第2話)織姫の彦星

 あの青天の霹靂から約二ヶ月後、遂にとでも言うべき程に指折り待ちわびた待ち合わせの日が二人に訪れた。


 その待ち合わせ場所とは、日本の大都市の一つであるところのとある街にあるとある大きな駅の一階部分。表玄関から裏玄関へと一直線に広く長く続く通路の入り口付近。因みに、その通路の左右には東西南北へ走る各線の券売機と改札口があり、裏玄関へと向かって最後に新幹線のそれがある。広く長いので迷いそうではあるのだが、案外これが迷わないといった感じの大きな大きな駅である。


「ユウヤ、まだかなぁー」

 その駅の表口を入って直ぐ右手側にある、駅の売店といえば此処と言ってもあまり差し支えはないのではないだろうかという程に有名な売店のそのすぐ横で、奈美はそわそわきょろきょろと、落ち着きなく立っていた。


「早くユウヤに会いたいなぁー」

 思わず声になってしまうくらいに。


「まだかなぁ………」

 胸が高鳴っていた。


「早く来ないかなぁー」

 その胸の高鳴りは、約束したあの日から始まり、約束の日が近づくにつれて如実に高まっていき、どうしようもなく膨らんでいき、遂には殆ど眠れないままこの日の朝早くに起きる事になった。奈美はその胸の高鳴りを抑えきれないまま、その胸の高鳴りに急かされるように待ち合わせ場所へと向かい、逸る気持ちをそのままに、想い人の到着を心待ちにしていた。


「アネキ、大丈夫かな」

 その一方で。同じくあまり眠れないまま今日という日の朝を迎えた優矢は、もうすぐ待ち合わせ場所に到着するといった辺りを、普段よりも早足で、普段よりも前を先を奥を見つめて歩きながら、想い人の体調を心の底から心配していた。


「ユウヤぁ………」

 ポツリ、奈美が呟く。


「アネキ………」

 ポツリ、優矢が呟く。


 同じ駅内の少し離れた場所で二人は、殆ど同時にお互いの名前をそれぞれポツリと呟く。約束の時間よりも三十分程前の事であった。


「「………」」

 電話で宝クジ一等当選の話をしたあの日から、二人はそれぞれにとって大切な今日という日がこうして訪れるまでの間も、二人はいつものように電話やメールで何度も話していたし、それ以前だってそうしていたのだが、二人きりで会うとなると僅かな時間が年に一度あるかないかだった二人にとっては、二人きりで会うという事は特別な意味を持つ程に待ちわびた事だった。


「………」

 例えば奈美にとってのそれは、未来を夢見て生きてきた事へのご褒美の始まりであったし、


「………」

 例えば優矢にとってのそれは、もうこれ以上は越えてはならない筈だった禁忌をまた・・・・と、いう具合に。


「………」

 後になって思えば、誰に目撃されるやもしれない場所で、その確率は非常に高いと言わざるをえない時間帯に、誰が見ても誰か大切な人と待ち合わせでもしているのだろうと思われるであろうそわそわときょろきょろと何度も何度も辺りを見渡し見廻している奈美。


「………」

 後になって思えば、誰に目撃されるやもしれない場所で、その確率は非常に高いと言わざるをえない時間帯に、誰が見ても誰か大切な人を捜しているのだろうと思われるであろうそわそわといそいそと何度も何度も辺りを見渡し見廻している優矢。


「「………」」

 二人はそれぞれに、思惑と衝動を心に隠し持ちながら、けれど仕草に挙動に溢れ漏れている事に気づかないままに、今日という特別で大切で重要な日に、その身を宿しているのであった。


「あっ、ユウヤ!」

 待ち合わせの時間三十分前から暫くして、駅の改札口に向かう人波よりも頭一つ分くらい背が高い大柄な優矢を視界に捉えた奈美は、その途端にただそれだけで、完全に優矢への想いに心を支配されてしまった。


 ユウヤが来てくれたよ………。

 ちゃんと来てくれたんだぁー。


 早くも心を完全に支配されてしまった奈美は、優矢への想いを身体中に駆け巡らせたまま、優矢の元へとすぐさま駆け寄ろうとした。


「きゃ、う」

 が、しかし。駅の改札口へと続く人波に悪意なく行く手を阻まれる。それはまるで、荒れ狂う天の川の如く。


「あう、う」

 この日は平日、時刻は朝。所謂ところの通勤ラッシュ。


「あの、すい、ま、うう、あうう」

 人波の少し向こうに優矢が見える。間違いなく優矢が見える。


「あう、く」

 見えるのに、近くに行きたいのに、早く傍に行きたいのに、早く触れたいのに、早く触れられたいのに、早く見つめられたいのに、早く話しかけられたいのに、近くで微笑みかけられたいのに………それなのに。それなのにそれなのに。


