まるで媚薬

みなづきあまね

まるで媚薬

やることが多すぎて辟易しながら、倉庫のドアを開けた。上司から頼まれた資料をお客様に渡すにあたり、紙袋も必要だから。すぐ目当てのものは見つかるし、真っ暗なわけでもないから、電気は点けずに中へ入った。


紙袋を一枚ダンボールから出し、立ち上がろうと考えていた瞬間、部屋が明るくなった。よく暗闇に人がいるのに気がついて、入ってきた人がビックリする構図があるが、背後からは何の反応もなかった。


私もこの部屋ではよくあることだから。とりわけ気にせず振り返った。そこで私がビックリしてしまった。最近気になっている男性がいたから。私は平静を装い、紙袋を持つ手に若干力を込めて話しかけた。


「もしかして、営業ですか?」


「はい、今日アポして明日行きます。」


「今日の明日って、笑。」


年齢は向こうが上だが、年数的には私が上なので、その突撃営業に思わず笑ってしまった。


「準備が結構大変ですよね。休みが潰れたりするし。」


私がそう言いながら入口に歩いて行くと、彼は3週間休みがないという。ドアを開き、私は振り向いて、


「そんなんじゃ、倒れちゃいますよ。無理しないで下さいね。」


と、労いの言葉を掛けた。彼はドアの隙間から覗く私に笑顔でお礼を述べた。


最近接点が増え、話す機会も増えた。よく廊下ですれ違ったりするが、そんな時は会釈があれば良い方くらいで、お互い社交的ではない。


でも、何気ない会話が増すにつれて、柔らかな口調と微笑を目にする日があり、そんな機会を増やしたいといつも願っている。


オフィスに戻り、しばらく仕事をした後、もう今夜は残業コースと腹をくくった。ふと顔を上げると、彼がそろそろ帰りそうな雰囲気だった。


1つだけ明日の仕事について伝えたいことがあり、私は席を立った。正直、彼が帰る前にもう一度話したいという気持ちが強かったけど。


仕事の話であっさり終わってしまうかと思いきや、私がふと漏らした一言から話が広がった。


「あっ、嫌なこと思い出したー!」


「何ですか?」


「私も営業準備を昼にしてたんですけど、半分残ってる・・・明日有給もらったし、月曜祝日で火曜まで来ないから、やらなくちゃ・・・」


絶望しきった私にお疲れと彼は声を掛けて、営業の時のあるあるを話し始めた。意外にも既に顔なじみの人とはお喋りを楽しむようだった。私よりエリアが狭いので、3時間あれば終わるらしい。


そんな話を身振り手振りを時々交え、笑顔で話す彼を、私は空いている隣の席の背もたれに腕を置いて横から眺めた。真っ正面で話すより、お互いが横並びで話す方が緊張しないし、なんだか実は様子を観察しやすい。


気づくと彼に見入っていた。凛々しい、と気づいた時には既に遅く、彼に完全に魅了されていた。


話にキリがつき、私は、


「無駄話に付き合っていただいて、ありがとうございます。」


と申し訳ない感じで会釈すると、仕事に戻ろうとした。彼は私の去り際に、


「いや、別にいいですよ。お疲れ様です。」


と、また柔らかな口調と目元で送り出してくれた。


近くで眺めればうっとりし、遠くで眺めてもドキドキする。もう手遅れ。

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