アサルトファング2

七突兵

第1話 プロローグ

 スクリーンのような横長の大きな窓から、アナハイム市街を一望できるその部屋は、アナハイムでも最も高級なホテル、リッツロイヤルの最上階、そしてプライスも最高の部屋である。

 アイボリーを基調とした広々したラウンジは、ここだけで標準クラスの客室の五六室分もある。更にプールのような浴室や、寝室のベッドはトロールでも横になれそうなサイズで、最上階のフロアの半分以上を占めていた。

 男が窓辺に立って、日の傾いた、しかし夕暮れにはまだ間のあるアナハイム市を俯瞰していた。百八十センチはある長身で、ブルーの瞳をした白人だった。年齢は五十歳前後、彫の深い顔は、若い頃は浮き名を流した美青年であったろうし、今もなかなかの男振りだ。スーツから靴に至るまで、一目でそれとわかる高級品で、右の手首には有名時計工房レックス社製のリストウォッチが巻かれていて、これ一つが、庶民には一財産といえるプライスだ。

「太陽の光は諸侯の宮殿も、庶民どものつまらぬ家々も分けへだてなく降り注ぐ、なぜかわかるかね」

 男はゆっくり振り返った。

 部屋には、他に五人ほどいた。このうち一人はドアのあたりに佇み、その油断のない目つき物腰から護衛とうかがえた。他の四人は思い思いにくつろいでいる様子だ。

 窓辺の男は見渡しながら、答えのあるのを期待するでもなく、

「光は尽きることがないからだ」

 自ら答えた。

「無尽蔵であれば、下賤どもにも惜しみなく与えるも良い。だが、人の世の富は無限ではない。ゆえに、その分配には知恵が働き、自ずと秩序が生まれる。すなわち、まずもって貴き所に重く注ぎ、やがて下々に巡らせる。それが道理というものであろう」

「もっともな仰せにございます」

 ソファーに腰かけ、ワイングラス片手の、ベージュのスーツの男が、お追従めいて言った。

「フェルムト国の客人はどう思われる」

 窓辺の男は、離れて立っている男に話を向けた。

「道理のあるご意見と存じます。我が国でも、リンゴは木より落ちますので」

 フェルムト国の男はスーツを着こなし、計算高げな目の銀行家を思わせる,中年男性であった。それにしても、ヴァルムやヴァルカンへの取締りが厳しいはずの大都会の、目ぬき通りに聳える高級ホテルの最上階の一室で、何のはばかりもなく、ヴァルカンの国フェルムトの者と認めるとは。そしてこの部屋にいる面々に、それを咎めようとする空気もないのだ。

「ドーマン殿はヴァルカンながら、民権論の青二才どもよりは、ずっと立派な見識をお持ちです」

 グラス片手のベージュのスーツの男が、愛想笑いして誉めそやす。表面の皮膚はよく動くが、その薄皮一枚下は、欲得ずくの鉄面皮がピクリともしない。そんな感じの男で、ベージュのカシミヤスーツの胸ポケットから、懐中時計の金鎖を垂らしたりして、いかにも金満家らしい。

 テーブルには大皿に、リンゴやキウイやマスカット、バナナにメロン、イチゴなどのフルーツが山と盛られていたが、ほとんどディスプレイで、男たちは酒の肴に別の皿の、サラミソーセージかキャビアをつまむかしていた。部屋は空調が効いていて、少し肌寒いが、からりとして心地よかった。

「州政府の評議会に、市民代表などという有象無象どもが加わることになったがために、評議会議長である伯爵様も、さぞやご苦労の多いことでしょう」

 こちらは明るいブラウンの上下は軍の将校の平時の制服。その胸に付けた階級章もきらびやかなこの人物は、アナハイム市のあるメイガス州の軍司令、エド・バーゼル準将であった。ベージュのスーツの金満家はロディ・ベック。ベック商会という交易会社を経営している。表向きは穀物が主な取り扱い品目だが、裏ではフェルムトから入るウィズメタルの流通を一手に取り仕切っていて、アナハイムでも指折りの資産家である。

 フェルムトよりの客人リグス・ドーマンは、アナハイム市におけるフェルムトの代表者にして、フェルムト系ヴァルカンの裏組織、フェルムトマフィアのボスである。そして窓辺の人物。ケネス・ランドール伯爵。メイガス州政府の評議会議長を務める、州政界の大立者。ベック氏のビジネスも、ランドール伯爵の後ろ盾があればこそだ。

