渡り鳥

 あたしがあいつと出会ったのは、今からもう十年以上もまえのことだ。


 二十代も後半にはいっていた当時。生演奏を聴かせるバーでピアノを弾いていた知り合いに『今度ちょっとおもしろいやつとセッションすることになったから。時間があったら遊びにきてよ』と、誘われて。


 ちょうど男と別れたばかりでむしゃくしゃしていたし。少しは気晴らしになるかもしれない――と、当日は自然と足が向いていた。



 その『おもしろいやつ』というのは、アコースティックギターを、やたら元気に、それはそれは楽しそうに弾きながら歌う『おじさん』のことだった。


 おじさんは自分のことを、ギター弾きで、歌うたいで、渡り鳥だといった。


 街から街へ。一か所にとどまることがない渡り鳥。なんというか、全体的に昭和のにおいがする人で。実際はしっかり会社に勤めていて、おもに週末にライブ活動をしている、アマチュアミュージシャンだったのだけど。いろんな意味で『自由』というのがぴったりくるようなおじさんだった。


 いったいなぜ、あれほど惹かれたのか。

 自分でもさっぱりわからない。


 二十歳近くも年上の冴えないおじさん。自分で自分を『永遠の少年』といってしまうような、本気でイタイおじさんだったのに。


 その歌声が、底ぬけに楽しそうで。

 ギターの音も、やたら元気で。


 不実な男の裏切りに傷ついている自分が、バカらしくなったのかもしれない。


 オープンな雰囲気が人の笑顔を誘って。

 人に気をつかわせない、くだけた性格に心がほぐされた。


 何度か彼のライブに行って。そのうちに彼が主催するイベントなどを手伝うようになって。


 気がついたときには、男と女になっていた。


 だけど。ねえ。


 わかっていたんだ。はじめから。

 なにしろ、渡り鳥だからね。


 陽気で明るくて。いっけんオープンな彼は、臆病で意気地なしで。けっして心の中に人をいれない。誰にも気をゆるしていないから、誰にでもやさしくできる。


 なにより自分が大好きで。自分が楽しむことが最優先。


 彼が好きだったのは、自分の楽しみにつきあってくれるあたしであって、あたし自身ではなかった。だから、あたしが死にそうに具合悪いときでも、自分の楽しみを優先した。


 この人は少年じゃなくて、ガキなんだ――と、あたしがそう理解するまでに、それほど時間はかからなかった。





 あれから、十年以上の時が流れた。

 あたしはもう、彼にはつきあわない。


 大酒飲みで、音楽が好きで。

 今日もまた、飲んで弾いて。

 笑って、歌っているのだろう。


 どこかの街で。

 どこかのバーで。


 元気なギターを。

 陽気な歌を。


 今度あたしが彼につきあうことがあるとしたら。

 それは彼になにかあったときだ。


 どうやら、あたしの電話番号が緊急連絡先に登録されているらしいから。


 ある日突然『なにかあったらよろしく』と、電話がかかってきて。

 なにがよろしくだ。ほんとうに、ふざけんなって感じだけど。





 この先ずっと、その『知らせ』がこないことを祈ってる。



     (おわり)



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