妹への愛は宇宙にも届く

マスカレード

第1話

 幼稚園に入ったばかりの美月は、お目々がくりくりで仕草がかわいい僕の自慢の妹だ。

 僕は美月を置いて、来年小学校に行かなくちゃいけないのがちょっと辛い。今までは、僕は内緒の力を使って、美月を影で助けられたのに、離れてしまうと大丈夫かなって心配になるんだ。


「にいに。うさちゃんの絵描いて」


 リビングに置いてあるローテーブルにかじりつくようにして、クレヨンで絵を描いていた美月が顔をあげ、こぼれそうな瞳を向けて陽太におねだりをする。

 美月の中で、僕は何でもできるお兄ちゃんらしく、ママやパパよりも一番に頼ってくれるのがうれしくて、僕はいつも張り切ってしまう。


「ほら、できたよ。今日は満月だから、月に住むうさぎさんのお餅つきの絵だよ」


「うわぁ~かわいい。にいにすごいね。ママ、パパ見て。にいにが描いたの」


 小さな足が歩幅も小さく床をパタパタと踏んで、リビング続きのダイニングで晩酌を楽しむパパとママのところに絵を持っていくと、途端に二人の顔が蕩ける笑顔になって美月を見つめる。僕はこの瞬間が大好きだ。


 だって、僕のひまわり組には、いつもお父さんやお母さんに怒られて、お腹にあざがある子がいるんだもの。

 内緒だよって見せてくれたけれど、むらさきや黄色のまだら模様にびっくりして、先生に言おうとしたら、もっと怒られるからと止められたんだ。


 僕は今のところパパやママに叩かれるほどの失敗をしたことがない。

 だから、何をやったらそんなに怒られるのだろうと思ったけれど、遊んだものを元の置き場に戻さなかったからだと、その友達は言った。

 躾が厳しい家なんだと思ったけれど、でも、ちょっとひど過すぎるし、お友達がかわいそうだから、今度先生にこっそり言ってみようかと思う。


 お友達に比べたら、僕たちはとっても幸せだと思う。今もパパは美月を膝に抱き上げて、僕の描いた絵を、美月と一緒ににこにこと笑いながら見ている。僕はこの家族が大好きだ。


「ほう、陽太は絵の才能もあるんだな。先が楽しみだ」


「にいには、何でもできるの。美月が言うこと何でも聞いてくれるの」


「そうか。陽太はいいお兄ちゃんだもんな。でも、美月、パパのことも好きだと言ってくれよ」


 少しひげの生えかけた頬をこすりあわされて、美月がくすぐったそうに首を竦めている姿が、なんとも言えずかわいいなと見ていたら、ママがいつもの幸せタイムの終焉しゅうえんの言葉を告げた。

 終焉って、何もかもが終わっちゃうのカッコいい言い方だって、お友達のお兄ちゃんが教えてくれたから、僕も気に入って使ってる。

 ママの終焉の言葉で楽しい時間が無くなっちゃうんだからぴったりなんだ。


「子供はもう寝る時間よ。遊んだものを元に戻して、お部屋に行きなさい」


 こんな幸せな時間には、ちょっと逆らってみたくなる。

 僕のパパとママは優しいから、クレヨンを片付けなかったからと言って、よっぽどの悪さをしない限りは、お友達にしたように手や足はあげないと思うけれど、僕は美月が大好きな良いお兄ちゃんでいたいから、はいと返事をして、美月と一緒にクレヨンを箱の中に戻してからサイドボードの引き出しに入れ、リビングを後にした。


 子供部屋は、僕と美月が大きくなったら、真ん中で仕切るらしく、今は大きな部屋に2段ベッドが置いてある。

 完全に閉まりきっていなかったカーテンの隙間から、月の誘いが忍び込んでいるように、部屋がぼうっと発光していた。


「にいに、お部屋がいつもより明るいね」


「今日は満月だからね。まん丸のお月さまが、電気みたいに照らしているんだよ」


 美月は一段目のベッドによじ登り、カーテンを開けて空を見上げると、歓声をあげた。


「にいに見て、手で触れそう」


 陽太も美月のベッドに乗って、美月の隣で空を仰ぐと、青白い月がにじむように夜空を藍に染めている。きれいだなと魅入られていたら、美月がいつものおねだりをした。


「にいに。お月さまが欲しい。このお部屋に浮かべたら、電気を消しても明るいままだもの」


「う~ん。それはちょっと、さすがの僕でも、できるかどうか分からないよ」


「にいには何でもできるよ。知ってるもん」


「う~ん。美月に言われると弱いんだよね。分かったやってみる」


 最初に言ったけれど、僕には秘密の力がある。

 なぜ気が付いたのかというと、美月が遊びたがっていたぬいぐるみが棚の高いところにあって、良いところをみせたくて、手が届かなかったのを何とか取ろうとしていたら、ぬいぐるみが動いたのがきっかけだった。


 美月が成長するとともに、欲しがるものが大きくなって重くなっていったけれど、僕はいつも妹の希望を叶えるために、かかさず訓練を重ねていたから、美月が欲しがるものぐらい簡単に動かせたんだ。


 でも、月はちょっと、試したことがない。えいっと力を入れてみた。

 頭の中で月を引っ張るイメージをする。いつもみたいに手応えがないけれど、あまりにも思念に力を込めすぎて体力を消耗してしまった。


「美月、ごめん。無理だよ。お月さまは遠すぎる」


 月明りを浴びた美月の目が曇るのを見て、僕は美月の好きなお話をしてやることにした。

 しばらく話していたら、近所のドアの開閉の音が聞こえ、あちこちから人が道路に飛び出して、騒ぐのが聞こえてくる。

 こんな夜更けに何を騒いで切るのだろうと、外を見ようとしたら、何倍もに膨れ上がった月が見えて、陽太はびっくりした。


「にいに、お月さまが大きくなってる」


「うん、見ている間にも少しずつ大きくなってるような気がするね」


 リビングでも、両親が騒ぎ出し、子供部屋にママが飛び込んできた。


「起きなさい。二人とも逃げるわよ」


 いきなり点けられた電気がまぶしくて、陽太も美月も、目の痛みにまぶたをぎゅっと閉じたが、ママはチェストから取り出した二人の着替えを掴むようにして、大きなバッグにぎゅうぎゅうに詰め込んでいく。

 ママの強張った顔が、陽太の不安を呼び起こし、まるでそれを煽るように辺りにサイレンの音がこだまして、強い風が吹き始めた。


「二人とも早く着替えて、このまま月が近づけば、津波が来るんだって。早く用意して」


 津波が何だか分からないけれど、訊ねる間もなく、ママは子供部屋を飛び出して、今度は自分の部屋へ荷物を詰めに行った。


「にいに、お月さま、大きくて気持ち悪い。あんなに膨らむお月さまはお部屋に入らないから要らない」


「え~っ。一生懸命やったのに……」


 美月に要らないと言われたのは初めてで、僕はちょっと不満気味。

 でも、美月がママの真似をして、幸せタイムの終焉の言葉を告げたから逆らえない。


「遊んだものを元に戻しなさい」


 僕は美月のおしゃまな言い方に噴き出しそうになりながら、みっともない穴ぼこだらけの姿になった大きな大きな月に向かって、再び思念を送ったのだった。



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