挿話3.クイーン奥様劇場”

*その伍*


 その馬車は、王都から高速馬車で丸一日ほどの場所にあるロロパエ村へと向かっていた。車窓から見える光景が、徐々に人手の入らないごく自然なものに変化していく。


 「わぁ♪」

 本来は見慣れたはずの光景だが、改めてこの高さの視点から見下ろすと、非常に新鮮に感じられた。


 「あまり身を乗り出すと、落ちてしまいますわよ?」

 言われて、自分が頭……どころか両肩に至るまで、馬車の窓から乗り出していたことに気づいた。忠告に従って、素直に席に戻る。

 「もうすぐ着きますから、少しだけ我慢しなさい」

 「は~い」


 * * * 


 「ロロパエよ、わたくしは帰って来た!」

 「──馬車を降りた第一声が、それと言うのは、正直どうかと思うゾ」

 背後から突っ込む声が聞こえて来たので、ヒルダは振り返った。


 「あら、カシムさん……でしたかしら? その節はどうも」

 「ああ、妹さんもお久しぶり。マックのヤツなら、今日はちょうど家にいるはずだぜ」

 「本当ですか? それは好都合ですわ。早速訪ねてみます」

 挨拶もそこそこに、浮き浮きとした足取りで歩き出すヒルダ。


 「ったく、兄妹仲がよろしくて結構なことだ。いや、妹さんのお目当ては義姉のほうなのかもしれんがナ」

 顎を撫でながらおもしろそうに彼女“たち”の背中を見送ったカシムだが、ふと眉を潜める。

 「それにしても、妹さん、付き人を変えたのか? また、えらくちっさい子だったが……」


 そんなカシムの呟きも知らず、ヒルダは兄と義姉が住む家の扉を叩いた。

 「こんにちはーー! お姉様、お兄様、いらっしゃいますか?」

 「はーい」と言う声が聞こえ、ほどなく彼女の義姉であるランが玄関へと出迎えに現われた。


 「おお、ヒルダか。久方ぶりじゃのぅ。息災だったかえ?」

 「はい。お姉様もお変わりなくて何よりですわ」

 ……などと女性陣が手を取り合っているところに、この家の主人も姿を見せる。


 「らっしゃい、ヒルダ。どうしたんだ、最近お見限りだったじゃねぇか?」

 「もうっ、お兄様、ヘンな言い方をしないでくださいまし」

 「ハハハ、わりぃわりぃ。でも、ここ数週間姿を見せなかったから、ちょっとは心配してたんだぜ?」

 「うむ。ケイン義兄上からは、妙な手紙も届いたことだしのぅ」

 ランの言葉を聞いて、ピクリと眉を震わせるヒルダ。


 「手紙?」

 「ああ、何でも、お前さんに子供ができたとか何とか……」

 見るか? と差し出された手紙を、ひったくるようにして目を通す。


 『前略。

  元気……だけが取り柄だよな。

  村には慣れたか? ……すでに5年もそこに住んでる男に言う台詞じゃないけど。

  嫁さんは……って、確か新婚さんだったよな。

  お金は……まあ、貧乏性のお前だから、無駄使いとは無縁か。

  今度いつ会おう? ……いや、俺の方は特に用事はないんだが。』


 「こ、これは……本当に、ケインお兄様からの手紙なのですか?」

 「おう、その筆跡には、ヒルダも見覚えあるだろ?」

 確かに、言われて見れば、その手紙に綴られた文字は彼女もよく知る長兄のものにほかならなかった。


 『この街を砂糖菓子の如く飾る雪が消えれば、お前が此処を出てから5回目の春だ。

  帰郷するのが嫌なら贈り物でも手紙でもいい。

  息子の笑顔を待ちわびる、お袋たちに届けてやってくれ。』


 「い、いつも、ケイン兄様のお手紙ってこんなにポエミーですの?」

 「ん? ああ、最初の書き出しは、毎回無駄にそんな感じだな。面倒くさいから俺は読み飛ばしてるけど」

 ヒルダの中で、伯爵たる父の片腕として、実直にして有能に振る舞う長兄ケインのイメージがガラガラと崩れていく。


 (ふ、フフフ……そう、そうですわよね。よく考えてみれば、このマクドゥガル兄様と気が合うのですから、ケイン兄様も只者であるはずがないのでしたわ……)

