第88話 怪物狩りにいこうよ

 


 7月某日。


 ローレシア魔法王国王都ローレシア。

 西第2区、通称ナケイスト区。


 この区画にある魔法王国の知識の集積されし建物。


 ローレシア王立大図書館には現在怪しい2人組がいる。

 ひとりは真っ黒分厚いレザーコートに身を包んで2本の剣を携えた銀髪オールバックの男。

 丸メガネの奥には青色の瞳が鋭く輝いている。


 そしてもうひとりは同じく黒色の分厚いコートに身を包んだ2本の剣を携えたイケメンハンサム将来有望エリート男ーー。


 そう俺です。

 アーカム・アルドレアです。


「それでは、明日、6時にいつもの屋根上に来い」


 アヴォンは自身の懐中時計を確認しながら言った。


 それに対し俺はワクワクの止まらない内心とは裏腹の不敵な微笑みだけを返答として返した。


 明日は特別な日になる。

 この俺、狩人助手アーカム・アルドレアの誕生日といっても過言ではない。

 もう緊張してきた。

 遠足前の小学生に戻った気分だ。


 きっと本来の予定よりも前倒しになっている事も、俺の気持ちの高まりに拍車をかけている。


 さぁ、今こそ始めようじゃないか!

 怪物退治というものをね!


 ー


 翌日。


 早朝からアヴォンと待ち合わせしているので、俺は普段よりも早起きして朝練をしていた。


「それじゃ、行ってくるなポチ」

「わぉわぉ」


 もふもふ神ポチに抱きつき、その素晴らしき毛並みから元素モッフニウムを摂取する。


「んぅ〜可愛い〜よしよし」

「わぉ、わぉ……♡」


 流石はもふもふ神様。

 その身に宿すモッフニウム量が半端じゃない。


「うりゅうりゅうりゅぅう!」

「わぉ、ぉっ、わぉぉ……」


 なんでいつもより早起きしているにも関わらずポチがいるのかは気になるが、そんな事がどうでも良くなるくらい至福の時間だ。


 どこかで毛並みでも整えて来ているのか、ポチはいつモフっても最高級の毛並みをしているのだ。

 本当に流石です、もふもふ神様。


 今度ブラシを買ってきて俺がブラッシングしてあげても良いかもしれないな。


「んぅ〜よし!」

「わぉぉ」


 十分にモッフニウムは補給した。


「それじゃなポチ。今日は念願の『怪物』を倒しに行ってくるから武運を祈っててくれよ」


 ポチのたてがみから顔を離して、頭を撫でる。

 ついでに耳もぐしゅぐしゅして耳毛も愛でる。


「わぁ!? わぉわぉ」


 ポチが黄金の瞳を見開いて鼻をこすりつけてきた。


 ダメです、可愛すぎます。可愛い、可愛いよ。

 なんで、こんな大きいの愛らしいだよ。


 いかんな。

 このままでは「アンパンファミリ」屋根上の集合に遅れてしまう。


 俺は止まりたい気持ちを必死に振り払い、ポチに背を向けて部屋へ戻った。


 ー


 部屋で準備を済まして戻ってくると、またしてもあの愛らしい鳴き声が聞こえてきた。


「わぉ〜」

「お前、まだいたのか!」


 案の定、ポチである。


 ポチは寂しそうに鳴きながら縁側を超えて棟内に入って来た。

 デカすぎて通路はもふもふに完全制圧されているが、なんか埃とかよく取れそうだ。


「わぉわぉ」

「わかったから、よしよし」


 すがりついてくる身長が同じくらいの巨犬を抱きしめるように抱擁。


 一旦どうしたんだろ?

 いつもならドッグフードを一口で平らげ、俺の朝練を見て帰っていくと言うのに。


 今日はやけに人懐っこい。

 離れたくない気持ちを伝えてきてるのかな?


