6. フルーツパフェ

 アサクラに新しい仕事仲間が出来たその翌日のことである。この日も厨房では、アサクラと新人へっぽこ料理人のジョージアが、中央の調理台を挟んで差し向かいに座っていた。


 しかし、今日の二人……いやアサクラは、昨日とは異なる面持ちである。


「……」

「……」


 静寂の中、二人の鋭い眼差しが互いに牽制し合う。ジョージアの鋭い眼差しは昨日とあまり変わらない。しかし、アサクラの眼差しは、昨日のそれとは根本的に異なっている。


「……」

「……」


 昨日ジョージアは騎士団の編成を質問したとき、ただの料理人にあるまじき鋭さの眼差しを見せた。その眼差しを見たアサクラは、一晩考えた末に、ジョージアは他国のスパイではないかという疑問を持つに至った。


 故にアサクラは、今日改めて、ジョージアを問いただそうと考えた。疑念が外れればそれはそれでよい。だがもしジョージアがスパイだった場合、バル太か誰かに報告を上げ、然るべき処理をしてもらう腹積もりである。


 仮にジョージアがこの場で暴れても大丈夫なように、アサクラは自身のすぐそばに、愛用のサーベル『カ・ターナ』を持ってきている。この地の刀剣とは異なる製法で作られたこのサーベルは、通常のサーベルと比べ物にならないほどの切断力を有している。振るう者の腕が確かならば、金属すら容易に切断可能なほど、その刃は鋭い。


 そしてそれをふるうアサクラは、この国でも類まれなる剣術の使い手である。一度バル太に挑戦状を叩きつけられたことがあったが……アサクラは、騎士副団長で剣術の腕が確かなバル太を、その卓越した剣技で完膚無きまで叩きのめした。その時以来、バル太はアサクラに敬意を向けている。料理人になったアサクラにとっては、どうでもいいことではあるが。


 つまり、アサクラは今、場合によってはこのジョージアを斬り捨てる覚悟で、この場に臨んでいる。


 滞在した期間はけっして長くはないが、アサクラにとってこの国は第二の故郷と呼ぶにふさわしい。守るに値するこの素晴らしいこの地を脅威にさらすというのなら、たとえ相手が自分の新しい部下で、腕の立つ女性戦士であったとしても、容赦なく斬り捨てる……アサクラの眼差しは、そんな裂帛の気迫を感じられるほど、鋭く、冷たく光り輝いていた。


「……で、ジョージア」

「なんだ」

「そろそろ本当のことを話して欲しい」


 意を決し、アサクラが口を開いた。即座にジョージアの眉間がピクリと動く。アサクラの気迫をジョージアも感じ取っているようで、先程からジョージアの眼差しもアサクラのそれと同等に冷たい。


「本当のこととは?」


 ジョージアの言葉に動揺はない。だがその言葉が真実ではないことを、アサクラの耳は正確に捉えている。


「本当のことだ」

「……」

「お前は職を求めてこの城を訪れ、そして王に雇われた。そうだな?」

「そのとおりだ」

「ではこの城に職を求めたのは何のためだ。城下町にも仕事はたくさんある。なぜ城なのだ。なぜ王の元でなくてはならんのだ」

「……」

「納得のいく答えを聞かせてもらえんかぎり、私がお前に調理を許すことはない」


 互いに殺気の籠もった視線で相手を刺す二人。チャキッという金属音がアサクラの耳にかすかに届いた。調理台のその陰で、ジョージアが自身の剣に手をかけたらしい。反射的に、アサクラも手元のカ・ターナに手を伸ばした。