 それはまるで、

 天の川の両岸で立ち竦む織姫と彦星。


 二人にとっての七夕の日では決してない今日、その人波はまさに荒れ狂い流れる川のようで、華奢な奈美では容易には渡れそうになかった。


「あうう、ユウヤぁー」あんなに近くに居るのに、もうすぐなのに、やっと会えたのに、やっとなのに、優矢が来てくれたのに………。


「ユウヤぁー!」

 奈美はおもわず、優矢への想いを声に乗せて叫んだ。


「ん?」

 奈美が呼ぶ声に気づいた優矢は、きょろきょろと顔を動かした。


「あっ」

 それを見て、奈美は直ぐに後悔した。当たり前といえば当たり前だが、奈美の周辺にいた何人かが奈美とその声の先をチラチラと気にしだしたからだ。奈美の脳は、途端に不安に支配された。


「どうしよう………」こんな人の多い場所で大声で呼ぶなんて、恥ずかしいからヤメてくれよ! って、ユウヤにイヤな表情されちゃうかな。そしたら帰っちゃうかな。それでもう会ってくれなくなるかな。電話にも出てくれなくなるかな。ユウヤ、怒ってるかな。


 あうう、ゴメンなさい………。


 不安が瞬く間に恐怖にまでなっていった奈美は、優矢がどんな表情をしているのかを確認しようとした。まさに必死になって、それを見据えようとした。


「アネキ、何処?」

 奈美がそんな思いで様子を伺っていた頃、奈美に大声で呼びかけられた優矢はというと、その声の主が奈美であるという事はすぐに気づいたものの、人波に紛れてしまっている小柄で華奢な奈美を見つける事ができず、周りを辺りを何度も何度もキョロキョロと見渡し見廻ししつつ、奈美の声が聞こえてきた方向をより丹念に、奈美を捜していた。


「あ、ユウヤ!」

 優矢が自分を捜している様子が垣間見えた奈美は、その優矢の表情から優矢が不快には思っていないという事が伺えて安堵した。どうやら考え過ぎだったようだと、つい先程まで脳を支配していた不安がスーッと消失していく。


「あああの、すみません! すみません、通してくだっ、さい………」

 なので奈美は、そう言いながら行く先の違う人達の波を再び、かき分けかき分け進もうと前に踏み出した。少しでも早く優矢との距離を縮め、少しでも早く自分を見つけてもらう為に。


「あああの、すい、ま、あう」

 しかし、川の流れは一向に鎮まる気配を見せず、そんな荒れた波にもまれ続けている内に、満員電車に揺られて来た事も加味されて、次第に頭がクラクラとしてきた奈美は、その場に蹲りそうになってしまった。


「ん、アネキか?」

 そのおかげと言うべきか、不自然に流れが弱まったり崩れたりしている所を見つけた優矢は、更にその中心で溺れそうになっている奈美を漸くその視界に捉えるに至った。


「あ、アネキ!」

 途端に優矢は、流れを無視して一直線に奈美の元へと進んでいった。


「ユウヤぁー」

「アネキっ!」


 そこで二人は、やっと目と目を合わせてお互いを見つめあった。いいや、見つめあえた。


「あう、う、ユウヤぁー」

 それはまるで、一年に一度なんて私には我慢できませんとばかりに荒波に飛び込んだ、無謀なる織姫。


「アネキ!」

 それはまるで、俺も同じ想いだけどいくらなんでもそれは無茶ですよと救出に飛び込んだ、優しき彦星。


「アネキ、大丈夫?!」

 溺れかけの奈美に抱きしめるように腕を回した優矢は、そのまま荒波をかき分けかき分け、奈美がつい先程まで居た所つまり、待ち合わせ場所へと歩いていった。


「う、うん」

 満員電車と人波による眩暈と吐き気を感じながらも、優矢に会えた喜びの方が激しく勝っていた奈美は、その優矢に抱き寄せられた事で高揚が最高潮付近にまで到達してしまってポーッとなった。


「朝のラッシュのコト、すっかり忘れてたよ。ゴメンね、アネキ」

 奈美は身体が弱いので、混雑した場所に酔ってしまうという事を充分に知っていたのにも関わらず、奈美に会えるという嬉しさでそれを忘れてしまい、気遣いを怠ってしまった自分の不甲斐なさを心の中で強く激しく叱責しながら、優矢はそう言って謝った。


