5. おはぎ(1)

※過去の回想です


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 つい今しがたすべてを失った朝倉は、そのまま、おびただしい数の死体が転がる戦場を力なく歩いていた。


 戦場に到着する前から朝倉の鼻に襲いかかっていたのは、むせ返るような血の匂いと死臭。あちこちに無造作に転がる死体の山から、その臭いは漂っているようだ。耳をそばだてなくとも、死体に群がるカラスの鳴き声と蝿の羽音がうるさく鳴り響いており、それが、より、戦のあとの静けさを物語っていた。


 朝倉は戦場を力なく歩き続け、自分が配置されていた場所へと歩を進める。やがて転がる死体の中に見覚えのある顔をチラホラと見つけ、そこが、自分が自陣に戻るまで戦働きをしていた場所だということに気付いた。


 足元にある、一つの死体を足でひっくり返した。ピクリとも動かないその死体は、敵方の鎧で身を包んでいる。朝倉はその顔に見覚えがあった。この男は、戦の最中に朝倉が斬り捨てた敵兵の一人。震える両手で槍を握りしめ、涙目を朝倉に向けて『おっかちゃん』と叫びながら突撃してきたこの敵兵は、次の瞬間、朝倉の刀によって斬り捨てられた。


「ひ、兵庫様……」


 蝿の羽音に混じって、かすかに人の声が聞こえた。朝倉が振り返ると、無造作に打ち捨てられた死体の中に一人、もぞもぞと動く人間がいる。朝倉は力なく歩み寄り、刀を支えにしてしゃがみこんだ。味方の鎧に身を包んだその者の名は徳山景能。朝倉家に長年仕えていた、壮年の男だ。


「徳山か」

「は、はい……ごふっ……」


 そういって、徳山は力なく微笑む。朝倉は『無事だったか』と声をかけようとして、とっさに口をつぐんだ。なぜなら徳山の腹には、おびただしい本数の矢と、3本の槍の穂先が突き刺さっていたからだ。


「徳山。戦は終わったぞ」

「さ、左様で……ごふっ……ごふっ……」

「喜べ。我らが小田の勝利だ」

「……なれば、朝倉家も安泰です……な」

「ああ。すべてお前のおかげだ徳山」

「何を……ごふっ……おっしゃる……か……」


 口から血を吐きながら、それでも必死に言葉を発する徳山。死にゆく徳山に対し、朝倉は本当のことを伝えることは出来なかった。『お前の死は、最後の一片すら無駄だった』とは、口が裂けても言うべきではない……幼少の頃からの長い付き合いであり、剣術の師であると同時に、父親のように慕っていたこの男、徳永景能は、たとえそれが嘘であろうとも、『お前の死は明日の朝倉家の礎となった』と、ねぎらってやりたかった。


 徳山が目を見開いた。最期と思われる力を両手に込め、朝倉の両手を掴む。その力強さとは裏腹に、朝倉の両手に伝わってきたのは、生の躍動ではなく、死への秒読みであった。


「ひ、兵庫様……ッ!!」

「……何だ」

「あ、朝倉家の再興こそ、我らが悲願ッ。それをなし得ることが出来るのは、兵庫様……あなたしか、おりませぬ……ッ!!」


――もう、それが成就することはないのだ……徳山……


「ああ。必ず朝倉家を再興させる。だからお前は、安心して逝け」

「ならば、この徳山景能……安心して、死ぬると……いう……も……」

「徳山……?」

「……」

「徳山。大儀であった……」


 朝倉は、徳山の顔を見た。これだけの酷い戦で、自身も酷い様であるにも関わらず、その顔は穏やかで、微笑んですらいる。


 それはおそらく、朝倉が『朝倉家を再興させる』と約束したからであろう。その約束を胸に、家臣の徳山景能は今、安心して後を託し、冥土へと旅立ったのだ。


 しばしその穏やかな死に顔を見た後、朝倉は、徳山の瞼を優しく閉じた。


 朝倉は立ち上がり、改めて周囲を見回す。視界のその向こう側まで、すべてが死体で覆われている。元々は緑が眩しい草原だったこの土地が、今では赤茶色で塗り固められているかのように、地平線のそのさきまで、死体の山だ。


 その光景を呆然と見守る朝倉の目に、次第に涙が溢れてきた。


「徳山……すまん……すまん……ッ」


 漏れ零すように口から出た言葉は、今しがた亡くなった徳山景能への謝罪であった。


 この戦、朝倉家の主君である小田家は負けた。家臣の裏切りに遭い、総大将でもある小田家の頭領、小田信義を本陣で殺された。おかげで指揮系統がズタボロに乱れ、その結果、ほぼ全滅に近い、酷い負け戦となってしまった。


 その主君を裏切った男は、朝倉とも非常に仲のよい男だった。その男を朝倉は斬った。家臣団でも特に仲の良い、親友とも呼べる男を斬り捨てたのだ。


 それに……


――すまぬ……そなたにおはぎをつくってやることは……もう、叶わぬ……


 幼少の頃に交わした約束を最期まで守ろうとした幼馴染すら、朝倉は失った。


 おのが家、仕えるべき主君、守るべき国、仲の良い友、約束を交わした幼馴染……この日、朝倉は、己のすべてを失った。すべてを失い気力も失せた朝倉は、次の日、この地を去り、すべてを棄てた。

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