第6話 変異
襲撃からすこし後、ようやく動悸が収まったところで、このスタッフの詰所らしき部屋の探索から開始することにした。
初めに覗いた際、床に散乱していた書類や薬瓶はきちんと棚に収められていた。先ほどのゴタゴタで多少荒らしてしまったが。
俺達は引き出しを順々に開け、何かこの病院についての手がかりになりそうなものがないか探した。
「こっちは薬品の手配書に備品の注文書類ぽいな」
大地が引き出しごと乱暴に引き抜きながら報告する。
「こっちも同じく〜。あ、でもここの病院の名前がわかったよ。
宗次郎が書類をヒラヒラさせながら言う。戦時中の書類が劣化せず、容易に判読可能なのはおかしいのだが、最早誰もそんな事にはつっこまなくなっていた。
「あと、どの書類のサインも同じ人の名前が入ってるね。ええと……木村
「いや、こっちは違う奴の名前もあるぞ。」
俺は大地と宗次郎が別々にまとめた書類の束をぱらぱらと見てみた。確かに大地の方は木村某以外の名前も見受けられる。こういう公共の施設では、どういう基準で書類を整理する?
「古い順とか…?」
俺はつぶやくと再度二つの書類の束を見比べた。
「おっ! ビンゴだぜ、湊」
隣で見ていた大地が指を鳴らした。確かにある年代を境に、突然木村以外の名前が消えていたのだ。
「ほんとだ〜! でもなんでだろう? 突然大幅なリストラ?」
「まぁ戦争中だったから、疎開したりとか他のもっと重要な施設へ廻されたりとかあったのかもね」
「ワンオペかよ、ひでぇな」
大地はそう言うが、働き方についてとやかう言う余裕もなく、色々と大変な時代だったのだと思う。母の実家に帰省すると、必ずと言っていい程、祖父、祖母から戦時中の体験について聞かされるので、小さい頃は億劫だったが最近は考えさせられる事も多くなった。いつか自分たちが死んで、この辛い出来事も忘れられてしまうのはあまりにも虚しいのだと思う。
そう、忘れられるのは何よりも悲しいんだ。
「でも、この人が医院長だったわけじゃないみたいだよ?」
宗次郎が壁にかかった病院の営業許可証を指差す。確かに、そこには医院長 永郷
あの無数の子供達や少女はここの患者だったのか?
「木村さんは看護師さんだったのかな?」
宗次郎の一言にあの看護師の霊の姿が思い出される。あれが木村沙都子なのか?大地も同じ考えに至ったらしく神妙な顔をして言う。
「あの看護師が木村で、ウサギ野郎が永郷ってことか?」
「その可能性は大きいかも。他にこれといった名前はないから」
「そうだな。だからってなんでこんな事になってるかは、一切わかんねぇがな」
俺と大地が話している間に宗次郎はガサガサと他の棚を調べていた。
「おい、宗次郎、何かあったか?」
「ん〜。どこも同じかなぁ。大事なものがないんだよね〜」
「大事なもの?」
俺は宗次郎の方へ近づく。
「ほら、病院といえばさ、患者さんのカルテだよ!」
宗次郎は振り向きざま得意そうに言った。確かに、大体の病院はこういう詰所にカルテも保管しているイメージがある。
「ここじゃない所にまとめて保管してるのかもな。てか、そんなもの見て何かわかるのかよ?」
大地が薬瓶を検めながら言う。
「わざわざカルテだけ別の場所に移すのって不自然じゃない? 1人しか看護師さんがいない状況で、分散して保管するのって凄い非効率じゃん。何か見られたらまずいような内容なのか、それとも表向きは小児科の病院だけど、そうじゃない可能性もある」
宗次郎がにやりと不穏な笑みを浮かべる。
「な、なんだよ、そうじゃない可能性って……」
大地がゴクリと喉を鳴らす。
