第2話アナハイム市

 大きなビルディングがあちこちに建ち、ビルディングの間を埋める商店や住居は、滑らかな外壁のモダンな建物で、夕暮れとなり窓に明かりが灯り、街全体に白い光が満ちると、マユラはおとぎの国にでも迷い込んだような心地になった。

「真っ白で明るい、この光はなんなの。ランプじゃないし、ガスとも違うみたいだけど」

 まずマユラが驚いたのは、街灯や建物の窓に灯る白い光だった。

「ルクスボードやルクスボールの明かりさ。知らないのかよ」

 ファズがあきれたように言った。

「マユラはド田舎もド田舎。辺境の開拓団の町で生まれ育ったんだぜ。近代文明の光なんて知るわけもないさ」

 人を未開人みたいにいうウィルに、むっと見上げたマユラだったが、彼はいま、サブリナの肩で羽を休めていて、言わばイソギンチャクの中のクマノミ状態。へたに手を出そうものなら黒い雌豹の防衛本能が働いて、どこをどうされるかわかったもんじゃない。もっともマユラも、仲間のフェアリーに乱暴を働く気はさらさらないのだが。

「とにかく、都市には魔道炉という物があって、そこから生み出されるエナジーが、夜になれば昼のように明るく照らすし、明かりだけじゃない、ビルの中は空調が効いて夏は涼しく冬は暖かだ。工場では大きな機械が動いて、魔道炉があっての大都市というわけさ」

「けど、その魔道炉も、ウィズメタルってもんがないと、役に立たないのでしょう」

「そうだ、なんにだって燃料は必要だ」

 そして、ジェリコ砦がグルザム一味と結託していたのも、連中の流してくれるウィズメタルが目当てだった。グルザム一味との戦いの後、この戦いの背景あった事情を、マユラも仲間たちから聞いていた。絢爛たる都会の夜景だが、エレナの両親の命を奪った、グルザムの所属していたフェルムトからのウィズメタルが使われているかと思うと複雑だった。

「この街にも、フェルムトのウィズメタルが入っているのですか」

 マユラは志摩に聞いた。

「多分な。俺も、ウィズメタルの流通について詳しいわけじゃないが、帝国全土で使われているウィズメタルの五割がヴァルカン製だということだ。誰でも知っていることだが、みだりに人前で話すなよ」

「なぜです」

「実態はどうあれ、この国では表向きヴァルカンとの交易は国禁であり、重い罪に問われる犯罪なのだ。大方の役人は聞き流すが、中には聞きとがめて連行して、ひどい目にあわせる陰険な奴もいる」

「役人はいい人ばかりかと思ったら、意地悪な人もいるんですね」

 傭兵たちから、傑作のジョークを聞いたときのような哄笑が上がった。このとき、仲間たちの笑いの意味がマユラにはわからなかったが、その後の身過ぎ世過ぎで、彼も納得するのである。

「マユラよ、おまえにゃアナハイムは都会過ぎて、ジャングルよりもわけがわからんかもしれんが、まあ、わからないことがあったら俺に聞け。なにせこのファズ様は生まれも育ちもアナハイムの、ちゃきちゃきのアナハイムっ子ときたもんだ。大通りから路地裏界隈の地理や道順、ゴミの出し方やメシ屋のランキングなどの生活のあれこれと、知らないことは無いってんだ」

「けどよ、おまえが一番詳しいのは、お子ちゃま出禁のアレだろう、マユラにはまだ早くないか」

 ダオが茶々をいれる。

「人を、どこかのエロオヤジみたいにいうな」

「ま、何を教えてもらうにしても、教わる人は選ぶべきね」

 とサブリナ。

 帰還した安心感からか、屈託ない様子で街を行く傭兵たちたち。大都会の雑踏はそれらも吞み込んで、さして人目をひくでもない。

「うわっ、なんて綺麗なお城なんだ」

 マユラは、明かりの灯り始めた豪華絢爛なたたずまいの巨大建築を仰いで、驚きの声をあげた。

「城じゃない、リッツロイヤル、アナハイムでも最高級のホテルだ」

「へー」

 ファズの言葉に驚嘆の声を返して、マユラはリッツロイヤルの建物を見上げる。大きくて優雅なたたずまいは、絵本で見たおとぎの城を思わせ、こんな建築が現実にあるとは、マユラは思いもしなかった。

「ホテルなら、誰でも泊まれるの」

「誰でもじゃない、金を持った奴だけだ」

 ファズは。そこがおとぎの城じゃないと教えてくれた。

「ファズさんは泊まったことある」

「ねぇよ。一番安い部屋の一泊の料金でも、おまえなんか気が遠くなるぜ。とても傭兵風情の泊まれるところじゃない」

「そうとも限らないぞ」

 ダオが異を唱える。

「ダンジョンを探検してお宝をゲットすれば、リッツロイヤルでだって、我が物顔で振る舞えるぜ」

 ダンジョンを探検して財宝を持ち帰り、億万長者になった者の話はマユラも聞いたことがあった。

「そんなのは夢物語だぜ。ダンジョンなんてどこにあるのかわからんし、うっかり入って、帰って来なかった冒険者、傭兵は数知れずだ」

 ファズが醒めた意見を返す。

 リッツロイヤルの車寄せを、今しも数台の馬車が発ち、表通りへと出てきたが、その先頭の一台は、六頭の白馬に曳かせた黒い車体は金銀の装飾を施し、殊に豪華な乗り物だった。

