DELAYED
藤井些佑
1 cursed
1-1
仕事のスケジュールは〈家主の不在〉の裏返しである。トップアスリートや芸能タレントのような有名人の家を狙って空き巣に入るというのは、一般家庭で盗みを働くよりもいくらかリターンは大きくなる。場所さえ突き止めればあとは容易いことだ。スポーツの試合や生放送の番組に出ていれば、対象が独身であれば家を空けている可能性が極めて高い。そのうえ人気者や実力者の住処なら戦利品の値打ちにも期待が持てる。セキュリティを掻い潜る目処が立てば、試す価値はある。
そんな下らないことを考えている人間が、この街にどれくらいいるだろう。ワタルは首の後ろで手を組んだ。
高級物件がひしめく街・
厄介な隣人・
ワタルは、真柴随一の高層マンション〈真柴アーバンネスト〉を、百メートルほど離れた古ぼけたビルの屋上から眺めていた。帽子を被っていても分かるほどの野暮ったい前髪が瞼の上で僅かに揺れ、そこから灰色の瞳が覗く。宅配業者の格好をしているが、それにしては見た目が若い。
〈ワタル〉という呼び名は本名ではない。どこで最初にそう名乗ったのかも、今となっては定かではない。夜更けに仕事をするのには少々リスクを伴うが、そうも言っていられない。この晩の間に音楽プロデューサー・
芸能関係者はまだ掴んでいないが、敷島は、アイドルの
正面突破もできないことはないが、リスクも障壁も多すぎる。このクラスのタワーマンションとなれば防災センターの管理員とオンラインセキュリティシステムによる二十四時間体制の警備が敷かれているため、侵入はかなり難しい。となると、なるべく穏便に事を済ませるには、部屋の住人に招いてもらうしかない。
「だいぶ風も止んだな。ゴマちゃん。そろそろ飛ばそう」
際限なくマシュマロを口に放り込んでいる少年・
「おっ、ほばふの? わがっは」
「食べながらしゃべるなよ」
大小のドローンが一つずつ並んでいたが、まず大きい方のドローンを飛び立たせる。
「上手くできそうか?」
「練習したから大丈夫だと思うけど、敷島の部屋って五十階でしょ? そんなに高く飛ばしたことってないからなあ……」
高鳥に比べれば静かな街だ。夜間とはいえ大きな物体が飛んでいれば目立つ。護摩所はドローン内蔵のカメラが自身のタブレットに映す光景を注視しながら、慎重に、なるべく人目につかないルートでマンションに近づけるべく、手元のコントローラーを微調整する。内蔵カメラの操作とドローン自体の操作は別々に行わなければならないため、これらを一人で行うのは普通、無理筋ということになる。
「そろそろマンションに着くよ」
「外見てる奴がいるかもしれないから、気をつけて」
「うん」
ドローンはカメラを上向きにしつつ、マンションに沿ってゆっくりと高度を上げていく。そしてお目当ての部屋へ。ソファーでバスローブ姿の男が寛いでいるのが確認できる。敷島だ。
「あー、いたいた。じゃあちょっと隠すね」
ドローンが死角に回るのと同時に、ワタルはノートPCで音声ファイルを開く準備を整え、桃色のカバーを着けたスマートフォンを取り出す。
「ちなみにそのスマホって誰のなの?」
「誰のだろうな。でも、ちゃんと発信者番号は偽装されるらしい。野呂のオッサンが言ってたよ」
「あの人が言うなら間違いないね。いや、エグいなあ」
「じゃあ、かけるぞ。準備はいいか」
「いつでもいいよ」
バスローブ姿で寛ぐ敷島は、ガラステーブルの上でスマホがカタカタと音を立てているのに気づいた。画面に名前が表示されている〈
せっかくのオフ、今井依吹も今日はここには来ないので敷島は事前に「会いたい」と伝えていたのだが、都合が悪いのか断られた。それが今になって連絡が来るとは……やっぱりみちるちゃんも会いたかったんじゃないか。敷島の口元は思わず緩んだ。
「俺だよ。どうしたの? 今日は都合悪いって言ってたけど」
「――ごめんね――やっぱり会いたくなっちゃって」
鯨岡アナの肉声をAIに学習させ、それを元に音声合成技術を駆使して二百パターンの台詞を用意していたワタルが、敷島との会話を試みる。
「なんだよ、忙しかったんじゃないの?」
『――ううん、大丈夫――――敷島さん――』
「ん? なに?」
『――今マンションの近くまで来てるんだけど、行っていい?』
「そうなの? フッ、もちろんだよ」
『――あ、ねえねえ――ベランダに出てみて』
「ベランダ? なんで?」
『探してみてよ。そこから見える位置にいるから』
「んんー? まあいいけどさ、絶対難しいよ。何しろ五十階だからね」
随分と不思議なことを言うんだな。ただ、気に入られていることは間違いない。敷島の口角が自然と上がる。ベランダに出て、下界を覗いた。
「いやー、流石にちょっと遠いな」
『――えー、頑張ってよ。私のことが好きなら――見つけられるでしょ』
その瞬間、鼻の下を伸ばしきった敷島の視界を急に何かが横切り、止まる。
「ん?」
ドローン……?
そう認識するかしないかといったところで、意識は途切れた。ドローンの上部にテーザー銃のような仕掛けが搭載されており、そこから放たれた二本の電極が、敷島の左肩に刺さる。電極は発射口から伸びたワイヤーと繋がっており、スタンガンのように非致死性の電流を流す。ドローンはそのままベランダに身を滑らせた。
「当たったよ、ワタルくん」
「よし!」
馬鹿は高い所が好きというが、敷島はそのお手本かもしれない。
「じゃあそっちのチビの方も飛ばそう」
「うん。ワタルくんもそろそろ行くでしょ?」
「そうだな。行ってくる」
「気をつけてね。準備ができたら呼んでね」
「ああ」
護摩所は残されていた小型ドローンに、宅配ピザの箱が二、三段ほど入りそうな黒いバッグを取り付けて再び飛ばした。同時にワタルは小さなダンボールを抱え、ビルを出て、ドローンと同じようにマンションへ向かった。
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