第2話 第6感

 比野山。標高500メートル程の小さな山で県境を跨いでいる。上代市民にとっては馴染みのハイキングコースで幼稚園や小学校の定番の遠足スポットだ。だからそんな有名な山に病院の廃墟があるというのも俄かに信じられなかった。しかも子供の霊の目撃談つきだ。

 俺たちは比野山麓の駐輪場に自転車を停めた。幸いな事に比野山は宗次郎の家から自転車で30分程。今は14時過ぎなので軽く偵察する分には暗くなる前に下山できるだろうという目論見だ。しかし、この暑さの事は考えていなかった。

「もう既に汗まみれなんだけど、本当にこれから登るわけ? 僕足手まといになりそうだからそこのファミレスで待っててもいい?」

 普段外に殆ど出ない宗次郎は既に肩で息をしている。といっても俺も大地もこの暑さでは似たようなものだ。さっきから汗が止まらない。

「ダ、ダメに決まってんだろ! お前が心霊関係には一番詳しいんだから、いざという時いなくてどうすんだよ!」 

「詳しいって言っても別に撃退できるわけじゃないし……どっちかって言うと大ちゃんの方が専門分野じゃ……」

「とにかく待機は絶対なし! 一蓮托生だ!」

 大地が死地に向かうような気迫で宗次郎に詰め寄っている。大袈裟だなぁ。大地は人間に対しては強気だが、心霊に対しては極度の怖がりだ。対して宗次郎は興味の対象ではあるが、存在についてはそれほど信じていないようで、本人曰く『見た事がないから』だそうだ。

 『そんなメンツでなぜ心霊チャンネルを?』と言われそうだが、好奇心や承認欲求を満たすためではなく、俺も含めてそれぞれに事情があってこの活動をしているわけで、まぁそれについては今は置いておこう。

「それほど時間があるわけじゃないし、ぱっと行って様子だけ見て降りてこよう。山の中はここよりは涼しいはずだし、あと確か近くにファミレスあったろ。降りてきたらそこで晩飯食べて帰ろう」

 俺の提案に宗次郎は渋々といった感じで了承した。宗次郎による大地の奢りという提案は拳骨げんこつと共に敢え無く却下された。



 木漏れ日と側を流れる小川のせせらぎが心地いい。直射日光が遮られているせいか体感温度も下がった気がする。側には古めかしい木造の小屋が建っており、よく見ると色あせた看板に瀬戸商店とある。

「その病院ってどの辺り?」

 大地がスマホを見ながら答える。

「ここから1時間ほど登った中腹辺りに赤い前掛けをした地蔵があって、そこにメインルートとは別に横に逸れる獣道があるらしい。情報提供者は山頂に天体観測に行こうとしたらしく、暗くてそっちが正しいルートと勘違いしたらしいな。焦っていたから正確な道程はわからんらしいが、道なり進んだからたぶん迷う事はないと思う、となんとも心許ない情報だな」

「とりあえずその獣道を探すところからだね。俺も小学校の遠足以来だから地蔵があったかどうかも覚えてないし」

 俺と大地がスマホを見ながら相談している時も、宗次郎は我関せずでその辺りをフラフラしていた。この引きこもりは驚くべき事に山というものに登った事がないらしく、色々と珍しいのかもしれない。

「ねぇねぇ、湊」

 宗次郎が俺の袖を引っ張ってきた。

「あそこのお婆さん、何か知ってないかな」

 指差す先にはボロ小屋、ではなく瀬戸商店の軒先きにぼんやり座っている店主らしき老女の姿があった。確か小学校の遠足に来た時に、ここでお菓子を買った記憶がある。年季の入った建物から、相当長い間ここで商売をしているように見受けられる。ということは病院の存在も、もしかしたら知っているかもしれない。お菓子を選ぶフリをしつつ3人で店へと近いた。

