第187話 2020/4/18 疑心暗鬼とか

 本日は5時半起き。昨日は10時過ぎには寝たので、その分早起きできたのだろう。体調はまあまあだが、まだちょっと違和感がある。なかなかスッキリ治ってくれないものだ。外は雨。関東では警報レベルの大荒れの天候だという。何も起きなければ良いのだが。ウイルスは花粉とは違って、雨で洗い流されてくれる訳ではない。それでも、外に出る人が減るのは良い事かも知れない。


 日本の隣国、中華人民共和国は歴史の長い国で――中共の歴史が長い訳ではないが――時間的スケールが大きい。この国で古典と言ったら紀元前の作品である。ことに知られているのが『子』のつく本。老子、荘子、孟子、荀子、韓非子、墨子、列子、孫子などである。ご存じだろうが、『子』とは先生とか師匠とかいう意味になる。道教の老子・荘氏、兵法書の孫子など多彩であり、虫けらも若い頃はイロイロ目を通したものである。読んだ、とは言わない。何も頭に残ってないからな。

 さて道家、つまり道教の宗教家が著した書物で、もっとも有名な老子や荘子ほどではないものの、高名と言って良い列子に以下のような説話が載っている。

「ある男が斧を紛失した。だがこれは誰かに盗まれたのではないか。そう思った男は隣家の息子が怪しいとにらむ。こうなるとその息子のやる事なす事、すべてが怪しく思えてくるのだ。ところがある日、男は谷底で斧を発見する。すると、あれほど怪しく思えていた隣家の息子が、さっぱり怪しく思えなくなってしまった」

 この説話に付いた注釈に、かの有名な言葉がある。「疑心暗鬼を生ず」。疑いの心を持てば、闇の中に居るはずのない鬼(幽霊)の姿を浮かばせてしまう、という意味で、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と似た傾向の言葉と言える。

 日本語においては「おに」と「へび」は同源の言葉であるという。どちらも暗闇の向こうにある恐怖だ。人は見通せない未来に恐怖を抱き、いるはずのない敵を想定する。それは誰しもが陥る落とし穴であり、その穴はどこにでも存在する。決して特殊な事態ではないのだ。

 現在新型コロナウイルスが蔓延し、我々は未来が見通せない。日々流れてくる大量の情報の、何が本当で何が嘘なのかがわからなくなり、人々は疑心を抱いている。ならば、そこには当然の反応として暗鬼が生じる。

 医療従事者やその家族に対し、各地で差別が広がっているという。保育園で子供を預かってもらえない、マンションに帰宅したら入るなと言われた、等々。言うまでもなく、この新型コロナウイルス流行という災禍において、医療従事者は我々の最後の砦である。彼らが居なければ、それ以外の我々はただ苦しみのたうち回って死ぬしかない。ならば医療従事者の安全と便利は、何をおいても優先されるべき事であろう。だがそんな当たり前の理屈が通じなくなっている相手もいる。ウイルスへの恐怖によって、暗闇の中に鬼が見えてしまっている者たちが。

 これは何とも厄介と言える。彼らとて医療従事者を守らねばならないという理屈は理解できるはずだ。しかし、それを恐怖が上回っている。上回らせている原因の一端はメディアの煽動的な報道にもあるが、最終的には個々人の中に浮かんだ暗鬼である。この形のない存在を打ち消さねば事態は解決しない。

 ならば解決には何が必要か。法律で縛るというのも一つの手ではあるが、根本解決にはならない。心の中の暗鬼を打ち払うには勇気が必要であり、その勇気を湧かせるのは、良心と正しい情報だ。そして正しい情報を広めるのに必要なのはメディアの中に居る人々の良心であるから、結局のところ人の良心だけが世の暗鬼を撃退できるのである。

