第297話 2020/8/6 核兵器とか

 本日は6時半起き。晴天。体調は良い。これくらいの時間に毎日起きられればな。規則正しい生活に憧れる。不規則な生活には何のメリットもない。わかってはいるのだ。だが、わかっちゃいるけどやめられない。何とかしないと。


 ニコラエ・チャウシェスクはルーマニアの初代大統領にして独裁者、そして1989年のルーマニア革命で権力の座を追われ、処刑された。これくらいは同時代を生きた者としては常識的に持っていて当然の情報であるが、実際には忘れてしまっている。随分頭をひねったのだが、チャウシェスクの名前すら出て来なかった。31年前の記憶ですらこうなのだ。自分が生まれる遙か以前の75年前ともなれば、曖昧な情報を漠然と思い出すだけにとどまってしまう。

 さて今年もやって来た8月6日、広島原爆忌である。3日後の長崎原爆忌と合わせて、この時期日本は核兵器廃絶の祈りに包まれる。

 言うまでもなく、核兵器廃絶は正しい方向性であり、それに異論のある者は滅多にいないだろう。「世界は核兵器に満ちるべきである!」なんて、フィクションに登場するマッドサイエンティストでもそうそう言わない。核兵器であれ原子力発電所であれ、ないならないで、それに越した事はないのだ。ただそれは理想論である。理想なくして現実は変化しないが、理想だけでは現実は変わらない。

 核兵器にまつわる日本の喫緊の課題と言えば北朝鮮である。ついこの間北朝鮮の金正恩委員長は、朝鮮半島の非核化を否定した。もちろんこれはアメリカを横目で見つつの発言であり、核兵器を交渉カードとしてフル活用しているだけの話という見方もある。しかし、北朝鮮がどんな種類の核兵器をどれだけの量保有しているのかは不明だが、いざ有事となれば、そのうちの何割かは日本に向けてミサイルで飛ばされる可能性もある。否定する根拠などどこにもない。

 それを防ぐにはどうするか。一部の方々は「外交努力」で解消しろと主張するが、具体的に何をすれば北朝鮮が核兵器を手放すのかを説明出来る者はいない。「アメリカが先に核を手放せば北朝鮮も手放すに違いない」とか言うのなら、まずおまえがアメリカを説得して見せろ。そんな事が可能かどうか、考えなくても理解できるはずである。

 と言うか、結論を言ってしまえば、アメリカが核を手放しても北朝鮮は非核化などしない。何故なら世界から核兵器が消え去り、北朝鮮だけが核を持っている状態になれば、それは北朝鮮の勝利だからだ。

 権力者は臆病なものだ。誰しも手にした権力を失う事を怖れる。特に権力を失えば自分の命まで失う事になる国の権力者はそういうものだ。北朝鮮はルーマニアのチャウシェスク政権の最期を知っている。どれほど恐怖政治を行って国民を力尽くで抑え付けようと、数は国民の方が多いのだ、彼らが怒り狂えば共産党独裁体制は崩壊し、権力者は処刑される。

 あるいは、欧米の圧力に負けて核開発を停止したリビアのカダフィ大佐の最期を思い起こすのかも知れない。どちらにせよ北朝鮮の政権は国民に対して「強国」であるとアピールし続けなければならない。現在の苦境は北朝鮮の強さを怖れる外国の陰謀によるものであり、必ずや最終的には北朝鮮が勝利するのだと言い続けなければならない。さもなくば自分たちが抹殺されてしまうのだから。

 かつての大日本帝国ならば、ここで米英に向けて宣戦を布告してみせるのだろうが、さしもの北朝鮮もそこまで愚かではあるまい。それは自殺行為以外の何物でもないと理解しているはずだ。しかし戦争をしないから日本にミサイルが飛んでこない、などというのは脳みその中にお花畑が満開になっている皆さんならではの発想である。ミサイルを一度撃ち込めば、二度目があるぞという警告となる。つまり外交カードとして使えるのだ。事実2010年に北朝鮮が行った韓国の延坪島に対する砲撃は、北朝鮮の定番の脅し文句としていまも使われている。同じ事を日本に対して行わないと思う方がおかしい。

