月の巡り、命の源

 (注)タイトルからは分かりにくいんですが、今回は月経の話です。読みたくない方もいると思うのでスルーして下さい。気にしない方は性別問わずどうぞ。あと、あくまで私の個人的な感想ですので、悪しからず。


 思い立って、布ナプキン講座を受けた。お世話になっているヨガの先生がやっていて、前から気になっていたのだ。

 市販の紙ナプキンは体を冷やすし、有害な化学物質も含まれている。それを肌が直に吸収することで体に不調が起こる。月経痛や流産には紙ナプキンが影響しているという説もあるらしい。布ナプキンにすることで、そういう不調が消えるという。経血コントロール、というのもあって、姿勢や呼吸の仕方で膣を絞めたり、緩めたりできるらしい。先生は5,6年かけてこれをマスターし、月経は2日で終わるし夜も出血が無いと言っていた。本当なのだろうか? 信じられない。


 20代の頃から月経痛に悩まされた。痛みだけでなく貧血も起こし、寝込んでしまうこともあった。市販の痛み止めでは治まらず、同居の姉が苦しむ私を心配してタクシーで病院に連れて行ってくれた。けれど処置の仕様が無くて、男性の医者は「できることはありません。どうしてもというなら、入院しますか」と言い放ち、それは酷く冷たく聞こえた。

 婦人科をいくつか回り、ピルを処方されてからは痛みが落ち着き、市販の痛み止めでやり過ごせるようになった。

 出産後、月経痛は以前ほどではなくなった。たぶん、生活の問題も背景にあったのだろうと思う。食事には気を遣わなかったし、生活も不規則だった。社会人になると自分を顧みず、残業も休日出勤も当たり前だった。こどもを産んで、そういう生活が一変し、からだも少しずつ変わったのだと思う。


 「つけていることを忘れる爽快感」

 生理用品の煽り文句。より薄く、自然に。

 それでいいんだろうか、と先生は言った。それを無いことにしていいのか、と。

 体は弛緩し、それへの制御を失う。

 「自然」を追及するために、人工的な物質がますます投与されていくのだろう。


 布ナプキンは、重曹につけおきする。しばらく経つと、水に溶け出た紅い層が現れる。「綺麗なの」と先生は言った。それは、美しいのだと。愛しく感じる人もいる、と。

 その紅には、1か月前の自分が現れるのだという。何を食べ、何を感じ、どのように生きてきたのか。さらさらしている時もある。どろりとしている時もある。その時の自分を感じながら、新たな体で生きようとしている自分を想う。

 外国には月経カップというものもあるらしい。それに受けた血を植物にあげる人もいるのだと先生は言った。「命の源だから、パワーがある。植物にあげたら元気になる」と。

 月経には悩まされてきた。それだけに、「命の源」という言葉が衝撃だった。

 女性の体にはそれぞれの周期がある。満月と共に満ちたものが流れ去り、新たな体に生まれ変わる。もう体に留めておけないから流れていくのだけど、それは忌まわしいものではないのだ、と。

 命の源とは、こどもが産まれなければ無意味だとかそんなことじゃなくて、体に秘められた可能性のことなのだと思った。月と共に巡り、生れ変わる「からだ」。一つの命としての私。

 ……うまく言えないけれど、なんだか泣きそうになった。


 初めて月経がきた日。私は哀しかった。自分が異質な存在になってしまった気がした。この身体でこれから生きていかねばならないと思うと苦しくて、昨日までの真っ白な自分に戻りたかった。

 こどもを願うようになると、それがくる度にがっかりした。ホルモンバランスの乱れから、「このままだと妊娠できない」と言われた時期もあり、妊娠に対して恐れがあった。周囲がこどもを授かる中で、自分の中に実らない命を思い、落ち込んだ。

 本当は、そういうことじゃなかったんだよな、と今更ながら思う。

 自分の中で巡る月。その周期を想い、からだを想う。月が欠けていく時期には自分を労わる。からだが欲することに耳を傾ける。口から入るものがからだを形作る。目や耳、からだを通して感じたことが、再びからだに還っていく。

 周期のズレ、ちょっとした不調はからだの声。からだを責めるのではなくて、からだの声に耳を傾けたらよかったのだ、と。


 ドラッグストアでは、生理用品を買うと店員さんが紙袋に包み直してくれる。周囲の目に触れないように。

 それを止めよう、という声もあるらしい。それは覆い隠すべきものではない、と。

 

 昔、日本では月経中の女性を隔離するための小屋があったという。月の穢れ、月の障り。月経中の女性が休めるように、という意味もあったそうだけど、小屋の女性に侮蔑が投げかけられることもあった。

 世界ではまだその隔離小屋が存在する地域もある。一人で暖を取ろうとして煙にまかれたり、毒蛇に噛まれたりして亡くなってしまった少女もいるらしい。

 

 月経を巡る問題は根深い。

 血は死に繋がる原始的な恐怖を惹起する。同時に、人は血と共に産まれてくることを想う。自分を守り育んだ血を浴びて、産声をあげる。血は母なる乳となり、新たな命を繋いでいく。


 布ナプキンにチャレンジしてみた。可愛らしい絵柄に気持ちが和む。

 確かに、あたたかい。気のせいかもしれないけど、自分の中に満ちるあたたかな滴が感じられるような気がした。

 三日坊主の私だけど、できれば、これからもチャレンジしていきたいなと思う。

 いつか娘も、その日を迎えるだろう。それまでに、自分のからだとその月の巡りについて学び、伝えられたらいいなと思う。

 それは穢れではなくて。汚らわしいのではなくて。

 尊い、命の源。生きた私の証。

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