第102話 二人の狂老

「これが〈魂が巡る地ビフレスト〉か。話に聞いていたとおり面妖な世界だな」


 王衣を身に纏った金髪銀眼の皇弟――ユーリッド・ロニ・レヴァンシエルは、眼鏡の向こうに映る超常の景色を目の当たりにしてなお些かも動じることなく、面妖の一言で切って捨てる。


「〈魂が巡る地ここ〉に来るのは二度目になりますが……いやはや。相変わらず、愉快な世界ですなぁ」


 法衣に似た黒色の衣服に身を包む、髪も髭も真っ白の小柄な老爺――七至徒第一位グランデル・ホーエンフェルトは、穏やかに笑いながら同意する。


 そんな二人を前に、〈魂が巡る地ビフレスト〉に転移する前はいなかった、白髪混じりの金髪と精力的な碧眼を持つ、白衣を羽織った筋骨隆々の老爺――七至徒第五位マティウス・マキナスは、愉快なものかと言わんばかりに鼻を鳴らした。


「ふん。前に来た時も散々言ったが、〈魂が巡る地ビフレスト〉で生まれる澱魔エレメントは、あくまでも我輩の実験材料。貴様の悪趣味にくれてやる澱魔エレメントなんぞ一体もおらんわい」

「やれやれ、こと悪趣味という点では他の追随を許さない貴方に言われるのは心外ですなぁ」

「かぁーッ! 我輩の高尚な研究を言うに事欠いて悪趣味とな? これだから、己の低俗さをわかってない阿呆を相手をするのは嫌なんじゃ」

「頭でっかちの阿呆に阿呆扱いされるとは……さすがに小生も、老いを感じざるを得ませんな」

「おー、感じろ感じろ。そしてそのまま老衰でくたばっちまえ」

「いい加減にしろ、貴様ら」


 見かねたユーリッドが仲裁に入る。

 自分よりも倍以上生きている狂人二人を相手にしているせいか、ユーリッドにしては珍しく声音には疲労が滲み出ていた。


「ほっほっほっ。これは失礼。歳だけを無駄に重ねた子供を相手に、少々大人げなかったですな」

「我輩よりほんの数ヶ月早く生まれたクソジジイの割には、よくもまあここまで含蓄の欠片もない言葉を吐けたものじゃわい」


 サラッと小言を差し合う老爺たちにユーリッドは再び口を開きかけるも、それを読んでいたかのように、二人はピタリと口喧嘩を終わらせる。

 行き交う言葉は幼稚さすら感じるのに、こういうところはしっかりと持ち前の老獪さを発揮するものだからタチが悪いにも程がある。

 ユーリッドの口から漏れたため息は、先の声音以上に疲労が滲んでいた。


「しっかし陛下からは、殿下と将軍、新米七至徒の娘っ子の三人を拾うよう頼まれたのじゃが……いよいよ数も数えられんほどにまで耄碌もうろくしたか? クソジジイ」

「研究に引き籠もっている貴方には一生わからないとは思いますが、現場の判断でこうなっただけですよ」

「現場の判断じゃと? どうせ〝糧〟だの何だのほざいて敵とじゃれてたせいで、殿下以外の人間を転移ポイントに連れてこれなかっただけじゃろうが」

「そんなことはありませんよ。クオン君に関しては、ちゃんと転移ポイントにいましたからね」

「『いました』ということは、貴様が連れて来たわけではないということじゃろうが」

「ですが少々アクシデントがあったせいで、どうやらクオン君は〝あっち〟に引っ張られてしまったようで」

「無視か。相変わらず良い性格してるな、クソジジイ。で、アクシデントとは何じゃ? 貴様の足りない脳みそをフル回転させて説明してみい」

「お子様の脳みそにもわかりやすいよう噛み砕いて説明すると、転移が始まった時点で、クオン君は、くだんのダルニス・ヴァルナスのご子息と鋼糸で繋がっていたのですよ」

「ほう! ということは、ヨハン・ヴァルナスも〈魂が巡る地ここ〉に来ておるのか!」


 喜色の声をあげるマティウスに、ユーリッドは呆れた声音で応じる。


「ヨハン・ヴァルナスの知識を欲しているようだが、奴には兄上から直々に確殺命令が下されている。今回ばかりは諦めろ」

「いやいや。いくら陛下の命令といえども、ここは諦めるわけにはいかんのう。何せ、ようやく聖属性と闇属性の研究が軌道に乗り始めたところなのじゃ。あの娘っ子の報告どおり、ヨハンの頭にダルニスの手記以上の知識が詰まっておるのなら、せめて二日は語り合わんと気が済まん」