「ほら、もう本当に遅れちゃうから。ごめんな」


 離れようとしても迫ってくるポチに背を向けて玄関へ急ぐ。


「わぉ……」


 耳を塞ぎながら必死にポチから離れる。

 振り返ってはダメだ。


「わぉお!」


 チラリと後ろを振り返ってみれば、ポチは綺麗に前足を揃えておすわりし、凛々しい顔をこちらに向けて来ていた。


 なんてカッコイイんだ。

 大きな体して普段は甘えん坊のくせに、あんなに凛々しく勇ましい佇まいも出来るなんて。


 ふと、俺は彼の佇まいに妙な既視感を感じた。

 この凛々しさ。どこかで見たことある気がする。


「お前ってなんか……」


 真っ直ぐに俺を見つめてくる金色の瞳は揺れ、そこに確かな感情を俺は感じた。

 まるで人間とでも目を合わせているかのようだ。


「いや、そんなわけないか。考えすぎだな」


 ちょっと似てると思っただけだ。

 まさか吸血鬼に狼に変身する力があるんけもないしな。


「それじゃ、行って来ます」


 おすわりして真っ直ぐ俺を見つめてくるポチに敬礼する。


「わぉ!」


 ポチも前足を器用に動かして俺のマネをしてくる。

 見事な敬礼だ。


 うちのポチ、流石に賢すぎじゃありませんか。


 世にも珍しい犬の敬礼を背中に受けて、トチクルイ荘を出発した。


 ー


「来たか」

「はい、ただいま」


 時間通りにアヴォンとの待ち合わせ場所、家族向けレストラン「アンパンファミリ」屋根上に到着。


「うーん、やはり大きいな」


 アヴォンは俺の姿を上から下までじっくり眺めながら口を開いた。

 十中八九、俺の着る装束のことだろう、


「やっぱちょっと大きいですかね」

「あぁ、大きい」


 そりゃそうだ。

 大人用だもん。

 来年にはもう少しマシになっているはず、と祈りながらこれを着ていくしかないんだ。


「まぁいい。それではいくぞ」

「はい!」


 アヴォンはひとつ頷いて、背を向けて走り出した。

 彼の背中が小さくならないように「剣圧」で脚力を強化し後を追う。



 アヴォンに続いて屋根を走ること数分。

 俺たちは王都の最外壁を抜けて、南第4区まで出てきた。


「ここからは馬を使う」


 アヴォンはそう言って路地に降り立ち、懐から2つの小さなスクロールを取り出した。


 テニールハウスで師匠がチョコちゃんを召喚する際に使っていたものと同型と思われる。


 ただ、かなりサイズは小さいようだ。

 版用紙サイズあった師匠のスクロールに対して、アヴォンのそれはティッシュ程のサイズしかない。


「召喚、ですか?」


 滅多にお目にかかれないスクロールを見て興奮を隠せない。


「そうだ。協会本部からグランドウーマを呼び出す」

「師匠のチョコちゃんと同じやつですか?」

「ん? お前チョコちゃんを知っているのか。ということは、あの馬まだ生きてたんだな……まぁいい。少し下がっていろ」


 指示にしたがって地面に置かれたスクロールから数メートル距離を取る。


 アヴォンはスクロールの上に手をかざして何やら集中しはじめた。


 おそらく暗唱をしているんだろ。

 あのサイズの魔法陣では魔術式の全てを書き込むのは常識的に不可能だ。


 あのスクロールにはあらかじめ未完成の魔術式が魔法陣として文字起こしされて描かれているはず。

 ともすれば発動の際には足りない分を術者の詠唱なり暗唱で補完する事が必要なんだろ。多分。きっと。


