第3話 地下水路の戦い
ヨハンは魔力の昂ぶりを感知した地点を目指し、夜の公都を駆け抜ける。
父の教えにより魔法が禁止される以前からも体は鍛えていたが、それでも魔法に費やしていた時間を肉体の鍛錬に費やすようになった五年前と今とでは体力に雲泥の差があり、長時間走り続けても苦にならず、速度もほとんど緩むことはなかった。
どれだけ頑張っても上達しない剣の腕はさておき、兵士として過ごした鍛錬の日々は着実にヨハンの糧になっていた。
やがて、魔力感知地点に通じる入口にたどり着く。公都ヌアークに流れる小川の、橋の下に設けられた、地下水路に通じる扉だった。
「運が良いとみるべきか、悪いと見るべきか……」
扉の錠が壊されているのを見て、独りごちる。
言うまでもないが、地下水路に通じる扉はこの一つだけではない。
そして、子供や酔っ払いが迷い込まないよう全ての扉に錠がかけられている。
こんな時間に鍵を借りに行っても、手続きに手間取る恐れがあったため、ヨハンは懲罰覚悟で錠を壊すつもりでいたわけだが、すでに壊されている扉を引き当てることができたのは本当に運が良かった。
だが、それは地下水路に何者かが侵入したことが確定したことを意味しており、地下から感じた魔力の昂ぶりと合わせて考えると、運が悪いどころの話ではなくなる。
水面下で、公都にとってよからぬ何かが進行している可能性すらある。
(どうする? 今すぐ軍に報告するか?)
数瞬悩み、かぶりを振る。
(魔法が絡んでいる可能性が高い以上、下手に時間をかけるのは得策ではない。それに、わざわざ地下水路に隠れて事を進めるような奴だ。大きな動きを見せようものなら、あっという間に雲隠れしてしまう恐れがある)
覚悟を決めたヨハンは、扉をくぐって地下水路に足を踏み入れる。
地下水路内部は当然闇が支配しているが、ミドガルド大陸で普及している光源――エヴァーライトと呼ばれる特殊な蓄光石が等間隔に設置されているおかげで、視界はそう悪くない。
通路の壁際に沿う形で流れる水路の様子も、しっかりと視認することができた。
地下水路は迷路さながらに入り組んでいるが、幼少期に魔法研究の一環で何度も足を踏み入れていたうえに、軍の任務により巡回警備を何度も行なっていたため、内部構造はだいたい把握している。
そのため、地下水路に下りる扉も、魔力感知地点から最も近い位置にあるものを選ぶことができた。
もっとも、目的地との距離はそこそこに離れており、たどり着くのにそれなりの時間を要するのは避けられないが。
地下水路を駆け抜けようものなら、そこかしこに音が反響し、侵入者にこちらの存在を知らせることになってしまうので、ヨハンは焦る気持ちを殺し、足音も殺して慎重に進んでいく。
(しかし、本当にこのまま僕一人で向かっていいのか?)
歩みを進めながら自問する。
もし地下水路に侵入した輩が公都に仇なす存在であった場合、戦闘は避けられない。剣の腕がからっきしの自分が、侵入者を抑えることができるのだろうかと不安になる。
最悪、魔法を使えば何とでもできると思うも、万が一にも魔法の使用が他国にバレた場合、自分だけではなく、主君であるセルヌント公が、ブリック公国そのものが糾弾されることになる。
主君を崇敬し、国を愛するヨハンにとって、それは耐えられないことだった。ゆえに、命の危機に瀕しようが、魔法の使用だけは絶対に避けようと心に決める。
そうこうしている内に目的地に近づいてきたので、ヨハンは覚悟を決めて懐に忍ばせていた〝武器〟を握り、足音はおろか息も殺して歩を進めていく。
ほどなくして、複数の水路が合流する広場にたどり着き、
(いた……!)
