偽りがないかどうか、契約した後で本当に実行する気があるのかを確かめようとして、正直まさなおくんに契約書の朗読を頼んだんだ」


 カイルは良平の言葉を最後まで聞くことなく、おおよそのことの顛末の予想がついたので、それが当たっているのかどうかを確認しようと続きを口にした。


正直まさなおくんは、契約書を読めなかったんだな? それで騙そうとしていたブラックスワンが開き直って正直まさなおくんに言いがかりをつけたってわけだ」


「ああ、そうだ。とにかく早く研究所に来てくれ。正直まさなおくんは今、電磁波に拘束されて動けない状況だ」


 カイルと良平が「言霊通信社」のオフィスに駆け込んだ時、顔がいかつく、筋肉隆々の大きな体躯を制服に押し込んだような二人の警察官がいて、大きなバッグから何かの機器を取り出し、外して持ってきたパーツを取り付けようとしているところだった。


 正直まさなおくんの不具合で、会社が起訴されたと良平は言ったが、殺人でもないのに、警察が動くのは早すぎると、カイルは不審に思った。


 正直まさなおくんがホワイトビレッジ建設にレンタルされたのは午前10時で、スケジュールでは、2時間後の正午には言霊通信社に戻ったはずだ。


 今は午後3時なので、交渉が決裂した直後、ブラックスワン貿易会社がホワイトビレッジ建設会社の社屋から出て、すぐに弁護士と対策を立てて警察に駆け込んだとしても、調書を取る時間が必要になる。


 弁護士の対策と警察の調書を合わせたら、3時間なんてあっという間に過ぎるだろう。上部から指示を出せる時間もないのに、ここに警察官がいるわけがない。

 カイルは、床に屈んでで機器を組み立てている警察官に声をかけた。


「私はこの言霊通信社のCEOの一人、カイル・サランジェだ。あなたがたの身分証明書と捜査令状を拝見したい」


「さっき、そっちの津田博士に見せてある。邪魔をすると公務執行妨害で逮捕するぞ」


 いきなり立ち上がった警察官が、カイルよりも高い位置から睨みつけてきたので、かなりの威圧感を感じたが、カイルは負けじと睨み返しながら、良平に本当に警察官IDカードと捜査令状を見たのかを確認した。


「僕が見たのは警察官IDカードだけで、それも一瞬でポケットに収めてしまった。何を言っても埒が明かないから、カイルを呼びに行ったんだ」


 その時、機器を組み立てていたもう一人の警察官が、できたぞと声をかけると、カイルと良平を睨みつけていた警察官は即座に元の位置に戻り、大きな機器を二人がかりで持ち上げて、オフィスの奥へと運ぼうとする。


 その先には、天井から床まで届く円筒を縦に半分にカッとしたような柱が立っていて、その内面には電気伝導体の金属が薄く延ばして貼られている。それを背にして、金属の丸い天井と、同じく足元の丸いステージから出る光線に、浮かびあがるようにして立つ一人の男がいた。


 黒い髪を斜め分けして、メガネをかけた真面目そうなアジア人の男は、天井から床まである半円筒ごとバチバチと光る電磁波の輪に拘束されていて、怯えた顔をしてカイルと良平に助けを求めた。


「カイル、良平。僕は何も悪いことはしていません。あなた方がつけてくれた正直まさなおの名前の通り、僕は【正直しょうじき】という言葉の言霊で、嘘は言えません。ブラックスワン貿易会社が作った契約書を読み上げるように、ホワイトビレッジの社長に言われた時、正しくない部分だけ読めなかったのです」


 機器を運んでいた警察官が、黙れ!と大きな声で叫ぶと、正直まさなおくんはぶるぶると震えて、小さな声でカイル、良平と呼んだ。


「おい! 警察手帳も捜査令状も提示できないなら、帰ってもらおうか!」


 カイルが警察官の腕を掴むと、その手から逃れようとして、警察官が思いっきり肘を振り払ったので、その反動で持っていた機器がバランスを崩し、ぐらついて床に落ちた。

 ガシャーンと派手な音がして機器の外カバーが外れ、中から顔を出したのは、言霊を掴まえるための装置だった。


「お前たち、何者だ!? 」


 カイルと良平が同時に叫ぶと、咄嗟に大男二人がカイルと良平に向き直って拳を構え、ファイティングポーズを取る。オフィスは女性たちの上げる悲鳴と、偽警察官を取り押さえようとして、自分たちの席から駆け寄ろうとする男たちで大騒ぎになった。


 助けようとする社員より早く、大男たちがカイルと良平に勢いよく飛びかかっていく。カイルと良平がスッと身を屈め、男たちの懐に入ると、大男たちの上着の襟を掴んでほとんど同時に背負い投げをした。