「ちなみに貴公の納得いく答えが聞けなかった場合、貴公は何をする」

「それだけなら何もしない。ただ報告を上げるだけだ。それだけなら」

「……」

「そしてお前がこの場でそれ以上を望むというのなら……不本意だが、私にも考えがある」


 空気が硬質になり、室温が下がったことをアサクラの肌が感じた。鞘を握り、親指で柄を持ち上げる。カ・ターナの刀身が、青白く、冷たく輝く。


 アサクラは中腰になった。ジョージアも腰を上げる。彼女の右手は確実に剣を握っている。調理台の死角の部分で、互いに剣を構える二人。


 アサクラはジョージアの目を見た。彼女の瞳孔は大きく開いていた。


「……貴公、いい気迫をしているなぁ」

「……」

「相当な手練と見た。改めて問おう。貴公、名は?」

「……聞いてどうする」

「良き敵を名も知らぬ内に殺すのは忍びない。名を教えろ」

「オルレアン王国宮廷料理人、朝倉兵庫」

「なるほど。アサクラ・ヒョウゴ……アサクラか。妙な名だ」

「極東出身でな」

「なるほどな。しかしなぜ料理人などしている。貴公ほどの腕前なら、戦士としても充分すぎる働きができるはずだ」

「王からは料理人として雇われている。それだけだ」

「ハンッ」


 ジョージアが立ち上がった。やはり彼女は、調理台のその陰で、腰に差した剣に手をかけていた。その柄をゆっくりと握り、剣をズラズラと抜く。極低温の殺気を帯びた刀身が姿を現し、切っ先がアサクラに向けられた。


 アサクラは中腰のまま、カ・ターナを鞘ごと自身の腰に持ってきた。カ・ターナは左手で支え、その柄に右手を添える。この構えは、アサクラが得意とする剣技の構え。その疾さゆえ何人も避けることが叶わず、この技を前に斬り捨てられていった人数は計り知れない。アサクラにとって文字通り必殺といえる、恐るべき剣技である。


「ちなみに貴公」

「……?」


 ジョージアがこの緊張下で口を開いた。アサクラは気を抜かない。気を抜いた瞬間、ジョージアの剣が自分の身体を引き裂き、命を奪われるからだ。もしジョージアが抜いた剣を少しでも動かそうものなら、即座に抜刀して斬り伏せる……その覚悟で、自身の右手をほんの少し、ピクリと動かした。


「報告を上げる、と言ったな」

「言った」

「誰に言うのだ。『あの新入りは得体がしれぬ』と、一体誰に言うつもりなのだ」

「お前には関係のない話だ」

「いいではないか。聞かせたまえよ。この私のことを、一体、誰に、報告するつもりなのか……」


 ジョージアが微笑む。デイジー姫のような、どこかに無垢が残った微笑みではない。人をこれから殺そうとするものだけが見せる、相手を死の暗さへと引きずり込む黒い微笑み……この女は、自分を殺そうとしている……アサクラの直感が告げた。


「報告を上げる相手は……」


 ジョージアの目がキラリと光った。アサクラの右手が反射的に動き、カ・ターナの柄を握った。


「バル太だッ」


 その瞬間、アサクラはカ・ターナを抜いた。厨房に鞘走りと抜刀の音が鳴り響く。アサクラの剣技はまさに風の如き速さで、ジョージアの身体を正確に捉え、そして斬り伏せたはずだった。


「ダメだぁあああッ!!!」


 そんなジョージアの叫びとともに、アサクラの斬撃は空を切った。と同時に、何かを勢いよく叩いた『ドバン』という音が盛大に鳴り響いた。


「!!?」

「バル太さまはダメだァァあああ!!?」


 一瞬、虚を突かれたアサクラが視認したもの……それは、アサクラの剣技が切り伏せるよりも早く、調理台に手をついて頭を深々と下げる、ジョージアの情けない姿だった。


「すまない!! 本当のことを話す!! だからバル太さまにだけはぁぁあっ!!!」

「は……?」

「私は!! ……私は、あの方に愛想を尽かされることだけはイヤなんだぁぁああ!!?」


 さっきまでの緊迫した空気はどこへやら……その空気を演出していたアサクラ自身も呆れるほどの、涙声で懇願する情けないジョージア。そんな彼女の姿を見て、アサクラの心には、昨日のデイジー姫のある一言がぼんやりと浮かび上がっていた。


