第349話 2020/9/27 差別とか

 本日も11時起き。昨日の反動で今朝は早起きできるんじゃないかと考えていたのだが、そんな事はなかった。ニュースを見たらまた芸能人の自殺。それだけでもうやる気から何から根こそぎ奪われてしまう。

 虫けらにも死にたかった時期はあった。別にそれを努力と根性で乗り切った訳ではないが、結果的には何とか死なずに済んだ。生きるという事は胸を張って荒波を蹴立てて進むようなものではない気がする。結果論で十分ではないか。

 生きるか死ぬかは常に紙一重である。本人が気付いているかどうかは別として、みんなギリギリのところで生きているのだろう。その足下は脆く崩れやすい。他人の足下はしっかり頑丈に見えるだけなのだ。たぶんきっと。


 差別の問題はややこしい。人種であれ、国籍であれ、地域であれ、性別であれ、年齢であれ。そのややこしさから敬遠し、とにかく近付かないようにするという人も多かろう。ただし難しい問題なのかと言えば、必ずしもそうではないという見方もできる。ややこしさと難しさは常にイコールではないからだ。

 26日、日本大学が声明を発表した。同校で講義を受け持っていた男性講師が人種差別的な発言を繰り返していた事を謝罪する内容であった。6月に文理学部の法学のオンライン講義で、この講師はアメリカなどで広がっているBLMについて、

「黒人さんが暴れている」

「あちこちで暴動を起こしたり、略奪をどんどん繰り返している」

「何かあれば略奪をしようとする」(以上朝日新聞)

 などと発言した模様。

 朝日新聞の記事ではBLMを、「米国での白人警察官による制圧死事件をきっかけに、黒人の命が軽視されている現状と黒人へのあらゆる差別に抗議する運動」と説明している。間違っているとはまったく思わない。わかりやすく正確な説明だと思う。言い換えれば、講師の上記発言は正確とは言えない。

 ただ、正確でないものを正確でないという理由で差別的と断罪するのは差別的発想ではないのか。実際に黒人が暴れていないのにこんな事を言ったのならそれは間違いなく差別的なのだが、「そういう一面が存在する」事を無視するのは現実を否定する事だし、事実に基づかずに思想や言動を否定するのは差別的な行為であるとは言えないのだろうか。平和的なデモを行っている黒人がいることを無視して殊更に黒人の暴動を取り上げるのが差別的だと言うのなら、その逆もまた真であろう。

 今回の日大の謝罪は、講義を受けていた学生らがこの講師の解雇を求めて抗議活動を行った事に対するものだ。学生がBLMに同調するのは自由であるし、差別的と感じた言動を告発するのも自由である。この講師は5月の講義でも「武漢肺炎」という言葉を使ったり、他でも精神障害者や女性を差別する表現を使っていたらしい。差別主義が大好きな人物なのかも知れない。教育の現場には相応しくないように思えるのは無理もない。

 ならば即刻クビにすべきではないかと思うのだが、日大は本人が反省しているという理由で授業は続けさせる事にしたそうだ。この辺にややこしさが顔を出す。差別は物質ではないからな、機器で計測する訳には行かない。言葉を取り上げて差別的であると非難は出来ても、そこに本当に差別的な意識があったのか、特定の人種などカテゴリーに対する明確な悪意があったのかを判断できない。

 この講師が自分の立場を利用してセクハラやパワハラをしていたというのなら、直ちに職を追放されるべきだ。そこには特定の人間を傷つけようとする故意がある。だが今回の発言がそれに類するものであったのかどうか、判断を求められた日大は困っただろう。

 ある日本人メジャーリーガーがコーヒーを飲んで「苦っ」と言ったら黒人選手ににらまれたという話があるが、言動を否定するには結局のところどこまで悪意があったのかを確かめる必要がある。単なる無知なのかも知れない。無知は罪だと言う者がいるが、現実問題として、この世に無知でない人間など存在しない。世界のすべての事に十分な知識を持つ者などいるはずがないのだ。

 誰も彼も、どんな偉いヤツでも知識は特定の分野に偏っている。それが人間だ。無知であるだけで言動を否定され攻撃されるのが当然だと思っているような人間は、誰かが攻撃されるのを見て楽しむサディストでしかない。自分が攻撃される側に回らないよう上手く立ち回る事と、人として正しいかどうかはまったく別の話であろう。

 差別は良い悪いの話ではない。悪いのは大前提だ。まったく疑いの余地はなく、差別は悪い。だが現実に存在する。ならば重要なのはそこにあるかないかではないのだろうか。差別的に見えたから、聞こえたから、それは問題ではない。そこは本質ではない。差別がそこにあったのかなかったのかが問題だ。

 だが差別の有無は機械では測定できない。しかし幸いなるかな、人間には感覚というものがあり、これはときとして機械よりも正確に状態を判断する事ができる。その場にいた学生はどう思ったのか。どう感じたのか。講師本人が反省の弁を述べているかどうかは関係ない。受講した学生、つまり抗議を行った学生だけでなくこの講師の講義を受けたすべての学生に聞き取り調査をして、彼らの大半が明確な差別の存在を感じ取ったのであれば、この講師はただちにクビにすべきだろう。逆に大半の学生が差別を感じ取れなかったというのなら、疑わしきは罰せずである。

 大学として謝罪はするが、講義はこれまで通り続けさせる。大人がそういう姿勢を示すから、若い世代はややこしさを感じるのではないか。大学は社会的に大きな影響力を持つ。毅然とした態度で明解な回答をすべきだったと思う次第。


 先般硝酸アンモニウムが大爆発を起こし、内閣が引責して総辞職したレバノンであるが、大統領から新首相に指名された元駐ドイツ大使のムスタファ・アディブ氏が26日、首相就任を辞退し、組閣を断念すると表明した。

 レバノンに関しては旧宗主国のフランスが国際的な支援のとりまとめを主導し、9月中旬までに内閣を発足させるよう求めていた。レバノン国内の各政治勢力もそれを約束していたのだが、暗礁に乗り上げた形である。

 時事通信の報道では、どうもイスラム教シーア派勢力のヒズボラが財務相のポストを強硬に要求した事が原因のようだ。ヒズボラは政党であるが、独自の軍事組織を保有しており、イスラエルに攻撃を加えたりしている。その背後で支援しているのはイランである。有り体に言ってしまえば、いまのレバノンはイランに乗っ取られる寸前にあると言って良い。

 しかしだからといって、ヒズボラをいまレバノンの政界から排除できるのかと言えば、誰もそんな力は持っていない。レバノンでは政治と宗教が密接に絡み合っており、キリスト教とイスラム教の合計18宗派が権力を分割している。そしてそれぞれの宗派が同盟を組んだり協力関係にあったりする。よってシーア派のヒズボラだけ排除すればおしまいなんて話にはならないのだ。極めて複雑で難解な政治体制を敷いている。結果、当然の如く柔軟性に欠け、非常時には身動きがとれない。それ故の今回の組閣断念なのだろう。

 レバノンが国家の体を為さなくなれば、中東情勢はまたドミノ倒しのように動くかも知れない。イスラエルは指をくわえて傍観してはいないだろうし、そうなればシリアも、そしてその背後にいるイランも動くだろう。もちろんアメリカもロシアも動く。第三次世界大戦が始まるかどうかは知らないが、かなりヤバい事になる可能性はある。すべてはフランスの支援次第なのかも。


 ネタ数は少ないが、本日はこんなところで。はあ、ため息ばかり出てしまう。

 昨日はまったく書けなかった。やれやれである。今日は書けるだろうか。何とか書けるといいな。

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