第777話 2021/11/29 類語とか

 本日は6時半起き。快晴。今日は何も予定がないので気分が軽快である。何かをしなければならないというのは、それだけで行動を制限する呪縛だし、ストレスの元となる。ああ自由の何と素晴らしいことか! まあ自由になって何をするかといわれたら、無意味にゴロゴロするだけなのだけれど。


 毎日こうやって言葉を紡いでいると、言葉の細かいところが気になってくるし、不思議な現象にぶつかることもあるものだ。

「困ったときはお互い様」という言葉がある。特に説明の必要がある言葉ではない。どちらも同じような状況にある(あるいは過去にあった)ならば、共に助け合おうではないか、といった意味である。類語として、共存、相互扶助、持ちつ持たれつ、などがある。

「武士は相身互あいみたがい」という言葉がある。こちらは比較的難しめの言葉ではあるが、同じような境遇にある(あるいは過去にあった)ならば、共に助け合おうではないか、といった意味である。類語として、共存、相互扶助、持ちつ持たれつ、などがある。

 読んでいただければわかるように、ほぼ同じ意味である。そして類語が同じであるから、A=B=Cであるとき、A=Cであるはずだ。つまり「困ったときはお互い様」と「武士は相身互い」は類語関係にある。と、どの角度から考えてもそうとしか思えないのだが、いろんな辞書を見てみても、この2つの言葉を類語としている文面には出会えない。こんなに似ている言葉なのに。何故だろう。

 微妙なニュアンスや使用されるシチュエーションが異なるのだろうかと調べてもみたのだが、語源的には差異があるものの、現実の会話の中で使用される状況を見る限り、まったく同じである。だったら間違いなく類語であろう。それとも辞書編纂者には譲れない何か一線があるのだろうか。何とも不思議な話。

 さて、アフガニスタンではタリバンが国内をほぼ平定してから数ヶ月が経っているのだが、「国家」として機能しているかと言えばまだまだ先は遠いようだ。タリバンの共同創設者で、暫定政権の首相を務めるモハマド・ハサン・アフンド師が27日、国営テレビで国民向けの演説を行ったのだが、その中でこう述べたという。

「すべての国に内政干渉しないことを保証する。良好な経済関係を築きたい」

「国民の問題を解決するために、(中略)すべての国際援助団体に要請する。支援を保留することなく、疲弊したわが国を助けてほしい」(以上AFP)

 まあ素直で正直な意見表明であろう。タリバンに武器と麻薬以外の力、たとえば経済力とか外交力とかがある訳ではないからな、自力で国を建て直すなどできるはずもない。国民を飢えから守り国全体が生き延びるためには、外国からの支援に頼るしかないのだ。支援がなければ国民が飢えるのに、核兵器を振り回して喜んでいるどこかの国よりも随分マトモであると言える。

 しかし、わざわざ内政干渉という言葉を持ち出したのだ、支援を頼りたい相手はもう決まっているのだろう。つまりは「新疆ウイグル自治区の問題を批判したりはしない」という宣言である。だから金と食い物を寄越せ、と。

 確かにタリバンは王毅外相を始めとして中国の高官と会合を重ねたりしているし、食い物をタカる相手としては普通の選択である。そもそもタリバンに影響力を持つパキスタン政府が中国と繋がっているからな、タリバンだって当然繋がるだろう。誰かのための正義より自分の食い物を選んだのだ、人間としては自然な行動と言えるが、この先を考えると宗教的な説得力は低下するのではないか。もちろんそれは虫けらが心配することではないのだけれど。

 しかしこういった「現実的」な対応は今後一層広がって行くのではないか。日本も他人事ではない。いまの総理大臣が将来を見据えて「現実的」な判断を下し、譲れない一線を越えないとも限らない。我々国民は注視しておく必要があるだろう。

 何せ国際人権問題担当首相補佐官という役職を新設し、ここに元防衛相の中谷元氏を起用しておきながら、その頭を押さえつけているのではないかと時事通信に報じられているのだ。確かに新疆ウイグル自治区やチベット自治区の問題はもちろん、先般のテニス選手の問題にもこれといった対応を示せていないのは事実。このまま政権の中国寄りを加速させたら取り返しのつかないことにならないとも限らない。

 いまパプアニューギニアの東隣にあるソロモン諸島では反政府暴動が続いている。元々台湾と関係の深かったところなのに、政権が2019年に台湾と断交し、中国と国交を結んだことが遠因である。これが明日の日本だとまでは言わない。だが自民党を中心に安定していた日本の政界は、いずれ過去の物となるかも知れない。そのとき総理大臣はアフガニスタンに、そして中国に、どんな顔を見せ、どんな言葉を口にするのだろう。「困ったときはお互い様」なのか、それとも「武士は相身互い」なのか。まあ、あんまり変わらないのだろうが。


 いま「生きづらい人」というと発達障害を持った人という意味になる。本当はもっと広範であってしかるべきだと思うのだが、言葉の使われ方にも流行り廃りはあるからな。鬱病持ちで発達障害のない虫けらは、別の意味で生きづらさを感じないでもない。

 昨日28日午後4時半頃、東京都渋谷区恵比寿に出動した救急車のドアを、歌手の鬼束ちひろ容疑者が蹴ったとして警察に逮捕された。本人曰く、

「パチンコ店にいたところ、友人の体調が悪くなり救急車を呼んだが、通行人に嫌みを言われてパニックになった」(NHK)

 とのこと。

 虫けらは昔から彼女の歌が好きでCDも何枚か持っているのだが、まあ生きづらそうな人だな、とは思っていた。発達障害があるのかどうかは知らないが、「普通」に生きるのは大変そうに見える。だからといって暴れていい訳はないし、今回の件も擁護するつもりはないが、これで嫌いになることはないだろう。

 それにしてもこの件を報ずるメディアに登場する彼女の写真が、「普通」の写真ばかりなのは皮肉というか何というか。パンクなメイクで周囲もファンもドン引きしていた頃の写真を出してくるところはないようだ。あの写真を出した方が説得力があるように思うのだけどな。


 新型コロナウイルスへの対応、物価高、与党民主党内の対立の表面化という「三重苦」で、アメリカのバイデン政権の支持率が低迷し、来年の中間選挙も危ういと時事通信が報じているが、そんなヘレン・ケラーみたいな理由を付ける必要があるのか。単に無能なお爺ちゃんだとアメリカ国民が理解しただけの話なのではないかと思うのだが。


 本日はこんなところで。暖かい、と言うほど暖かくはないはずだが、少しマシだと体が楽に感じる。現金なものである。

 昨日は2400文字ほど。時間があれば書けるというものではないのだ。今日も時間はあるが、たいして進まないかも知れないな。

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