第三章 チリン・ベルコート ~東部戦線に吹く風~

第26話 東部基地の情景

 しばらく目を閉じている間に列車は駅へとたどり着き、通路を廻ってきたリースがさっさと降りろと声を張る。東部基地のあるシュトラは、エントラとは打って変わって大自然の中にある。降りたホームからは延々と広がる麦畑が見えた。そして畑の中にポツンと、如何にも周囲から浮いている様子の建物が一つ。何故だかモラートは得意げに、その謎の建造物を指さして言う。


「あれが東部基地だ。グズネイという人が基地長をやっている。ああ見えて設備もいいし、いい場所だ。ま、周囲には何もないけどな」


 列車後部の車両から、大量の武器や兵装が運び出されていく。リースが無言のうちに手伝え、と目で命令するので、俺は慌てて荷物運びを手伝う。巨大な鉄の塊や堅牢な兵器の数々の運搬は、運動不足の俺には極めて過酷な仕事である。しかし、如何にも鍛えている風のモラートともかく、俺よりもはるかに細腕に見えるリースでさえ、涼しい顔をして仕事をしている。


「流石は訓練を受けた軍隊、いうわけか……」


 言われるがままにこの場所に来てしまったが、本当に俺は大丈夫なのだろうか。戦争の、戦いの過酷さと恐ろしさは身をもって知っているつもりだ。しかし戦争をやる側になったのは初めてのことだ。どんな苦労があるかなんて見当もつかない。そもそも体力が持つのだろうか?


「さあ、ビシバシ働け! さっさと兵器を運び込むんだ! 少しでも遅れたら、その軟な尻を蹴っ飛ばすぞ!」


 ふと気が付けば、チリンが他の荷物運び要員たちに激しい口調で檄を飛ばしている。そこにはやはり、公園で弱弱しい溜息を吐いていた少女の面影はない。彼女にとっては……どうなのだろう? 彼女はオスローと同じ、特別な能力を持っている人間のはずだ。彼女にとって戦いとは? やはり怖いのだろうか、恐ろしいのだろうか……。チリンの気の強そうな横顔を見ながら、俺はそんなことを考えていた。


 数百メートル離れた東部基地の建物に、全身汗だくになりながら積み荷を運び終えた後は、隊員たちはそれぞれの部屋へと案内された。新入りの俺は三人の相部屋が割り当てられ、俺とモラート、それからマイネルという小柄な隊員が同室だった。


「マイネル・フラウトです。レイル……で合ってたかな」


「ええ。レイル・フリークです。新入りですが、どうかよろしく……」


「よろしく」マイネルは挨拶も程ほどに、半開きの目で俺の全身をじろじろと見まわした。「……アメリア様からの手紙には『必ず戦力になる』って書いてあったけど、見た目はそんな気配、微塵も感じないんだけど……」


「えっ、それは、まあ……」


 いきなりの正論、至極当然の意見に俺はたじろいだ。確かに俺は悪魔の力を借りる、というより、悪魔に体を操ってもらわなければ戦闘行為など何もできないのである。俺が返答に困っていると、モラートがハハハと高笑いをして、


「いやいや、マイネル。こういう一見か弱そうな奴が、案外力強かったりするものさ」


「君は小説や絵本の読みすぎだ。……大体君、銃は使えるのか? 投擲の訓練は受けているのか? まさか君は戦場に、その古臭い剣一本で駆けつける気なのか?」


「いいじゃないか、それだって。それにその刀、ただの骨董品じゃないようだぞ? 先日彼と話したのだが、どうやらそれをもって戦いに赴くと、不思議な力が湧いてくるのだとか。……まるで、剣聖たちの持っている聖剣と似ているじゃないか。俺は前々からね、あの不思議な遺物がたった十二本しかないというのはどうにも腑に落ちなかったんだ。もしかしたら、レイルが拾ったとかいうこの剣も、聖剣に類する何かなんじゃないかと……」


 モラートが突然堰を切ったように熱く語りだしたが、マイネルは憮然とした表情を崩さない。


「フン、結局オカルトか。気に食わない……」


「オカルトなものか」マイネルは信じられないという表情で反論する。「お前だって見てきただろう? "十二聖剣"の方々の超常的な能力の数々を……」


「別に、信用してねえってわけじゃない。ただ、自分が理屈を理解できないものに、命や人生を預けるというのが、僕の性分に合わないというだけさ」


「変なところで意固地だな、相変わらず」


 モラートが呆れたように首を振ると、マイネルは備え付けの三段ベッドの下段に体を放り投げて、


「当然。俺はもう、科学教の崇拝者として生きることに決めているんだ」


と言ってから、そのまま寝息を立て始めた。俺とモラートは顔を見合わせて、わざとらしく肩をすくませた。


 持ってきた荷物の整理も終わり、手持無沙汰になった。マイネルは熟睡して、モラートも彼の後に続くようにベッドに寝転がって動かなくなったので、俺は一人になった──外の空気でも吸おうかと思い立った俺は、基地の詰所から一人抜け出した。


 エントラの本部基地とは違い、柵の外に出てみても店はなく、人影も疎らである。太陽も西に大きく傾いて、あと一時間もすれば山の影に隠れてしまうだろう。緑豊かな田舎の夕刻。戦争が近づいているとは思えない牧歌的な風景……。


 特にあてもなく周辺をふらついていると、小さな川沿いの土手の斜面に見たことのある顔を見つけた──昼間は毅然とした表情で、隊員たちにバシバシ指示を出していたチリンだった。しかし橙色の光に照らされた彼女の顔は、いつぞや会った時のようなアンニュイな雰囲気を帯びていた。


「なんというか……気性の変化の激しい人なんだな……」


 俺は彼女の方にそろそろと歩いて行って、静かに声をかけた。俺の声に気が付いたチリンは、眠そうな瞳で俺の方を見上げ、


「ああ、レイルさん……」


と消え入りそうなか細い声で答えるのだった。

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