「市民代表などという下賤どもなど、目障りになれば、潰せば済むこと。問題は、雲上人中の雲上人たるお方が、あのような者どもに肩入れなさっていることだ」

 ランドール伯爵は苦虫を嚙み潰す。

「クラウス・ユードリング。平民の出でありながら、皇子様の威光でアナハイム市長にまでなった、あの成り上がりの奸物が、いろいろと吹聴しているのでしょう」

 バーゼル司令の言葉に、

「いや、あの男はいけませんな」

 ベックも同調する。

「やたらと労働者や小商人どもに肩入れして、おかげで私の友人たちも、商売に差し障りが出て困っています」

「下々の喝采を浴びて、ヒーロー気取りの道化者よ。いい気になっていられるのも今のうち。いずれ、その分不相応な地位から引きずり下して、滑稽無残の一幕を演じさせてやるのだが、その時こそは、奴めの道化者の本領発揮、大いに楽しませてもらおう」

「まことに、その時の、ユードリングめの泣きっ面を見るのが楽しみですな」

 ベックはほくそ笑んだ。ランドール伯爵のここまでの敵意を買って、生きながらえた者は皆無だった。

「大掃除をせねばならぬのはわかりますが、皇子様の肩入れがあっては、うかつには手を出せませぬぞ」

 バーゼル司令の懸念に、

「なんとでもなる」

 ランドール伯爵はうそぶいた。

「あの方にもアナハイム、いや、メイガス州の真の支配者は誰なのか、分かっていただかねばならん」

 ランドール伯爵は、それからドーマンへと顔を向けた。

「ナタールで、組織が一つ潰されたそうだな」

「ムラサメにしてやられました」

 ドーマンは平然として答えた。

「しかし、元々が大した量を扱っていません。我々が、アナハイムでさばいている量の、十分の一にもなりません」

「油断は禁物だぞ。いつだれが、こちらの市場に割り込んで来ぬとも限らん」

「その時は、戦争をするだけです」

「勇ましいが、よそで負けていて、こちらでは勝てるとどうして言い切れる」

「ナタールの組織の大半は、ゴロツキ程度の者どもです。しかし、ここアナハイムは、我らにとっても決して譲れぬ場所。ゆえに、いま私の配下にあるのはフェルムト軍中でも選りすぐりの者たち。質が違います」

「なるほどな。その時は我らも力を貸す。十分過ぎる戦力というわけだ」

「お心遣い、感謝します」

「なに、貴殿らとは持ちつ持たれつだからな」

 ランドール伯爵は、鷹揚に応えた。フェルムトマフィアのもたらすウィズメタル交易の利権に、ランドール伯爵を中心とする、メイガス州の政官界は、どっぷりと浸かっていたのである。

「ナタールでは、いつかこのようなことがあるのではと、危惧しておりましたが」

「なぜです」

 ベック氏が聞いた。

「任されていた者がいささか未熟ゆえに、気にかかっていたのです」

「お知り合いで」

「兄弟子です。門下では最年長でありながら、一番不出来の者でした。しかし私を実の弟のように思い、自ら愚兄賢弟などと言って慕ってくれました」

「なるほど。で、その方はどうなりました」

「死にました」

「それは、お気の毒に」

 商売上使い慣れているであろう、すこぶる表面的なお悔やみだった。

 シャキッ、固く、みずみずしい果肉にかじりつく音がした。一同の視線が集まる先、この部屋にいたもう一人の男が、リンゴを食べていた。

「うまそうだったので、つい手が伸びました」

 弁解じみたひと言のあと、男はサクサク音を立ててリンゴを食べる。

 この場にいるのが間違いなような男だった。綿のシャツに薄手のジャケット、ズボン、ともに安物でよれよれだ。サンダル履きで、その姿は下町をうろつくオヤジであり、リッツロイヤルの客層とは思えないしけたなりだ。