 もっとも、当のヒルダの方も、実の兄ふたりに対して随分と随分な言い草だ。朱に交われば何とやらか、あるいはその二人の兄の妹だけに、血は争えないと言うべきか。


 「問題の部分は文末近くだ。ホレ、ここに」

 「えーと……」


 『追伸。我らが麗しの妹ヒルダが、先週お前の家から戻って来たとき、被扶養者を連れて帰って来たぞ。連れて来た子は、ヒルダを「ママ~」と呼んで懐いている様子。』


──ビリッ!!


 思わず力の入ったヒルダの手の中で、ケインからの手紙が破ける。

 「これ、ヒルダ。手紙に当たるのはよしなされ」

 「も、申し訳ございません、お姉様」

 しかし、納得がいった。これでは兄夫婦が誤解するのも無理はない。

 一刻も早く、誤解を解くべきだろう。


 「で、このシングルマザー事件の真相は?」

 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべている兄を鋭く一瞥すると、ヒルダは玄関の外へと声をかけた。

 「こちらへいらっしゃい、カンティ」

 「──はい、お嬢さま」

 戸口からおずおずと姿を見せたのは、フィーン家お仕着せのメイド服を着た、11、2歳くらいの幼い小間使いらしき娘だった。


 ちなみに、メイド服といっても、先日キダフが披露していた協会制式のミニスカかつ露出度高めな代物(地球で言ういわゆるフレンチメイド)ではなく、むしろオーソドックスな慎ましい衣裳である。

 黒の長袖ワンピースをベースに、白いエプロンやカチューシャ、黒いストッキングと編み上げショートブーツといったパーツで構成された、ごくトラッドなデザインだ。スカートの裾は脹脛ふくらはぎ半ばまでと若干長めのようだが、大人しそうなこの子の印象にはそちらのほうが似合っている。


 「ホラ、ご挨拶しなさい、カンティ」

 ヒルダに促されて少女はスカートを軽く持ち上げつつ、深々とお辞儀をした。

 「はい……カンタータ・ローズと申します。先日、まま……じゃなくてお嬢さまに拾っていただき、お傍に置いていただいてます」

 銀の鈴を振るような澄んだ可愛らしい声で、年齢の割にはなかなか様になった挨拶の口上を述べる。


 ふむ……と、首を捻るラン。

 「要するに、ここから王都に戻る途中で身寄りのないこの子を見つけ、自分の近侍とするべく家に連れ帰って教育した──というわけかえ?」

 「ええ。おおよそそんな感じです。ですから……」

 「付け加えると、その娘はお前に懐いていて、人目がないところでは、ママと呼んでいる。お前もそれを黙認している──ってところじゃねーか?」

 マックの鋭い指摘に沈黙するヒルダ。


 「ま、気持ちはわからんでもないがの」

 「これだけ可愛いじゃなぁ」

 訳知り顔に頷く兄夫婦の姿に、ヒルダが逆ギレする。

 「ええ、ええ、その通りですとも。わたくしだって、最初は、その子をウチの執事かメイド長に任せようと思いましたわ。でも、意外に人見知りで、わたくし以外の者には、最初懐かなかったんです!」

 仕方なくヒルダ自ら相手しているうちにますます懐かれ、彼女自身もほだされてしまったらしい。


 「それからお兄様、ひとつ考えちがいをされているようですけれど……この子は、男の子ですわよ?」


 …………。


 「「なんだって(なんですと)ーーーーーーーーーーーーっっっっ!!!」」

 夫婦唱和して、思わず大声をあげてしまうマック&ラン。


──ビクッ!


