仕返し

鈴木直樹

本文

 誰かが私の体を揺すっている。「おばあちゃんおきて」と聞こえる。聞いたことがある高く伸びやかな声だ。反応が悪い私を声の主がまた強く揺する。うつらうつらとまどろみに沈んでいた私の意識は少しずつ呼び戻されていく。私はゆっくりと重い瞼を開けてやっと自分が置かれている状況を理解した。

どうやら椅子に座って本を読んでいたらそのまま寝てしまっていたようだ。

「おばあちゃんおきて、お母さんがご飯だって」

声の主は孫のゆずのものだった。

「おはよう、ゆず。もうご飯の時間なの?」

そうだよ、ゆずは大きな目をこちらに向け答える。

「もうとっくに七時過ぎなんだよ。おばあちゃんはほんと寝てばっかりなんだから」

そうか、もう七時過ぎなのか。私は四時ぐらいから読書を始めたような気がするから、そう思うと結構寝ていたのかもしれない。最近は夕方くらいになるとついうとうとしてしまうのだけれど、やはり年を取ったせいなのだろうか。

それにしても寝ている間、久しぶりにあの人の夢を見た気がする。もう少し見ていたかった気もするけれど、可愛い孫に起こされてしまったのでは仕方がない。

「ごめんねゆず。おばあちゃん最近どうも夕方には眠くなっちゃって」

私がゆずの小さな頭を撫でながら謝罪すると「ううんそれはいいの」とゆずは頭を振った。

「そんなことよりおばあちゃん、もしかして夢見てた?」

驚いた。どうして私が夢を見ていたことが分かったのだろう。

私の疑問を察したのか、私が聞く前にゆずは続けた。

「おばあちゃん、寝ているときニコニコしてたよ。だから、もしかしたら夢を見ていたのかなって」

そうか、私は寝ながらに微笑んでいたのか。それはなんとも恥ずかしいところを孫に見られてしまった。

「そうね」

「久しぶりに、おじいちゃんの夢を見ていたわ」

懐かしい記憶。もう何十年前になるのかも分からない。

あの人と初めてのデートに行った日の夢だ。

 

その日は前日に雪が降ったせいもあって、この冬一番と言われた気温の低さだった。初めてのデートにだというのにあの人は遅刻をし、そんな日に限って私は手袋を忘れてしまい手は寒さで真っ赤になっていた。携帯も無い時代、あの人との連絡も取れなかった私は待っている間は何度も帰ろうと思った。けれど、その度に白い息で手をもんで、あと少しだけ、あと少しだけ、と自分に言い聞かせていた。約束時間から一時間以上が経ちいい加減諦めかけていた頃、あの人は走ってやってきた。あの人の顔を見た途端、私はさんざん待たされた怒りが込み上げて来たけれど、私が怒りをぶつけるより先にあの人は私の手を握りしめ泣きながら何度も何度も「ごめんね」と謝った。それこそ私が手をもんだ数よりずっとたくさん。そんな必死なあの人を見ていたら、込み上げていた怒りも、思いついた罵声も、何処かへ行ってしまった。


 それからはずっと私が待たされっぱなし。ご飯を食べているときも、プロポーズのときも、雨の日に駅まで迎えに行ったときも、いつも私が待たされていた。でも不思議と怒りを感じたことはなかった。口下手なあ人が、はにかんで「ごめんね」や「ありがとう」を言ってくれる。そんな些細なことで私は満たされていた。


「おばあちゃんどうしたの?」

ゆずが不安そうに私の顔を覗き込んでくる。話をしている途中なのについ考え込んでしまったようだ。

「ねえ、ゆず」

「なあにおばあちゃん」

私はゆずの柔らかな髪を撫でた。

「おばあちゃんはね、今おじいちゃんに仕返しをしているのよ」

「仕返し?」

「そう、仕返し」

どういうこと、とゆずはくびを傾げている。

「おばあちゃんはね、ゆずが産まれるずっと前からおじいちゃんのことを待ち続けてきたのよ。ずっとずっと長い間」

「だからね、仕返しに今度は私がおじいちゃんを待たせてやるの」

 そう、これは仕返し。今まで散々私を待たせてきたくせに、先に逝ってしまったあの人への、私なりの仕返し。そうすることで、きっとあの人は私の気持ちが理解できる。私が感じた不安も、喜びも、そして、貴方への想いも、きっと理解できる。

 私の言葉を理解したのかそうでないのか、ゆずはころころと笑った。

「おばあちゃんは本当におじいちゃんのことが大好きなんだね」

飾らない言葉。あの人が生きていた頃は恥ずかしくて言えなかったけれど、今ならすっと受け入れられるきがした。

「そうね、私はおじいちゃんのことが大好きよ」

私の言葉を聞いて、ゆずはえへへと笑った。

「わたしもね、おばあちゃんのこと大好きだよ」

そう言うとゆずは私の手を握り、すっと目を細めた。笑うと目が細くなるところなんて、あの人にそっくりだ。

「ありがとう、私もゆずが大好きよ」

私もゆずの手を握り返した。しわがれた手に包まれた手は、紅葉のように小さくて、やけどしそうなくらいに温かかった。

「ずっと元気でいてね。おばあちゃん」

 

 私はもう十分に生きたつもりだったけれど、もう少しだけ生きてみようと思う。せめて、この小さい手を包んでくれる誰かが現れるまでは。それまではあ人には待っていてもらおう。それぐらいは、きっとあの人も許してくれるはずだ。なにせ、私はずっと貴方のことを待ち続けてきたのだから。

 



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仕返し 鈴木直樹 @ccdaizu

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