「有名なのはドイツとかソ連、もちろん日本も戦時中は人体実験とか死なない兵士を作り出そうとしたとか、そういう半ば都市伝説みたいな話がゴロゴロあるんだよね〜。こんな山奥の目立たない場所に病院があるのがそもそもおかしいんだよね」
「でも俺は子供の霊を見てる。実際の病院としての実態がどうだったかはわからないけど、かつて子供がいたのは確かだと思う」
「子供達が人体実験の材料にされてたとか……?」
「おい! やめろよ! 所詮都市伝説、噂なんだろ!」
大地が宗次郎の最悪な予想を遮った。全員黙り込み、気まずい沈黙が流れる。宗次郎の言った事はあながち間違っていないのではないかと、言葉にすると本当にそうであるような気がして大地は耐えられなかったのだろう。勿論3人とも否定したい気持ちは一緒だと思う。現に皆沈鬱な顔をしていた。
「とにかく、ここで調べられる事はこんなもんかな。他にも行ってない場所は沢山あるんだ。時間が進んでいるのかどうかはわからないけど、あまりゆっくりもできないだろうし、早く他も調べてみよう!」
俺は努めて明るい声で言った。こんな状況で最悪なのは士気を失うことだ。全員が諦めてしまったら、俺達はたぶん元の場所に帰れない気がする。
「そうだな、とりあえずこれを何とかするか」
大地が顎をしゃくった先には、先ほどバリケードとして積み上げた棚やら椅子が山のようにあった。早速やる気が削がれそうでため息が出る。
「僕は非力だがら後ろで応援してるよ〜」
「おい! 宗次郎!」
大地がイライラと怒鳴りつける。
「あれっ?」
その時宗次郎が何かに気づいたという風な声をあげた。
「てめぇ、無視とは良い度胸じゃねえか……」
「湊、ここ見て!」
さらに大地を無視して俺を呼んだ。怒り心頭の大地の横をすり抜け、屈み込んだ宗次郎が指差す先を見る。
そこにはうっすらと四角状の溝があった。バリケードに使った棚が置かれていた場所にあり、まるで隠していたような。
「なんだろう、これ?」
よく見ると金属のボタンのようなものがある。強く押し込んでみると手で引き上げるタイプの取っ手が現れた。
「これって扉だよな」
俺は誰ともなく聞いた。
「どこへのだよ……」
大地も不安そうに呟く。
「も〜開けてみればわかるじゃん!」
そう言うなり宗次郎が勢いよく取っ手を引き上げた。
「うわっ!!」
「お前!! いきなり何すんだよ!!」
俺と大地は同時に叫び声を上げた。
「時間は有限かもしれないんでしょ? じゃあさっさと行ってみようよ!」
今更だが本当に引きこもりなのかこいつ。外に出た時の謎の行動力が恐怖だよ。
大地と恐る恐る覗き込むと、階下へ金属の梯子が伸びていた。どこまで続いてるのか底の様子はわからない。
「おい、ライト!」
大地の呼びかけに、俺は懐中電灯を向ける。ぼんやりと板張りの床が浮かび上がった。そこまで深くはないようだ。たぶん、3メートルぐらいか。
「よし、じゃあ俺と湊が照らしてるから、宗次郎、お前先に行け」
「ええ〜! 下にお化けがいたらどうするんだよ〜」
「うるせぇ! 何かあったらすぐ戻って来ればいいだろ」
「大ちゃんの方が腕力あるんだからさ、倒せそうじゃん」
「霊に物理がきくか!」
このままでは永遠に押し問答が続きそうなので、渋々声をあげる。
「もう、俺が行くから2人とも照らして。安全そうだったら後から降りてきて」
2台の懐中電灯で穴の中を照らしてもらい、ゆっくりと梯子を降りる。足をかける度に金属の甲高い音が響き不気味だ。底に行くにつれて光が届く範囲も狭くなり、地下には窓がないのか徐々に暗闇に包まれていく。
ゆっくりだったため、かなりの深さを降りた気がするが、ようやく一番下に降り立った。
「湊〜どう〜?」
