第217話 2020/5/18 三国志とか

 本日は6時半起き。季節が夏に向かうと早起きになるのだろうか。睡眠導入剤を飲んでから実際に眠りにつくまでの時間も、短くなっている気がする。

 それにしても最近物忘れが酷い。昨日は『ペローシス』という単語を忘れて四苦八苦したし、今日は今日とてデカルトの名前が思い出せずにあちこちひっくり返した。こんな事ばかりに時間を取られていては生産性が下がるしかない。年齢もあるし仕方ないとも思うのだが、何とかならんものかな、これ。


 ネットを徘徊していると、三国志にやたら詳しい人が沢山いる事に驚く。虫けらはまるで知らないのでちんぷんかんぷんだ。もちろん知らないと言っても、蜀の劉備、関羽、張飛、諸葛亮、魏の曹操に呉の孫権くらいは知っている。「桃園の誓い」とか「天下三分の計」、「泣いて馬謖を斬る」や「死せる孔明、生ける仲達を走らす」も知っている。でもせいぜいその程度だ。

 小説では吉川英治氏の三国志を最初の方だけ読んだが、文章が難しすぎて挫折した。コーエーのスーパーファミコンのゲームはやった記憶があるものの、何人かの武将の名前が記憶の片隅にあるだけで、出来事はほとんど覚えていない。たとえば「赤壁の戦い」は有名なので聞き覚えはあるが、誰が何をしたかなどまるで知らないのだ。船が沢山燃えた程度の知識である。

 三国志の時代は紀元3世紀くらいの中国であるが、この時代を現代日本人が愛するのは、ひとえに16世紀頃の明で書かれたとされる小説『三国志演義』の影響であろう。ここを入り口にさかのぼって、12世紀に書かれたとされる歴史書『三国志』を学んだ人も多いのではないだろうか。

 物語としての三国志の何が面白いのかと言えば、やはりキャラクターがそれぞれ立っている事だろう。そして三すくみの状況という設定(史実だが)も物語に奥行きを持たせているのではないか。中国の歴史には「項羽と劉邦」(四面楚歌でお馴染み)のような二大英雄の激突の物語もあるのだが、実際のところ日本ではあまり好まれていない。やはり天下三分の計はインパクトがあるのだ。

 そう考えると、現代の世界に三国志マニアが満足するような状況はあまりない。強いていえばイエメンか。現状の暫定政府とフーシ派、そして南部暫定評議会の三つ巴の戦いが続けば、三国志的展開もあるやも知れない。もっともいまは権謀術数で戦いに勝利する時代ではないからな。背後の支援国からの軍事援助による物量が戦況を左右する。見ていてあまり面白いものではない。

 そしてもう1つの例として、アフガニスタンがある。従来アフガニスタンでは、アメリカの軍事力を背景とした政府と、反政府武装勢力タリバンとの二極対立があり、そこに小規模なイスラム国(IS)が絡むという図式であったのだが、政府には内部対立が潜在していた。それが一気に顕在化したのが前回の大統領選挙である。

 選挙結果は現職のガニ氏が辛勝した事になっているものの、次点のアブドラ氏がそれを認めていなかった。アブドラ氏は独自に、つまり勝手に勝利宣言をし、地方の役人を任命したりしていた。だがそれを禁止する事も罰する事も、ガニ大統領にはできなかった。事実上、二重国家となってしまったのだ。

 しかしそれはさすがにマズいと双方が思ったのだろう、ガニ大統領とアブドラ氏は17日、権力を分割する合意に署名した。この合意によってアブドラ氏の率いるグループは内閣の半分を約束され、ある程度の州知事ポストも獲得する事になった。日本的な感覚で良いように言えば大連立であるが、実質「天下二分の計」である。ちなみにタリバンとの和平交渉は、国家和解高等評議会の議長に就任するアブドラ氏が任される事になるそうだ。