「≪召喚しょうかん≫」


 アヴォンは静かに呟いた。


 誰が見出したかわからない声の力が現象を誘発する。

 するとどうだ。

 スクロールの上に突然バチバチと音を鳴らす雷の塊が現れるではないか。


 閃光に目を奪われているとアヴォンが俺の傍まで下がって来た。

 スクロール上で、電気の塊はスパークを起こしながら次第に大きくなっていき、まばゆい光が路地裏を覆い隠していく。


 ーーバジンッ


 電気の塊がある程度大きくなると、今度は落雷のように地面へ落下、あたりに破裂音が響いた。


「おぉこれは!」


 瞬き数回、落雷のせいで舞った土ぼこりが晴れると、なんとも不思議な光景が広がっているではないか。

 立派な馬が二頭、路地裏に現れたのだ。


 ずっしり構えた四肢、堂々のたてがみ。

 懐かしきグランドウーマだ。

 見事な艶のある濃い茶色の毛並みは美しく、よくブラッシングされている事が職人の目にはわかる。


「師匠の使ってた魔法より派手ですね」

「師匠が使ったのは古いスクロールだろう。我々の魔法技術は日々進化しているということだ」


 アヴォンはそう言いながら出てきた馬の手綱を引いて俺の下まで戻ってきた。

 近くで見ると召喚されたグランドウーマが目測より大きいことがわかる。


 チョコちゃんよりも2回りくらい大きいんじゃないかな。


「黒くて、すごく大きいですね」

「グランドウーマもまた日々進化しているという事だ。現代の協会が管理するグランドウーマは、師匠のチョコちゃんの世代の馬たちとは比べ物にならない性能を持っている」


 アヴォンは不敵に笑いながら自慢げに語る。


 もしやこれは品種改良ってやつだろうか。

 狩人協会はかなり高い科学力を保持しているみたいだな。


「いくぞ、そっちの馬に乗れ」

「あ、ちょっと待ってください」


 馬に飛び乗るアヴォンへ待ったをかける。


「どうした?」


 訝しげな視線を向けてくるアヴォン。


「あの……どうやって馬乗るんですか?」

「……なに?」


 俺は馬の乗り方を知らなかった。


 ー


 アヴォンに貸してもらったグランドウーマにまたがり草原を駆け抜ける。


「おっほほ! 楽しい!」

「ふん、筋がいい」


 ぎこちない手綱操作にも関わらず、俺のグランドウーマは俺の意思を尊重して走ってくれる。

 これはシヴァにも引けを取らない自動運転っぷりだ。


「いけ、ゴーゴーミルクちゃん!」

「勝手に名前をつけるな。この馬たちはみんなのグランドウーマだ」


 調子に乗って名前を叫んでみたが、案の定お叱りを受ける。


 みんなのグランドウーマってことは、名前はつけちゃダメなのか。


 師匠だって名前つけてたのにな。

 頑張ったら自分専用の子を一頭貰えるとかかな?

 俺も早く自分のグランドウーマが欲しいくなってきた。


「はっ! 行け、ミントちゃん」


 アヴォンは馬の脇腹を蹴って加速させる。


「……アヴォン名前つけてんじゃん……俺たちもいこうぜミルクちゃん」

「ヒィィン」


 ふてくされながら気まぐれな兄弟子を追う。


 ー


 ーーカチッ


 アヴォンが懐から時計を取り出し時間を確認。


「うむ、予定通りだな」

「もう関所ですか」


 グランドウーマで王都を出発してわずか。

 俺たちは関所に到着した。


 いくらなんでも早すぎる。

 あれ、もしやグランドウーマって半端ない系?


