25羽 天使の歌と散りゆく旅人の声
夕食時、カレルドは酒を飲んで荒れるのではないか、と懸念していたのだが、実際には口数も少なく、かなり沈んでいる様子を見せた。
飲んでも酔えない、というのはこういう状態を言うのだろうと、客観的に見て思う。精神的に相当堪えているのだろう、私に当り散らすこともなく、静かに酒を飲み続けている。
特に、家族や婚約者の安否を気にしているのだろう。だがそれを口にしないでいるカレルドに対し、私がその人達や村の事を口に出すべきでは無い。だが、食事の時でさえ沈痛な面持ちでいる彼に、私が何か出来る事はないだろうか。
ふと周囲を見回すと、酒場の隅に置かれた竪琴が目に付いた。
「少し、席を外すね」
「ああ」
厠へ行くと思ったのだろう、カレルドは小さく答えると、頭を抱えるようにうつむいた。
私は席を立ち、近くに居た女店員の側へと歩み寄る。
「あの……あそこに置いてある竪琴、使っていいですか?」
「誰かの忘れ物さ。壊さないように使うんならいいよ。……で、あんたは楽士かい?」
ただの旅人にしか見えない私の風体に、彼女は訝しがる。
「いえ、旅の連れが落ち込んでいるので、少し気を紛らわせようかと」
「あんたが弾けるならいいよ。歌も音痴じゃなきゃ勝手に歌いな。ここはそういう場所さ」
そう言って彼女は笑った。誰に確認することも無く答えるあたり、この店の女将なのだろう。
「ありがとうございます」
私は頭を下げると、竪琴に駆け寄る。
早速手にして二・三本弾いてみるが、店の喧騒に紛れ、誰もその音に気付かない。更に弾いてみるが、音程が狂っている様子はなく、思いのほか調律されていたので、私はほっとした。
天界に居る頃に使っていたものとは形が異なるが、竪琴は得意だったので特に心配していない。
私はカレルドの待つ席には戻らずに、曲を奏で始める。
「あなたが憩う場所が
移ろう時に姿を変えようとも
瞳を閉じてごらん
瞼に映るその風景や人の笑顔
優しさもその愛しさも
旅に出たあなたの心を癒す
思い出が変わることは無いから
振り返らずに歩いて行こう
悲しくなったら記憶の箱を開いてみよう
記憶の中にあるものは決して変わらない
ただ薄れ行くその中身も
新しい思い出が少しずつ埋めていくから」
何時の事だったろうか、何処だったろうか。これはひとりの旅人が死の間際に路傍で歌っていたもの。名のある吟遊詩人であったとは思えなかったが、それは何故か私の心に記憶に残っていた。
私が何かを感じたように、カレルドにも響いて欲しかった。私がこの曲を歌った理由を、これ以上は自分でも上手く説明できない。けれど分かっている事がある。天界の歌を歌ったところで、きっと人の心に与える印象は異なるだろうし、それを歌うことが正しいとも思えなかった。
「ふう……」
歌い終えると私は小さく息を吐いた。
気付くと、いつの間にかあれ程うるさかった店内は静まり返っていた。そして、私が弦から手を話した直後、歓声と拍手が沸き起こった。
気恥ずかしさに、そそくさとその場を離れようとすると、硬貨が飛んできて私を驚かせた。
「あ、いや、そういうつもりじゃ……」
止めるように手を前面に押し出して訴え掛けるが、拍手も歓声も止まない。見かねた女将さんが寄って来て、私の腕を掴んで制止する。
「いいんだよ、酔っ払い達の気持ちさ。貰っておきな」
女将さんは手早く硬貨を拾い集めると、歓声に立ち尽くす私のポケットに詰め込んでくれた。
「あんたの相棒も何かを感じたんじゃないかい?」
女将さんの言葉に、はっとしてカレルドを見ると、彼は優しい瞳で私を見つめていた。
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