隣の席の子を好きになる

雪瀬ひうろ

第1話

「初めて隣になったね」


 そう言って、彼女はまぶしいものでも見るように目を細めた。

 教室は喧騒に包まれている。前の方ではしゃぎ声が聞こえたかと思うと、反対側では悲鳴が上がる。

 席替えだ。

 小学六年生にとって席替えというのは死活問題だ。隣の席になる人次第で「生きる」か、「死ぬ」かが決まる。気の合う奴が隣になれば「生」。気の合わない嫌な奴が隣なら「死」。僕たち小学生はいつも生死の綱渡りをしている。

 小学生が席替えの時間に素直に席についていられるはずがない。席を決めるくじを引いた後も席に戻らず、誰もが前の黒板に書かれた座席表にかじりついている。

 そんな中で彼女は自分が引いたくじを僕の眼前に突き付けながら笑う。


「ほらね」


 確かに、彼女が持っているくじの数字と自分の手元にあるくじの数字は、前の黒板の座席表に照らし合わせると隣同士ということになるらしい。


「じゃあ、卒業までよろしくね」


 そう言って、彼女は薄く、淡く、口元を緩めた。

 立花美咲。

 それがこれから僕の隣の席に座る子の名前。

 小学六年生の三学期。

 教室の外では、真っ白な雪がひらりひらりと空から舞い落ちていた。




「おはよう」


 僕は思わず、びくりと肩を震わせる。

 僕が隣の席に目をやると、立花さんが柔らかな笑みでこちらを見ていた。

 立花さんと会話をしたのは、席替えをした昨日が初めてだ。いや、六年間同じ学校にいるのだから、どこかで言葉を交わしたことくらいはあったかもしれないが、少なくとも僕の記憶には残っていない。

 なぜ急に彼女は自分に挨拶などしてきたのだろう。

 僕は思わず、口をぱくぱくとさせる。良太や他の男子が相手なら当たり前にできる挨拶の返事がなぜだかうまくできない。いや、「おはよう」なんてきっちりとした挨拶だから返せないのかも。男同士の挨拶は「よう」。たった平仮名二文字で終わる。「おはよう」なんて長ったらしい挨拶なんてしないから。

 僕は立花さんを見たまま硬直してしまって、ランドセルを下ろすことすらできない。彼女はそんな僕を見て、そっと首をかしげる。彼女の長い髪がその動作に従って、静かに揺れた。


「ふふ?」


 彼女の唇から零れた吐息は、疑問符を結ぶ。そして、小さな口をぱかりと開けて彼女は笑った。


「あはは、ごめんね。私、結構、隣の席の子に挨拶しちゃうタイプなんだ」


 そう言って、彼女はまぶしい笑顔を見せる。


「気にしないでね。私が勝手に言ってるだけだから」


 それだけ言い残すと、彼女はするりと僕の隣の席から居なくなる。

 そうするとただ僕一人だけがぽつりと自分の席に残される。まるで上っていた梯子を急に外されたような気分だった。今まで聴こえていなかった朝の教室の喧騒が耳に飛び込んでくる。そうすると、ランドセルも下ろさずに自分の席の前に立ち尽くしている自分が酷く滑稽で恥ずかしい存在に思えてきて、僕は慌ててランドセルを机の上に下ろした。

 顔の向きを変えずに視線だけで立花さんを追う。

 彼女は他のクラスメイトに笑いかけていた。

 先程の僕に向けた笑顔と寸分違わぬ笑顔で。

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