第414話 2020/12/1 クラウンとか

 昨夜はヘトヘトに疲れ切ったにもかかわらず、午前1時頃まで眠れない状態が続いた。で、今朝は4時起き。なんやねんこの体はもう。全然疲れが取れていない。内臓がしんどい。

 それはさておき、カクヨムコン6が始まった。参加できる完結作品があるのは有り難い限り。しかしこの「ファンタジー以外はあまり興味がありません」的なジャンル分けはどうなんだろう。SFやミステリーにも大ヒットする可能性のある作品が埋もれているかも知れないのに、みすみす見逃すのか。

 まあ、運営側の人材も無限にいる訳ではないから、ある程度決め打ちするしかないのだろうなと同情する部分もなきにしもあらずなのだが。


 日本を代表する自動車メーカーであるトヨタの比較的初期の乗用車ラインナップには、カローラ、コロナ、カリーナ、セリカ、カムリ、クラウンと、「C」から始まる名前が並び、なおかつこれらはすべて「冠」を意味する名詞だった。

 まさか偶然こんな名前をつける訳がないので、当時から自社こそが自動車メーカー界の王者であるとの意識があったのだろう。言行一致というか、名は体を表すというか、実際トヨタは世界最大級の自動車メーカーとなった。まあ言うだけならタダだからな、自分がこうなりたいと思う未来があるのなら、口に出して形にしていればいつか叶うのかも知れない。

 さて話はまったく変わるのだが、現在 Netflix では「ザ・クラウン」というドラマを放映中なのだそうな。内容はイギリスのエリザベス女王の人生をたどるもので、いまはあのダイアナ妃とチャールズ皇太子の物語となっているらしい。これにイギリスの大臣が注文をつけた。

 デジタル・文化・メディア・スポーツ相であるオリバー・ダウデン氏は「ザ・クラウン」を素晴らしいフィクションだと断った上で、 Netflix に対し、ドラマの冒頭に「これはフィクションである」との明示が必要だと要請する旨を語った。

「この時代に生まれていなかった視聴者は、これがなければフィクションを事実だと誤認する恐れがある」(AFP)

 との事。要は王室のイメージ悪化が懸念されるという事だ。

 フィクションを書いていてこんな事を言うのもアレだが、フィクションの影響力は馬鹿にできない。実際その時代を生きていた人でも、よくできたフィクションを見せられた場合、そちらの方を信じるかも知れないのだ。ダイアナ妃やチャールズ皇太子が巨大ロボットで火星人と戦うような物語なら話は別だが、そうではないのなら注釈は入れるべきだと思う。

 もちろん冒頭にフィクションであると断ったところで信じる者はいるのだろうが、それでも何もしないよりはマシなはずだ。言葉にすれば、それは力を持つ。 Netflixのテロップはタダではないだろう。しかしドラマの制作費からすればタダのような値段ではないか。それを毎回出し続ければ、それなりの意味を持つに違いない。

 別に Netflix の方だってイギリス王室とケンカをしたい訳ではあるまい。ドラマの放送を差し止めろという訳ではないのだ、この程度の対応は最初からしておくべきだったように感じるところ。


 クラシック音楽で名高い作曲家ショパンについて、母国のポーランドでいま、彼は同性愛者ではなかったかとの説が大々的に報じられて物議を醸しているらしい。まあポーランドは現在保守派が力を持ち強権的な政治が行われ、性的マイノリティへの風当たりが非常に強いらしい。それを背景としたこの議論なのだが、個人的に虫けらはショパンが同性愛者であっても何も困らない。ただ、死んだ人間なら何を言っても良いというものでもないだろう。

 これはフィクションの中で織田信長やアーサー王を美少女化するのとは訳が違う。生きている人間に対するアウティングは生死に関わる問題である。もちろん死者ならアウティングで自殺をしたりはしないが、ショパンにも家族があったろうし、その子孫がいるのではないか。デリケートな問題には触れて欲しくないという意向もあるかも知れない。

 性的マイノリティが差別される現状は正さねばならないという理屈は理解できる。しかしそのためなら手段を選ばないというのは、やり方としてどうだろう。遠い昔に死んだ郷土の英雄なら風よけとして最適だという判断もわからないでもないが、いささか傲慢なようにも思えるところ。


 先般アメリカのユタ州の砂漠地帯で見つかった金属の三角柱は、何者かが持ち去った模様。泥棒に盗まれたのか、それとも設置した者が回収したのかは不明。まあ、謎は謎のままで置いておいた方が良いのかも知れない。


 ナゴルノカラバフ自治州をめぐるアゼルバイジャンとアルメニアの紛争は、とりあえず一旦終結した。これについては様々な意見があるだろうが、吉兆ではないかと期待を寄せている国もある。ロシアにクリミア半島を奪われたウクライナである。

 思いっきりザックリ言えば、「トルコが協力してくれればロシアからクリミアを取り返せるかも知れない」という希望の光を見ているのだ。だがそれは、「アメリカが協力してくれればロシアから北方領土を取り返せるかも知れない」というのと同じレベルの話である。そもそもウクライナはアゼルバイジャンと違ってイスラム国家ではないからな、トルコが肩入れする理由はない。

 白馬の王子様が自分を惨めな境遇から救ってくれるかも知れないという少女趣味的な希望を持つなとは言わないが、さすがに限度はある。トルコには大国扱いされたいという欲求があるにせよ、たいしたメリットもなしに自国を危険に晒す真似はしないだろう。早い段階でEUなりNATOなりに加盟できなかった事が、この現状を招いている。使い古された言葉だが、ウクライナには「痛みを伴う改革」が必要なのではないだろうか。


 本日はこんなところで。まるで徹夜でもしたかの如き内臓の疲れ方である。今夜は眠れるだろうか。はあ、まったく勘弁してもらいたい。もうグッタリだ。

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