「乗るのならあんな馬車がいいね、金ぴかで純白の馬も綺麗だったし、料金はやっぱり高いだろうね」

「あれは辻馬車じゃない、金持ちの自家用だ。金を出したって乗せてくれんぜ」

「だが、さっきの馬車は、自家用の中でもとびきりの代物だった。誰が乗っているのかな」

 馬車を見送ってつぶやくダオに、

「ランドール伯爵様の馬車だ」

 それまで黙っていたバルドスが、皮肉混じりの口調で答えた。

「兄貴、どうしてわかるんです」

「白馬の六頭立ては、ランドール伯爵のお気に入りの仕立てで、他の者が使うと伯爵は面白くないらしい。それで、アナハイムの貴族や金持ち連中は、伯爵の怒りに触れるのを恐れて、白馬の六頭立ては使わないと聞いたことがある。お陰でアナハイムの馬市では、白馬の値はガタ落ちだとよ」

「ランドール伯爵、馬は白いかもしれないけど、腹の中は真っ黒の御仁ね」

 サブリナも鼻しわむ。

「確かに、ろくな噂を聞かない」

 とダオ。

「だが、アナハイム政界の大立者だ。まあ、あまり関わりたくはないがな」

 バルドスも敬遠の表情だった。

 仲間たちがそんな話をしているとき、志摩の目は雑踏の中の一人の男の上に止まった。遠目にもリッツロイヤルの客層と思えぬ風体ながら、志摩はこの男も、リッツロイヤルから出て来たと直感した。男も志摩の方に顔を向け、笑ったかの表情を見せたが、すぐに大通りの人波の中に見えなくなった。

——ジョン・アスタム——

志摩は心の中でその名をつぶやき、アナハイムに帰還も早々、胸騒ぎを覚えるのであった。

『レストランエミール』

 表通りに看板も大きなその店の前で、マユラは目を瞠った。ガラス越しに見る店内は、天井にいくつも取り付けたルクスボードだかの照明器具の放つ白い光に溢れて、昼のような明るさだった。広いフロアには何十とテーブルがあり、お仕着せのウエイトレスやウエイターがテキパキとした動きで料理を運んでいた。

「シリウスまではまだ距離があるし、着いた頃には館の食堂は終わっている。よって、ここで晩メシをとる」

 こんな店は見るのも初めてで、チョットたまげた顔のマユラに、バルドスが告げた。そうしている間にも、仲間たちは店内に入っていき、レオンがドンキーを店の裏手へと引いて行った。

「高そうな店ですね」

「ガキのくせに所帯じみたことを言いやがる。心配しなくても今回はしっかり稼げたし、ここも見かけほど高くない。チョット高級なファミレス、メニューは案外リーズナブルよ。おまえも明日からは志摩殿の弟子として、厳しい鍛錬の日々が始まるのだ。今夜はしっかり食って栄養つけとけ」

 バルドスにそう言われて、マユラは食欲全開となった。

 レストランエミールの店内は明るくて清潔で、美味しそうな匂いが満ちていた。白いテーブルクロスの掛かった丸い大テーブルに、チームの全員がついた。マユラは、こんな店で食事をするのは初めてで、何を頼んでいいかわからなかったので、ファズお勧めのステーキ定食を注文した。これだけの店で肉料理にハズレはないと踏んだが、実際、運ばれてきた分厚いステーキは、肉質最高、焼き加減も上々で、バターの溶けた熱々の肉をナイフで切って口に運べば、一噛みごとに肉汁が口にあふれる。マユラは大満足で咀嚼しながら、都会の人はこんな美味いものを食べていたのかと思った。

 腹いっぱいになったマユラは、

「トイレどこ」

 テーブル上で、カムランさんの海鮮料理の皿から取ってきた、蒸した海老を食べているウィルに聞いた。ウィルは人形サイズの体に雲母色の羽の生えるフェアリーだが、体の三分の一ぐらいあるピザやソーセージをぺろりと平らげ、しかも、体形がほとんど変化しないのは謎だった。

「店員に聞けよ」

 面倒くさそうに答え、それもそうだとマユラは席を立った。

 大人たちは食べかつ飲みで、ジョッキのビールをぐびぐびあおり、旅の出来事のあれこれへと話の花を咲かせて、ツアーの打ち上げもたけなわといったところだ。ふと見ると、サブリナは、あの細身のどこに入るのかと思うほどの大きなステーキを食べていて、マユラの脳裏に、肉食獣、という言葉がよぎった。

 ウエイトレスに奥の小さなドアを教えられた。入ると細い廊下で、左側の壁の向こう側は厨房らしく、なにかを炒めているような音や、せわしなげな声が壁越しに聞こえる。突き当りにドアがあり、入って用を済ませたマユラだったが、戻ろうとして廊下を歩き、ドアを開けると店の裏に出てしまった。トイレを出たとき、廊下を反対に進んだようだ。初めての場所であり、腹いっぱいになった後の、気持の弛緩も手伝ったのであろう。そこは小さな空き地で、横にゴミを入れる大きな鉄箱が据付てあった。入る時は夕暮れどきだったが、既に夜となっていた。しかし街灯や近隣の窓明かりのおかげで、月夜でなくても真っ暗とならないところが、都会の夜の良いところだ。

 薄闇の中にこんもりうごめく影があり、近づくとドンキーだった。木柵に繋がれたチームのロバは、野菜クズの入ったバケツに首を突っ込んでモグモグやっていた。

「やあドンキー、キミも晩飯にありつけたんだね」

 話しかけながら、ロバの首を撫でていたマユラだったが、

 !