「えっ、あ、ううん。ユウヤのせいじゃないよ。だってさ、時間と場所を決めたのはアタシなんだもん。だから、アタシのせいなの」

 たしかに一日でも早く、一時間でも早く、一分でも早く、一秒でも早く優矢に会いたいという想いがあまりにも強かった奈美が、その想いそのままに率先して決めた事だった。


「でも、オレが気づくべきだった。それなのに気づかなくて、忘れてて………だから、やっぱりオレのせいだよ。ゴメンね、アネキ」

 しかし、優矢は本心からそう言ってもう一度謝った。優矢にとっては、奈美のせいでは決してなかった。優矢も奈美に会いたかったのだから。奈美が考えたように、少しでも早く。少しでも速く。


「ユウヤぁ………ユウヤはホントに優しいね。ありがと、ユウヤ。ホントにホントにありがと」

 優矢の優しさに多大な幸せを感じた奈美は、心の底からそう告げた。あまりにも幸せだったからなのか、眩暈や吐き気がスーッと消失したような気さえしていた。


「いや、あ、うん………」

「えへへ、久しぶりだね」


「あっ、あああのさ、少し休んでから行こうか。オレ、ジュース買ってくるよ。アネキ、何がイイ?」

 奈美にウルウルした瞳で見つめられた優矢は、昔を思い出して途端に照れながらも、奈美の体調が心配だったのでそう返した。


「えっ、えっと、じゃあ、じゃあ………あっ、何でもイイ」

 奈美は嬉しそうな表情でそう答えたのだが、そのとおり幸せだった。もう順序の何もかもを飛ばして愛しい優矢に抱きつきたい衝動にさえ駆られていた。


「判った。チョットだけ待ってて」

「うん。判った。ここで待ってる」

 奈美はもう優矢から目が離せない。


「サッと行ってパッと買ってチャッと戻ってくるから」

 優矢はそう言って微笑むと、すぐ横にある売店へと早足に向かっていった。


「うん!」

 脳が幸せだった昔を映像化し始め、身体が疼き、瞳が更に潤み、心が渇望していく途中にあった奈美は、計画していた何もかもの全てを忘れ、あからさまに優矢の虜となっていく。いいや、虜である自身を解放する事にブレーキをかけられなくなってしまったと表現した方が、より的確である。そういう意味だけで言えば、奈美は何も変わっていなかった。


「ユウヤぁー」

 売店へ向かう優矢を見つめる。


「はう、う………」

 ジュースを買う優矢を。


「アタシの」

 戻ってくる優矢を。


「ユウヤぁー」


 誰にも渡すもんか。


 誰にも。


 誰にも。


 誰にも。


 ………。


「んっ? アネキ? アネキ? どうした? やっぱり調子悪い? 大丈夫?」

 宣言したとおりに短時間で済ませ、既に戻ってくる途中にいた優矢は、すぐに奈美の様子が変だと感じた。なので、慌てて駆け寄って奈美にそう訊いた。そして、買ってきた二本のジュースを片手に収め直すと、もう片方の手で奈美の頬や額を触って体調を感じようとした。


「ユウヤぁ………」

 心の底から心配してくれているのが存分に判った奈美は、嬉しくて更に我を忘れかけていく。


「座れる所、探そうか? アネキ、それとも病院に行く?」

 優矢は心配で心配で仕方がなかった。


「アタシ………」あ、そうだ。


 そんな優矢を見つめているうちに、

 奈美の脳裏にある考えが浮かんだ。


「アネキ?」


「………」どうやらユウヤは、アタシの体調が急変したと思ってる。それなら、このまま体調が悪いフリを装えば、ユウヤはきっと………ううん、それだとシテもらえない事がある。大丈夫、先はまだある。その時に実行すればイイの。やっとここまで来たのよ。焦ってはイケナイ。漸く始まったんだから。


