第127話 宣告、900年労働

 

 12月20日。


 ーーカチッ


 時刻は5時12分。


 親しみわくレトレシアの冬の早朝。

 冷たさにポルナレフしないよう気をつけながら俺は朝練をするためにトチクルイ荘中庭へ出た。


「クレアさん」


 縁側えんがわで足を止める。


「遅い、さっさと顔を洗ってきな」


 棘のように鋭い声。

 中庭で真剣を片手に待っていた老婆は険しい顔でそう告げた。


 俺はその顔の真剣さに彼女の意思を察し、言われるがまま、水桶に顔を突っ込み中庭へ戻った。


「構えな」

「……はい」


 狼姫刀を正眼に構えてクレアさんを捉える。


「これから敵をどれだけ効率よく殺せるかを追求した刃を教える。二度と力及ばず守れなかった、そんな戯言を吐けないように徹底的にあんたを叩き上げる。レザー流の狩人が悪魔なぞに遅れをとるなんて嘆かわしくて見てられないさね」


 クレアさんは鞘から剣を抜き放った。

 彼女が持っているのは魔力武器だ。

 実態が霞むような隠蔽魔法がかけられており、その内包する魔力のほどは知り得ない。


「私はあんたを、アーカムを殺す気でいく。死にたくなけりゃまずは5秒でも耐えてみなッ!」

「はい、お願いします……ッ!」


 俺とクレアさんの朝の殺し合い習慣が始まった。


 ー


 年末は王都中が騒がしくなる。

 超ビッグなイベントが立て続けに行われる事で、このローレシアにはたくさんの人と物が集まるゆえだ。


 探求と伝統のレトレシア魔術大学が開催する「最優秀決闘サークル決定レトレシア杯」は、そんな年末のお祭り週間の始まりを告げる開会式的な役割のイベントだ。


 レトレシア魔術大学に在籍し同時に決闘サークルに所属する生徒の多くが、優勝杯を掛けて一同にかいする極めて大きな魔法決闘大会。


 これほどの規模の国内の大会は7日後に行われるナケイスト魔法学校、レトレシア魔術大学が合同で開催する「魔法王決定トーナメント」以外には存在しないだろう。


 ーーカチッ


 時刻は7時58分。


「″うわぁ、朝から半端ない人の量だね″」

「これが噂に聞くレトレシア杯の朝か」


 俺とアーカムは屋根の上から魔術大学へつながる大通りを見下ろし感嘆の声をあげた。


 レトレシア杯の期間中、レトレシア区とその周辺の区は大変に混雑する。

 特に開会式の前の朝はその恐ろしい人口密度から「レトレシアの朝」と呼ばれているらしい。


「10時30分から開催するってのにローレシアの都民はみんな気が早いんだな。都会人はどの世界でも同じってわけか」

「″きっとみんなアーカムの事をみたいんだね!″」

「それは自惚れすぎだろうな」


 アーカムを背後に従えつつレトレシア区の屋上を駆けていく。


 しばらく走り、俺たちがやってきたのは貴族達が住まう金持ちの街、東第1区トゥマトンの貴族街だ。


 昨日のうちに住所を把握しておいた白亜の豪邸を見つけて、その家の玄関前にシュっと降り立つ。


 赤と黒色の学生ローブの乱れを直し、アーカムに髪型を最終チェックしてもらいながら左手袋をはめ直す。


 準備は万端だ。


 大きな扉に取り付けられたドアノックを握りリズムよく二度と扉に打ち付ける。


 しばらく待っていると「今、開ける」とだけ聞こえ、数秒後に扉が開かれた。


 中から出てきたのは白い髪を携えた美しい女性。

 黄金に輝く瞳は鋭く、凛として誇り高いたたたずまいをしている。


「チッ、モフ毛発情悪漢ではないか」

「お願いします、そのあだ名やめてください」


 俺の顔を見るなり機嫌悪く言った白い女性。

 俺はすかさず訂正を入れて頭を下げた。


