第5話(裏).奥様は女王蜂(ヴェスパーナ) その五
「明日の朝一番で、ヒルダも連れて砂漠に行くぞ」
妾が気を失っておる内に、いかなる会話が兄と妹の間でなされたのかは分からぬが、目が覚めたら、すっかりそういう話が出来上がっておった。
「アイツ、ランのハントマンとしての腕前も見たいらしい。その上で、俺を託すに足るかどうか判断するそうだ」
我が君が、いつになくニヤニヤと人の悪い笑顔を浮かべておられるのが気にかかるのぅ。
「はぁ、それは構いませぬが……もしかして、妾とヒルデガルド殿が勝負すると言う話になったのではありませぬか?」
「おっ、鋭いな」
……まぁ、"勝負"と言われるわりに、先程までは妾が一方的に判定されておりましたからのぅ。そろそろ、言い出す頃合いではないか、と。
「村長に無理言って、単身用のカニ2匹狩りの依頼を回してもらったぜ。あいつも一応弓が使えるし、狩猟士として登録もしているらしいからな。どちらが先に
巨化蟹、ですかえ? よりにもよって、射ち手の天敵ではありませぬか……。
「どちらかが倒した時点で勝負は終了。あるいは、どっちかが気絶してベースキャンプに運ばれた時点でも終了。当然、その場合は倒れた方の負けになる。ちなみに、負けた方が、勝った方の言うことを何でもひとつ聞くらしい」
まあ、巨化蟹が相手の場合、圧し掛かりにさえ注意すれば負傷しても死亡に至るようなことは滅多になかろう。その点では、火傷する恐れのあるオルギウスやブリトラスなどを相手にするよりは安全じゃが……。
「ああ、それと情報屋のヤツにも助っ人頼んだ。俺とヤツが盾武器持って、ヒルダとランの護衛に回るから安心しな」
ふむ、それは大いに助かりますのぅ。
「ただし、俺たちは原則的に攻撃はしないでガードするのみだ。それと、公正を期するために、俺がヒルダにつくぞ」
確かにそのくらいのハンデは必要よな。我が君の友人の情報屋殿とは何度か顔を合わせたことがあるし、妾も4人狩りで大盾持ちとともに戦ぅた経験が1度ある。何とかなるじゃろう。
ヒルデガルド殿は、村の宿屋(酒場の2階じゃ)に部屋をとったらしく、既にそちらに戻られたとか。せっかく、フグ鍋を皆でつつこうと思ぅたのに、残念じゃのう。
せっかくなので、シズカも呼んで、その晩は3人(ふたりと1匹?)でストライクフグのチリ鍋に舌鼓をうった。
それにしても、明日は“勝負”か……あまりこのような気持ちで狩りに臨みとうはなかったのぅ。
* * *
翌朝。いまだ朝もやの立ちこめる村の入り口に、我が君と妾、そしてヒルデガルド殿と我が君の友人である情報屋氏が立っておった。
初顔合わせになるヒルデガルド殿と情報屋氏が挨拶をしている。
幸い、ヒルデガルド殿も一晩寝て頭が冷えたのか、貴族の令嬢らしい慇懃さを取り戻しておるようじゃ。
「おいおい、一応、オレにもカシムって名前があるんだが?」
──申し訳ありませぬ情報屋氏。以後は、“カシム殿”と呼称させていただきます故。
「それにしても、またオモシロイこと考えついたな、マック。まぁ、久々に暴れられるから、オレは別にいいけどよ」
情報屋…もといカシム殿は、どことなく嬉しそうだ。元はバリバリの狩猟士として、我が君ともときどき組むほどの手練れであったと言うから、血が騒ぐのかもしれぬ。なれど……。
「何言ってやがる。今日の主役は、ランとヒルダだぞ。俺たち野郎どもは、こいつらを守るために盾でガード一直線だ」
「……まぢ?」
「ああ、マジだ。ホレ、強健剤5つ。カニと対峙したら飲んどけよ」
うむ。そのために我が君はスキルでガード性能を上げておるのじゃからな。
「ぐっ……スタミナ回復がてらの攻撃もさせんつもりかよ」
ガックリ肩を落しながら、我が君から強健剤を受け取るカシム殿。
我が君はアイススチールランス、カシム殿はシザーズランスという、なかなか強力な武器を装備しておるのに、それを存分に振るえぬとは気の毒じゃが、今回ばかりは致し方ない。
ん? 我が君は片手剣使いではないかとな?
確かにその通りじゃが、ホレ、狩猟士は稼業を続けておると、時折、何に使うのかわからん妙ちくりんな“素材”が手に入ることがあるじゃろ?