その中央にいる、怪しい人影を発見する。フードの付いた外套を纏うことで体型を隠し、かろうじて横から見える顔は
〝奴〟は、足元に拡がる魔法陣に魔力を注いでいる。知識のない人間にできることではなく、そんなことができる人種は一つしかない。
(魔法士。それも、かなりの使い手か)
ヨハンの魔力感知力を以てしても、魔法陣に注がれる魔力の流れを把握できたのは、視認できる位置まで近づいてからだった。
並みの魔法士では、ここまで上手く魔力の流れを隠蔽することはできない。
もっとも、魔法陣を起動させた際に生じた〝
平然と禁を破って魔法を使っている時点で、真っ当な人間ではないことは明らか。素性や目的を問い質したいところだが、相手がまだこちらに気づいていないこの状況を利用しない手はない。
相手が魔法士ならば、なおさら奇襲が有効であることをヨハンは知っている。
懐に忍ばせていた〝武器〟を握り、〝奴〟目がけて走り出したその時だった。
「!」
突然、ヨハンの頭上でバサバサと何かが羽ばたく音が聞こえ、反射的に足を止めてしまう。
ヨハンが飛び出した通路の天井にとまっていた蝙蝠が、突然走り出したヨハンに驚いて飛び立った音だった。
当然、その音は〝奴〟にも届いており、魔法陣への魔力注入を中断して、ヨハンの方に体を向けてくる。
せめて足を止めなければ――そんな悔恨を噛み殺しつつも、ヨハンは無駄だと思いながらも〝奴〟に訊ねた。
「そこで何をしている?」
問いには答えず、〝奴〟は仮面に手をかけ、外すような動きを見せる。
(顔を見せるのか?)
と、訝しんだ瞬間、
「轟炎逆巻け――」
仮面の下から若い男の声が響いた瞬間、仮面を外そうとしたのはこちらの注意を引いて足を釘付けにさせるためのフェイクだと悟り、見事に機先を制せられたヨハンは歯噛みしながらも、すぐさま真横に飛ぶ。
「――〝クリムゾントルネード〟!」
直後、一瞬前までヨハンが立っていた床から、炎の旋風が巻き上がった。
間一髪のところでその暴威から逃れたヨハンは、離れてなお肌を
剣の柄を思わせる、細長い円筒状の〝武器〟を両手で握り締め、「顕現せよ」と心の中で念じた瞬間、その先端から青白い光刃が具象する。
魔力を他属性に変容させるのではなく、
その〝武器〟は、オディックヘドロンと呼ばれる、人間の意志に反応してその内に秘められた魔力を出力する特殊な鉱石で造られており、「顕現せよ」と念じると、剣の
ゆえに世界の理には触れてすらおらず、いくら
魔法士ではない者たちが、実剣では切れない、火、水、風、雷属性の
「どうやら、お前は生粋の魔法士のようだな」
返事は期待していなかった。が、
「……否定はしねえよ」
魔法を放つために呪文と魔名を唱えた手前、今さら声を隠す理由もないと思ったのだろう。
数瞬の沈黙を挟んでから、当たり障りのない返答をよこしてきた。
そんな〝奴〟を挑発するように、ヨハンは不敵な笑みを浮かべながらハッタリ混じりに断言する。
「安心したよ。生粋の魔法士が相手なら、僕が負ける道理はない」
「ほざけ……!」
微妙に苛立った声を上げながら〝奴〟は掌を前方に掲げ、
「穿て――〝レッドジャベリン〟!」
三本の炎の槍を、ヨハンに向かって飛ばしてくる。
ヨハンは微塵も怯むことなく床を蹴り、迫り来る炎槍を最小限の動きでかわし、足を止めることなく〝奴〟に肉薄する。
〝奴〟は慌てて再び〝レッドジャベリン〟を詠唱しようとするも、ヨハンは勢いをそのままに飛び蹴りをくらわせることでそれを阻止。
ヨハンは飛び蹴りの着地にしくじったせいで、〝奴〟は飛び蹴りに吹き飛ばされたせいで全く同時に床に倒れるも、直後の動き出しはヨハンの方が早かった。
先んじて立ち上がったヨハンは、片膝をついて立ち上がろうとしていた〝奴〟の喉元に光刃の切っ先を突きつける。