 人の声を聞いたような気がして振り向いた。誰もいない。

 ・・・

 空き地の隅の細い隙間のような路地から、風に運ばれるようにして声の届いてくるようだ。

 ・・・・・・

 か細く不明瞭な声は女の子のもののようで、そしてそれが助けを求めているように思ったとき、マユラは街灯の明かりも届かない、細い路地へと歩き出していた。

 大きな倉庫が建ち並んでいる裏の空き地で、賑やかな表通りからも離れて、この辺りは夜にはほとんど人通りはないのだが、今は、街灯の明かりの下に十いくつもの人影があった。しかもそれは、たった三人に対し十数人の向かい合い、何やら穏やかではない様子。ずらりと、空き地いっぱいに広がっているのは、下は十二三から、上は十五六あたりの少年たちだった。全員が白いシャツにミスリル繊維を編み込んだ防刃ベストを重ね、紺色のスラックスに、履き物はブーツで、腰には剣帯を締めて剣を佩いた揃いのいでたち。ベストの胸には記章が刺繡されていて、この服装を見れば、アナハイムの住民なら彼らが何者か分かる。アナハイム騎士学校の生徒たちだ。ベストの記章は、アナハイム騎士学校の校章だった。

 軍人を育てる軍学校には、兵学校と騎士学校がある。兵学校は一般兵士の養成所であり、騎士学校は将校育成の士官学校である。兵学校は肉体が壮健であるのなら、入学に際して出自が問われる事はあまりないが、騎士学校は貴族の子供か、平民は上流階級の子弟しか入れない。ここに集う少年たちも身につける物は上級品で、身だしなみ整い、良家の子弟たちとわかる。

 少年たちの前で縮こまっているのは、彼らと同じ年代の少年二人と、三つ四つ年下の少女だった。三人は何ともひどいなりで、二人の少年はクタクタのシャツにツギハギだらけのジーンズ。ズック靴には穴が開いていた。少女は花のアップリケのある茶色のワンピース。ちょっと有り得ない色だが、カーテンかなにかの生地を、素人裁縫でワンピースに仕立てたような代物だ。三人とも、服も体も、洗濯と風呂にご無沙汰の様子で、髪もぼさぼさだった。

「お兄ちゃんたちを打たないで」

 女の子が涙ながらに訴え、二人の少年は唇をかみしめている。二人とも顔にミミズ腫れができていた。三人の前には騎士学校の生徒が一人立ち、手には乗馬用の鞭が握られていて、そいつを頂戴したらしかった。仲間たちは後ろの方で広がって見物の様子だ。

「言っておいたはずだぞ、街をうろつくなと」

 声の主は鞭を持つ少年ではなく、ずっと後ろの騎士学校の生徒たちの中にあって、若武者ぶりも一際に優れた風情の少年であった。

「おまえたちスラムのネズミどもは、あのゴミ溜めの中でじっとしてりゃいいんだ。街をうろついてばい菌まき散らされたら、俺たちの街が汚れるんだ」

 凛々しい端正な面立ちだが、声は刃のように冷たく非情だった。

「オレたちだって食わなきゃならないんだ。スラムにゃ食い物はないんだ」

 みすぼらしげな少年の一人が言い返す。

 三人とも空き缶や空の飯盒を持っていて、食べ物屋の裏口を回って残飯をあさったり、運が良ければ捨てる前の売れ残りをもらえることもある。そういうふうにして、親の稼ぎだけでは足りなかったり、あるいは親に稼ぎがまったくなかったり、そもそも親がいなかったりして不足する食糧を、足で回って手に入れる。スラムの子供たちの日常である。