――恋ですね



 そうして、時刻はそれから十数分後。厨房では、再びアサクラとジョージアが調理台を挟んで相対していた。最初のときと違うのは、ジョージアが涙を浮かべていることと、先程のような殺気が消え失せていることだ。事実、『バル太さまにだけは秘密にしておいてくれぇ』と嗚咽混じりの懇願を繰り返すジョージアを、アサクラはついさきほどまでなだめていたところだ。先程命のやり取りを覚悟し合った二人だとは思えない状況だ。


「さて……そろそろ話してくれるか。お前の本当の目的は何だ」

「国王オルレアン三世とその親族、長女デイジー姫の暗殺だ」

「……」


 意外なほどすんなりと真相をしゃべったジョージアに、アサクラは全身の力が抜けた。暗殺任務を帯びたスパイ……なのに、スパイがそんなにあっさり喋っていいのか……と余計な心配をせずにはいられない……


「……すんなり話しすぎだろ」

「だって貴公がバル太さまにチクるって言うから……」

「いやいやそこは抵抗しろよ。つーかもっと嘘で俺を言い負かせよ」

「だって本当のことを言わなきゃバル太さまにチクられる……」

「……」


 『任務よりもバル太が大事なのか……』と、目の前の凄腕ジョージアの、スパイの適正に疑問を抱かざるをえないアサクラ。なんだか本気で目の前の女を不憫に思い始めた。こんなスパイ適正ゼロの人物が、なぜスパイに選ばれたのか……


 とはいえ理由には疑問が残るが、話している内容はどうやら本当のようだ。それは、彼女の涙目からも容易に読み取れる。


「……本当なんだな?」

「本当だ」


 アサクラは改めて確認し、ジョージアも肯定……やはり、ジョージアが国王暗殺の任務を帯びたスパイであるというのは本当のようだ。ただ、肝心の本人がへっぽこなだけで。


 アサクラはガタリと椅子から立ち上がる。


「こらバル太に報告しなきゃアカンわ」


 このような重大な事柄は、騎士副団長バル太には上げておかねばならない……そう思い、アサクラが出入り口に足を向けた、その時だ。


「それは困るぅぅううう!!?」


 ジョージアが再び調理台にドバンと右手をつき、左手はアサクラの袖をグッと掴んだ。


「たーのーむぅぅううう!!? バル太さまにだけは!? バル太さまにだけはぁぁあああ!!?」

「ダメだ。暗殺目的のスパイなぞ捨て置けん。標的が王であるならなおさらだ。バル太に報告を挙げさせてもらう」

「おねがいだぁぁあああ!!? もう任務なんか忘れる! 国王暗殺もしない!! だからバル太さまに報告だけはぁぁぁああああ!!?」

「……」

「たぁぁぁあああのぉぉぉおおむぅぅぅぅうう!!!?」


 こうしてしばしの間、アサクラとジョージアの間で『報告する』『やめてくれ』という、傍から見れば意味のよくわからない、とても不毛なやりとりが続いた。


 二人のやり取りが、通算13回ほど繰り返された頃だった。


「やっほーアサクラー。今日も……て、あれ?」

「頼む! 一生のお願いだぁぁぁああ!! バル太さまにだけは! バル太さまにだけはぁあああ!!!」

「……姫か」

「あなたたち、何遊んでるんですか……」


 厨房入り口のドアが開き、タイミングよく……いや悪くなのかはよくわからないが、いつものようにデイジー姫が遊びに来た。厨房に入るなり、デイジー姫は二人の様子に目を丸くし、呆気にとられているようだ。『珍しい光景が見れた』と、アサクラは心の中で冷静に考えた。