 今後のアフガニスタンは、アメリカ軍の撤退により、二大勢力が並立する政府とタリバンによる三つ巴の勢力争いに巻き込まれるだろう。そこに全方位と敵対するISが絡む図式になりそうだ。大変に不謹慎だが、かなり面白くなる可能性がある。三国志が大好きという方々は、アフガニスタンに注目しておいた方が良いかも知れない。


 ここ最近ギャースカと大騒ぎだった検察庁法の改正は、今国会では見送られる事になった模様。何でいまこのタイミングなんだ、という意味では虫けらも反対であるが、これを否定できるだけの正確な情報は頭に入っていない。安倍首相を人間として信頼できないという意見には同意するものの、それと「アベなら法律をこう悪用するはずだ!」という見解に同調するかはまったく別の話である。

「いまの状況はナチスが台頭する直前のドイツにそっくり! だから危険!」みたいな意見も散見されるが、いまの日本にナチスになれるほど熱狂的に支持される政党が存在するとは思えない。安倍政権の支持率が40%ある事に不審を抱く声もある。しかしアメリカのトランプ政権だって40%くらいの支持率はある。ブラジルのボルソナロ政権だってあったはずだ。それは政権としては一般的な普通の数字だ。そんな普通の数字から陰謀論を逞しくしている人を見ると、頭が痛い。

 何が何でも安倍政権は独裁政権であってくれなくては困る人がいるのかも知れないが、正直それには賛成しかねる。「独裁政権と同じような事をやっている部分がある」というなら理解できるし、それはそれで不健全だと思う。政府には改善してもらいたい。だが独裁政権である事を前提条件とされてしまうと、話を聞く気にもならない。自分たちは独裁に立ち向かう自由の闘士だと思いたい気持ちも理解できなくはないものの、それは単なるヒーロー願望だ。政権を批判するのは自由だが、悪者扱いするだけなら意味がない。

 政権が良くない事をしていると思うのなら、声を上げるべきである。しかしそのときに正義を持ち出せば話は混乱する。正義は一つではなく、正義にこだわれば宗教戦争にしかならない。こだわるべきは正義ではなく正解である。

 いまは検察庁法の改正より新型コロナ対策を優先すべきである。それはおそらく正解だからだ。検察庁法の改正それ自体も正解であるというのなら、別の機会に時間を取って審議すれば良い。だが安倍政権のあらゆる法改正はすべて悪であるという前提に立たれてしまったら、話にも何にもならない。

 繰り返すが安倍首相を信頼出来ないというのは理解できる。それは虫けら個人の中では、おそらく正解だ。しかし、だから安倍政権を悪者扱いするのが正義だと言われると、それは自分が正義の側に立ちたいだけじゃないの? と思えてならないのだ。

 虫けらは水道の民営化には明確に反対だ。種苗法の改正については正しい情報を得ていないが、感覚的にヤバいところに手を出している気がするので賛成はできない。だがマイナンバーカードは申請がはじまってすぐに作ったし、もっといろんな方面に活用されるよう願っている。安倍政権のやった事がすべて悪であるなどとは考えられない。それはそれ、これはこれ、是々非々で考えるべきだと思うのだがな。


 独裁政治の本場といえば中国だが、22日から開催される中国全国人民代表大会を前に、彼の国ではメディアの取材を大幅に制限し、政府に批判的な学者やジャーナリストを拘束しているそうだ。

 やっぱり独裁政治というのはこうでなくてはな。日本で起きているのは政治の私物化であって独裁ではない。それはそれで改善されねばならん事だが、何でもかんでも一緒くたにするのはお勧めできないと思うところ。


 ついでにもう一つ。17日、イスラエルではようやく新政権が発足した。ネタニヤフ首相は通算5期目となる。これでもネタニヤフ氏は独裁者ではないからな。強権的ではあるが。


 今日はこんなところで。ちょっと文章がダラダラしているかも知れない。時間的余裕の弊害である。まあ仕方ない。

 昨日もミステリー中心の一日。でもそろそろ『魔獣奉賛士』も頑張らないとな。頭を切り替えないと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る