「知ったことかよ。食い物がなければ、てめえの足でも齧ってやがれ」

 鞭を持った少年が言い放ち、自分の言いざまが気に入ったらしく、くくっと悦に入る。

「ジン、何を言ったって無駄だ。わかってくれやしないさ」

 もう一人の少年が言う。ビシッ、その顔に鞭がとび、皮が破れて血が滲む。

「ネズミ野郎がしたり顔するんじゃない」

「ぶたないで、ぶたないでよ」

 女の子が泣き出す。

 顔を打たれた少年が、女の子の肩に優しく手を置いた。

「心配するな。なにも、怖いことなんてないから」

 そして前を向く。

「オレたちは何をされても我慢する。だから、妹は見逃してやってくれ」

「ソレ、妹かよ。あんまり汚いから、大きなネズミでも連れているのかと思ったぜ」

 鞭を持った少年が言うと、

「ネズミの兄と妹か」

 後ろの仲間たちがはやしたて、どっと笑いが起こった。

「オレはまた、このアナハイムにもヴァルムどもが現れて、人を食い殺そうとしているかと思ったぜ」

 不意の声に、その場の視線が集まる中、マユラは街灯の明かり中に姿を現した。

「ヴァルムにしちゃ、お上品ななりしてるけれど」

「なんだ、きさま」

「通りがかりさ。女の子の泣き声がするから来てみたら、たちの悪そうなのが大勢で、弱い者イジメしてるじゃないか、当然見捨てておけないぜ」

 マユラはみすぼらしい三人をかばうように、鞭を持った少年の前に立った。

「たちの悪そうなとはなんだ。言葉をつつしめ。我らはアナハイム騎士学校の生徒だぞ」

 鞭を持った少年が胸を張る。

「それがどうした」

「きさま、アナハイム騎士学校の者にケンカを売る気か」

「オレ、アナハイムに来たばかりだから、騎士学校がナンボのものか知らないけど、たとえどんなに偉くても、弱い者イジメしていい理屈はないぜ」

「おのぼり野郎か。ぼさっとした見かけの奴だと思ったが、どうりでな」

「おい、チビ」

 リーダー格の少年だった。

 マユラはむっと見返す。

「関係ないのならさっさと立ち去れ。今ならさっきの無礼も見逃してやる」

「ふざけるな、だれがてめぇらなんかに尻尾を巻くかって」

「おい、あんた」

 後ろの少年が声をかけた。

「オレたちを助けてくれる、その気持はありがたいが、すぐに立ち去ってくれ。でないと。あんたまでひどい目にあってしまう」

「心配するなよ、こんな連中にひけをとるマユラさまじゃないぜ」

 マユラは振り返り、ふと、女の子の祈るような瞳と目が合った。

 ヒユッ、視線を離したその隙を鞭が襲い、しかしそれは、ビシッと打擲の音をたてることなく、空中で二つになった。即応したマユラの手刀が、乗馬用鞭を断ったのである。

「騎士学校じゃ、後ろから斬れと教えているのか」

 キッと見返したマユラだったが、内心自分でも驚いていた。鞭で打ってくるのは感じたが、手刀で切ったのは無意識だったというか、そもそもそんなこと出来るとも思っていない。無意識に意識以上のことをしてのけたのだが、このところ意識をしない動作にも、以前にない、冴えの備わるマユラだった。

「多少はやるな」

 手刀で鞭を断った手並に警戒して、バックステップで、二三メートル後ろに跳ぶ。

「だけど鞭がこんなになって、さて、なんでお前らを懲らしめようかな」

 半分の長さになった細竹の鞭をひらひらさせて、

「おまえらみたいな汚いのを、素手で殴るのも不潔だし、これを使うしかないかな」

 もったいつけた態度で、左手が腰の剣に触れる。

「抜きたきゃ抜けよ」

 マユラはひるまない。

「本気で斬らないと思っているなら大間違いだぞ。俺たちは、おまえらみたいなゴミを何人斬ったて、どおってことないんだ」

「ヴァルムまがいの悪党に、お情けなんざ乞わないぜ」

「死ぬほどの馬鹿って奴だな」

 鞭の残骸を投げ捨て、剣を抜こうとする少年に、

「ダリル気をつけろ。そいつ、ブレイヴ体になるぞ」

 リーダー格の少年が、マユラの挙措に直感して声をかけた。

「少しばかりブレイヴを使うとしても、こんな奴にしてやられるかよ」

 リーダーの忠告にも、ダリルは高をくくっていた。

「じゃ、お言葉に甘えて」

 マユラはブレイヴ体になりざま、ストリームを噴かせて翔ける。

——ストリーム、速い!——

 一瞬で案山子が飛燕と化したかのような駿足だった。

 ダリルはブレイヴ体になりざま剣を鞘走らせたが、先を取ったマユラの動きに間に合わない。丸腰の相手に対し、剣を装備している優位を過信していたが、ブレイヴ体になりざまストリームを噴く、マユラの挙動の速さが予想外だった。ブレイヴファイトでは、コンマ一秒の初動の遅れが逆転を生む。まだダリルが剣を抜ききらぬ、0・数秒足らずの間に、既に切羽詰まっている。しかしマユラはダリルには構わず、後ろで広がって見物していた列の端を襲った。ダリルとマユラの一対一の戦いと思って見ていた少年たちは完全に意表を突かれた。その前を掠め、

「いただき」

 一人の少年の腰から剣を抜き取った。

「あっ、僕の剣」

 空の鞘を押さえてわめく少年を尻目に、一駆けしてから踏み込み強くストリームを止め、宙に凪いで(ストリームの高さに浮いて静止している状態)掠め取った剣を掲げる。

「きさま、どういうつもりだ」

 剣を抜いたダリルが、斬りつけんばかりの剣幕だった。

「斬り合いをするつもりさ」

 とマユラ。

「斬り合いには剣が要るけど、貸してくれって頼んでも、どうせ貸してくれないから、勝手ながら拝借したのさ。ちゃちな剣だけど、あんたらの五人や十人料理するには事足りるぜ」

「調子に乗りやがって、ケガぐらいで勘弁してやるつもりだったが、こうなったら命はないと思え」

 斬りかかろうとするダリルを、

「待て」

 リーダーの少年が止めた。

「面白そうな奴じゃないか。俺が相手をする」

 進み出るリーダーに、ダリルは否もなくさがる。他の少年たちも、注目して待機の様子となるのは、それほどまでに求心力がある、もしくは、グループ内でこわもてが通っているということか。