 いまこそ日本人の良心に訴えかけ、勇気を奮い立たせる、そんなメッセージを政府は出すべきではないか。列子から1100年ほど後の時代の唐の歌人、杜甫の有名な歌がある。

国破山河在くにやぶれてさんがあり 城春草木深しろはるにしてそうもくふかし

 松尾芭蕉が『奥の細道』で引用したこの歌を、未来の日本人が現実の状況として体感しないとも限らない。国家は永遠に盤石なものではなく、終わるときには一瞬で、簡単に終わるかも知れないのだ。けれどそれは、現代の我々がほんの少しの、小さな勇気を持てば避けられる。この国を滅ぼしたくないのなら、明日も笑顔でいたいなら、目を曇らせる心の暗鬼を何とか打ち払っていただきたいところ。


 大阪府泉南市と言えば、関西空港を沖に置く自治体で、ふるさと納税で有名になった泉佐野市の南西に位置する。10日、その泉南市の市議会議員がFacebookに市内で新型コロナウイルスの感染者が出た事を書き込んだのだが、そこに次のような言葉があった。

「泉南市に接触者が何人かいるとしたら私ら高齢者は、泉南市迂闊に歩けません。感染者は、私ら高齢者に取っては殺人鬼に見えます」

 これが感染者に対する差別を助長するのではないかと問題になっている。本人は共同通信の取材に対し、「活発に出歩く若者に、高齢者を感染させる可能性があるという危機感を持ってほしかった」と釈明したそうだが、投稿は削除していないらしい。

 この市議も暗鬼に踊らされているのだろう。あまり利口な投稿とは思えないが、気持ちが理解できないでもない。高齢者は死亡率が高いからな、他人事とは思えなかったに違いない。とは言え、泉南市民の代表たる人物としては、いささか品格に欠ける言葉使いではないか。あまり馬鹿正直なのはよろしくないと考える次第。


 昨日の安倍首相の記者会見で、国民1人当たり10万円の一律給付が明言されたが、これについて高市早苗総務相は記者団に対し、

「『君子ひょう変す』ということばもあるが、真のリーダーは実行するぎりぎりまで熟慮し、必要な時は方向性を変えるものだ。安倍総理大臣の決断を高く評価する」

「これまで総務省の担当部署が30万円の現金給付の対象などについて、夜も寝ずに検討を進めてきたが、10万円の一律給付のほうが、補正予算案の提出が数日遅れたとしても、結果的にはシンプルに早く、多くの方々に現金が行き渡ると思う」(以上NHK)

 と述べたのだそうな。ものは言いようであるな。て言うか、10万円の一律給付の方が早いと思うという事は、30万円限定給付の案が出たときには、高市氏は反対したのだろうか。そんな話は寡聞にして知らないが。国民にとってどちらの方が良いと思っていたのだろうな。まあ、彼女にとってはどちらでも別に構わなかったのだろうけれど。


 最悪のシナリオなら12億人が感染、330万人が死亡。新型コロナウイルスの事ではあるが、この数字は世界中で、という訳ではない。アフリカ大陸だけでこの数字になると言う。もっとも最善のシナリオであれば、1億2280万人が感染して30万人が死亡という事になるそうだが。それでも物凄い数だな。

 アフリカで新型コロナの感染拡大が終わらないと、ヨーロッパでも感染が止まらない。難民を通じて新しい患者がドンドン流入するからだ。アメリカは当分EU圏からの入国を禁止し続けるかも知れない。日本はどうするのだろう。EUからの人の流れを断ったままでは、貿易も観光も厳しいのではないか。

 まあ新型コロナウイルスの撲滅などもう無理であろうから、最終的には感染者が移動する事を前提で入国を認める流れになるのだろうが、そこに行き着くまでに一悶着あるに違いない。それが首脳の罵り合いで済むのか、もっと厄介な事になるのかは、現段階では不明である。なるべくなら穏便に済ませてもらいたいのだが。


 本日はこんなところで。昨日今日と、どうも文章が上手くまとまらないのだが、まあ仕方ないか。今日はいまのところ風邪薬を飲んでいない。このまま落ち着いてくれれば良いのだけれど。

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