「アーカム、狩人になった時のために関所の通り方などはよく覚えておけ」


 アヴォンは帽子を深く被って目配せしてくる。

 俺は懐から忘却のペストマスクを取り出し素早く装着した。


 多くの場合、狩人は素顔を隠すことが良いとされている。

 協会本部ではほとんどの狩人たちは目元以外隠すマスクなり、訳の分からない仮面を付けている奴が多いんだとか。


 アヴォンは少数派であまり素顔を隠すことに拘らないタイプらしい。

 自分で言ってた。

 素顔を隠すのが面倒なんだとか。

 ゆえにアヴォンは帽子を被っているだけなのだ。


 そうこうしていると関所が近づいて来た。

 アヴォンは胸元から何を取り出そうとしている。


「あ、こんにちは、どうぞ!」

「ぁ」


 だが、関所の兵士はアヴォンの顔を一目見ると気前よく挨拶し素早く道を開けてくれた。


「どうも」


 俺たちは兵士に軽く手を挙げて関所を通り抜ける。

 入っていくのは併設されている要塞駐屯地の中だ。


「顔パスでしたね」


 帽子を深く被りかぶり直しているアヴォンに嬉々として話しかける。


「ここの関所はダメだな。もう顔を覚えられてる」


 アヴォンは気恥ずかしそうに呟いた。

 本来は俺に狩人が関所通る際の手順を見せたかったんだろう。


「まぁあれも関所を通過する際の一例だ。覚えておけ」

「はは、はい、わかりました。初めての場所とかだったら、どうやるんですか?」

「これを使う」


 アヴォンは「待ってました!」と言わんばかりに胸元から銀色に輝くペンダントを取り出した。

 いや、これはペンダントと言うよりメダルだろうか。

 円形に加工された銀色金属のメダルを銀のチェーンで繋いでるようだ。


「これは?」


 アヴォンに提示された銀色に輝く美しいメダルを見ながら質問する。


「『人間のコイン』と呼ばれる狩人の証だ」

「人間のコイン、ですか」


 かつてテニールハウスで師匠もそんな事を言っていた気がする。

 なるほど、これが噂に聞く狩人の証か。


 というか、これメダルじゃなくてコインだったのか。


「これを見せれば協会の手が入っている大体の関所を、荷物検査などの手続き無しで通過する事ができる」

「おぉ、それはすごいですね」

「ふぅん、そうだろ?」


 アヴォンはチェーンを持ってくるくると人間のコインを回しながら自慢げな表情だ。


 それ大事なものだったら、振り回さない方が良いと思います、アヴォンさん。


「先生、コイン見せても、通してくれなかったらどうするんですか?」

「ふむ、その時は素直に荷物検査を受けるか、急いでいたら蹴散らして突破していい事になっている」

「ぇぇ……」


 存外に力業な解決方法にかすれた声が出てしまう。


「蹴散らすなんて、後で面倒な事になりません?」

「ならない。全部協会がなんとかする」

「うぉ! カッコいいです」

「ふぅん、そうだろ?」


 暴力沙汰を起こしても、その全てをなんとか出来る狩人協会か。


 カッコいいなぁ。

 きっと権力と金の力で全てを揉み消すに違いない。

 流石は秘密結社だな。

 色んな業界や国、人物にコネクトを張り巡らして狩人の起こす問題ごとを秘密裏に処理しているんだろう。


 そうとわかると俺が今から入ろうとしている組織の強大さひしひしと伝わってくるようで、胸の高鳴りが抑えられなかった。