 マユラは目を細めて、わずかな挙動さえ見逃すまいとする。ダリルとは格段の差の強敵だった。

「このアナハイムでは、おまえのようなおっちょこちょいが、よく命を落とす」

 リーダーの少年は、冷たく笑い、腰の剣に手をやる。

「そこまでだ」

 張りのある声が、街灯白く照らす夜の空気を震わせた。そして、明かりの外の暗がりから、二つの影がこちらに来る。マユラは最初、チームの誰かが助けに来てくれたのかと思った。しかし、明かりの中に現れたのは、まったく見知らぬ人たちだった。

 一人は、志摩を思わせる精悍な体躯で、いかつげな顔をした四十代の男。薄手のジャケットにズボン。ジャケットの下にはミスリル繊維の防刃ベストを着こみ、腰には大剣を差していた。連れはフード付きのマントを羽織り、フードを被っていたので顔はわからなかったが、細身の人物だった。シルクのシャツにスラックス。靴はしゃれたデザインのブランド物、手首にはリストウォッチ、腰にレイピアを差していて、マユラは、どことなく洗練されたたたずまいを感じた。

「私はアナハイム警ら隊の第五番隊隊長ラド・リソンだ。おぬしら、市中での刃物沙汰とは見過ごせぬぞ」

ラド・リソンと名乗った四十男の、そのたくましい体格同様の力強い声に、騎士学校の生徒たちはたじろいだが、リーダーの少年だけは、何者とも思わぬふてぶてしさであった。

「僕らは、スラムの者どもが街をうろつくのを、取り締まっていたのです。こいつらは盗みを働くし、不潔で、衛生上もよろしくありませんからね。そうしたらこいつがしゃしゃり出てきて、やむを得ない仕儀となったのです」

 リーダーの少年は面倒くさそうに答えた。

「ふん、アナハイムじゃ、大勢で寄ってたかっての弱い者イジメを、取り締まりとか言うのかい」

 マユラが皮肉を浴びせる。

「こいつ、無礼だぞ」

「身のほど知らずが」

 騎士学校の生徒たちが騒ぎ出すなか、当のリーダーの少年はマユラに一瞥くれただけだったが、その視線には、殺気に近いものが確かにあった。

「よせ、これ以上暴れると、牢屋に入れることになるぞ」

 ラド・リソンは生徒たちを抑え、マユラにも険しい目を向ける。

「おまえもブレイヴを消して、剣を収めろ」

 マユラはブレイヴを消して普通体となると、ストリームに浮いていた足が、地面を踏んだ。

「返すよ」

 マユラは柄の方を向けて、山なりの放物線で剣を投げ返したが、相手は受け取ることが出来ず、おっかなびっくり跳び避け、代わりに空中で柄を握って受け取ったのはダリルだった。ダリルは持ち主の少年に剣を返してやった。その少年は剣を鞘に納めてほっとした顔になったが、リーダーの少年の彼を見る目には、イラっとしたトゲがあった。

「スラムの住民が街を歩いてはいけないという決まりはないよ。君たちはどんな法的根拠があって、取締り、とやらをしているんだい」

 フードの人物が前に出て質す。若い男の声だった。

「法的根拠だって。スラムのゴミどもを取り締まるのに、そんなご大層なものはいらないさ」

 リーダーの少年は一笑に伏す。

「スラムの住民も法によって、理不尽な暴力から守られているはずだけど」

 なおも詰め寄るフードの人物に、

「俺はディノ・ランドール。これが法的根拠だ」

 横柄に答える。

「驚いた。いつからアナハイムは、ランドール家の領地になったんだい」

「きさま、口の利き方に気をつけろ。父上がその気になれば、きさまら木っ端役人の首なんか、花を摘むよりも簡単に飛ばせるんだぞ」

「ランドールの味噌っカスが吠えるよのう」

 言ったのは、ラド・リソンだった。

「ほざいたな、木っ端役人」

 ディノ・ランドールは、癇癪の破裂しそうな形相で、剣に手をかける。

「やると言うのか」

 リソンは剣に手もやらず悠然と構えている。それでいてディノに斬りかかる隙を与えない。マユラにもリソンは相当の使い手に見えた。ディノも使いそうだが、少年剣士の敵いそうな相手ではない。

「おのれ、今に青くなって、そのへらず口を後悔することになるぞ」

 ディノは、さすがにそこいらへんの分別は働く。剣ではなく、ランドール家の威勢を持って対抗することにした。

「どなたの前で大口を叩いたか、青くなって悔やむのはおまえのほうだ」

「なにっ!」

 噛みつきそうなディノであったが、フードの人物がそのフードを脱ぎ、街灯の明かりに金色の髪が艶を流して現れたその顔に、

「あっ!」

 ディノは言葉を失った。

 眉目すがすがしい顔立ちの、少し華奢だが美しい立ち姿に、マユラはちょっと男女の区別がつきかねたが、よく見れば、美しさの中にも凛とした趣のある青年だった。年の頃は二十歳前後、優れた容貌は理知的で意志の強さも感じさせたが、また、女性的な優しさも備えていた。