 落ち着くのよ。

 落ち着かなきゃダメ………。


「あのさ、そのジュース、が、飲みたいなぁー」

 奈美はグッと堪えてそう言った。


「ん、温かい紅茶と冷たい清涼飲料水、どっちにする?」

 優矢は心配しながらも、両手に一本ずつ持ち直しながらそう訊いた。


「えっと、紅茶にしようかな」

 ユウヤにする。と、心の中ではそう即答していた奈美だったのだが、紅茶と答えて微笑んだ。努めて可愛く。可愛いと思ってもらえるように。


「了解しました」

 優矢は心配を続けながらも、努めて明るくそう言ってキャップを開けた。


「はい、召し上がれ」

 そして、奈美にそっと差し出した。


「ありがと。いただきます」

 その紅茶を両手で受け取った奈美は、大事そうに一口含み入れた。


「んく………ん。はい、ユウヤ」

 そして、喉から胃へと徐々に徐々に温かい道が出来上がるのを心地良く感じながら、奈美は優矢にその紅茶を手渡す。


「ん? あ、うん………」

 受け取った優矢は、それを同じようにゴクリと一口、含み入れる。


「じゃあ、じゃあ、次はアタシの番ね」

 それを見ていた奈美は、そう言って優矢から受け取り、再び一口含み入れる。


「温かいね、えへへ。よぉ~し、もう大丈夫! ホームに行こっか」

 そして、元気良くそう言った。勿論、努めて可愛く。


「う、うん………そうしようか」

 奈美が突然元気になったように見えたので、優矢は少しだけ戸惑ったが、それでも奈美が元気ならそれはそれで十全だと安堵した。


「あっ、アタシさ、自転車通勤だったからよく判んないんだけど、パパとママのお墓がある所は逆だから、電車ってそんなに混んでないんでしょ?」

 奈美は更に話しかけた。とても楽しそうに。


「うん。オレも二輪で通勤してるからそんなに詳しくないんだけど、逆だからたぶん混んでないと思うよ。って言うか、もう辞めたんだけどさ」

 奈美が元気そうな様子ので更に安心していった優矢は、そう返して微笑んだ。


「えっ? バイク乗るのヤメたの?」

「ん? そうじゃなくてさ、施設を」

 その場で券売機を探しながら、優矢は奈美の勘違いを優しく正した。


「あ、そっか。ゴメンなさい。そうだったね」

 お互い働いていた職場を本当に退職してしまったという事を電話で話し合っていたのを思い出した奈美は、まだどうしようもないくらいに心を刺激している衝動を少しずつ解放するかのように、まずは優矢の横に並んだ。


「じゃあ、切符、買いに行こうか」

 券売機の位置を確認した優矢は、そんな奈美の心の動きに気づかないまま、奈美に視線を移しながらそう言って見つめた。


「う、うん。じゃあ、じゃあ、張りきって行こぉー!」

 久しぶりにその角度で優矢に見つめられた奈美は、それはもう我慢の限界にまで膨らんでいた想いをそれでもなんとか隠しながら、努めて明るくそう返した。


「えへへ♪」

 それから二人は、どちらからともなく自然に手を繋いで寄り添うように………いいや、寄り添って歩き始めた。


「やっぱ、駅って混んでるね」

 歩きながら優矢が、奈美の歩行ペースに合わせる。


「うん。都会って感じだね」

 そのさり気ない心遣いに、奈美の心が更に踊る。


「道も車だらけだもんね」

「うん。人、人、だよね」

 まるで、仲の良い恋人同士のように。


「あ、言い換えると忍者だよね」

「忍、忍。って、事なのかな?」


「うっ………ダメでしょうか?」

「忍んでないからダメだよぉー」


「あ、たしかに。そうですよね」

「ユウヤだから許してあげる!」


 いいや、

 仲の睦まじい夫婦のように。


 ………。


 ………。


 そして。


 二人はその後、仲良くと言うべきか仲睦まじくと言うべきか、電車に揺られて小一時間、乗り換えて更に三十分、次はバスで三十分、最後に徒歩で約十分という道のりを終えて到着した両親が眠る墓を洗い、花と線香を供え、挨拶と近況報告を済ませ、先程の道のりを今度は逆に移動して、待ち合わせ場所だった駅の入り口付近に戻ってきたのは、昼と言われる時刻をゆうに超えた頃だった。


「ねぇ、ユウヤ? そう言えばさ、こうして二人っきりで会うのってさ、凄い凄い久しぶりだよね」

 奈美は、こんなに長い時間を二人きりで居られるなんて久しぶりという意味で話しかけた。始まりの始まりをもう少し進めたかったから。


「うん。半年ぶりくらいだよね」

 優矢はそれに気づかず、半年ほど前の両親の命日で祖父母を交えて会っている事をさしてそう返した。


「えっ? と、うん。そうだね」その時は二人きりになんかなれなかったし、二人きりなんてもう何年も無かった事なのに………。

 と、思いながらも。奈美は訂正も説明もせず、ただそう答えて合わせた。不安がよぎり、焦りが生まれる。


「………」半年、かぁー。

「………」ユウヤのバカ。


「「………」」

 二人がある理由で離れて暮らすようになってから、もう何年も経過していた。その理由によって本来なら二人はもう顔を合わせる機会なんて無くなる筈だったのだが、唯一の例外が両親の命日で、それは奈美が望んでそうなるように仕向けたのだ。一年に一度、まるで織姫と彦星のように顔を合わせるようになった二人は、それが精一杯であった為に二人きりで過ごす時間を積極的に作ろうとはしなかった。踏み出しさえすれば、それは簡単に実現する類の事だったのだが、離れて暮らす事に決めたある理由が足かせになっていたのだ。今までずっと。