敗北を悟ったのか、〝奴〟は硬直するように動きを止めた。
ヨハンは一つ息をつき、突きつけた光刃をそのままに〝奴〟に告げる。
「
魔法について話しているという理由もあるが、侵入者を抑えることができた安堵感のせいで、いつもよりも饒舌になっていることを自覚しながらも〝奴〟に訊ねる。
「もう一度訊く。ここで何をしていた?」
「……答えるわけねえだろ」
予想どおりの返答。
ヨハンは〝奴〟への警戒をそのままに半眼だけで魔法陣を一瞥した後、意趣返しのつもりで、これ見よがしにほくそ笑んだ。
「ならば、こちらから当ててやる」
「……!」
仮面の下で〝奴〟が動揺するのを感じ取りながらも、ヨハンは言葉をつぐ。
「魔法陣の役割は主に二つ。掌に描いた魔法陣を介することで呪文の詠唱を省略し、魔名を唱えるだけで魔法を行使できるようにすること。これが先程触れた
仮面の下にあるであろう〝奴〟の顔を睨みつけ、断言する。
「
「なッ!?」
図星を突かれ、いよいよ動揺を抑えられなくなった〝奴〟が狼狽えた声をあげた。
「そんな驚くようなことじゃない。魔法が禁止される以前から外法として知られる
「そこに描かれた魔法陣、随分とアレンジを加えているようだが、根幹となる術式は間違いなく
返事は、やはり返ってこなかった。
だからこそ、ヨハンは確信することができた。
「推測も多々あったが、どうやら大当たりだったみたいだな」
沈黙が、二人の間に横たわる。
これ以上の問答は無駄だと悟ったヨハンが、さっさと〝奴〟を縛り上げようと思った直後のことだった。
「く……くくく……」
突然〝奴〟が、仮面の下から、内心の怒りを押し殺したような笑い声を漏らし始める。
自然、ヨハンは警戒を強める。
「何がおかしい?」
「
「なぜ僕の名前を!?」
〝奴〟が自分の名前を知っていることに驚いたヨハンは、声を上げて狼狽えてしまう。その隙を見逃さなかった〝奴〟は、突きつけられた光刃の下をくぐる程の低姿勢で体当たりを仕掛けてくる。
ギリギリのところで反応できたヨハンは、半ば反射的に光刃を振り下ろそうとするも、
「ヨハンっ!!」
兵舎に帰ったはずの恋人の声が耳朶を打ち、驚いたヨハンの動きが一瞬止まる。
その結果、体当たりをモロにくらって吹っ飛ばされてしまい、絶好の
「人が生みし業よ、深淵より来たれ!――〝イヴィルオーダー〟!」
直後、魔法陣が真っ赤に燃え上がり、そこから噴き出した炎が、とある生き物の形に集約されていく。
魚だった。
全長三メートルを超える、炎の肉体を持った魚が四匹、水中を泳ぐようにユラユラと空中を漂っていた。
炎魚に気を取られていると、
「覚えてやがれ、クソがッ!」
いつの間にか逃げの一手を打っていた〝奴〟が捨て台詞を吐きながら、炎魚の背後にある通路目がけて走り出していた。
すぐさま追いかけようとするも炎魚に立ち塞がれたため、通路の闇に消えていく〝奴〟を見送ることしかできなかった。
人類の天敵であるがゆえに、どのような術式を組んでも
炎魚が〝奴〟を完全に無視している時点で、その手の制約が術式に組み込まれているのは明白だった。
「クソ……!」
炎魚が邪魔で追うに追えず悪態をついていると、背後から、恋人――クオンが駆け寄ってくる。
「ごめんなさい……あの時、わたしが声をかけなければ……」
「気に病むことはない。逆の立場だったら、僕も君と同じように叫んでたよ」
隣に立ち、シュンとするクオンに微笑を向けるも、すぐに引き締め直し、
「詳しい話は後だ。さっさとこいつらを片づけて〝奴〟を追いたい。力を貸してくれ、クオン!」
「はい! もちろんです!」
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