「まさか、おう・・・」

我に返って、言葉を発しようとしたディノを、

「しっ」

 若者は指を立て制止した。

「そのままでよい」

 驚き、どよもしつつも、敬礼でもしそうなアナハイム騎士学校の生徒たちにも声をかける。

「私としても、たまにわずかな供連れで市中を散策していることを、あまり世間に知られたくないし、君たちも問題を起こしたはくないであろう。ゆえに、今夜のことは表沙汰にはしない。先ほどの君の言葉も、不問に付す」

 恐縮しきった様子の騎士学校の生徒たちの中で、ディノだけが仏頂面だった。

「しかし、君たちには失望した」

 若者の言葉に、うなだれる騎士学校の生徒たち、しかしディノだけは、相変わらず不服そうな顔で見返していた。

「まさか、アナハイム騎士学校の生徒ともあろう者たちが、ならず者まがいに、無力の者をなぶりものにするとは、自分たちのしていることが、恥ずかしくないのか」

「お言葉ですが」

 ディノが言い返した。

「我らの行為は、アナハイムを愛するがゆえのものであり、ならず者と同一に論じられるのは、はなはだ心外です」

「アナハイムを愛するがゆえの事だと」

「そうです。スラムのゴミみたいな連中が物乞いに歩く様が、大陸各地から訪れる旅行者の目に触れるのは、アナハイムの恥です。それにコイツらは盗みを働くし・」

「私たち、泥棒じゃありません」

 不意に、薄汚い身なりの女の子が、小さな体を震わせて叫んだ。

「ゴハンをもらいに行くけど、人の物を盗ったりしないもの」

「コイツ、人の話に口をさしはさむとは無礼だぞ」

 ディノが睨みつけると、

「カーリー止せ」

 仲間の少年が、ディノの怒りを恐れるように止めた。

「いいや、黙ってることないぞ」

 横から口を出したのはマユラであった。

「人を盗人て言うのなら、証拠を見せろ。身なりだけで決めつけて、鞭で打つなんてひどすぎるぜ」

 ディノの睨みなど意に介さず、売られたケンカは買うマユラだ。

「コイツら」

 青筋立てるディノだったが、

「彼の言う通りだ、君らのやっていることはひどすぎる」

 若者の言葉に、唇を噛む。

「好き好んで、食べ物屋のゴミ箱をあさったりする者はいない。スラムの者たちがそれをするのは、それをせざるを得ない事情があるからだ。彼らの事情を酌もうともせず、家畜のように鞭で打つなど、無慈悲にもほどがある。アナハイムの恥と言うのなら、君らの血も涙もない所業であろう」

 仲間たちが下を向き、反省の素振りを見せるなか、ディノだけはまるで悪びれず、昂然と若者を見返す。

「アイツのように偽善者ぶって情けをかけろと、ゴメンです。コイツらがこんな状況にあるのは、コイツらのせいであって、同情するには及びません。帝都で流行りの民権論にご執心と聞きましたが、博愛ぶったあんな論調は、民衆をつけあがらせて、国政に混乱をもたらすもとだと、父も・」

バシッ、皮も破れるかのような、強烈なビンタであった。吹っ飛んだディノは、倒れざま相手を見上げる。痛みよりも、耐え難い屈辱による憎悪の目だった。

「どなたに対する賢しら口だ。身のほど知らずめが」

 ラド・リソンが、肩を怒らせて見下ろしていた。

 ディノは立ち上がり、血の混じった唾を吐くと、ラド・リソンを睨みつける。

「親父殿に言いつけるか」

 リソンは皮肉な笑みで返す。

「アンタは、いずれこのことを後悔することになる」

「いいや、俺は、今ほどまっとうなことをしたと感じた事はない。死んでも後悔はしない」

 リソンは鉄の如き表情で、ディノの恫喝を跳ね返す。ディノは恥辱の場面を見たことを咎めるように、マユラたちに目を血走らせる。その視線を察して、若者は警告を発した。

「この子たちになにかあったら、私も黙ってはいないよ。ランドール家のご子息には手が出せなくても、この場にいた者の中の、運の悪い何名かには、アナハイム騎士学校を退学してもらうことになるだろうね」

 その言葉を聞いて、ディノ以外のアナハイム騎士学校の生徒たちはざわめいた。騎士学校を退学処分になるということは、官途の望みを断たれることに他ならないからだ。騎士学校を卒業したら帝国政府に奉職して、それなりに出世して役職を得て人並み以上の暮らしを手に入れるという人生設計が、一切潰えてしまうのである。そしてこの若者には、それをやれる力があることも、彼らは知っていた。

「このような者たちにまで気づかいを示されるとは、お優しいことで。しかし無用の心配です。市井のゴミのごとき連中に、関わろうなどとは思いませんから」

「それなら安心だ。私も、少年たちの前途を摘むのは、気の進まぬところだ」

「どうですかね、僕らはお気に入りではないでしょうから。おっと、口をすべらせたらまたビンタがきそうだ。早めに退散した方が利口のようです。では、失礼します」

 ディノは冷たい目をしたまま、目上に対する辞去の礼をして背中を向け、歩き出した。仲間の少年たちも若者に頭を下げると、ディノの周りに、腫れ物にでも触れるような雰囲気でまとわりつきながら、夜の暗がりに消えていった。

