断章

第58話 追想

 モニア平原の決戦から一〇日の時が過ぎた頃。

 コークス王国攻略におけるヘルモーズ帝国軍の拠点となっている王都ルタールは、昼夜問わず騒然となっていた。


 必勝を期して送り出した、アルトラン率いる《グラム騎士団》掃討軍が敗北を喫したのだ。

 必然、帝国兵たちの動揺は大きく、その帝国兵たちに虐げられていた王都民の喜びはそれ以上に大きい。


 占領下に置いたコークス王国の執政を務める、皇弟ユーリッド・ロニ・レヴァンシエルは、敗走してきたアルトランに責を問うようなことはせず、代わりに、これからの《グラム騎士団》の動きに対応するために軍を再編するよう命じた。

 さらに、《グラム騎士団》に加担しようとする者を少しでも減らすために《終末フィンブルを招く者ヴェート》に流言のばらまきや不穏な動きを見せる地方領主の暗殺を命令。


 今度こそ確実に《グラム騎士団》を潰すために本手搦め手問わず方策を模索し、有効と判断し次第実行に移しているため、ルタールの中枢たる王城は、それこそ城下の比ではないほどに騒然となっていた。


 誰も彼もがせわしなくする中、クオンただ一人だけが何をするでもなく、あてがわれた客室のベッドに寝転がり、枕に顔をうずめていた。


 八日前。ヨハンを《終末を招く者フィンブルヴェート》に引き入れるための最後の説得は、失敗に終わった。

 昨日。ヨハン・ヴァルナスは発見し次第殺せ――と、皇帝陛下直々の命令が、コークス王国に派遣された全ての帝国人に下された。


 もはや〝詰み〟だった。

 命だけでもヨハンを救いたかったのに、そのために奔走してきたのに、ヨハンの心身を深く深く傷つけただけの結果に終わってしまった。


「最低ですね……わたし」


 涙は、とうの昔に涸れていた。

 そのせいか、出てきた声音もまた、自分のものとは思えないほどに涸れていた。


 何が間違いだったのか。


 どこで間違えてしまったのか。


 自分のような人間が恋したこと自体が間違いだった――とは、さすがに考えたくなかったクオンは、間違いを探すために、あるいは否定するために、過去に思いを馳せる。



 ◇ ◇ ◇



 一年と少し前――


 ヘルモーズ帝国、首都バルドルの行政区画の一角にある自宅前で、クオンは最愛の妹――ナイアと別れの挨拶を交わしていた。

 スパイとしてブリック公国へ向かう前の、しばしの別れの挨拶を。


「それじゃあいってきますね、ナイア」


 旅装姿のクオンは腰を落とし、車椅子上のナイアをぎゅっと抱き締める。

 肩に届かない黒髪、緋い瞳、容貌に至るまでクオンと相似――ナイアはブリオーを着ているため、さすがに服装は異なっているが――のナイアは、苦笑しながらも姉の背中を優しく叩いた。


「も~う、お姉ちゃん。あんまりきつく抱き締めないで。苦しいから~」

「嫌です。もうちょっとだけ我慢してください。どれだけ順調にいっても一年はナイアと会えないんですから、今の内にしっかりと補給しておかないと」

「補給って何の補給?」


 疑問符を付けながらも、姉の言わんとしていることを察したナイアは、ぎゅっとクオンを抱き返した。


 長い長い抱擁を終え、立ち上がったクオンは、ナイアの背後にいる妙齢のメイド――イレーヌに視線を移す。

 

「イレーヌさん。ナイアのこと、頼みますね」


 うなじの辺りで一本にまとめた空色の長髪と、群青の瞳が印象的なメイドは「かしこまりました」と、抑揚の欠片もない声音で応じながらもバッと両手を横に拡げ、


「ですが、そのためには、クオン様成分を多量に補給する必要があります。というわけで、ハーグ。ハーグ。ハーグ」


 クオンでさえも思わず顔を引きつらせるようなことを口走った。

 稀代の芸術品にも似た美しい容貌をピクリとも動かすことなく、相も変わらず抑揚の欠片もない声音で言うものだから、抱擁ハグという言葉が得体の知れない呪文か何か聞こえて仕方ない。

