第20話 皇帝
ミドガルド大陸東部最大の国――フリングホルニ皇国。
国力は大陸西部最大の国――コークス王国を大きく上回り、事実、ヘルモーズ帝国軍の主力は大陸西部ではなく東部に派兵されている。
それほどまでに帝国は、大陸東部を、フリングホルニ皇国を強敵とみなしていた。
「……つまらんな」
フリングホルニ皇国の皇城内に、皇国兵の屍山血河を築いた一人の男が、言葉どおりつまらなさげに独りごちる。
黄金の輝きを放つ髪と、それ以上に苛烈な輝きを宿した銀色の瞳。
容貌は二十代の青年のように若々しく見えるが、醸し出す雰囲気は老いも若さも超越した威光に充ち満ちている。
その身に纏った王衣とマントは、皇国兵の返り血で染まっていた。
男の名は、ヴィクター・ウル・レヴァンシエル。
三二歳という若さでヘルモーズ帝国を統べ、ミドガルド大陸全土を支配せんとする最凶最悪の皇帝。
ヴィクターは、足元の血溜まりを踏み散らしながら歩き出す。
行く手を阻む者は文字どおりの意味で全て斬り捨てた。
ゆえに、皇帝の歩みを止める者は誰もいない。
「
玉座の間にたどり着き、扉を開けた先にいる人物に向かって嘆息混じりに語りかける。
「我が軍の質も落ちたものだ。そうは思わんか? ヒューロキン帝よ」
玉座に座る、フリングホルニ皇国を治める老齢の皇帝――ヒューロキンは、ヴィクターの問いを無視し、同じ皇帝の名を冠する男を睨みつけた。
「物言いたげな顔をしているな。許す。言ってみろ」
尊大極まりない物言いに、ヒューロキンは歯噛みしながらも、言われたとおりに言いたい言葉をぶつける。
「なぜこのような真似をする、ヴィクター帝。世界の全てを敵に回し、世界の全てを呑み込むような真似を……!」
決死の面持ちで問うヒューロキンを前に、ヴィクターは鼻で笑って応じた。
「そのような愚昧な問いを吐いているようでは、皇帝の名が泣くぞ」
「答えろと言っておるのだッ!! この小童がッ!!」
「吠えるな。今際の際に威厳を失するのは、それこそ小童のやることだぞ」
ヴィクターの言葉に一理あると思ったのか、ヒューロキンは押し黙る。
「だが、愚昧といえども、貴様が
獰猛な笑みを頬に刻み、平然と、傲然と、言葉をつぐ。
「野心があり、力がある。世界を手中に収める理由など、それだけで充分だ」
ひどくシンプルな答えだった。
ひどく傲慢な答えだった。
だがそれ以上に、この男が言うのならばその通りだろうと思わされる、〝力〟に充ち満ちた答えだった。
皇帝として――否、生物としての格の違いを悟ったヒューロキンは、運命の巡りさえも悟ったように言う。
「其方に比べれば、儂も
「その点に関しては嘆く必要はない。比べる相手が
どこまでも不遜で、どこまでも傲慢な男は、何もない空間に向かってゆっくりと右掌を掲げる。
次の瞬間、
「魔法はおろか
「そのとおりだ。
ヴィクターは光の剣を握り、横に拡げる。
「冥府への手向けだ。我が〝
「不要だ。戦に負けて得る栄誉ほど虚しいものはない」
まさしく今際の際においても威厳を保つヒューロキンに、ヴィクターは満足げな笑みを浮かべる。
「それでこそだ」
刹那、音を置き去りにするほどの速さで振り抜かれた光の剣――〝断刃〟が、ヒューロキンの首を刎ね飛ばした。
血を撒き散らし、床を転がるヒューロキンの首を一瞥した後、〝断刃〟を消し去り、半顔だけを後方に振り返らせる。
その数瞬後、無数の足音を響かせながら、帝国の兵隊が玉座の間にやってくる。
「遅いぞ、貴様ら」
皇帝の言に恐れ戦きながらも、軍服に身を包んだ十人の兵士はヴィクターからやや離れた位置で立ち止まり、横二列に整列して跪拝する。
兵隊長と思しき男が兵士たちを代表し、跪拝したままヴィクターに応じた。
「申し訳ございません! ですが、それとは別に諫言の機会をいただきたくございます!」
堂々と諫言と言い切る兵隊長に、九人の部下が揃って顔を蒼くする。
ヴィクターの頬に、どこか楽しげな笑みが刻まれていることにも気づかずに。
「許す。言ってみろ」
「
「断る」
あっさりと否を返され、兵隊長は口ごもった。
「貴様の言うとおり、この身が帝国そのものだからこそ、
「し、しかし! 御身に万が一の事があれば――」
「その程度の男だった。ただそれだけの話よ」
確固たる〝
「
ヴィクターは頬に刻んでいた笑みを深め、断言する。
「
「……! ハハッ! 必ずや陛下とともに征ける〝力〟をつけてみせます!」
兵隊長が感銘を受けたように応じると、それに続く形で、九人の兵士たちも口々に〝力〟をつける決意を表明していく。
その様を見て、ヴィクターは満足げな笑みを浮かべると、悠然と歩き出し、跪拝する彼らの脇を通り過ぎて玉座の間から出ていった。
皇城を出るために、巨大な柱が立ち並ぶ大廊下を歩いていたヴィクターだったが、
「何か報告があるようだな」
足を止め、独りごちるように言った直後、柱の陰から、
《
構成員は音もなくヴィクターの眼前まで移動し、仮面を取って跪拝する。壮年の男だった。
「帝都からのご報告です。長らく空位だった七至徒第七位の座が、先日とうとう埋まりました」
「ほう」
ヴィクターの口から、楽しげな吐息が漏れる。
「七至徒の席が全て埋まるのは久方ぶりだな。此度はどのような狂人が加わったのか知りたいところではあるが、帰ってからの楽しみとして取っておくのも一興か。して、〝グラウンドヴァイン〟の準備は?」
「できております。陛下がお望みであれば、一両日中に帝都に帰還することも可能です」
「いや、そこまで
「ハッ」
構成員は恭しく一礼した後、仮面をかぶり、風のように影のようにヴィクターの前から姿を消した。
再び、ヴィクターは歩き出す。
その歩みを止める者は、誰もいない。
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