アレを錬金術の心得のある鍛冶屋に持っていくと、
狩猟士生活の長い我が君も、片手剣以外にもそんなユニーク武器のひとつやふたつは持っておられるし、その中のひとつを急きょ鍛冶屋で鍛え直してもらったのが、あの
ストレス解消の見込みが低そうで落胆するカシム殿を、気の毒そうに眺めておると、遠慮がちにヒルデガルド殿が妾の肩を突ついた。
「その……何ですの、あの薬は? 今朝方、私もお兄様にひとつ似たものを渡されたのですけれど」
「ん? おお、あれは“強健剤”と言うてな。あれを飲めば一定期間スタミナ切れを気にせず、全力で行動できるのじゃ」
まだ不要領な顔をしているヒルデガルド殿に対し、盾で
「ヒルデガルド殿が手にしておるのは
「わ、わかってますわ…………その、(あ、ありがとう)」
何やら後ろを向いてゴニョゴニョ呟いておられたが、妾は敢えて聞き流したフリをした。
ご自分では認めないであろうが、我が君の妹御は、なかなかに可愛らしい性格をされているようじゃ。ホホホ……。
* * *
どう見ても水棲生物には不釣り合いな岩場の真ん中で、巨大な巨化蟹がハサミをふりかざして妾に迫ってくる。
じゃが、むざむざ接触されるのを待つほど妾はお人好しではないし、それに……。
「どっせいーーーい!」 ガキン!!
間に走り込んだカシム殿が、盾を構えてマグニキャンサルの突進を受け止めてくださる。
1年ほどまえに片目を潰して引退したとはいえ、まだまだ狩人としての腕は鈍ってはいないようじゃな。
その隙に、妾は手にした傘に似た形の
──ギュンギュンギュン……
わずかに閃光の軌跡を残しながら放たれた
「しかし、我が君ではないが、洒落と酔狂で作った武器も、意外な場面で役に立つのぅ」
妾は、手にしたどう見ても桃色の日傘にしか見えない軽弩をしげしげと見つめた。
普段はもっと強力な軽弩を使っておるのじゃが、ヒルデガルド殿が持って来た弓はハントマンズボウの弐型じゃったからの。公平を期すために手持ちの中で攻撃力が釣り合いそうなものを見繕うと、これしかなかったのでな。
もっとも、珍奇な見かけに反して、思ったより高性能じゃったのは幸いじゃが……。
「おーい、ランさん、そろそろカニのヤツ逃げそうだぜ」
ふむ。大分傷つけたことではあるし、“巣”のあるエリアに眠りに行ったと見るべきかの。その場所のおおよその目星はつけてあるのじゃが……。
「カシム殿、頼みがあるのじゃ」
* * *
妾とカシム殿が駆けつけたとき、案の定と言うべきか、我が君と妹御は1番エリアで苦戦されておった。
いや、さすがに我が君の方は、まがりなりにも上級狩猟士。普段滅多に使わぬ
それに引き換え、ヒルデガルド殿はかなりボロボロじゃが……ああ、自分の撃った矢で傷ついておられるのか、あれは。
「ヒルデガルド殿、巨化蟹がハサミを前に出してガードしている時は、射ち手の攻撃は一切通じず、逆に跳ね返されまする! そういう時は、攻撃を控えるか、あるいは……」
妾は、ポーチからとっときの痺れ玉(本来は死亡直前まで弱らせた獲物を捕獲する際使うものじゃ)を取り出し、巨化蟹に向かって投げつける。
正規の使い方ではない故、効果時間は短いじゃろうが、ひと呼吸の間怯ませるには十分じゃろう。
「いまじゃ! しばらくマグニキャンサルは動けぬ!」
「は、ハイッ!」
キリキリと引き絞られた弓から放たれた矢が、正確に巨化蟹めの眼球に突き刺さる。
うむ。流石、王宮正規の弓術の免許皆伝と言うだけはあるの。
その痛みのためか、カニめもどうにか意識を取り戻したらしい。生憎じゃが、妾の義妹(いもうと)をこれ以上は傷つけさせぬぞえ。
「ヒルデガルド殿、麻痺薬を塗った矢はまだ残っておるかえ?」
「は、はい、あと5射分ですが……」
なに、それなら妾の麻痺属性弾と合わせればすぐじゃ。
「ラン、俺たちも手伝おうか?」
「有り難い申し出なれど、要らぬお世話じゃ、我が君! 此所は妾とヒルデガルド殿の
妾とヒルデガルド殿のW麻痺攻撃によって、再び動けなくなる巨化蟹。
ふたりがかりの猛攻によって、マグニキャンサルめが沈んだのは、それから間もなくのことじゃった。