 結局、北朝鮮の核を現実的に無効化するには、相手が核を使う前に基地を先制攻撃するか、さもなくば日本が核兵器を保有するかの二択しかない。「酒でも飲んで腹を割って話し合う」などという選択肢は最初からどこにも存在しないのだ。原爆忌に核武装論について書くなど不謹慎極まりないと思われるかも知れないが、それが我々を取り巻く現実である。いまこそ議論すべきではないかと思う次第。


 アウディと言えばドイツ三大高級車メーカーの一角である。と言っても、正直メルセデス・ベンツやBMWよりは一段落ちるというイメージだが。そのアウディが新型車RS4の広告について謝罪した。広告に使われた写真では、停車した赤いRS4のフロントグリルの前に、アニマル柄のスカートを履いた白人の少女がバナナを咥えてもたれている。これについたキャッチコピーは、「あなたの胸をさらに高鳴らそう。あらゆる側面で」。さて、この広告の何が問題かわかるだろうか。

 そう、車の赤は日の丸の赤である。その前面に白人少女が立ち、口には黄色いバナナ。黄色は黄色人種を指す。アニマル柄は野蛮の象徴。つまり白人社会が野蛮な日本人を支配してやるという差別的なメッセージなんだよ! な、なんだってー!

 というのは冗談と言うか、無理なこじつけである事は誰にでも理解できると思うのだが、このレベルのクレームをアウディに寄せた人々がいるらしい。BBCの報道によれば、以下の通り。

「あなたの胸をさらに高鳴らそう。あらゆる側面で、だって? 口にバナナをくわえた子どもと派手な車を使った画像こそ、あらゆる側面で相当間違ってる」

「幼い女の子が男性器の象徴を持っているなんて。意図は明確だ。かなりね」

「全部みてみよう。赤=エロチシズム、スポーツカー=性的能力の代替、動物柄のミニスカート=性的魅力、バナナ=男性器の象徴。なのに、全部偶然だって言うのか」

 凄いな。よくこんな事が思いつくものである。年がら年中エロい事ばかり考えてなければ普通は思いつかないだろう。エロ発想のスペシャリストかと言いたい。そもそも、この世に存在するあらゆる物は、みんな何かの象徴である。何の象徴的意味も持たない物などない。こんなクレームで叩く事が許されるのなら、写真も映画も絵画も漫画もアニメーションもこの世に存在できない。

 しかもこうやって叩く者たちは、「これは間違っている!」と騒ぐくせに「だからこうすべきだ!」とは言わない。誰にも叩かれない、誰にもクレームを入れられない、全方位に気を遣った、それでいて商品の売れる広告を作ってみればいいのだ。そうすれば八方丸く収まると思うのだが。

 こんなくだらん事で謝罪させられるというのは、個人の声が無闇に大きくなりすぎたネット社会の弊害であるな。虫けらもせいぜい気をつけるとしよう。


 昨年、香港では大規模デモが繰り返された。その指導的立場にあったメンバーの一人で、Twitter界隈では日本でも有名な周庭(アグネス・チョウ)氏の裁判が5日行われ、昨年6月のデモに関して有罪判決が出た。量刑は12月に言い渡される模様。

 この裁判は多分に見せしめ的な意味合いがある。量刑は重くなるかも知れない。周庭氏はメディアに対し、「国家安全維持法(国安法)の脅威の下、香港人は自らの信念を持ち続けると信じている。罪を認めたとしても抵抗は続けていく」(時事通信)と話したそうだが、非常に厳しい未来が待っている事はわかっているはずだ。その恐怖は如何ばかりか。


 アメリカ政府は4日、アザー厚生長官が台湾を訪問すると発表した。CNNの報道によれば、「アザー氏は台湾政府の高官や新型コロナウイルス感染対策の専門家らと会談し、トランプ米大統領に代わって新型ウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)への対応や米台間の連携、世界に医療機器や技術を供給する台湾の役割などについて話し合う」との事である。

 これ、日本が先鞭を付けられた話だろう。まずアメリカが動いてくれなければ日本が動けないというのは、ちょっと情けない。この期に及んで、どんだけ中国に気を遣うのか。いい加減、しゃんとして欲しいところ。


 本日はこんなところで。

 昨日は『魔獣奉賛士』が500文字ほど書けた。それだけ。でもまあ、何も書けないよりは随分マシである。今日は果たしてどうなるだろうか。何とかできる範囲で頑張ろう。

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