「ひどい目にあったね」

 若者はマユラたちに顔を向けた。見るたびにため息つきたくなる、美しい顔であった。

 みすぼらしい三人は言葉もなくたたずんで、怯えているようにも見えた。

「悪ガキどもはこの人が追っ払ってくれたんだ。もう怖がらなくてもいいぜ」

 マユラの言葉にも、三人の表情は固い。

「なんだよ、いつまでもビクビクしてるなよ」

「怯えるのも無理はない」

 若者はスラムの者たちの心情を察して言った。

「まともに人間扱いされずに育ったから、気が変われば、今度は私がぶつかもしれないと思っているのさ。けれど、私は人を生まれや境遇で差別して、ぶったりしないし、そういうことを失くしたいと思っている。スラムの人も差別されず、誰もが人として認められ、人間らしく暮らしてゆける、そんな世界、いや、とりあえずはアナハイムを、そういうところにしたいのさ」

 マユラは、目をぱちくりして、若者を見つめる。

「どうしたの。なにかおかしなこと言ったかな」

「いいえ、ただ、そういうこと言う人に初めて会ったから。そういうの、政治っていうんでしょ」

「そうだね」

「政治は、皇帝陛下とか、朝廷のお偉いさんの仕事で、下々が考えることじゃないって、父さん言ってたよ」

「昔はそういう教育だったから、そういう考えの人も少なくないけど、政治は社会の仕組みだから、身分の上下にかかわらず、人間社会に生きている誰もが考えて、悪いということはないさ」

「そうなの。でもオレ、そんな難しいこと考えたことないから、わからないよ」

「暇なときにでも、考えたらいいさ。キミ、名前は」

「人に名前を聞くときは、まず、自分から名乗るんでしょ」

「コイツ」

 リソンが目を怒らせ、マユラはビンタの一発頂戴するのかと思ったが、

「まあ、いいさ」

 若者がなだめた。

「私はオルフェだ」

「オルフェさん。イカした名前だね。僕はマユラ。これでもレギオンシリウスの一員なんだぜ」

「シリウスの」

「知っているの」

「ロレンス団長とは親交がある」

「その人とは、まだ会ったことないけど、サムライマスター志摩先生の弟子なんだ」

「志摩殿は、アナハイムでも知られた使い手だ」

 リソンは武人らしく、志摩の名に反応した。

「それにしてもおまえ、よく騎士学校の生徒相手にケンカできたな。私たちが来なかったら、どうするつもりだった」

「どうするって、一戦やらかすだけさ」

「無茶な奴だ。もしかして、アナハイムに来て日は浅いのか」

「二時間ぐらい前に来たばかりだけど」

「それで怖いもの知らずに、騎士学校の生徒ともケンカしたか」

 リソンは半ばあきれ、そして真顔で忠告した。

「おまえ、そんなことしてたら牢屋に入れられてるぞ」

「どうして、だって悪いのはあいつらなんだぜ」

 マユラはまったく意外な顔で言い返した。

「どちらが善か悪かなど関係ない。彼らの親は、アナハイム市の有力者たちだ。特に、あのディノの親父殿のランドール伯爵は、アナハイム政界の大立者、厄介な人物なのだ。おまえが何を主張したところで、牢屋送りは免れぬ。下手をしてロアーズ鉱山送りにでもなれば、そこで一生終わりだぞ」

「マジすか」

「だからオイラも、やめとけっていったんだぜ」

 スラムの少年も言った。

「都会の落とし穴って、どんなよ」

「さっきのことはあとくされのないようにしておいたから、キミも、今後、彼らには関わらないようにね。もっとも、騎士学校の生徒が、全員が彼らのようなのではないのだがね」

 言い終わり際に、ちょっと残念そうな表情のオルフェだった。。

「お兄ちゃん、おなかすいたよ」

 女の子が、空腹に耐えかねたように訴えた。

「バカ」

 兄がはばかるように𠮟る。

「夕食がまだなら、おなかすくよね」

 優しく微笑み、リソンと目を見交わすオルフェだったが、

「晩メシなら、オレに任せてください」

 マユラの申し出に目を瞠った。

「君が、この子たちにご馳走すると言うの」

「近くのレストランで、たらふく食べてきたところです。三人におごるぐらいわけないですよ」

 自信満々のマユラに、

「それじゃあ頼むよ。また、どこかで会おう。その時は、私がメシをおごるよ。きみたちも、体に気をつけてね」

 オルフェはマユラと、スラムの三人にも声をかけ、リソンとちもに去って行った。

「オルフェさんか、いい人だね」

 その人柄に、すっかり感じ入ったマユラだった。

「ありゃあ、かなりの大物だぜ」

 少女の兄の少年は、憶測するかの顔であった。

「あのディノ・ランドールは、役人だって鼻先であしらってしまうんだ。アイツがぐうの音も出ないとなると、並み大抵の人物じゃないぜ」

「そういやぁオルフェって、太守様の名前じゃないか」

 もう一人の少年が、思い出し顔で言った。

「この州の太守は皇子様だぜ。こんなところを歩かれるものか」

「なに、皇子様って」

 マユラが聞いた。

「いま、このメイガス州の太守は、皇帝陛下の第二皇子で、皇位継承権第四位の、オルフェ・サラーム・ライディーン様が勤めておられるのだ。帝都の皇帝陛下の御次男様がこんなところを歩かれ、ましてや俺たちみたいな者に、言葉をかけてくださると思うか」