「それにしても、随分早かったんだな、ラン、カシム」
マグにキャンサルを解体しつつ、今さらながら我が君が感心した声をあげられた。
「完敗、ですわね。わたくし……」
うなだれ、どっぷり落ち込んでいるヒルデガルド殿。
「あ~、そのことじゃがな、我が君……」
さすがに妾も言葉を続けるのを躊躇う。
「──此度の勝負、妾の反則負けじゃ」
弾かれたように、妾の方を見るヒルデガルド殿。
「なぜですの? 確かに最後の戦いで貴女は手を出されましたが、それだってわたくしに有利になりこそすれ、何ら不利をもたらしたわけではありませんわ!」
ふむ。素直に敗北を認めるお積もりだったようじゃの。いやいや、なかなかに潔い。
「いや、そうではなくてな、妾たちは巨化蟹を“倒して”はおらんのだ」
「ああ。痛めつけたあと、ついいつものノリで捕獲しちまったんだよナー」
アハハーと、カシム殿も調子を合せてくださった。
「うむ。勝利条件は“討伐”じゃからな。せっかく捕獲したものを傷つけて倒すのは、狩猟士の不文律に反するが故」
「な、なんですってーーーーー!!」
* * *
そして翌日の午後。ヒルデガルド殿が王都に帰られるので、我が君とふたりで村の入り口まで見送りに来たところじゃ。
「いろいろとお世話になりました……」
馬車の前で、しおらしく頭を下げるヒルデガルド殿を、温かい目で見つめる我が君と妾。
「うんうん、ヒルダも元気でな。それと、そろそろ恋人のひとりやふたり見つけろよ」
「大きなお世話ですわ、お兄様」
妹御が少しばかりツンケンしておるのは、結局、妾たちの結婚をなし崩し的に認めざるを得なかったからやもしれぬな。
「この季節は走り蜥蜴共が騒ぎ始める時期故、お気をつけて行かれよ」
「ご忠告痛み入ります……か、勘違いしてないでください! わたくしは、純粋にそのアドバイスに対してお礼を言っただけですわ。貴女のことを100パーセント認めたわけではありませんのよ!!」
(ツンデレだ) (うむ、この上なくツンデレじゃな)
ひそひそ囁き合う妾たちを、むぅ~と言う視線でニラみつけるヒルデガルド殿。
「──そう言えば、狩猟勝負の勝者の願い事を、まだ伺っておりませんでしたわね」
「いや、あの勝負は妾の反則負けじゃ。百歩譲っても引き分けじゃろう?」
「単純に手を抜いて負けるのは、狩猟士としての誇りが許さないし、わたくしにも気づかれる。それで、無理なく負けるために捕獲という形をとった……そうわたくしは見ているのですけど」
まぁ、これだけ聡明な女性なら、それくらい見抜かれるだろう、と思ぅてはいたがな。
「ふむ。そうまで仰しゃるなら、ひとつだけよろしいか?」
「ええ、何なりと……」
何やら覚悟を決めておるヒルデガルド殿には悪いのじゃが……。
「どうしても嫌ならばよいのじゃが……そなたさえよければ、妾のことを“
「へ? そ、そんなことでよろしいんですの?」
「そんなこと、ではないぞえ。旦那様の妹君にそう呼んでもらえるのは、このうえなく嬉しいことであろ?」
悪女顔だと言われる妾じゃが、できるだけ他意のない笑顔で彼女に微笑みかける。
「! ば、バカじゃありませんの! わたくし、これでも伯爵家の娘ですのよ? お望みなら、ドレスも宝石も大概の贅沢品でも手に入りますのに……」
「そのようなもの、狩猟士には無用よ。それより、お主に“姉”と認められる方が、千倍もの価値があるわ!」
しばし無言で対峙する。
「まったく、付き合ってられませんわ!」
ヒルデガルド殿は身を翻し、馬車に乗り込まれる。
やれやれ、嫌われてしもうたようじゃの。
「──そうそう、わたくしのこと、家族や親しい者は、ヒルダと呼びますの。つぎからは、そう呼んで下さいまし、お姉様」
えっ!?
妾が聞き返す前に、馬車が走り出し、たちまち砂塵の向こうに消える。
多少の無作法は承知で、妾は遠くなる馬車に向かって、大声で呼びかけた。
「おーーーーい、また……必ずまた、遊びに来なされ、ヒルダ!!」
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