 「お兄様、大きな声を出さないでください。この子が怯えています」

 「い、いや、だってなぁ……」

 しげしげと、マックは、カンティと呼ばれた子の顔を眺める。


 心細げな表情でキョトキョトしていた少女……にしか見えない少年は、彼の視線に気がつくと、おずおずとした微笑を浮かべて見つめ返してきた。

 (萌え~~~……じゃない! お、俺はロリコンやない、ロリコンやないんやぁーーーーー!」

 ガンガンガンと柱に頭を打ちつけるマック。


 「我が君、途中から口に出されておりまするぞ」

 「ついでに言うと、ロリコンではなくて、ショタ萌えではありません?」

 妻と妹のダブルツッコミに撃沈する男一匹。


 「うぅ~、俺はロリでもショタでもない。俺は、俺は……」

 「よしよし」

 ガックリとうなだれる良人おっとの頭を、よく出来た細君つまが優しく抱きしめる。

 「ああ……柔らかいな暖かいな~。やっぱりオッパイは正義だよなぁ。貧乳に希少価値があっても、俺はやっぱりランの巨乳がいいなぁ」


 「悪ぅございましたね、ひんぬーで」とむくれる妹を尻目に、ひしっと抱きしめ合うバカっぷる夫妻。その光景をもの珍しそうに眺めるメイド少年の姿がありましたとさ。


 * * * 


 「どうぞ、楽にしてたもれ」

 いつまでも玄関先で家族漫才やってるのも何なので……と、ランはヒルダたち主従を奥の居間へと誘った。


 「ありがとうございます。お邪魔致しますわ」

 「お、お邪魔します」

 何度かこの座敷に通され、ここでの寛ぎ方を知っているヒルダはともかく、生まれて初めて畳座敷なんてものを目にしたであろうカンティの方は、少々緊張気味だ。

 いざ中央のコタツ(もちろんコタツ布団をかぶせ、中央には暖熱石を利用した器具も設置してある)を目にしても、どのようにして座ればよいのか、わからない様子だった。


 「フフ、本来はこういうタタミのお座敷では、“正座”と言ってこのように足を折って座るのが東方の正式な作法なのですけれど……」

 「ホホホ、身内だけの席で気張ることはないぞえ。せっかくコタツを出したのじゃから、足を伸ばして楽にしてたもれ」

 主とその義姉から勧められ、おそるおそるスカートを撫で付けてちょこんと座り、そのあとコタツの中にストッキングに包まれた脚を伸ばしてみる。


 「あ! あったか~い♪」

 まだ秋口に入ったばかりとはいえ、今日はかなり冷え込んでいる。下半身に温もりを得られて、たちまちメイド少女、もとい少年は笑顔になった。


 「スカート姿での立ち居振る舞いにも、相応に慣れているようじゃの。もしかして、我が君の実家でも、この格好なのかえ?」

 「ええ、まぁ……。か、勘違いしないでください! 別にわたくしが強制しているわけではありませんのよ? この子が、こういう女の子の格好の方が好きだって言うものですから」

 それは一般的に“黙認”と呼ばれるのではないだろうか?


 「ふむ……ところで」

 ランは、彼女の淹れたお茶の入った湯呑みを両手で抱え、ふぅふぅと息を吹き掛け冷ましているカンティを横目で見やりながら、ヒルダに問うた。

 「何故、グリュロース(黒蟋蟀くろこおろぎ)が人化した子をお主が連れ歩いておるのかの?」

 ピキッ! と凍りついたようにヒルダは動きを止める。


 「な、なぜそれを……」

 「うーむ、論理的な理由はないのじゃが、強いて言えば元人外だった者同士の勘、かの。妾も、人になったばかりのころはわからなんだが、同じように人化した奥様方から教えていただいて、何とはなしに感じられるようになったのじゃ」

 こう、こめかみの辺りにピキューンとくるのじゃ、と笑って説明するラン。ニュ○タイプか何かか?


