NULL番地ステーション
律立句・銘家・革君
不意な突然と日常による普通の或る人生
コンプライアンスの都合で貯まった有給休暇を消化することになった。休みは有難いが特に嬉しくはない。急病の時のためにできれば残しておきたかったが、周囲に勧められた休暇中を過ごす幾つかのプランも悪くないと思ったし、上司の機嫌や評価を考えて応じることにした。休養と模様替えを終えて、いよいよ明日から入念に計画したプランの後半戦だ。
非日常的な一日を思い描いて日常的な朝食を食べていると会社から連絡が入った。社内のPCにトラブルがあり、私が控えている資料を渡して欲しいという。正午前に社員が最寄り駅に取り来るということで私のプランには影響はない。互いに怪訝な様子で始まった休日中の労働に関する交渉は相互が安堵する形で決着した。オリンピック観戦の提案を選んでいれば、こうはいかなかった。幸い中の不幸中の幸い?誰にとって?私は一人でいるとくだらないことを考えてしまう。
自由時間に当てていた時間枠で要望された資料を鞄に詰めて出かけることにする。服装に合う鞄を選ぶのには予定外に時間がかかった。
話の通りに少し前に中途入社したばかりの若い男性社員が待っている。渡した資料の確認を終えた彼が少し言葉を詰まらせていた。渡したものに問題はない筈だし、これ以上の対応をするつもりもないけれど、助け舟を出す。
「何か問題?」
「先輩の今日の服装、綺麗に身体のラインが出ていてエロティックで素敵だなと思いまして。」
セクハラになると注意しようとも思ったが、悪い気はしない。私が言葉に詰まってしまう。
「今日は助かりました。お休みの日にわざわざありがとうございました。失礼します。」
不意を付かれて返答に窮している私を察するように彼は神妙な笑顔で別れの挨拶をする。私も業務的な挨拶を返す。手当のつかない休日の労働を終えて家路に着く。地下鉄のエレベータにある防犯目的の鏡に写った中年女性の姿は、確かに賞賛に値するほどに魅力的だった。
予定の休暇期間を終えて仕事に復帰した。上司に彼のことを尋ねると、既に辞めたという。それ以上の彼の話はわざわざ情報収集をしなくても自然に噂として耳に入ってきた。面白い人物だったようだが、同僚として長くやっていきたい人物ではなかった。
営業年度は巡っていった。今日も日常的な朝食を食べている。新聞のスポーツ欄によると五輪のリュージュで名前を知らない国の選手が事故死したそうだ。社会欄によるとすっかり忘れていた彼の情報とぴったり重なる人物が死亡したそうだ。何故だかとても胸が締め付けられたが、今日は大事な仕事がある。格安で酔える新商品についての会議があるのだ。抗不安薬を頓服として飲み誰の印象にも残らないスーツを着込んで、満員電車が到着するあの時の駅に向かう。何も写さない水溜りを避けて急ぐ道すがらに世界の終わりとばかりに泣き咽ぶ別の世界で生きる少女を見かけた。
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