「いや、別に遊んでるわけではない」

「いやいやどう見ても遊んでるでしょ。何やってるんですかアサクラ。父上のおやつのフルーツパフェはどうしたんですか。泣いてますよ父上が」

「いや私もそろそろ仕事をしたい。したいんだが……」


 アサクラがジョージアの様子を横目で伺った。相変わらず目に涙を浮かべ、ひっくひっくと泣き声を上げているジョージアには、さっきまでの恐ろしさは影も形も見当たらない。むしろ母親にイタズラが見つかって叱責されるのを恐れる、五歳の少年のような面持ちだ。


 いつもと異なる怪訝な顔で、アサクラの隣にやってくるデイジー姫。アサクラはデイジー姫とともにジョージアを見る。


「一体何して遊んでたんですかアサクラっ」

「遊んでなどいない。至極真面目な話をしてたんだよ私たちは……」

「真面目な話?」

「ああ」

「ひょっとしてさっきの『バル太さまには秘密にぃぃいいい!!?』てやつですか?」

「……」


 不必要かつ大げさなモノマネでデイジー姫が先程のジョージアの嗚咽のマネをする。本人は似せているつもりなのかもしれないが、クオリティはアサクラから見て散々だ。そんな残念なモノマネで得意げに鼻の穴を広げるデイジー姫の姿をみたアサクラの心が、純粋な殺意に染まっていく……カ・ターナの柄を掴みに動く自身の右手を、アサクラは必死に抑えた。


「クソッ……沈まれ……わが右手よ……ッ」

「遅れて来た中二病ですかアサクラ」

「斬り殺されたいか」


 しかしそんな周囲の状況も、ジョージアの耳と目には届いてないようだ。ジョージアは今、『バル太さまにバレるかもしれない』というたった一つの懸案事項に心が囚われてしまっている。それが証拠に……


「バル太さまには……ひぐっ……ひ、秘密に……」


 とこんな具合で、喉の奥からやっと絞り出したかのような声で、ジョージアがアサクラたち二人に懇願をするばかりだ。


 アサクラの殺意の波動が、少しずつ抑えられてきた。と同時に、そこはかとない虚無感がアサクラを襲う。隣の姫には殺意を抱き、目の前のぽんこつスパイには同情と哀れみを覚え……自分がここにいるのは王の食事を作るためであって、けっしてこいつらとこんな不毛なやりとりをするためではない……


「……」

「アサクラ? どうしました?」

「……」

「ううっ……き、貴公……元気か……? ひぐっ……」

「人の元気を心配する暇があったら自分の身の振りを案じろよ」


 ここでアサクラは、ジョージアの様子を眺めながら、あることを思い出していた。


 最悪のアクシデントというものは、往々にして連鎖していくものである。


 『本来の任務がバれ、アサクラに素性が知られてしまった』という事実がジョージアにとって最悪のアクシデントであるとすれば、その最悪が別の形で連鎖をしても、おかしくはない……