 大男たちは自分達が突っ込んだ勢いを利用されて投げられたので、加速しながら床に叩きつけられるはめになった。背中をしたたかに打ったために呼吸ができず、口を開け、舌を丸めながらピクピクと身体を震わせている。


ロープをくれ!」


 カイルの声に弾かれたように動いたのは、女性社員のシンディーで、机の横に並ぶ資料入れの引き出しから紐を取り出し、近づけるだけ近づくと、カイルと良平に向かって紐を投げた。


 偽警察官の上に乗って彼らの両手と両足をくくると、カイルと良平は額の汗を拭いながら顔を見合わせ、楽しそうに笑った。


「久しぶりに決めたな。良平に柔道を習っておいてよかったよ」


「傘か棒が近くにあれば、カイルに教えてもらったサバットで攻撃できたのに残念だ」


 そんな二人を、遠巻きにした社員たちが驚いた顔で見ていた。


 温厚で誰にでも親切な良平が大男の前で屈んだ時は、押しつぶされるのではないかと心配し、女子社員たちは両手で顔を覆いかけたが、予想は覆えされ一本勝ちの雄姿を見せた。


 カイルに至っては、他人に怜悧で冷たい印象を与え、彼を知らない者には近寄りがたく感じさせるのに、暴漢を退治する熱血キャラを演じた後、それが板についてしまった俳優よろしく今は完全に俺様キャラに変身してしまっている。


 社員たちは面食らって、何と声をかけていいのか戸惑っていた。固まる社員たちを後目に、良平が警察官のポケットを探って警察官IDカードを取り出すと、ひっくり返して裏を確認してから、カイルに投げわたした。


「偽物だよ。名前が書かれた表はそれらしくプリントしてあるけれど、裏は真っ白だ」


「ほんとだな。おい、誰かシティーポリスに連絡して、このカードに書かれている名前の警察官がいるか聞いてくれ。本物のIDカードをコピーしている可能性もあるからな。もちろんこいつらを迎えに来るように言うのも忘れないでくれ」


 シンディーが自分の机の上にあるキーボードをタッチして、シティーポリスに連絡を取ったが、大男たちの身元は確認できなかった。


 男たちの持っていた電磁波拘束機のスイッチを切って、正直まさなおくんを解放すると、正直まさなおくんは恐怖と疲れでぐったりとして目を閉じた。後でケアするために正直まさなおくんをそのままにして、大男たちの持ち物を探ってみたが、ブラックスワンに繋がるものは何も出ず、そうこうするうちに、警察官がやってきた。


 警察官の身分を騙って強盗に入ったとの通報に、警察も事件を重く見たのか、驚くほど速くシティーポリスの車がユニバーサル・カレッジの研究棟に到着して、大男たちを連行していった。


「せっかく、新しい言霊についてキャラをまとめようと思ったのに、今日は時間が無くなってしまったな。明日の朝ミーティングをするから、キャラデザイナーだけでなく、みんな【愛】という言葉を聞いて、思い浮かぶイメージを考えてきてくれ」


 カイルの言葉に社内がざわつき始めた。とても困難なテーマを押しつけられたように、みんなが顔を見合わせて首を振っている。


 まぁ、それが妥当な反応だろうとカイルが笑いをかみ殺しながら、30分早い終業を言い渡そうとしたときに、技術部では古株のベン・シュミットが良平に話しかけた。


「良平とカイルとも長い付き合いなのに、良平が柔道をカイルに教えてるなんて、知らなかったよ。いつ特訓をしていたんだい? それも、ものすごく強くてびっくりしたよ」


 良平がちらりとカイルを見てから、気まず気に視線を戻し、考えながらベンに応える。


「あ~。何て言うか‥‥‥ほら、学生の頃、一時日本文化のブームが起きただろ? 僕たちの言霊の研究が始まったのもそれがきっかけだけれど、廃れてしまった日本文化に興味を持ったカイルに、百聞は一見にしかずって感じで、僕が柔道を押しつけたんだ」


 カイルがもの言いたげに片眉を上げて、良平を見た時、眠っていた正直まさなおくんが、良平の言葉に反応して瞼を開けた。


「良平の言うことは正しくありません」


 正直まさなおくんの言葉に、社員たちが一斉に良平を見たので、良平はバツが悪そうに下を向いている。


正直まさなおくんの言う通りだ。良平は無理強いしたんじゃなくて、俺のために柔道を提案してくれたんだ」


「カイル、よせ! 」


 珍しく語気を荒げる良平にみんなが驚いたのに対し、カイルが皮肉気に口元をあげて、良平に大丈夫だと片手で合図を送る。


「みんな噂で聞いていると思うが、俺は内人の中ではアッパークラスの家に生まれて、両親が揃う家で同居させてもらった。母は強迫性障害を持つていて、外人だけでなく、内人に触れてもウィルス感染して命を落とすと本気で思っていたから、俺にもその考えを押しつけた。おかげで俺は人に触れることができずに育ったんだ」