「おや、学生さんかい? もう夏休み?」

 老女は話好きのようで向こうから声をかけてきた。見たところ80代ぐらいだろうか。立ち上がると腰は曲がっておらず、矍鑠かくしゃくとした印象だ。宗次郎は知らない人との会話が苦手なので俺と大地の後ろに隠れている。

「いえ、まだですけど、今日は創立記念日で学校が休みなんです。なので友達と山でも登ろうかって」

 営業スマイルで無害を装いつつ答えた。あとの2人がいかんせん見た目にもインパクトがあるので警戒されやすいのだ。そんな心配も杞憂に終わり、老女は気にした様子もなく話し出した。

「そうかい、最近の学生さんはあまり外で遊ぶ事は少ないのかと思っとったけど、感心やねぇ。うちの孫なんかずっと家でゲームしとるから」

 たわいのない会話を続けながら俺は少し埃の被ったラムネ菓子を3箱買い求めた。そしてできるだけ自然な流れで切り出した。

「ところで、この山中に病院の廃墟があるって聞いたんですけど、ご存知ですか? 僕ずっと山代に住んでるんですけど知らなくて」

 その途端、今まで朗らかに応対していた老女の顔が強張った。疑問、憤り、悲しみ、そして恐怖。

 とても長い沈黙が流れたような気がしたが、一瞬の事だったかもしれない。次の瞬間には老女は先ほどの人当たりの良い様子に戻っていた。

「いやぁ、私はもう50年ほどここで商売して毎日山頂まで登ってるけど、聞いた事も見た事もないねぇ。ここじゃないんじゃないのかね?」

「そうですか、友達から聞いたのですが怖がらせるための嘘だったのかもしれないですね。ありがとうございました」

「暗くなる前に戻りなさいよ、低いとはいえ危ないところもあるから。うちは4時には閉めちゃうからね」

 瀬戸商店から離れても、老女はずっとこちらを見つめているような気がした。



 登山を開始してから俺たちは先ほどの老女の反応について話しあった。

「ありゃ絶対なにか知ってるな。ちょっと脅したら吐くんじゃないか?」

「おい、物騒な事言うなよ。絶対だめだからな」

 大地なら冗談ではなく本気でやりかねない。

「でもあの反応、病院はあるって言ってるみたいなもんだよね。なんで隠すんだろ? 何か見られるとまずいものでもあるのかな。本当に子供の幽霊がいるのかも〜」

 そう言いながら宗次郎が大地の後ろから飛びついた。

「ひっ!! おい! ふざけんなよ!」

 そんな会話も5分ともたず、景色を楽しむ余裕もなく黙々と山道を登った。30分猛暑の中自転車をこいできたのが結構きいてるらしい。もう夕刻と呼べる時刻のせいか、他の登山者とは一切すれ違わなかった。

「あっ」

 そんな時視界の隅に赤いものが映り、思わず声をあげた。

「はぁ…ど、どうした…」

 後方から大地の疲弊した声が聞こえたが、俺は急いでその赤いものに駆け寄った。

「これだ、本当にあった」

 そこにあったのは赤い前掛けの地蔵。確かに存在した。意識していなければ見落とすかもしれない。2人は息も絶え絶え追いついてきた。

「おお〜」

「まじであったな、ということは……」

 大地が周りを見渡し、そばの藪を搔き分け始めた。

「たぶんここだ」

 そこには意図的に隠されるように、道が存在していた。道と言ってもほぼ雑草で覆われており、かろうじて道の体裁をとっているという状態だ。

「ええ、ここを行くの? なんか絶対変な虫とかいそう」

 宗次郎がうへぇという感じで後退る。

「ここまで来て何言ってんだよ! おら、とっとと行くぞ!」

 そう言いつつ大地は俺を先頭へと押し出した。この野郎。

 日はさらに傾き、周りを不気味なほど朱色に染め上げている。山だと街の灯りがない分、暗くなるのが早いみたいだ。急いだ方が良いだろう。

 さらに20分ほど歩いただろうか。確かに一本道だが、一向に建物らしきものは見えてこない。

「あ〜メールには結構深いところにあるって書いてあったから、もうちょっと情報聞き出してから来た方が良かったか? 今日は十分な装備もねぇし、戻る事も考えるとここらが限界かもな」