「うう……元気ならいいんだ。だから、どうかバル太さまにはこのことは秘密に……」

「ああ。それは無理でしょ」

「へ?」


 デイジー姫の他愛のない一言は、ジョージアの注意を引くには充分な一言だった。


 そしてこのときアサクラは、『今回のアクシデントは連鎖する』と確信した。被害を被るのはデイジー姫でも、自分でもなく……


「だってバル太、ドアの向こうにいますよ?」

「なんですと!?」

「さっきのあなたの悲鳴を聞いてましたよ? それでバル太、入りづらくて……」


 ハッと顔を上げたジョージアが、産声を上げる生まれたばかりの赤ちゃんのような顔でドアを見た。つられてアサクラも見る。二人の視線の先には……


「……あの、おふたりとも」

「ば、バル太……さまッ!?」

「何が……秘密なんですか……?」


 ジョージアにとって、今の会話が最も聞かれてはならない人物……バル太がいた。額には冷や汗を垂らし、困惑した面持ちで、出入り口から顔をひょこっと出している。


「……」

「……ジョージアよ。もう全部吐いたほうがいいぞ。遅かれ早かれ分かることだし、自分の口で全部吐いてしまえ」

「……」

「ジョージア?」


 ジョージアに自白を促すが、彼女の返事はない。アサクラはジョージアを見た。


「……」


 ……ジョージアは、真っ白に燃え尽きていた。そしてよく見たら、耳の穴から魂がはみ出ていた。


 その様子を見たアサクラの耳には、聞こえるはずのない仏前の鐘の音『ちーん』が届いていた。


「南無阿弥陀仏……」

「やっぱり遅れてきた中二病ですか」



 その後アサクラのすすめで、ジョージアはバル太とデイジー姫に、包み隠さずすべてを話した。自分は料理人ではなく暗殺任務を請け負ったスパイであるということ。自身の目的は国王とデイジー姫の暗殺であること。そして……


「……で、お前の雇い主は誰だ」

「言えん……さすがに私にもスパイとしての矜持がある。つーん」

「ここまで言ったら今更隠しても意味がないだろう。いいから全部話せって」

「ダメだっ。ぷーい」

「いちいち口でつーんとかぷいーとか言うんですねぇ。面白い……クックックッ」

「仕方ない……バル太」

「……ジョージアさん? 隠さず話してくれませんか?」

「私の雇い主は左翼過激派政治団体『あなたをひっくり返したくて旅団』だ。キリッ」

「ありがとうジョージアさん」

「……」

「ぉお〜。さすがはバル太ですね。ニチャァア……」


 おのが雇い主のことも、包み隠さずすべてを話した。


「『あなたをひっくり返したくて旅団』てなんだ……」


 至極真剣な表情で話を聞くバル太の後ろでは、アサクラが頭を抱えて沈み込む。その隣では、デイジー姫がキリリと顔を引き締めているのだが……姫の頭からは、小さな太陽がピョコンと顔を覗かせているのが、アサクラには見えていた。


「アサクラ様はご存知ありませんか?」

「知らんな。なんだその人をなめくさった名前の旅団は」

「『あなたをひっくり返したくて旅団』は、比較的最近に出来た私設武装集団ですね」

「バル太が知っているということは、それなりに名の通った旅団なのか」

「いえ。ですが最近は騎士団でもミーティングでほんのり話題になります」

「マジか……」

「マジです」


 『あなたをひっくり返したくて旅団』。左翼過激派武装集団である。王家の根絶と一般民間人による政治体制の確立を是としており、このオルレアン王国の王家の失脚と根絶を目指して活動中とのこと。


 しかし、このオルレアン王国は、王の支持率がとても高く、王家に対しても不満を持つ人間は極めて少ない。そのため、彼らの思想はあまり一般には浸透していないようだ。


 そのためなのか、旅団も以前はビラ配りや街頭演説などで活動をしていたが……最近では迷惑行為も積極的に行っているらしい。


「そんな迷惑な奴らが城下にのさばっていたのか……」

「ええ」

「ちなみに迷惑行為とは何だ」

「商店街で買い物をする際に、不当に値下げさせたりとかですね」

「以外とやることがセコいな……しかしバル太」

「はい」

「私はよく商店街に顔を出すが、そんな光景に出くわしたこともなければ、そんな噂を聞いたこともないぞ」

「旅団の連中よりも商店街の店主たちの方が強いんですよ」

「な……」

「だから迷惑行為を働いても、基本的にコテンパンにのされてしまうんです。この話も、城下にいるお抱えの情報屋からタダで教えてもらった情報ですし」

「その情報にすら価値がないのか……」


 情けない事実に頭を抱えたアサクラだが、その時、ある一つの事実を思い出した。そんな情けないいたずらしか出来ない弱小政治団体よりも、もっと凶暴ではた迷惑な存在が、今、自身のすぐ隣に息づいているということを。


