組織

 そして執務室を訪れることにした。内部拡大を続ける組織のダストシュートとして機能する執務室については、以前からある疑念を持っていた。それを明らかにしなければならない。組織に生ずる諸問題を一手に担う『執務室』の業務をあなたは見たことがないし、執務室関係者に会ったこともない。関係者を知っていると言う者は上司に何人かいたが、よくよく話を聞いてみれば、知人の知人が執務室に配属しているはずだとか、その類いの不確実な情報に過ぎないのだった。あなたは考える。


「第七対策委員会の議事録を作成したのは自分だ。あの問題が一日で片付くとは到底思われない。執務室――近ごろはずいぶんとあちこちの部署に口出ししているようだが、そもそも執務室はこの建物のどこにあるのだろうか」


 あなたはすぐにでも執務室を訪れたい旨を課長に伝えた。


「執務室はどこにあるのでしょうか」


「執務室に何の用がある」


「実は――」


 あなたは適当に理由を述べてはぐらかす。

 それならば***部の**課へ問い合わせろということで、そこへ行くと別の部署へ問い合わせろと言われ、そんな調子で散々あちこちをたらい回しにされて、煩瑣な手続きを踏んだ後、執務室は地下二階にあると記された書面が手元に届くまでには、驚くべきことに数日を要した。それにしても地下二階があるということが信じられなかった。エレベーターは地下一階までしか止まらないので、あなたはこのビルに地下二階があることさえ知らなかったのだ。


 地下二階――薄暗い廊下の先には『執務室』と書かれたプレートが下がっている扉があった。ノックをしたが返事はない。扉の向こうからはこそりとも物音がしなかった。嫌な予感を覚えながらおそるおそる扉を押すと、そこは物置同然で、蛍光灯が切れている。真暗の室には無論だれもない。堆く埃の積もった事務机の上には切り抜かれた新聞紙とスクラップブックが無造作に置かれていた。その他には見るべきものも見当たらなかった。仮にここが執務室だとすれば、とあなたは独言する。


「仮にここが執務室だとすれば、組織に生ずる諸問題は何ひとつ片付いていなかったことになる。執務室とは我々にとって符牒のような存在に過ぎず、すべては虚構だったのではないか」


 それこそが執務室に対して抱くあなたの疑念だった。しかしあなたは苦笑してすぐにこの考えを打ち消した。おそらくここは旧執務室に違いない。現執務室はどこか別のところにあるのだろう。そうでなければおかしい。もしそうでなければ。


 執務室をあとにしてあなたは上階へ戻り、そこでエレベーターに乗る。そもそも組織の中枢はこのことを把握しているのだろうか。組織全体が執務室に依存し過ぎていること、その執務室が一体どこにあるのか誰もはっきりとわからないこと――。エレベーターで最上階のボタンを押してあなたはこのことを告発することにした。当然そうするべきだった。いくらなんでも異常ではないか。あなたが対処すべきだった問題の数々は一体どこで処理されていたというのだろう。日々の仕事に忙殺されていた疑念は突如として膨らみあなたの好奇心に火を点ける。


 エレベーター特有の鈍い浮遊感が体を包んだ。

 そういえば最上階へ赴くのは初めてのことだ。あなたは襟を正した。


 最上階の大会議室の前で秘書が眠っている。まるで少女のように幼い、その秘書の肩をどれだけ揺さぶっても起きないので、そこを通り過ぎてあなたは大会議室の前に立った。扉に耳を当てた。何か話し声が聞える。ゆっくりと二度ノックをしたが返事は無く、おそるおそる扉を開くとそこには円卓を囲んで十二人の男が眠っているのだった。男たちは皆、寝息を立てていて、それが時折、会話をするように調和することがあった。昏々と睡るわけではない。今にも目を覚ましそうな浅い眠りを睡っている、それでいて、一向に目覚める気配がないのだった。声をかけると一瞬だけ目を覚まして何事か言った。うまく聞きとれない。もしかしたら寝言かもしれなかった。


 彼らの手元の配布資料を見ると、半世紀以上も前の日付が記されていた。紙は色褪せている。ああと思った。

「ああ、この男たちが――半世紀前の議題を夢見るこの十二人の男たちが、組織の中枢なのだろうか」


 あなたはおそろしくなってエレベーターに駆け戻り、自分の部署のある階のボタンを押す。大会議室は密閉されて息が詰まりそうだった。何ということだろう。組織を率いるべき中枢の意識は大会議室の底に沈殿し、組織に生ずる諸問題は『執務室』なる符牒によって放置され続けているとは。それでいて組織自体は、活発に細分化を続けている……

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