 「しかも、その子は妾と同じく元昆虫種であろ? それでいて同族ではない……となると、お主の行動範囲で遭遇しそうなのはグリュロースかリグス。色の好みからして前者かと当たりをつけたのじゃよ」

 「ご慧眼、おみそれ致しましたわ。あの、ところで……」

 チラチラとランの背後の壁の辺りに目をやるヒルダ。

 「お兄様はあのままでよろしいんですの?」


 ──今の今まで発言してなかったマックだが、じつは居間の壁にもたれ、体操座りをしながら膝を抱えて何かブツブツ言っている。どうやら先程の「ロリショタ疑惑」の傷痕は、案外深かったらしい。


 「放っておいても夕餉のころには回復していようが……そうもいくまいか。これ、我が君、ヒルダから重要な話があるみたいですから、早ぅこっちに来なされ」

 「──くそぅ、放置プレイなんて高度な技術、いつの間に身に着けたんだよ、おまいら」

 文句を言いながらもすぐにこっちへやって来るところを見ると、どうやら半分はネタで、ツッコミ待ちだったらしい。


 「で、だ。こいつを人間にした経緯をキリキリ吐いてもらおうか、ヒルダ」

 「お兄様、そういう言い方は人聞きが悪いですわ」

 文句を言いながらも、前回この家を訪れた際の帰路での出来事を話す。


 「──と言うわけで、幼児をそのまま放置していくわけにもいきませんし、馬車に同乗させてお家に連れて帰ったんですけれど……」

 まだほんの子供とはいえ、ほとんど裸同然の格好の子を連れ歩くわけにもいかず、さりとて途中で衣服を調達する適切な方法もなかったため、仕方なく、あの時一緒に来ていたお付きの娘の着替えを着せたのだと言う。

 もちろん、その子も14歳とカンティよりは幾らか年上だったが、幸い比較的小柄な子であり、服も頭から被るタイプのワンピースだったので、多少大きくても何とかなったらしい。


 「問題は……着替えさせたその娘に、ちょっと変わったシュミがあって、悪ノリしてしまったことでしょうね」

 ヒルダは口を濁しているが、大体の事情はマックたちにも推測できた。

 大方、その子は“女装ショタっ娘萌え”とか言う特殊な嗜好を密かに持っていたのだろう。

 それが、妄想だけでなくリアルでも己れの手で実現する機会に恵まれ、つい若さに任せて暴走してしまったに違いない。

 確かに、そういった観点から見れば、この元グリューロス少年は極上の素材だ。とくに化粧などをしているわけでもないのに、かつて“ロロパエ村の助平大将”と謳われた(?)マックでさえ、美少女と見誤ったほどなのだから。


 「さらに、この子のワンピース姿を見て、お母さまやメイド長まで、暴走してしまいまして……」

 フィーン伯爵家の末っ子にして唯一の女子であるヒルダだが、彼女は少女の頃から、どちらかと言うと艶麗で優美な、大人っぽい服装を好んだ。

 意志や知性も早くから発達していたので、母や侍女長は彼女に無理に“可愛らしい服装”を強要することを比較的幼い頃に断念せざるを得なかった。

 そのことに密かに残念に思っていたのか、娘が“恰好の獲物”を土産に帰宅したと知るや否や、伯爵家の2大女傑は長年のフラストレーションを一気に爆発させたのだ。


 「カンティを連れ帰った翌日からは、一日中大騒ぎでしたわ」

 ランと異なり、ロクに人間の世界のことなぞ知らないカンティを、奥様&メイド長が筆頭に立ってメイド達総出で弄くり回したらしい。

 ヒルダのお下がりのほかに、どこで買って来たのか彼女が袖を通したこともないような可愛らしい女児子供服数十着を、数時間にわたって着替えさせ、さらにその格好にふさわしい立ち居振る舞いや言葉使いを教えこむ。