「まぁいい。さっさと中に入れ。今日は我々も忙しいのだ。手早く済ませろ」

「はい、かしこまりました」


 白い女性はそう言い玄関を塞いでいた体をどかして奥へ通してくれた。


 黙って女性についていき一際大きな部屋に通された。


「ナイト様たちも忙しいってことは、もしやレトレシア杯をご観戦なされるのですか?」


 床の上で四肢をつき体をプルプルと振る女性に俺は話しかけた。

 白い女性はだんだんとその体をモコモコの毛玉に変えながら、こちらを愛らしい狼顔で睨みつけてくる。


「貴様が知る必要はない。さぁまずは私からだ。貴様が本当に使える奴なのか見せてもらおうか」


 先程まで白い美女だった人物は服を脱ぎ捨て、その体を完全なる大狼に変えてそう言った。


 体長4メートル、ポチとほぼ同サイズまで大きくなったナイト・シャンベルを正眼に見つめる。


「さぁかかってこい。毛並み発情悪漢の本領を見せてみろ」


 ナイトはそう言うと絨毯の上にゴロンと寝転がり、もこもこの白い毛で覆われたお腹を晒してきた。

 いくら最強生物の人狼といえどあまりにも無防備な姿勢だ。

 これならいつでもやれる。


「では、僭越せんえつながら行かせていただきます」


 俺はロープの内側のグリップをしっかり掴み「縮地しゅくち」でもって、ナイトとの間合いを一気に詰めた。


 もらった。

 音速の手さばきで懐から白銀の金属器を取り出す。

 そして俺はナイトの防御力無さそうなお腹に、思い切り手に握る凶器を突き立てた。


 そう……ブラシというなの凶器をね!


「よーしよしよしよし、お腹お腹お腹〜! ナイト様いいですよ〜おとなしくしててくださいね〜!」

「なぅなぅ……っ」


 夢中になって、もこもこの腹毛にスリッカーブラシを走らせていく。

 冬毛仕様のナイトのもふめふ力は圧巻の一言。

 流石は「狼王の牙」というべき毛の山を彼女は収穫させてくれた。


「なるほど、なかなか悪くはない腕前だ。毛並みに発情するだけある変態的なブラシさばきであったぞ」

「ナイト様、もうすこし言葉を選んでくださると、僕は大変嬉しゅうございます」


 狼のままでナイトは機嫌よく近くのソファに寝転んだ。


「これならば王より授かった宿罪の精算もなんとかなろう。まずはお嬢様と私、そしてアウルのブラッシング係を見事務め上げてみせよ」

「ははーっ!」


 ナイトはそれだけ言い残すと狼のまま脱ぎ捨てた服をくわえてどこかへ行ってしまった。


 2日前。

 俺が幻の場所「人狼の塔ヴォルフ・カテラノス」から帰ることが出来たのは、すべてが奇跡のような確率によって支えられた活路を引き当てたからだ。


 協会がうまく交渉してくれたおかげで、俺の罪は死刑以外の刑に置き換えられ、俺はこの命を拾った。


 死の代わりに提示された過酷な刑。


 それは今後900年間に渡って俺は人狼たちのブラッシング要請を無条件で引き受けなければいけないという天国……んっん、じゃなく、地獄のような労働だった。


 俺は人としての短い人生の中ひたすらにもふもふの毛玉たちをブラッシングし続けなければいけないのだ。

 なんたる地獄だ、やれやれ。

 本当にやれやれだ。

 俺はこの地獄に耐えられるのだろうか。

 自分を抑えて制御する自信はない。

 けれどやらなければいけない時言うのなら、やり遂げてみせようではないか。


「では、ソルティナ様、こちらへどうぞ」

「わぉわぉ〜」


 奥から現れた藍色と銀色のもっふ神を前に、俺は明鏡止水の境地にいたり、理性の鬼になる事を決意した。


 

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