 狩人協会か。

 早く入社……は違うけど、仲間入りしたいな。

 アヴォンから話を聞くたびに狩人への就職活動に熱が入って仕方がない。


 並走する兄弟子が振り回している狩人の証を見る。

 この人間のコインってやつも凄いかっこいいしな。


 なんとなしにに描かれているマークを目で追う。


 見た感じ人狼と人間が背中合わせでいる場面を描いたもののようだ。

 にしてもここにも人狼が描かれてるなんてな。


「先生、そのマークってーー」


 俺が描かれている絵柄について質問を投げかけようとした、その時ーー。


 ーーヒュン


「あ」


 アヴォンの手から人間のコインがすっぽ抜け空高く舞った。


「あれ……?」


 しかし、コインが空中を舞ったのも一瞬。

 瞬きの後にコインはアヴォンの手のひらへ戻っている。

 もちろんアヴォンも馬上にいる。


 おかしい、たしかに手からすっぽ抜けたように見えたのに。


「ぁ、あれ? 今コイン投げませんてした?」


 俺は自分の目が壊れたのかと思い、何度もこすってアヴォンが人間のコインを握っている事を確認する。


「気のせいだ」

「いや、でもたしかに今放り投げてーー」

「気のせいだ」

「いいえ、絶対に今、空ーー」

「気のせいだ」

「だから、今ーー」

「気のせいだ」


「…………」


 うーん。

 気のせい、か。


 ー


「凄いねぇ、足速いんだねぇ君」


 ミルクちゃんの背中を叩きながら、相棒に話しかける。


「ヒィィン!」


 いななくミルクちゃんは自慢げだ。


「ふぅん、休憩したら出発する。俺はギルドに寄っていくから、しばらくは好きに時間を過ごせ。1時間後にまたここに来い」

「はい、わかりました」


 それだけ言い残しアヴォンはミントちゃんを連れて通りの向こうへ消えていってしまった。


 ーーカチッ


 時刻は7時29分。


 早朝に王都を出たのに、早朝にバンザイデスまで来れてしまった。

 俺の時計が壊れているわけではない。

 ぶっ壊れてるのはグランドウーマの性能だ。


 その気になれば午前中にクルクマに戻るのも容易いだろう、圧倒的な走破力。


 こんなものは完全に交通の一般常識から外れている。

 これが狩人協会がグランドウーマを独占する理由なのだろう。

 きっとこの馬のお陰で狩人は世界中の平和を守るために活躍することがが出来るのだろうな。


「いやはや、君の家族は凄いよ。なぁミルクちゃん」

「ヒィィン」


 嬉しそうなミルクちゃんを連れて俺は歩き出す。


 別にアヴォンを追いかけるつもりは無いが、朝食を食べたいと思ったいたのでとりあえずはギルドへ俺も行くことにしよう。、


 早朝にも関わらずすでに活気付き始めている市で、ニンジンを買いながら俺とミルクちゃんはギルドへ向かった。


 2時間後ーー。


 バンザイデスを出発してグランドウーマで草原を駆け抜ける。

 遥か向こうの地平線からは昇ってきたばかりの太陽が眩しい光とともに姿を現しはじめている。


 ーーカチッ


 時刻は9時20分。


 ようやく人々が本格的に日々営みを始める時間だ。

 馬を走らせながら王都ローレシアの方角を眺める。


 マリはそろそろ起きたかな?