 人見知りでまだ怯え気味なカンティのために、その場にはヒルダも立ち合っていたのだが、とても口を挟める雰囲気ではなかったのだと言う。


 そうこうしている間に1週間ほどが過ぎ、ようやく「愛らしい幼女キター!!」騒ぎ(実は男だが)が一段落するころには、この元グリューロス少年は、リッパ(?)に“人間の女の子”としてのメンタリティーと仕草をインプリンティングされていたのだとか。

 いろいろ話し合った結果、伯爵家でヒルダ付きの小間使い見習いう形で働かせることになったのだが、彼女(?)自身の希望で侍女として遇することになったらしい。


 「お前さんも災難だったなぁ……」

 涙を堪えつつ、マックはコタツの向かいに座ったメイド少年の頭を無骨な手で撫でる。

 その言葉に、きょとんとした顔でカンティは彼を見上げる。


 「わたくしも最初はどうかと思ったのですけれど、この子はこれでも喜んでいるみたいですし……」

 そりゃあ、周囲の人間が「可愛い!」「似合うよ」とチヤホヤしてくれれば、無垢な幼子はうれしいだろう。


 「それに、エプロンドレスを翻すこの子を見て感じたんです。

  可愛いは正義、男の娘万歳と!!」

 「お前も腐女子クサレ化しとるやないか~~!!!」 スパーーーン!

 素早くランが取り出したハリセンを受け取り、妹に見事なツッコミ入れるマックだった。


 * * * 


 「そうそう、左手はネコの手のように丸めて、こう添えるようにするのじゃ」

 「こ、こうですか、姉君様?」

 「うむ。お主、なかなか筋がよいのぅ。よい嫁になれるぞえ」

 「はにゃ、そうですか? お嫁さん……えへへへ」


 台所では、いつも通りのランと彼女の手伝いを申し出たカンティが、今日の夕飯を作ろうと奮闘している。もっとも、カンティの方は今日が料理初体験なので、手伝うと言うより教わっていると言った方が正しいが。

 和気藹々とした雰囲気のふたりを居間から眺めているとほのぼのとした心持ちになれる。本来の性別を考えると何やら不穏当な発言もあったようだが、そこは敢えてスルーする方針で。