 しばし呆気にとられていたクオンだったが、諦めたようにため息をつき、


「わかりました」


 自分よりも上背のメイドを、ぎゅっと抱き締めた。

〝仮面〟のみではなく〝素〟の笑みを漏らしながら。


 一方、抱き返したイレーヌは、クオンの〝仮面〟よりも仮面を思わせるほどに無表情なものだから、傍で見ているナイアは苦笑するばかりだ。


「あぁ……癒されます……」


 字面だけは恍惚としているように見えるが、出てきた声音はやはり、無機質そのものだった。


 気を利かせたのか、ナイアの時よりも幾分短いタイミングで、イレーヌはクオンから体を離す。


「……それじゃあ、今度こそ本当にいってきますね」

「うん。お姉ちゃんのことだから大丈夫だと思うけど……絶対に、無茶とかしたらダメだからね」

「お気をつけて。クオン様の帰りを、一日千秋の思いでお待ちしております」


 心の底から心配してくれる二人に笑みを零しながらも、そんな二人としばしの間別れなければならないことに寂しさを覚えながらも、先の言葉どおり、今度こそクオンは二人の前から立ち去り、行政区画の外で待機していた馬車に乗って首都の外を目指した。



 ◇ ◇ ◇



 ブリック公国までの道のりは「長い」の一言に尽きるものだった。


 現在帝国が侵攻している、ミドガルド大陸西部最大の国――コークス王国までは、長距離移動魔法〝グラウンドヴァイン〟の出入り口となる、魔導経脈の集約点スポットがしっかりと確保されていたおかげであっという間だったが、そこから先、ブリック公国がある大陸南西部はそういうわけにはいかなかった。

 全く出入り口が確保できていないわけではないが、やはりその数は帝国勢力圏内に比べれば格段に少なく、移動はもっぱら馬頼り。

 結果、移動には相応に時間を要し、クオンがブリック公国の地を踏めたのは、出発から実に一ヶ月の時が過ぎてからのことだった。


「はぁ……さすがに少々疲れましたね」


 ブリック公国の中枢を担う、公都ヌアークを目指して馬を走らせながら、ため息混じりに独りごちる。

 任務を終えて帝国に帰る頃には、もう少し〝グラウンドヴァイン〟の出入り口を確保しておいてほしいところだが、コークス王国攻略の苦戦ぶりを考えると、正直あまり期待できないだろうとクオンは思う。


 それからさらに数日の時をかけ、クオンはようやく公都に到着する。


 ここまで来ればもう馬は不要なので早々に売り払い、宿を目指して幾何学模様の石畳を歩いて行く。

 家屋が白一色に統一されているからか、街並みはどこか趣があり、行き交う人の数も公都まちの規模ほど多くない。

 帝国首都バルドルよりも余程住みやすそうだというのが、率直な感想だった。


(まぁ実際、住みやすいに越したことはありませんしね。潜入任務の総仕上げとなる国崩しまで、どれほどの期間滞在することになるかは現段階では不透明ですし)


 やがて、ヌアーク城からほど近いところにある宿にたどり着く。

 当然と言えば当然だが、《終末を招く者フィンブルヴェート》が下調べもせずにスパイを潜入させるような愚を犯すわけがなく、末端の構成員に事前に収集させていた情報のおかげで、クオンは公都の地理を大凡おおよそ把握していた。


 チェックインを済ませて部屋に入ると、クオンは手荷物をテーブルの上に置き、ベッドに寝転がる。


(ここまでは予定どおり、ですね)


 天井を見上げながら、心の中で独りごちる。

 予定どおりとは、ヌアークに到着した日時について言った言葉だった。


 これもまた下調べによる情報だが、ブリック公国軍は募兵を行うことが多く、まさしく三日後に募兵行事それが行われるとのことだった。

 おまけに、志願資格はクオンの年齢――一五歳からで、軍内には女性兵士も多いとのことだった。

 これを利用しない手はなく、募兵に乗じ、兵士という形で潜入するのがクオンの算段だった。


(〝ナイア〟のためにも失敗は許されない。任務を確実に遂行するためにも、今は英気を養い、三日後に備えるとしましょう)


 クオンを七至徒候補に推薦した七至徒第二位――シエットが、この潜入任務を成功させた暁には、ほぼ間違いなく七至徒の座を掴み取ることができるだろうと言っていた。


 七至徒になることは、ナイアを護る盾を手に入れることと同義。

 そのためならば、多少以上の無茶は覚悟の上だった。

 ナイアには無茶はダメだと言われているが、そんなふうに心配してくれる妹だからこそ、無茶をしてでも七至徒の座を掴み取りたいと思った。


 全ては最愛の妹ナイアのため――その想いを胸にクオンは目を閉じ、浅い眠りについた。

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