「丈夫そうな歯ですな」

 ベック氏は商人らしく、気さくに声をかける。

「どういたしまして。私どもは皆様と違って体が資本というやつですので」

「いやいや、私も歯には気をつけております。虫歯では、料理も美味くないですからな。お困りの時には、声をかけくだされたら、腕のいい歯科医を紹介しますよ」

「お高いのでしょう」

「一本五百ユーロ(この世界の一ユーロは現在のおよそ五倍の価値)も出せば、きっちり面倒見てくれます」

「そんなのじゃ歯を治しても、水しか飲めませんよ」

「心配なさいますな。伯爵様は報酬を出し惜しみされません。功を立てれば、歯医者代など鼻紙みたいなものです。あなたもそのつもりできたのでしょう」

「雇われるなら景気の良い雇い主に越したことはない。その点ランドール伯爵様は、申し分ありませんからな」

「アスタム君、だったかな」

 ランドール伯爵がよれよれジャケットの男に声をかけた。

「ジョン・アスタムです」

「ふむ、ベック君も言った通り私は報酬を惜しまぬし、キミにもいろいろ働いてもらうつもりだ。ただ、君の自慢がその歯の他にないと言うのであれば、命を落とすことになるのだがね」

「私も、私の部下どもも歯は丈夫ですが、腕はもっと逞しいです。いずれ伯爵様の邪魔者は、リンゴよりもたやすく平らげて見せましょう」

アスタムは、リンゴの食べかすを、七八メートルさきのゴミ箱に投げ入れた。コントロールは見事だったが、上流階級の人物の前では、いささか不躾な行為だった。

「大した自信だが」

 ランドール伯爵は、護衛に目をやった。

「アスタム君は、乱雪、君の推薦だったね」

 護衛として控えているこの男も、アナハイムの実力者たちとともにあるだけに、ただの護衛ではない。スーツのジャケットの下はアンダーウェアにミスリルのボディーアーマーを重ねた準装甲。ズボンの腰には刀剣用のガンベルトとも言うべき剣帯を締め、ホルスターに差しているのは剣ではなく、反りのある大刀だった。中背で彫像のように緩みのない体格。やや面長で鼻柱の太い四十前後の黄色人で、眼には険をはらみ、闘犬を思わせる面構えのこの男は、キイ乱雪。ランドール伯爵に仕えるサムライで、流派は天翔一刀流、腕は師範格の使い手である。

「わたしの期待に応えてくれそうかね」

「いま雇える者の中では、最高かと思いますが」

「君がそこまで言うのならハズレはないだろうが」

「その名を聞けば、オウガでさえも逃げ出すと言われる、斬り手キイ乱雪殿に、そこまで買って頂けるよは光栄ですな」

「オウガなら斬った事があるよ。もっとも、バルクオウガでもグンジーでもない普通のオウガだ。自慢にならないがね」

 たとえ普通のオウガでも、ヴァルムの群れにオウガがいるかいないかで、討伐の難度が変わる、オウガはそれほどの存在であり。オウガを倒せるということは、上級戦士の証でもあるのだ。

「君はどうかね」

「一度だけあります。私は対ヴァルム戦よりは、ヴァルカンも含めて、対人戦の方が多いので」

「私も、どちらかというと、そっちの方が好きだよ」

 乱雪はニヤリと笑った。その表情に、一種病的なものを感じたアスタムは、この男に関する噂を思い出した。キイ乱雪は単なる護衛ではなく、ランドール家の汚れ仕事の片付け役でもあり、人を斬らねばならぬとき、この男は嬉々として事に臨み、女子供に対しても、寸毫の容赦も見せぬという。

「ヴァルムとやり合うのも楽しいが、人の斬り味は格別なのだよ。強い弱いとかは関係なく、ズバッと斬りつけて、命が消える瞬間の妙味というかコクというか、微妙だが他には無い独特の手応えがたまらぬのだ」

 噂は本当だった、キイ乱雪は人斬りモノマニア。同じ雇い主の下で働くにしても、心を許せる相手ではない。

「おぬしもそう思わぬか」

「さあ、未熟ゆえに、ご貴殿のような、玄妙の味わいを汲める域には達していないのだが」

 内心、おぬしと同類はご免被るアスタムだったが、

「もちろん、貴殿には及ばなくとも、そこいらの剣士にひけをとるものではない。俺を買ってくれた貴殿の見識が疑われるような事はせぬ。その辺はまあ、論より証拠というやつだ」

 ひと言乱雪の自尊心をくすぐっておいて、自らの腕も誇示する。

「証拠を示す機会なら、そのうち与えられるであろう」

 ランドール伯爵は、まるで庭師に仕事の予定を伝えるような口調であった。



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