 心温まる光景を横目に見つつ、マックはやや表情を改めると、声を低めてヒルダに向かって問いかけた。

 「それで? 何か俺に相談したいことがあるんじゃないか?」

 一瞬ビクッと身を震わせ、諦めたように兄の方に向き直るヒルダ。


 「……どうしておわかりになったんですの?」

 「まぁ、お前さんの態度が微妙に不自然だったしな。それに、本来ならお前も喜んで台所のふたりに合流して手伝ってるだろ?」 

 「まったく……お兄様ときたら、普段はあれほど鈍チンで、オタンチンで、わからんちんですのに。大事な場面では妙に鋭いんですから、ズルいですわ」

 「誉めてるのか、それ?」

 妹のあんまりな言い様にマックは苦笑する。


 「あの子のこと、だよな?」

 「ええ。こんなことをお願いするのは筋違いかとは思うのですが……」

 語尾を濁したヒルダの言葉をマックが引き継ぐ。

 「俺たちに引き取って育ててもらえないか、だろ?」

 「! …………はい」

 うなだれながら、ヒルダは言葉を紡ぐ。


 「わたくしの身勝手な好奇心で、あの子を人の姿にしてしまいました。そのうえ、結果的に生まれ故郷から引き離して、自然とは無縁の大都会へ拉致するような形になって……」

 先刻の笑顔が嘘のような、息苦しげな表情を見せるヒルダ。

 「──今日、ここへ来る時、馬車から窓の外を見ていて、あの子、うれしそうでしたわ。元の姿に戻せなくても、せめて密林こきょうに近いここで暮らさせてあげられたら」


 「なるほど。素晴らしい偽善じゃのぅ」

 「! お姉様!?」

 出来上がった料理を運んで来たらしいランが、手にした皿を卓袱台に置きながら、静かに断言した。


 「──我が君、カンティが少々汁物を被ってしまったので、風呂場で顔を洗わせておる。大丈夫だとは思うが、手伝ってやってはもらえぬかえ?」

 「──了解だ。……あとは任せたぞ、ラン」

 妻の顔を見て何かを悟ったのであろう。マックは立ち上がり、席をランに譲った。


 「ああ、それから……あの子に悪戯してはなりませぬぞ?」

 「しねーよ!!」

 ズッコケながら風呂場に消えるマック。

 「ふむ。いまひとつ信用しきれませぬが……まぁ、我が君の良心に期待するかの」

 そう言うと、ランはヒルダの隣に腰を下ろし、キチンと正座してみせた。


 「それでお姉様、偽善とはどういうことでしょう?」

 「どうもこうもあるかえ。試しもせずに、自分では幸せにできぬからと、可愛がってくれそうな他者に我が子を引き渡そうとすることを、そう呼ばずして何と呼ぶ?」

 「わ、わたくしはあの子の親では……」

 「同じことよ。そもそもあの子の名前を付けた命名親ゴッドマザーは、お主じゃろ?」

 「…………!」

 真っ直ぐなランの視線に覗き込まれて、ヒルダは彼女らしくもなく気弱げに目を逸らした。


 「カンタータ・ローズ(薔薇色の声楽曲)、か。よい名ではないか。名付け親とはよく言うたものよ。お主はあの子の拾い主としても“親”のひとりとしても行く末を見守る義務がある。

 それにのぅ、自分でも言ぅておったじゃろう。あの子が一番慕っているのは、お主だと」

 「ですけれど、あの子の環境のことを考えると……」

 いまだ言い訳しようとする義妹の様子に、ランは溜め息をついた。


 「人であれ人外であれ、あるいは元人外の者であれ、大切なのは、“今”何をしたいか、誰とともに在りたいか、じゃと妾は思ぅておる。どこで暮らすかなぞ、些細な問題じゃ」

 たとえば、妾は元は熱帯を本拠とする大鬼蜂メガヴェスパーじゃが、もし我が君が雪深いポロット村に引っ越されるなら、喜んで共に参る積もりじゃしの、と続ける。


 「もちろん、未来や将来に対する不安と言うものもあろうが、そんなモノは誰しも抱えておるわ。本当にお主があの子に責任を感じておるのなら、傍で見守ってやるのが良かろうに」

 やー、参った参った……と、風呂場から出て来たマック達を見て、ついとランは立ち上がる。

 「ま、小難しい話はまたあとじゃ。そろそろ煮物もできた故、夕餉にしようかの?」


 * * * 


 「そうか、ランがそんなことを」

 「……わたくしが間違っているのでしょうか?」

 夕食のあと、ランとカンティが仲良く洗い物をしている様を眺めながら、ヒルダはまだふんぎりがつかない様子だった。


 「まぁ、少なくとも、俺達夫婦に預けて、あの子が幸せになるとは思えんね。忘れてるかもしれないか、俺達はハントマンなんだぜ?」

 「? それがどう……」

 「あー、つまりだ。俺達はあの子の元同族を自分の手で殺す可能性が大だってこった。……と言うか、俺もランも、グリューロスは無数に屠ってきたし、装備箱開けたら、グリューロス素材も、それを使った武器や防具もゴロゴロしてる」