 ちらと隣を伺った。相変わらずキリリとした顔でデイジー姫は話を聞いていたが、ほどなくして、アサクラの視線に気が付き、チラとアサクラを伺った。


「どうしました?」

「いや……」

「?」


 まさか『たった一人なのに私設武装集団よりも厄介な存在だよお前は』とは、口が裂けても言えないアサクラだった。


 話は脱線したが、本来の問題は、その私設武装集団から雇われ、この城に潜入してきたジョージアの処遇である。アサクラは再びジョージアを見る。彼女は今、肩をすくませてうつむき、不憫に感じるほど落ち込んでいる。


「それはそれとして……バル太」

「はい」

「国王暗殺を企てたジョージアはどうなる?」


 ジョージアが顔を上げ、懇願するようにバル太の顔を見た。バル太はその視線に気付いたのか何なのか、困ったように頭をポリポリとかき、少々迷った後、恐る恐る口を開く。


「自白はしてくれましたが、追放は免れないでしょう」


 その瞬間、ジョージアの両目に涙がじんわりと浮かぶ。やがてアサクラ以下ここにいる三人の鼓膜にダメージを与えんばかりの声量で、バル太に恩赦を懇願しはじめた。


「それは困るぅぅううううう!!?」

「いやしかし……死刑にならなかっただけでも幸運だと思わないと……」

「いぃぃぃいいいやぁぁぁあああだぁぁぁああああ!!!?」

「いやだと言われても……」

「バル太さまと会えなくなるのはぁぁぁあああああ!!!? いーやーだぁぁぁぁあああ!!!?」

「……」


 バル太の右手を握り、両目から滝のように涙を流して懇願するジョージアに、もはや先程までの恐ろしさはない。自分に威厳たっぷりで命のやり取りを迫ってきたあの面影はどこに行った……とアサクラはジョージアを凝視して必死にそれを探すが、2秒後には諦めた。疲れるし。


「ねぇバル太。恩赦を与える条件はありますか?」


 デイジー姫が、ポツリとつぶやいた。その言葉は、ジョージアの泣き声をピタリと止めた。


「!? 恩赦の可能性があるのか!?」

「姫……我が国では犯罪者に恩赦を与えた前例はありません」

「前例がなければ作ればよいのです。もし彼女がバル太も認めるような素晴らしいことを行った場合は、私が特例として恩赦を許可します」

「しかし……」

「この国の姫として命じます。彼女に任務を与えなさい。そしてその任務を無事に成し遂げた場合は、この私が、デイジー・ローズ・フォン・オルレアンの名のもとに、彼女に恩赦を与えます」

「おお……」


 この時の、ジョージアとバル太のデイジー姫への眼差しは、まるで神を初めて見た迷える子羊のごとく、キラキラと純粋に輝いていた。きっとジョージアは希望を与えられたことに対する感謝と尊敬……バル太は『やはりこの人は王の器を持っている』という、改めての尊敬と敬愛の念を抱いたのであろう。故に今、ジョージアとバル太は、頭を下げ、デイジー姫に敬愛を表しているのだ。