 そんな…‥と社員たちが息を飲む様子を見て、過去の話だとカイルが笑ってみせる。


「言霊の研究をしていた良平のレポートを偶然読んで、俺が声をかけた。今の会社の基礎になる夢を語っていた時に、一緒に頑張ろうと良平が出した手を、俺は握れなかったんだ。で? 良平は俺にどうしたんだっけ? 嘘をついても正直まさなおくんがクレームをつけるぞ」


 話の続きをカイルからバトンタッチされ、良平は肩をすくめて溜息をつくと、悪戯を見つかった子供が言い訳を口にする時のように、面白くなさそうに語り始めた。


「将来人の上に立つのだったら、握手ぐらいできるようにならないといけないとカイルを説得したんだ。意識して触るのが無理なら、スポーツのルール上、必要なこととして体感させれば、人に触れるのが大丈夫になるんじゃないかと思って柔道を勧めた。でも、最初は俺に触るのも嫌だろうと思って、スポーツインストラクターのロボットを使ったんだ」


「究極の選択だな。あんな大きなロボット相手に、技をかけるのかと思うと正直怯んだね。でも、俺が技をかけてもスポロボはびくともしないんだ」


 ロボットを相手に、おっかなびっくり柔道の技をかけようとするカイルを思い描いた社員たちは、笑いを必死で堪えている。


 元来、スポーツなどの素早い動きを可能にするロボットは、二足歩行ではない上に、無理な姿勢でも倒れないことを考慮して、下半身の重さを増すことで安定を図っている。


 テニスや野球など離れてやるスポーツなら問題はないが、組技をする柔道では、技をかけようにもびくともしないばかりか、万が一倒れて下敷きになった場合、命の保証はない。


 きっと及び腰になっただろうカイルを想像すると、普段のクールなイメージは完全に崩れ、誰かが噴き出したのをきっかけに、社員たちはとうとう笑い出した。


「薄情だよな、みんな。俺が必死で過去の汚点を告白したのに、笑うなんて」


 口を突き出して文句を言うカイルの目が笑っている。正直まさなおくんがまた訂正を入れた。


「カイルの言うことは間違っています。薄情だとは思っていません」


「はい、はい。正直まさなおくんは正常だ。ブラックスワンがクレームをつけてきたって、受けて立つ。なっ?ベン。お前も正直まさなおくんはどこもおかしくないと思うだろ?」


 急に話をふられて、ベンが面食らったようにキョロキョロ視線を動かし、慌ててその通りだと頷いた。だよなと口元に笑みを浮かべるカイルの目は、今度は笑ってはいなかった。


  社員たちを帰すと、後に残ったのはカイルと良平二人だけになった。言霊のパワーを増幅して、擬人化する装置を見つめていたカイルが、正直まさなおくんに語りかけた。


「良かったな。連れていかれなくて」


「はい。良かったです。カイル、良平、守ってくれてありがとうございます」


「カイル、しばらく正直まさなおくんを公の場に出さない方がいいかもしれない。どんな罠をしかけられるか分からないからな」


「ああ、俺もそう思う。仕方ないな。代わりに真実まみを出すか」


 カイルが呟き終わるや否や、正直まさなおくんがギャッと声をあげた。

 その肩あたりに何でも見通すようなペールブルーの瞳を持ったショートボブの小さな女性のホログラムが浮かび上がっている。


「カイル、仕方無いって何よ! 私じゃ正直まさなおくんの代わりになれないとでも思っているの!?」


 言霊増幅装置は、一つの言霊に一台が使用される。いきなり割り込んだ真実まみは、手のひらサイズでしか投影されず、正直まさなおくんの肩も透けている。

 良平が首を振りながら、正直まさなおくんの隣にある言霊増幅器の電源を入れた。


 半筒の壁に張り巡らされた電気伝導体によって、電気が渦を巻くようにして作られた磁場に、研究成果のその他の様々な物質が合わさった気流が充満し、言霊を擬人化させるボックスの準備が整った。


