第七章 竜学院の柴犬

第126話 それだけが取り柄


 ホークスレバァ医院。 


 そこはグレナー区にあるローレシアでも腕利きの名医の集う街の中央病院であり、外科手術、魔力由来の病気などに対抗する医術の要塞である。


 かつての遺跡を改装して医療機関として使ってるだけあって、外装も内装も趣深く、またこの病院の医院長アイザック先生がイケメンな事もあって、王都ではとても有名な病院だ。


「こっちだ、アーカム」


 前を行くアヴォンに続き、古風な石造廊下を歩いていく。

 学生ローブの内側から魔導懐中時計トール・デ・ビョーンを取り出す。


 ーーカチッ


 時刻は10時29分。


 廊下から見える窓の外は明るく寒く、いつもと全く変わらない。


 ただ俺にとってはあまりにも濃厚な時間の後たどり着いた朝だ。

 昨日の悲劇から丸一日経ったにも関わらず、未だにあの時の凄惨な光景が目の裏に焼き付いて離れない。


「ここだ」


 部屋の前で立ち止まったアヴォンは、一度俺の顔を見ると、扉を押しあけ、奥のベッドへ。


 白く清潔感あふれるそのシーツの上では、ひとりの少女が注ぎ込まれる日に照らされ眠りについていた。


「マリ・トチクルイの肉体は半身に重度のやけどを負っている。不自然な焼け方だ。過去の狩人の討伐資料から、悪魔の秘術によってお前の体に記憶された痛みを、そのまま移し替えられたのだと考えられる」

「知ってます。悪魔自身が説明してきましたから」

「そうか」


 窓辺に寄りかかったアヴォンは腕を組みそれっきり口を開かなくなった。

 俺は彼の気遣いに感謝しつつ、床に伏すマリのかたわらに寄った。

 ベッド端に腰を下ろし黒く炭化してしまった小さな手を握る。


「ポーション治療は?」


 マリの小さな手に視線を固定しつつ、アヴォンに尋ねる。


「ギルドで施した。だが、傷跡を見る限り効果的な治療法とは言えなかったようだ。副次的な内部ダメージは大きく緩和され一命は取り留めたが、それでも表皮の炭化だけはどうしても取り除く事が出来なかった」

「ですよね。だからここて眠ってるんでしょうから。意識は取り戻したんですか?」

「あぁ。昨晩、治療が行われ、ここに運びこまれたタイミングでマリ・トチクルイは意識を取り戻してる。ただ、前後の記憶にいくつかの欠如が見受けられた。何があったかはクレア先生の口から話してもらった」


 アヴォンは平坦な声でそう告げると、自身の懐から懐中時計を取り出した。


「もう時間だ。私は行く」

「はい、ありがとうございました」


 スタスタと一定の足取りで部屋を後にするアヴォン。


「あぁ、そうだ、アーカム」


 ふと扉の前で立ち止まり彼はこちらへ振り返った。


「マリ・トチクルイはお前のことを責めてはいなかったそうだ。クレア先生もきっと彼女の意思を尊重してくれるだろう」


 アヴォンは最後にそれだけを告げると、そそくさと部屋を出て行ってしまった。


「……ごめんな、マリ」


 眠る少女の頬に手を添えてゆっくりと細く白い首筋を指先でなぞる。

 胸元にまでに及ぶ黒い炭の火傷跡は俺のような人間はともかく、まだ11歳の幼い少女にはあまりにも過酷な傷だ。

 肉体的にも精神的にもその痛みの程は計り知れない。

 彼女のこれからの人生はきっとこの黒い半身によって大きく変えられてしまうことだろう。


 そう考えると俺は彼女に謝らずにはいられなかった。


「……アーカム」

「っ」


 ふと、聞こえた声。

 服をめくりマリの焼けた胸部に向けていた顔を上げる。


「ふっふふ……まったく、アーカムったら油断も隙もないんだから。えっちな男の子め」

「マリ……ッ、起きてたのか」


 はだけた服をサッと閉じてニカっと微笑むマリ。

 俺は込み上げる何かを堪え、笑みを作ってマリの炭の左手に頬を押し当てた。


「マリ、マリ、ごめんな、全部俺が悪かったんだ……ッ!」

「こらこら、この天才美少女たるマリさんを好きなのはわかったから、もう泣いちゃダメだよ、アーカム。さっきの男の人も言ってたでしょ、私はアーカムのこと責めてなんかないんだからね」


 気丈な振る舞いを見せる尊い少女の笑顔。

 緑の瞳がまっすぐに俺の顔を見つめてくる。


「アーカム、恐ろしい悪魔と戦ってくれてありがとう。私は嬉しいよ、アーカムが私の為にあんなに怒ってくれて」


 マリは落ち着いた雰囲気で薄く笑った。


「それに悪いことばかりじゃないもん。ねぇ見て、この左手。私って前からアーカムの左手ゴツゴツしててカッコいいと思ってたんだ。一緒になれて今はちょっと嬉しいんだ……それにパパとママとも繋がりを待てた気がするしね!」

「なんだそれ、ポジティブすぎるだろ……」

「えへへ、それが私の取り柄だからね!」


 元気よくそう言った彼女は、パッと掛け布団をめくりあげベッドから起き上がった。

 昨日の朝、死にかけたばかりだと言うのに、もう起き上がるなんて体に良いはずがない。


 俺は慌ててマリの小さな脇に手を差し込み布団の中にその小さな体を押し込んだ。


「バカかッ!? 安静にしてなきゃダメだろうが!」

「大丈夫だもん! もうどこも痛くないし何なら気分は絶好調だぁー!」


 再び布団を放り出し、今度はベッドの反対側に降り立つマリ。

 ぴょんぴょんと跳ねて元気アピールをしてくる。


「こらこら、頼むから、安静にしてくれよ、俺はお前が心配なんだ、頼む、頼むからさ……!」

「ふふん、心配されるほどこのマリ・トチクルイはやわじゃないぜ、キランっ! なんたって私は悪魔と戦って生き残ったんだからなんだぜ、キランっ!」


 怪しい文法でキメ顔するマリは俺の話など聞かず、ついには病衣を脱ぎ出してしまった。


「ちょ、おま、なにしてんだよ!?」


 咄嗟に顔を背けて背後のマリに問いかける。


「帰えるから着替えてるんだよ、見てわからないかなー?」

「いや、わかるかい! そんなのダメだろ、頼むから寝ててくれよ」

「もう、アーカムは分からず屋だなぁ。私のことは私が一番わかってるし、今はこんなところで寝てる場合じゃないじゃん。私は行かなきゃ行けないんだよ」


 着替え終わったマリが背後から回り込むように俺の視界に入ってきた。

 その身にはしっかりとレトレシア魔術大学のローブを纏っている。


「私はあんまり盤外戦術ばんがいせんじゅつとか好きじゃないなぁ〜」

「は? なんのこと、だ?」


 目の前のチミっ子が何言ってるかわからず困惑。


「ふふ、わかってるんだからね。私をここで眠らせておこうとする理由。アーカムが強力すぎるライバルの私に出場して欲しくない気持ちは嫌と言うほどわかるけど、私は正々堂々と闘ってほしいんだよ」


 マリはばちこんウィンクをかましてローブを翻した。

 そして窓の外、遠くに見える魔術大学校舎を指差し大きく口を開いた。

 何か心臓に悪いこと言い出しそうだ。


「さぁ行こうよ、アーカム。私たちのレトレシア杯へ!」

「……え、まさか君、出場する気?」


 俺は病室を出ようとするマリを全力でベッドに抑えつけるのであった。

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