 周りは朱色から瞑色めいしょくへと変わりつつあった。

「賛成、賛成! 湊〜戻ろう?」

 宗次郎が尻尾でも振りそうな勢いで大地の提案に賛同してきた。

「そうだね、これ以上はまた後日かな、それらしい道があった事がわかっただけでも収穫に……」

 その時彼方から一陣の風が吹き抜けた。ぞっとする寒気を含んだ風だ。身震いし、思わず吹いてきた方向を見やると、黒々とした大きな何かが木立の間から見えた。

「なんだ、あれ」

 何かに導かれるように俺はフラフラと道を逸れる。

「おい! 湊! 危ないぞ!」

「湊〜」

 2人の呼ぶ声は耳に届かず、木立を抜けるとぽっかりとひらけた運動場ほどの空間に出た。天井を覆う木もなく、まるでここを避けたような不自然な空間。足元は背の高い雑草に覆われており、視界が悪い。まるで闇に包まれるようだ。

 雑草を搔き分け進み、目線を上げると、目の前に黒々とした塊がそびえ立っていた。仄かな明かりによりそれが建物だとわかる。無骨で染みの浮いたコンクリート、割れたガラス、そして全ての窓に鉄格子がはまっている。威圧的で酷く不気味な様子だ。

「これが、病院か?」

 異様な佇まいに呆然としていると、寒気を含んだ風がまた吹いてきた。じっと建物の様子を見ていると、重厚な鉄の門扉が錆びついた嫌な音を立てて少しずつ開きだした。風の力であんな重そうな扉が開くわけがない!何かまずい状況にあるという事に遅まきながら気づいた。見てはいけないと思いつつ目がそらせない!滝のような冷や汗が全身から吹き出し、自分の心臓が早鐘のように打っているのがわかる。

「だめだ……今すぐ逃げないと」

 しかし体は金縛りのようになって動かない。扉は無情にも開いていく。そして、微かな隙間が生まれたところで突然扉は止まった。自分の呼吸の音しか聞こえない。完全な静寂。隙間からは中の様子は見えず、暗闇が広がっている。扉が止まったことで安堵し、全身の力が抜けるような気がしたその時。

 

 扉の隙間から無数の小さな手が伸び、扉の縁を掴んだ。


 突然体が動いた。逃げなければ!

 駆け出そうとした瞬間、グッと何かに腕を引っ張られた。思わず振り向くと闇と目があった。

 時代がかったワンピースを着た幼い少女が、何の感情も読み取れない空洞の目でこちらを見ながら、がっしりと腕を掴んでいた。

「うわあぁぁぁ!!!」

 限界だった。弾かれたように手を振りほどき無我夢中で走った。

 俺の声に反応した2人の姿がこちらに向かってくるのが見えた。

「湊!」

 俺は大地に抱きとめられた。それでも俺は逃げようと暴れる。完全に錯乱していた。

「チッ、恨むなよ!」

 そう言うと大地は俺の顔面を思い切り殴った。俺は後ろに倒れ、したたかに腰を打ち付ける。

「……………痛い」

「よーし! 大丈夫そうだな!」

「ひどいよ大ちゃん! どこをどう見たら大丈夫なのさ!」

 宗次郎が俺を抱え起こした。マジで痛い。口の中を切ったらしく血の味がする。

「仕方ねぇだろ! それより、湊」

 大地は屈み込み、俺の髪を掴むと目線を合わせて問いかけた。

「何か見たんだな」

 そうだ、俺は

 死んだ人が見えるんだ。

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