 その報告が、クオンがヨハンを生かすために話を盛っていたことはさておき。

 平然と皇帝の命令を無視するマティウスに、あろうことかグランデルまでもが同意する。


「マティウスの言うとおり、今ここで〝糧〟にしてしまうのは勿体ないですよ、ユーリッド君。見たところ、ヨハン君は今がのようですからなぁ」

「くっ……! 普段は全く意見が合わないくせに、こういう時に限ってどうして投合する……!」


 思わず、ユーリッドは頭を抱えそうになる。

 怜悧な皇弟をここまで振り回せる人間など、ミドガルド大陸広しといえどもこの二人くらいだろう。


「まあ、ヨハン君については脇に置いておくとして、今はクオン君をどうするか話し合うことが先決でしょう」

「おい、クソジジイ。さっきから、将軍について全力でスルーしているのはわざとか? なんで将軍を転移ポイントに連れてこられなかったのか、さっさと話さんかい」

「アルトランは、勝利以外を本国に持ち帰る気はなかった。ただそれだけの話ですよ」


 ただそれだけの言葉で、アルトランが将軍としての矜持に殉じたことを察したマティウスは、やるせなさげに舌打ちした。


「若造が。かっこつけおってからに」


 誰とはなしに悪態をついた後、マティウスはユーリッドに訊ねる。


「それで、殿下。娘っ子の方はどうするつもりじゃ?」

「無論、探し出して連れ帰る。あの若さで七至徒に選ばれるだけあって、こんなところで失うには惜しい人材だからな。それに、ルタールを放棄せざるを得なかった時点で大概だというのに、その上私一人だけおめおめと逃げ帰るなど屈辱にもほどがある。到底許容できるものではない」


 兄に負けず劣らず傲慢なまでに誇り高いユーリッドに、老人二人は満足げに頷いた。


「そう言ってもらえると、ありがたいですなぁ。ユーリッド君に帰られては、幼稚な老人と二人だけでクオン君を探すハメになりますから」

「遺憾ながら同感じゃ。幼稚どころか畜生レベルの理性しか持ち合わせていないクソジジイと二人きりなど、吐き気しか催してこんからのう」

「ご希望でしたら、血反吐も一緒に吐かせて差し上げますよ?」

「おーおー、強くなることしか頭にない脳筋が、か弱い研究者を相手に実力行使か? 恥と外聞はどこに捨ててきた? クソジジイ」

「戦いにも研究にも使えない無駄肉をこさえている貴方に脳筋扱いされるのは、心底心外ですなぁ」

「貴様ら本当にいい加減にしろ!」


 これまたユーリッドにしては珍しく、声を荒げながら叱責する。

 ユーリッドの持つ威光と合わさって、叱責の〝圧〟は並みの者ならば恐怖で震え上がるほどに強烈だったが、この老人たちに対してはそよ風ほどの効果もなかった。


「マティウスのせいで怒られてしまったことはさておき、クオン君を探す手立てはあるのですか?」

「責任転嫁をするクソジジイのことはさておき、転移ポイントにいたのであれば、どのあたりに飛ばされたのかはある程度見当はつく。まずはそこから捜索する」

「それよりも早くに、クオン君が別のところに移動していた場合は?」

「その場合はあぶり出すまでだ。まあ、ルナリア色ボケ娘の話によると娘っ子の魔力は相当貧弱らしいから、これに関しては最後の手段にした方がよさそうじゃがのう」

「ふむ? 話が見えませんが、どういう意味です?」

「殿下はレヴァンシエル家の血のおかげで、貴様は意識せずとも体内の魔力をコントロールできる畜生のおかげでなんともないが、我輩が開発した魔法陣を介さずに〈が巡る地フレスト〉に転移した場合は体内の魔力に甚大な影響を及ぼすのじゃ。魔力が乏しい者ならば、心身に異常をきたすほどの影響がのう」

「具体的には、どのような影響だ?」


 口を挟む形で、ユーリッドはマティウスに訊ねる。


「軽ければ頭痛や吐き気、重ければ心神喪失や記憶障害といったところじゃのう。娘っ子が後者の異常をきたしていた場合、あぶり出したせいで、おっんでしまう可能性もないとは言い切れない。回復するまでの猶予を与えるためにも、今は足を使って捜索するのが得策というわけじゃ。まあ、だからといって時間をかけすぎるのも大概によろしくないがの」


 肩をすくめるマティウスに、ユーリッドは無言で続きを話すよう促す。


「現世と同様、〈魂が巡る地ビフレスト〉にも野良の澱魔エレメントが現れることがある。異常の内容如何によっては、いくら七至徒といえども危ういということじゃ。それに、ヨハンと鋼糸で繋がっていたのであれば、クソジジイの言うとおりヨハンあっちに引っ張られて、娘っ子がヨハンと同じ地点に転移している可能性が極めて高いと言わざるを得ない。大陸最高の魔法士の息子が〈魂が巡る地ビフレスト〉という未知の世界で短絡的な行動に出るとは思えんが、如何せん敵同士じゃからのう。無事でいたらラッキーくらいのつもりでいた方がいいのかもしれんのう」


 思いのほか絶望的な情報に、ユーリッドは思わずといった風情でため息をついた。


「運否天賦に任せるのは癪だが、クオンが無事である可能性に賭けるしかないということか」

「そういうことじゃ。それこそ娘っ子の運が良ければ、転移の際に鋼糸が切れて、ヨハンとは別の地点に飛ばされているかもしれんからのう。もっとも、ヨハンと娘っ子の因果が強ければ、鋼糸なんぞ関係なく同じ地点に転移してるかもしれんがのう」

「いずれにせよ、急いだ方がいいことに違いはありません。早速、捜索に乗り出すとしましょう」

「急いだ方がいいのは間違いないが……しれっと仕切るな、クソジジイ」


 もう何度目かもわからない口喧嘩を開始する二人に、ユーリッドは先程と同様思わずといった風情で、先程よりも深いため息を吐き出した。

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