真実まみ正直まさなおくんのパーソナルスペースを侵害するんじゃない。こっちへ移ってくれ」


 小型の真実まみが消え、隣の言霊増幅装置に人間大になって現れると、正直まさなおくんがほっと溜息をつく。


「あら、ありがとう。良平は相変わらず、気が利くし親切ね。それに比べるとカイルって、いつもすかしていけ好かない」


「俺だって、真実しんじつを振りかざして、相手の気も気遣わずに、がなり立てるずうずうしい女は嫌いなんだ」


「何ですって!?カイルが人を気遣ったことがあるっていうの?」


「おい! 二人ともやめてくれ。正直まさなおくんが怯えてるじゃないか」


「良平、こいつは人じゃないから、二人目としてカウントするな」


「そうよ、カイルと同じ人にしないで!」


 やれやれと良平が両手を上げて、引きつりそうになる笑顔を口元に張り付かせながら、真実まみに話しかける。


真実まみは優秀な言霊だよ。カイルもそれは認めているんだ。ちょっと言葉が足りなくて不愉快に思うかもしれないけれど、仲良くやってくれよ」


「良平の頼みなら聞いてあげるわ。じゃあ、私はこれで帰るから、用事ができたら呼んでね」


 そう言うと、真実まみは現れた時同様、消える時もこちらの承諾も操作も必要とせず、フッと消えた。


正直まさなおくんも、スピリチャルケージに戻って休むといいよ。今日は大変だったからゆっくり休んで疲れを取るんだよ」


「ありがとう良平。カイルもおやすみなさい」


 正直まさなおくんは律儀にお辞儀をすると、スピリチャルケージと呼ばれる、それぞれの言霊が収納されているボックスへと帰っていった。


「カイル。どうして真実まみにいつも好戦的になるんだ?」


 カイルはすっと目を逸らし、口を尖らせると、聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。


「あの女に似てるんだ」


「えっ? 誰に似てるって? 」


「俺の母親だよ。私の言っていることが全て正しい。人に触ってはいけません。病気になりますよと言い続けながら、俺にも触れることが無かったあの女にね」


 良平の記憶にある手も握れなかったカイルがまた顔を覗かせているようで、良平は心配になって、そっとカイルの腕に触れた。

 物言わぬ良平の優しさを受け止め、カイルが大丈夫だとでも言うように、自分に触れる良平の手を、パシッと叩いて笑顔を見せる。


「心配させて悪かった。ほら、他人に触れないのはお前が治してくれただろ? 感謝してる。でも、人嫌いだった頃の表情は未だに抜けなくて、冷たいとか、近寄りにくいと言われるけれどな‥‥‥。足りない分は人好きのするお前が担ってくれるから、時々甘えがでるんだ」


「なら、いいけれど‥‥‥。多分、今日は予想外のことばかり起こって気が立ったせいもあるんだろう。僕たちの秘密兵器の言霊捕獲機がどうして正体不明の奴らに渡っていたのかは気にかかるけれど、今日はお互いゆっくり休もう」


「分かった。明日は難題の【愛】のキャラクターを決めないといけないからな。部屋に帰ってじっくり考えるとするか」


 正体不明と言った時に、カイルの瞳が揺れたのは偶然だろうか?と良平は思った。なぜなら、言霊通信社にとってもっとも大切な言霊捕獲機が秘密裏に他人の手に渡ったのに、良平の帰ろうという誘いかけにカイルが素直に応じたからだ。


 ベン・シュミットに対しての態度といい、カイルは何かを知っているのかもしれない。なぜ自分にまで内緒にしているのかは知らないが、少し様子を見ようと良平は思った。


「カイルの発想がどんなだか楽しみだ。頼りにしているから、いいキャラを考えてくれ」


「おい! 良平も共同経営者なんだからな。ちゃんと考えて来てくれよ。あ~全く、よりにもよって、何で【愛】なんか捕まえるかな。全然イメージ湧かない」


 焦るカイルが可笑しくて、良平は笑いをかみ殺しながらオフィスの出入り口へと急いで歩いていった。

 首から下げていた社員証を出入口にある入退出記録機に翳すと、少し間をおいてピッという音が響いた。


 これで、入退出の時間が社員証のチップと社内のデーターに記録されるはずだが、昨日カードの記録が正常かどうか確かめると言って、カイルが全員の分を集めてチェックしたはずなのに、どうも反応が悪い。


 良平が社員証を裏にひっくり返して見ようとしたのを遮るように、カイルが社員証を差し出し、入退出記録機が同じように間をおいてピッと音を立てた。自分だけではなかったので、こんなもんだったろうかと腑に落ちないながらも、良平は研究棟の廊下へと一歩踏み出した。


 カイルと良平は、高速輸送システムのユニバーサル・カレッジ駅より、2区間先の駅で降りたマンションの隣同士の部屋に住んでいるので、帰る先も同じだ。


 いつもなら仕事の話をするカイルが、意図的に仕事以外の話を続けているように感じた良平だが、今はカイルを信用しようと思った。






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