 「!!」

 そこまではヒルダも考えが及ばなかったようだ。


 「自分の育ての親が、元の自分の同族の羽や殻を持ち帰って来るのを見て、優しそうなあの子に耐えられるかね?」

 「そ、それは……でも、お姉様は、その点どうですの?」

 何とか反論しようとするヒルダだが、マックはさらに衝撃的な言葉を告げる。


 「ああ、あいつは元の同族を嫌っている──もしかしたら憎んでいるからな」

 「な、なんでそんな……」

 「俺達は、夫婦でかつ狩りのパートナーなんだぞ? はっきりとあいつの口から聞いたことはないが、それくらいわかるさ。

 それに、何らかの要因で巨獣や怪獣が人に共感を抱く場合、同族になじめないとか人に憧れたとか、それ相応の理由があるらしい。不思議と博打玉で人化するのも、そういうヤツらが多いみたいだしな。

 無論、あの子がそれにあたる可能性も0じゃないが」

 いずれにせよ、少なくとも狩り場でメガヴェスパーを殺すことに、ヒルダは躊躇しない、とマックは告げる。


 「恐い女だと思うかもしれないが、俺は狩猟士としてはそれは正しいと思う。そして、俺はそんなあいつの強さもひっくるめて惚れてるんでな」

 納得できないといった表情のヒルダを見て、同じ人間同士で戦う兵隊さんなら、俺の言ってる言葉がわかるかもな~、と歎息する。 


 「まぁ、少々話が逸れたが、話を元に戻そう。結局あの子はお前のそばにいたいと望んでるんだ。だったら、せめてあの子が一人前になるまでは、保護者としてお前が面倒見てやるのが筋だろ」

 となると、王都のフィーン家で育ててやるのが、ベストではなくとも少なくともベターな選択ってヤツだと俺は思うぜ──マックは、そう締めくくった。


 * * * 


 「いつもいつもご迷惑おかけしてすみません」

 翌朝、王都に戻るまえに、ヒルダは深々と頭を下げた。

 「なに、気にしておらぬよ。妹の面倒を見るのは、姉の義務であり権利じゃからの。遠慮なく迷惑をかけてたもれ」

 「!」

 (義務にして権利──そう、そうですわね。わたくしは難しく考え過ぎていたのかもしれません)


 「また……また来ますわ。望むならこの子も連れて」

 そう言って、自らにつき従うメイドにヒルダは視線を向けた。

 「えーと……兄君様も姉君様も、とってもいい御方ですけど……ごめんなさい、私、やっぱり都のお屋敷にいる方が、性に合ってるみたいです」

 時々なら楽しそうですけど。申し訳ありません、お嬢様──とペコリと頭を下げるカンティを、ヒルダはきつく抱きしめた。


 「──いいえ、いいえ、わたくしこそ、先走ってしまってごめんなさい」

 唐突に主兼保護者に謝られて、カンティは「?」といった表情をしている。

 「それから……この村にいる時は、わたくしのことを“ママ”と呼んでもよろしいんですのよ?」

 「えっ、本当ですか!」

 カンティは顔を輝かせる。


 「やれやれ、一件落着かの?」

 「みたいだな」

 ま、ママ~! カンティ~! と、ヒシッと抱き合って盛り上がっている疑似母娘(二重の意味で)を見て、バカップル状態の自分達に対する普段のみんなも、こーいう気持ちなのかなー、と何となくやるせない気分になったマックとランだった。



<オマケ>

 ランとヒルダの密談中、風呂場にて。

 「おーい、カンティ、顔に何かこぼしたんだって?」

 「あ、兄君様ぁ」

 「どれどれ……ってウォッ!?」

 ランが心配したのもむべなるかな。果たして、そこには、「白くてドロドロしたものを顔にかぶって涙目になっている」メイド姿のロリ少女(にしか見えない少年)がいたのだ。


 (と、年端もいかないのになんてエロい……ば、馬鹿、この子は男だぞ! 静まれ我が愚息!!)