 しかし、アサクラは知っている。


「……ニチャア」


 頭を下げた二人を見下ろすデイジー姫が、二人のことを凶悪な笑みを浮かべながら、見つめていることを……。


「しかし……」


 バル太とジョージアが顔を上げた。と同時に、デイジー姫の凶悪な微笑みもスッと消え失せた。このときアサクラの背筋が凍ったのは、言うまでもない。


「恩赦に値するほどの任務……一体何をしてもらえればよいのか……」

「何でもいいんじゃないですか?」

「だからそれをバル太は迷ってるんだろう?」

「だから、例えば城の掃除を一人でやるとか……」

「この広い城をどうやって一人でやるのか教えてもらいたいものだ」

「うるさいですねーアサクラはー。あとはほら、噂の旅団を潰してくるとか……」


 ジョージアの目が、一瞬ギラリと光った。と同時に机をドバンと叩いて勢いよく立ち上がり、その涙目でキッとアサクラを見た。


「潰せばいいのか!? 旅団を潰せば、ここにいてもいいのだな!!?」

「お、おお?」

「どうなんだ!? 旅団を潰せば、私はここにいても良いのかと聞いている!!!」


 こう言ってアサクラに迫るジョージアの圧は、先程の命のやり取り以上の緊迫感が漂っている。プレッシャーに負けたアサクラは、チラとデイジー姫に視線を向けた。つられてジョージアもデイジー姫に視線を向け、アサクラに向けて発せられていたプレッシャーが、デイジー姫に向けられた。


「姫!! 今の話は真か!!」

「はい」

「旅団を潰せば、私はここにいても良いのだな!!?」

「この国の姫として約束します。その代わり、暗殺任務は忘れてくださいよ?」

「無論だ……ここにいられるのなら……バル太さまのおそばにいることが出来るのなら……ッ!!!」


 ジョージアの目つきが変わった。つい今しがたまでの、涙を浮かべた情けないへっぽこな眼差しではない。その少し前の、相手を死の暗闇に引きずり込む眼差しでもない。『何があろうとも、与えられた任務を完遂する』そんな、戦士の矜持を宿した決意の眼差しだ。


「では行ってくる!!!」

「今から行くのか!?」

「当たり前だアサクラ! すべては恩赦のため……バル太さまのおそばにいるため……ッ!!!」

「えっと……ジョージア、さん?」

「バル太さま! しばしお待ちいただきたい!! 必ずや、旅団を潰してご覧に入れるッ!!!」


 ジョージアはバル太に力強くそう言い放った後、力強く立ち上がり、そして厨房を走って出て行った。『ドバン』と鳴り響いたドアの音とともに、『うおぉぉおおおおッ!!! バル太さまぁぁぁぁああッ!!!』という、女性のものとは思えない、勇ましい咆哮が轟いていた。


 ジョージアの咆哮が遠く、聞こえなくなった頃だった。


「クックックッ……」


 デイジー姫の冷たい笑みが、厨房の中にかすかに響いた。


「姫……無謀です。旅団を一人で潰させるなど」


 立ち上がったバル太がデイジー姫をそう諌めるが、姫の凶悪な笑みは崩れない。


「大丈夫ですよ……ねぇアサクラ? クックックッ……」


 アサクラは頭痛が酷くなった頭を抱えた。


 悔しいが、ここはデイジー姫の言葉に賛成せざるを得ない……たった数分のみであったが、アサクラは本気のジョージアと対峙している。アサクラの戦士の本能は、その時に彼女の力量を正確に見抜いた。自分には及ばないものの、騎士団では部隊長を張れるレベル……ともすれば、バル太にも匹敵する強さ……それがジョージアの実力だ。


 バル太の実力は、アサクラも高く評価している。そのバル太と同程度の実力……であれば、いくら相手が武装集団とはいえ、そう安々と返り討ちに遭うこともないだろう。


 加えて、ジョージアは実戦経験が豊富だ。それらのことから考えて、ジョージアであれば、ある程度の組織を潰すことは容易い……それが、アサクラの判断だ。


 故に、自分と同じ評価をデイジー姫が下したことに、アサクラは怒りを感じていた。


「……クソッ」

「クックックッ……」

「お二人とも、どうされました?」

「クックックッ……将来の夫婦ゆえ、互いに心で会話が出来るのですよ私とアサクラは……クックックッ……」

「斬り殺す……この女、私が斬り殺す……ッ」

「はぁ……?」


 『まさかこの女が、私と同じ結論にたどり着くとは……』そう思い、胸の内に燃え上がる怒りと、それに突き動かされる右手を、アサクラは必死に抑えることしか出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る