 いや、彼女は睡眠をこよなく愛している。

 ともしたら今日は休日なのでまだ寝てるだろうか。


 サティはもう起きているだろう。

 彼女は「早朝」の二つ名を自称するほど早起きなんだ。


 ゲンゼも、多分起きてるだろう。

 あいつの住んでる学生アパートじゃ朝と夜にご飯が出るシステムらしいので、きっと朝食を食べる為にもう起きているはずだ。


 そんでもってあの2人は午後からは大学で決闘の練習をするんだろうな。


 俺たちの「エルトレット魔術師団」は団員は少し数が増えて、賑やかになっているから首相のサティが最近はとても楽しそうなのだ。


 トール・デ・ビョーンを懐にしまい、青く澄み渡った青空を仰ぎ見る。

 各々思い思いの休日をすごしてるだろう週末。


「なぁミルクちゃん。カティヤさんって休日なにやってんのかな」


 超高速走行するグランドウーマの首筋を撫で一方的に語りかける。


 入学から4ヶ月経った今でもカティヤさんとの関係には相変わらず進展なしだ。

 彼女が冷たい態度を取ってくるので俺も冷たい態度を取るようになってから、何となくギクシャクした空気が俺たちの間にはある。

 近頃は俺以外の生徒たちはカティヤさんには全く近づかなくなった。


 状況は悪くなる一方のように思える。


 ただ、一つだけ変わった事があるとするならば、それは以前より話すようになった事だろうか。

 ギクシャクしてお互い悪口を言い合っているだけなのだが、それでもやはり会話する頻度は高まったように感じる。


 多分、俺以外に八つ当たりする相手がいないんだろう。

 みんなカティヤさんの事避けてるんだもん。

 話す相手が俺以外居なくなるもの必然か。


 ゆえにカティヤさんは俺のことストレスのはけ口として使っているだけなんだ。


 そこに特別な感情も、意味なんてない。

 わかっているんだよ、そんなこと。


 ただ……それでも俺は今がちょっと嬉しい。

 前よりも会話できるようになった事が。

 好きな人になら意地悪されても嬉しいって奴だ。


 カティヤさんに殴られた頬を抑えながら薄く微笑む。


「俺って変態なのかな。どう思うよミルクちゃん」

「ヒィン」

「アーカム。ここら辺から腐蝕湿地帯に入る。沼に落ちるなよ」


 アヴォンの声に重巡する思春期思考から現実へ引き戻される。


「はい」


 遅れて返事をして辺りを見渡した。

 すると先程まで地平線の彼方まで続く草原かと思われていた景色が、一面湿地帯に変貌していた。


 道は凸凹しておりゴツゴツした石が無数に転がっている。露出した灰色の地面がどこまでも広がっているのだ。

 一目みて入っちゃダメだとわかる、紫色の毒々しい沼がそこかしこにあり、乾燥したような地面の亀裂からもまた紫色の液体が溢れ出ている。


 多分あの毒沼に入ったら毎秒1ダメージ受けて毒状態になるんだろう。

 一面灰色の地面には細く枯れた木々が沢山あった。


「これが話に聞く腐蝕湿地帯ドレッディナですか」


 あまりの酷さに感嘆の声を俺は漏らした。


「そうだ。ここは侵食樹海ドレッディナの周辺に広がる死の世界。別段ここに出現する魔物で私たちにとって厄介な奴はいないが、

 あの毒沼の中には『腐蝕タコ』と呼ばれる魔物がいる。触手を伸ばして引きずり込もうとしてくるから沼には近づかない方がいい」

「引きずり込まれたらどうなりますか?」

「そこでおしまいだ」


 自身の魔物情報を更新しつつ拍車をかけて馬を走らせる。


「アーカム、冒険者だ。助けるぞ」

「ぇ、ん?」


 湿地帯をグランドウーマで駆けること数分。

 突然アヴォンがミントちゃんを止めたかと思うと、素早く馬から飛び降りて剣を抜いた。


「ふぅん」


 アヴォンはおもむろに剣を一振りする。

 するとアヴォンの振り下ろした剣の軌道から蒼紫色の煙がまっすぐ刃となって打ち出された。


 斬撃飛ばしだ。


「ど、どうですか?」


 遥か遠くの空へ消えていった斬撃を見送りながらアヴォンに向き直る。


「ふぅむ、大丈夫だ。当たった。行くぞ」

「ッ、はい」


 アヴォンはミントちゃんとに飛び乗り再び馬を走らせ始めた。


「あの、先生、今何したんですか?」


 アヴォンに追いつき並走しながら尋ねる。


「斬撃を飛ばした。腐蝕タコに襲われていた冒険者パーティを助けるためにな」

「は、はぁ丘の向こう側の、ですか?」


 チラッと横を見て、丸く盛り上がった灰色の丘を見やる。


「あぁ丘を越えた先だった」


 技の練度に舌を巻き驚愕。

 改めてアヴォン・グッドマンという狩人の凄さを思い知る。


「アーカム、見えてきたぞ。あれが侵食樹海ドレッディナだ」


 アヴォンはさも何も凄いことはしていないと言った面持ちで前方を指差した。

 顔を前に向ければ、なるほど確かに大きな森が見え始めているじゃないか。


「アーカム、森に入ったらすぐ中心部に着く。今のうちに気を引き締めておけよ」


 アヴォンは帽子を深く被りチラリと視線を送ってくる。


「はい!」


 元気よく返事をして気合いを入れる。

 そうして俺たちは速度を落とさず森へ突入した。

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