 「やーーん、ネバネバしますぅ……(チュパッ)ん、でも美味し……」

 どうやらドロロンイモの類いを擦っていたのをひっくり返したらしい。  


 (くっ、その顔とその表情で言うんじゃねぇ! は、破壊力が……)

 本人に乞われて、手ぬぐいで彼女?の顔を拭ってやながら平静を装うのに、マックが多大な自制心を必要としたことは、ここだけの秘密である。 



*その陸*


 カンティの教育のため(と本人は言い訳。実際はかなり甘やかしていた)、しばらく村に顔を見せなかったヒルダだが、久々に兄夫婦の家を訪ねた彼女は、そこで奇妙なモノを目にすることとなった。


 「俺はリーダー、マクドゥガル・ホレイショ・フィーン。通称マック。片手剣と隠密行動の達人。俺のような一流作戦家でなければ、百戦錬磨のベテランハントマンのリーダーは務まらん!」


 「オレはカシム。通称、情報屋。自慢の情報網で、モンスターの弱点なんざ筒抜けサ。コネを使って、バクレツダケから滅尽爆弾まで、何でも揃えてみせるゼ!」


 「ラン・B・F。通称クイーン。狙撃の天才じゃ。城塞蟹ミルレパグスの目ん玉だとて撃ち抜いてみせるわ。でも、毒霧だけは堪忍してたもれ」


 「──お待たせ。わたしがキダフ。通称スクリーム。弩砲バリスタ撃ちとしての腕は天下一品。ア●ナミ? ルリ●リ? 何それ?」


 「……お兄様達、何をしておられるのですか?」

「「「「俺たちは、道理の通らぬ巨獣モンスターに、あえて挑戦する頼りになる神出鬼没の“特狩野郎Aチーム”!!」」」」


──ババーーーーーン!!!


 妙なポーズをキメる4人……とりあえず、ヒルダの疑問はスルーされたらしい。


 「えーと……もしかして、宴会芸の練習でしょうか?」

 心底呆れ果てたようなヒルダの口調に、鉄壁の心理障壁が脆くも崩れ去る。


 「だ、だから、止めておこうと申したのじゃ、我が君!」

 「何言ってんだ、結構ランだってノリノリだったじゃねーか」

 「いやぁ、素に返ると死ぬほど恥ずかしいな、やっぱ」

 「──そう?」 ←けっこう気に入ったらしい


 いきなり和気あいあいと──ヒルダのいる方をあえて見ないようにして──談笑し始めた兄夫婦とその友人を見て、いっそう混乱するヒルダ。

 「お、お兄様達がご乱心なされた~~」

 「ああ、ハイハイ。今説明するから、泣かない泣かない」


 苦笑しながらマックが語ったところによると、先日この村に来た旅芸人の一座が上演した演目で、そういう荒唐無稽なハントマンチームの活躍ぶりを描いたお芝居があったらしい。


 「まったくもうっ、子供じゃないんですから……」

 「いやぁ、別にそれだけならあんな恥ずかしいコトはやらんのだが、4人揃って防具を新調したんで、つい悪ノリしちまってな」

 なるほど、言われて見れば、マックとカシムは男性前衛用の、ランとキダフは女性後衛用の新装備を身に着けているようだ。艶消しの赤黒い塗料が塗られた金属製のそれは、確かに防御力がかなり高そうだ。


 「今度、炎獅獣レドグルス狩りに行くつもりなんでな。いやぁ素材を揃えるのに少々苦労したぜ」

 つまりようやく新しい防具が出来、試着してはしゃいでいたらしい。

 それではますます子供と同じではないか……と溜め息をつくヒルデガルドであった。



<オマケ>


 「あ、ヒルダは“エンジェル”の役な」

 「何ですの、それは?」

 「『わたくしは伯爵令嬢のヒルデガルド・ライオネット・フィーン。通称エンジェル。(王都の)情報収集は、美貌と家柄の良さでお手の物ですわ』って、トコか」

 「ですから、ワケがわかりませんわ!」

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