「うーん、それはないよね」

 マユラも、帝都の皇帝陛下や皇族方は、とても尊き方々、それこそ、雲上世界の天人に等しき存在と教わっている。こんな所でお目にかかれるとは、とても思えなかった。

「お兄ちゃん、おなかすいたよ」

 女の子が、しびれを切らして言った。

「おっと、忘れて悪かった。晩メシは、オレがおごるぜ」

「いいのかよ」

 気を使う少年に、

「任せておけよ」

 マユラは胸を叩いて請け合った。

「オレはルッソだ。こっちは友達のジン、そして妹のカーリーだ」

 ルッソはマユラと同い年ぐらいか、がっしりした体つきで、背丈もマユラより高い。性格もしっかり者という感じだ。ジンはちょっとひょうきんげな感じの、瘦せたチビで、マユラは親近感を覚えた。カーリーは三つ四つ下の瘦せた女の子で、薄汚いなりながらも、つぶらな瞳が可愛らしかった。

「マユラだ。志摩先生の弟子の、駆け出しのサムライ野郎さ」

「おまえ、ブレイヴ使いだな。ハヤブサみたいに鮮やかに剣を奪い取って、連中にこうっ、睨みを利かせた様は、ほれぼれするほどカッコよかったぜ」

 憧れの目で誉めそやすジンに、

「あんなの、ちょろいもんさ」

 などといいながら、マユラは相好を崩す。

「そうだ、君たちはアナハイムで最初の友達になってくれ。さあ、友情の握手だ」

 マユラは手を差し出す。

「よせよ、オレたちみたいなもんが友達だなんて、人に知られたら笑われるぜ」

「笑いたい奴には、笑わせておくさ」

 平然としたマユラの手を、ルッソは気が知れないといった顔で握り返した。

「スラムの外の人間と、友達になれるなんて思わなかったぜ。よろしくな、マユラの兄貴。いや、兄貴と呼ばせてもらうぜ」

 ジンは、いたく感激して手を握った。

 カーリーは、マユラと握手しながら、ふてくされた顔で、

「ゴハン」

 とひと言。

「よし、友達になった記念にレストランでごちそうするよ。ついて来な」

 歩き出すマユラだったが、ルッソたちは立ち止まっている。

「どうしたの、あっ、お金なら心配しなくていい。おごるって言ったからには、僕が持つよ」

「そうじゃない。オレたちはレストランには入れないぜ。店側がきっと嫌な顔をする」

「そんなの、知らん顔してりゃいいさ」

「ダメだ、きっと面倒なことになる」

 ルッソたちは、街で面倒を起こすのを、恐れているようだった。

「わかったよ、それなら考えがある。とにかくついて来な」

「・・・」

 それでもどうしたものかと迷っているルッソたちに、

「グズグズしてると、晩メシ逃げちゃうぞ」

 マユラは、さも心丈夫に手招きするのであった。

「特製ステーキ弁当、しかも大盛三つ、しめて十二ユーロ。こいつはなんだ」

 レストランの外で待っていたみんなの前に、支払いを任されたファズが、領収書片手に戻ってきてわめくと、マユラを睨みつけた。

「マユラ、おまえの注文だそうだな」

「はい」

「おまえ、ステーキ定食平らげた後に、大盛弁当三個も腹に入ったのかよ」

「いえ、友達におごったんです」

「アナハイムが初めてのおまえに、なんで友達がいるんだよ」

「友達になったんです。それでつい」

「それでついだと。ははーん、女だな」

「えっ!」

「とぼけるな。女の子の気を引こうとして、弁当をおごったんだろう」

「たしかに女の子もいたけど」

「ったく、食い物使ってナンパしようなんざ、十年早いんだ」

「すみません」

 アナハイム騎士学校の生徒たちとの一件を報告するのは、マズそうな気がしたので、ここはそういうことにしておけと、マユラは素直に謝った。

「すみませんじゃ済まないんだよ。だいたい・・・」

「うぎゃ!」

 ファズのお小言を聞いていたマユラは、突然頭に強烈な衝撃を受けて、マジ、目から火花が出た。

「コイツも反省しているし、こんなところでグダグダ説教してもだるいだけだ。これぐらいで許してやれ」

 バルドスだった。あのゴツイ手でげんこつ食らったかと思っただけで、頭がくらくらする。

「頭が割れるかと思いました」

「割れないように手加減したさ」

 バルドスは澄ましたものである。

「それじゃあ、シリウスに帰るぞ」

 志摩の言葉で、一行は動き出した。

 きらびやかな大都会の夜景を瞳に映しながら、舗装された道を歩くマユラの脳裏には、すこし前に、この夜景のきれいな都市の路地裏の、薄暗がりの空き地での一件が蘇っていた。文明の結晶のような大都市にも、人の痛みを意に介さない残酷な人間もいれば、弱者に寄り添う優しい人もいる。様々なことに思いを巡らせながらマユラは、アナハイムの最初の夜を行くのであった。

 








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