頭上から宗次郎の能天気な声が響く。今はそんな声もありがたい。
「真っ暗だ、今見てみる」
灯りをを暗闇に向けてぞっとした。ぬいぐるみの沢山の顔と目があった。
「なんだ…ここ?」
まるで幼稚園のお遊戯部屋だ。壁面にはファンシーなタッチで空と森が描かれ、デフォルメされた動物達の姿もある。壁面には幼児用の背の低い棚が取り付けられ、そこに昔の絵本やぬいぐるみ、積み木のおもちゃなどが所狭しと入っている。しかし、窓がないせいか、どこか陰鬱な雰囲気が漂う。
その時、チカチカと光が瞬き、周りが明るくなった。突然の光に目が霞む。
「うわ〜なんだこれ」
後ろから宗次郎の声が聞こえた。
「え? 電気あったの?」
「うん、ここにスイッチが」
どこから供給されているのかは謎だが、一応電気は通っているらしい。昔の心もとない電球で照らされた部屋は逆に不気味だった。
「おい、宗次郎待てよ!」
遅れて大地が梯子を降りてきた。
「うおっ! なんだここ?」
「なんだろうね〜。まぁ明らかに子供がいた感じするよね。それも沢山」
宗次郎が積まれたぬいぐるみを見ながら言う。これだけのおもちゃがあるという事はそれなりに人数がいたのだろう。しかも今降りてきた梯子を見て気づいた。
「これ収納できるようになってるな」
梯子は上方に折りたためるようになっており、幼児の背丈では届かないであろうことがわかる。まるでここから出られないようにするため……。
嫌な想像を慌てて頭から追い払った。
「明らかに隠してあったんだ、この先に一旦何があるんだ?」
大地が遊戯室の奥へ続く扉を見つめながら呟いた。扉は鉄製の厳ついもので、この部屋のインテリアとは不釣り合いだった。
「とにかく進んでみよう。何かこの病院の本質に迫るものがあるのかも。何があるかわからないから、ここからは特に3人離れないように」
「は〜い」
「チッ、仕方ねぇな」
俺は2人を確認すると鉄の扉に手をかけた。かなりの重量があったが、鍵はかかっていなかったのか、軋む音を奏でながらゆっくりと開いた。
嫌な冷気が扉の先から溢れてきた。冷たいのにねっとりと熱を持って全身に絡みつき、ここから逃がさないという意思を感じさせるような。
扉の先は廊下だった。しかし先ほどの遊戯室の風景とは様子が一変した。
廊下の両脇には太い鉄格子が嵌った無機質な鉄製扉がずらりと並んでいた。その数は優に20は超えるだろうか。番号が振られたプレートがかかり、まるで監獄か檻のようだ。
「ここ、本当に病院か?」
大地が呆然と呟く。
その時元々心もとなかった電灯が明滅し始めた。
「なんだ!?」
俺が言うと同時に、またあの歪な童謡が流れ始めた。
「マジかよ! 壊したはずじゃ!?」
音響装置は確かに宗次郎が破壊した。しかし、これだけ大きな病院だ、他にも同じような装置があるのかもしれないし、こんなおかしな状況で壊したところでそもそも意味なんてなかったのかもしれない。
遂に電灯が力を失い、辺りは闇に包まれる。
その時、廊下の奥にぼんやりと光を纏った、あの兎顔の医師が現れた。
「ああ! もう! 勘弁しろよ!」
大地が急いで背後の扉に飛びつく。しかし、
「大地! 早く開けろ!」
「わかってる! でも開かねぇんだよ!」
もう半ばわかっていた事だ。しかし諦め悪く、俺も扉に飛びつき扉を開けようとするが、びくともしない。先ほどの邂逅と近い状況。しかし今度は奴が袋小路の内部にいる、最悪の状況だ。
そして同じように背後で宗次郎が固まっていた。
「おい! 宗次郎!」
大地が叫ぶ。宗次郎は金縛りにあったように動かない。そして奴はもう宗次郎の目前に迫っていた。
「宗次郎! 逃げろ!」
俺達の声が届いていないのか!?