「………」

 それは、拒否されるのが怖かったからだった。拒否されたら、もう二度と、口に出せない。そんなのは絶対にイヤだったから。


「………」

 それは、傷つけてしまうのが怖かったからだった。もう二度と、傷つけたくない。あんなのは絶対にイヤだったから。


「「………」」

 二人にはそれぞれ、会いたいという想いと会ってはならないという思いがあった。しかし二人は、それをお互いに伝え合う事をしなかった。そうだったから、ほんの僅かな時間でさえも、二人きりになれた時には狂おしい程にお互いを求め合った。いや、求め合ってしまった。抑えられなかったし、抑えなかった。それなのに、その度に二人は、また何事もなかったかのように、次の年をそれぞれ密かに心待ちにするという毎日を選び続けてきた。


「「………」」

 実のところ、今日だってそうである。退職してしまったくらいなのだから時間は沢山あるのだし、敢えて言うならばそれは一緒に居られるかもしれないという密かな思いがあっての事であったのに、そうであってもやはりと言うべきか二人は、その想いによってではない理由を、つまりそれならば一緒に居ても不思議ではないという言い訳のような何かを探していたのだ。

 約二カ月前。小康状態と言っても差し支えなかった二人の前に、明るい兆しが思いもよらない形で現れた為に。


「ねぇ、ユウヤ?」

 奈美は、始まりの始まりから一歩踏み出し始めた。このまま此処でサヨナラするつもりなんかなかったから。もう、絶対に。


「ん、どうしたの?」

 奈美の声のトーンが明らかに変わったので、優矢は途端に緊張しながらも続きを促した。


「あのさ、せっかく市内まで来たんだからさ、その、お買い物とかしたいなって思ってるんだけど、あっ、それにほら、お昼ごはんとかもまだだし。でもね、アタシさ、そういうのって独りだと苦手って言うか、怖いって言うか。それでね、その、ユウヤに付き合ってもらえたら嬉しいんだけどなぁーって。あのさ、ユウヤはこの後、予定とかあるの?」

 覚悟を決めて踏み出したものの、やはり優矢の目を見て試みるだけの自信や勇気はなかったので、奈美はチラチラと何度か優矢の表情を伺いながら訊いた。


「えっ、と………ううん。何も予定ないし、大丈夫だよ」

 そんな奈美の思惑など知る由もない優矢だったのだが、優矢は優矢で今日を楽しみにしていたので、まだ奈美と一緒に居られるというごく自然な理由が見つかるに至ったので、内心では素直に嬉しく感じていた。


「えっ、ホント? ユウヤ、ホントにイイの? ホントにホント?」

 始まりから次へと進む一歩が成功した奈美は、ブンという音が鳴るのではないかというくらいの勢いで顔を上げ、何度も訊き返した。


「う、うん。銀行に行こうかと思ってたし」

 凄く嬉しそうな表情なのに、とても不安そうな声の奈美にジーッと見つめられた優矢は、少しの戸惑いと多大な照れを感じながら言った。


「「………」」

 実のところ、退職してしまったくらいなのだから時間は沢山あるのだし、敢えて言うならばそれは一緒に居られるかもしれないという密かな思いがあっての事だったのに、そうであってもやはりと言うべきか二人は、その思いによってではない理由を、つまりそれならば一緒に居ても不思議ではないという言い訳のような何かを探していた。


「じゃあ、じゃあ、ユウヤの用事から済ませちゃおっか」

 これ以上ないというくらいの笑顔と弾んだ声でそう言った奈美は、優矢の腕にからみついて促した。


「う、うん………」

 照れだけを深めながら、優矢は奈美に促されて歩き始めた。


「嬉しいなぁー」

 本当に嬉しそうにそう呟いた奈美だったが、その笑顔の裏では次の試みについて順序よく冷静に考えていた。その試みとは、


 ①優矢に昔の事を思い出させるように振る舞う。

 ②一人では重くて運べないようなお買い物をする。

 ③優矢は優しいから昔のように運んでくれるだろう。

 ④家に着いたら夕飯のお買い物に付き合ってもらう。

 ⑤そして、二人きりの家で………。


 そのステップは、試みというよりもやは企みであった。奈美は、今日のこの時に、自分自身の未来を賭けていたのだ。


 ………。


 ………。


 自分だけのモノにする為に。



         第2話)織姫の彦星 完

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