第14話 真実の奥底

 公都ヌアークを離れ、仲間との集合地点を目指して夜の平原を歩いていたクオンは、前を歩くシエットに悟られないよう、心の中で深いため息をついた。


 もう十年近くかぶり続けていたものとはいえ、久しぶりにかぶる、狂気という名の〝仮面〟は、少々……いや、かなり疲れるものがあった。

 ヌアークに潜入したこの一年〝素〟の自分でいられた分、余計に疲れてしまうのだろうと、クオンは思う。


(でも、すぐにまた慣れなくちゃいけませんね)


 素直でいい90番わたしでは〝妹〟を護れない。

 常に狂気を振りまき、90番わたしを敵に回すことがどれだけ恐ろしいことかを知らしめなければならない。

 90番わたしを敵に回したら、死よりもはるかに恐ろしい目に遭わされると思わさなければならない。

 同じ《終末を招く者フィンブルヴェート》でありながら、90番わたしを妬み、敵視するクズどもが、まかり間違っても〝妹〟に手を出そうなどと考えないようにするために。


 突然、前を進んでいたシエットが足を止め、こちらに振り返ってくる。

 その時にはもうクオンは当然のように〝仮面〟をかぶり、婀娜あだっぽい表情を浮かべていた。


 シエットこの人90番わたしの〝素〟は知らない。

 下手に知られるわけにもいかない。

〝素〟の90番わたしは、どこにでもいるような、ただの小娘にすぎない。

 人外の巣窟たる七至徒には、あまりにもそぐわない。

〝素〟の90番わたしを知られたら最後、七至徒入りの話は十中八九立ち消えるだろう。

 人殺しが得意という、《終末を招く者フィンブルヴェート》に属する者にとっては〝普通〟の取り柄しかない持たない、ただの小娘を迎え入れてくれるほど、七至徒という立場は安くない。


 七至徒とは、その名を聞いただけで敵味方問わず畏怖を抱く人外の集まり。

 だからこそ、七至徒という肩書きは現状考えうる限り、〝妹〟を護る最高の盾となりうる。

 七至徒の身内というだけで、《終末を招く者フィンブルヴェート》内で90番わたしのことをよく思っていない輩が、手足どころか口先すら出せなくなる。

〝妹〟を護るには、七至徒という肩書きがどうしても必要だ。


 だから〝仮面〟をかぶり、演じる。

 狂気と享楽に満ちた90番わたしを。


「どうしたんです? シエットさん」


 艶然と微笑み、わざとらしく小首を傾げながらシエットに訊ねる。

 長年染みついた〝仮面〟はしっかりと機能しており、シエットはクオンの内心に気づくことなく、クオンの背後を指でさし示した。


「ヌアークを見てみろ」


 言われたとおりに振り向いてみると、はるか後方に見えるヌアークの中心――城のあるあたりが煌々と燃えているのが見て取れた。


「おそらくヨハン・ヴァルナスが、城ごとセルヌント公たちを火葬したのだろう。城を丸ごと燃やすとは、やはり奴は、貴様の見立てどおり相当に優秀な魔法士らしい。もっとも、


 そんなシエットの言葉を右から左に聞き流し、燃え盛るヌアーク城を見つめていたクオンだったが、


「く……ふふ……はは……あははははははははっ!」


 唐突に嗤い出し、目の前にいたシエットがクオンの奇行に、呆れたようなため息を漏らす。


 燃えている。

 一年間潜入していた城が、公都まちが、燃えている。


 


 嗤うしかなかった。

 燃える公都を見て、嫌というほど実感が湧いてしまったから。

 から全てを奪い、これ以上ないほどに傷つけてしまった実感が。


(ヨハン……今さら信じてくれないかもしれませんけど、わたし、本当にヨハンのことが大好きなんですよ? 今この時も……)


 90番わたしの……いや、クオンわたしのヨハンへの想いに嘘偽りはなかった。

 真実わたしは恋に落ち、今もなお恋い焦がれている。

 ヨハン・ヴァルナスに。


(ヨハン……あなたに近づいたのは、確かに任務のためでしたけど……あの時、あなたに〝あんなこと〟を言われて、それ以来あなたのことが任務とか関係なく気になるようになって…………あなたがわたしを好きになるよりも前に、わたしがあなたのことを好きになっちゃったんですよ?)


 ヌアークに潜入した一年間は、本当に幸せで、本当につらかった。

 大好きな人と一緒にいられたから。

 大好きな人を騙し続けていたから。


 だからこそ、悩んだ。


 任務など投げ出して、ヨハンに真実を告白しようとさえ考えたこともあった。

 けれど、できなかった。

 そんなことをしたら、確実に、見せしめという形で〝妹〟が殺される。

〝妹〟には一人で生きていけるだけの力はなく、当然《終末を招く者フィンブルヴェート》に抗う力など持ち合わせていない。

 そもそも後者に関しては、わたし自身も持ち合わせていない。


 だから、わたしは選んだ。


 引き続き《終末を招く者フィンブルヴェート》として生き、〝妹〟を護ることを。


 でも、それでも、ヨハンを死なせたくなかった。

 死んでほしくなかった。

 ヨハンを生かす方法を考えて考えて考え抜いた結果、今まで築き上げた〝仮面〟の90番わたしに頼り、90番わたしならば見逃しても仕方ないと《終末を招く者フィンブルヴェート》の者たちに思わせる流れを無理矢理つくった。


 ヨハンの存在がヘルモーズ帝国にとって有益だと思わせるために、ヨハン自身が父の手記以上のことは何もわからないと言っていた聖属性と闇属性についての知識を、、情報を盛って報告した。

 そうすることで、シエット以外の七至徒や、ヘルモーズ帝国の上層部に、ヨハンには生かす価値があると思わせる布石を打った。


 それが、《終末を招く者フィンブルヴェート》に背くことなくヨハンの命を救うギリギリの工作であり、ギリギリの賭けでもあった。


 それゆえにヨハンのを救う手立てだけは、どうあがいても見出すことができず、ヨハンの故郷を、仲間を、心さえも、容赦なく、残酷に、踏みにじることになってしまった。

 

 その結果、これ以上ないほどにヨハンを傷つけてしまい、これ以上ないほどにヨハンに恨まれ、これ以上ないほどにヨハンに嫌われてしまった。


 だから、嗤うしかなかった。


 嗤うことしかできなかった。


 でも、それでも、ヨハンを死なせたくなかった。

 どんな形でも、生きていてほしかった。


 ヨハンに会いたい。


 ヨハンと話したい。


 ヨハンと触れ合いたい。


 けれど、それはもう許されない。

〝妹〟のためにも絶対に死ぬわけにはいかないから、仇として殺されてあげることもできない。


 だから、嗤うしかなかった。


 嗤うことしかできなかった。


 敵も、味方も、何もかもを偽り、何もかもを嘘で塗り固めた少女は、夜空に向かってただただ嗤い続けた……。

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