奴が長いメスをゆっくり振り上げ、
そして宗次郎の目に突き立てた。
「野郎!!!」
「やめろ! 大地!!」
俺の静止を振り切り、大地が奴に突撃した。
その途端音が止み、兎の奇体な医者の姿はかき消えた。
「おい! 宗次郎! 大丈夫か!」
大地が駆け寄り、目前に回りこむ。俺も慌てて宗次郎を覗き込む。
目立った外傷はなく、メスが突き立てられたと思わしき目も特に異常はないように見える。ただ目に光がないような、表情が失われたような。
「宗次郎……?」
大地が恐る恐る宗次郎の肩に手を伸ばす。
その時、とてつもない速さで宗次郎が大地に組みついた。あの大地が宗次郎に押し倒され、宗次郎の手には……
「やめろ!! 宗次郎!」
俺が慌てて離そうとするが、器用なことに大地に組みついたまま宗次郎は近づいた俺を思い切り蹴り飛ばした。
「がっ!!」
壁にしたたかに背中と頭を打ち付け軽く卒倒する。
霞む視線の先、宗次郎はアウトドア用の十得ナイフを大地の眉間に今にも刺そうとしていた。大地がかろうじて宗次郎の手を押しとどめている。
「くっそ!!」
大地がギリギリと歯嚙みする音が聞こえる。対する宗次郎は表情や感情が一切なく、まるで能面のようだ。
驚く事に、徐々に大地の方へナイフが近づいている。宗次郎にはそんな力は無かったはずだ!
「そう…じろう……」
俺の弱々しい呼びかけにも一切反応を示さない。
「こっっの!! 大馬鹿野郎がぁ!!!」
大地の絶叫と共に、宗次郎が吹き飛ばさた。俺と反対側の壁に凄まじい音共に打ち付けられる。それでも宗次郎は無表情のまま起き上がろうとする。まるでゾンビだ。
大地は起き上がると、すぐさま周りの扉をガタガタと音を立て調べはじめた。
「おい! 湊! いつまで寝てやがる! とにかく宗次郎を閉じ込めんぞ!」
まだ意識がぼんやりする中、俺も大地に慌てて加わる。駄目だ、どの扉も施錠されている。背後でゆっくりと宗次郎が起き上がる気配がする。まずい。
その時チャリン、と軽い金属が床に落ちる音がした。足元を見るとなぜか鍵束が落ちている。何も考えずに急いで拾うと、鍵には扉の番号が割り振られていた。
「大地! 鍵があった!」
「何!? 何でもいいから早く開けろ!」
目の前の扉の番号は『13』。縁起でもないと内心思いつつ、沢山ある鍵の中から13を探す。焦って中々見つけ出せない。
「おい! 湊! まだか!!」
「もうちょっと待って!」
宗次郎は完全に起き上がると、今度は俺めがけてナイフを持って突撃してきた。
刺される!!そう思い目を瞑る。
……が、一向に衝撃がない。
ゆっくり目を開くと、大地が宗次郎の腕を
「みなと!!! 急げ!!」
鍵束からようやく13の数字を見つけると、急いで鍵穴に刺す。手が震えて上手くまわらない。
「落ち着け! 俺を信じろ!!」
大地の声に息を呑み、集中すると鍵を回す、そして重い扉を引きあけた。
間髪入れずに大地は宗次郎を部屋の中へと蹴り入れ、そして2人で急いで扉を閉め、施錠する。その直後、思い切り扉が叩かれた。
びくりと、大地と俺は後ずさる。
しばらく凄い勢いで扉が叩かれていたが、開かないとわかったのか静かになった。
俺たち2人は言葉もなく、ただ無言でその場に崩れ落ちた。
「クソっ!! あのイカれ兎野郎!! 宗次郎に何しやがった!」
大地が床に拳を打ち付ける。血が滲んでいた。
その時、カタカタと扉がゆすられる音が響いた。
宗次郎かと思って身構えたががそうではなく、全ての扉が揺すられ、金属が擦れる音をさせている。その音は徐々に大きくなっていき、耳障りな、どこか悲しげな不協和音を奏でていた。
「今度は何なんだよ!?」
大地が立ち上がり臨戦態勢をとる。
「ひっ!!」
「どうした!? 大地」
俺も立ち上がるとその光景に戦慄した。
全ての扉の鉄格子から小さな手が伸び、扉を揺すっていたのだ。
「お前が見たのって……」
「ああ、たぶんこの子たちだと思う」
とても小さな子供の手が、何かを訴えかけるように必死に鉄格子を掴んでいた。
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