呪いの力で生き返った少年が聖剣使いの少女たちに挑むようです

赤河令

第1話 呪われた雨の日

 雨の中を一人、歩いていた。


 地獄という場所を見たことはないが、それはきっとこんな光景なのだろう──朦朧とした意識の中で俺は思った。咽るような硝煙の匂い。辺り一面に散乱した瓦礫。それから、不自然な格好で転がっている死体の数々……。


 周囲を見回しても俺以外に立っている人間は皆無だった。自分以外みんな死んでしまったか、呻き声すら上げられない程重傷なのだろう。そしてあと数分も立てば、俺もそいつらの仲間入りを果たすことは間違いない──体中に突き刺さった木片や弾痕、雨の雫とともに滴る血の流れをぼんやりと眺めながら、そんなことを考える。


 その変化は、あまりにも唐突で、劇的で、残酷だった──戦争が起こったのである。


 俺が今立っている場所は、"レイビス"という名前で呼ばれていた。大都市から離れた田舎町、決して豊かでこそなかったけれど、人々の活気と笑顔の溢れる素晴らしい場所だった。美しい煉瓦造りの建物が立ち並ぶその場所が、爆薬と銃弾、悲鳴と怒号溢れる戦場に変わったのが、つい数時間前のことである。


 レイビスは二つの巨大な国、エントリアとリーベルンという国に挟まれて存在していた。互いに仲の悪い二つの国が軍事的に衝突すれば、レイビスは必然的に激戦区となる運命にあった。数時間前、エントリアとリーベルンの軍隊はレイビスで激突した。二つの勢力は互いを滅ぼそうとあらん限りの戦力を投入し、相手を攻撃する。レイビスに暮らす人々は、完全に無関係な二つの国のいざこざに巻き込まれた挙句、爆撃と銃弾に倒れて命を落としていったのだ。


 たったの数時間。数時間のうちに街は瓦礫だらけの更地となり、俺の友人も、家族も、何もかもが失われた。そして今、辛うじて即死を免れて、街の残骸の中をあてもなく彷徨っていた俺の命も、とうとう尽きようとしていた──突然足の力が抜け、俺は膝から地面に崩れ落ちた。まずい、とは思ったが、既に体の自由が殆ど効かない。俺はそのまま前のめりに、雨でぐしゃぐしゃになった泥の上に倒れこんだ。


「……ぐ……うう……」


 歯の間から唸るような呻き声が漏れた。潮が引くように急激に、体中の力が抜けていく。死が近づいている──そう確信した。全身を雨に打たれ、誰にも看取られることなく、俺は無残にも死ぬに違いない。湧き上がる恐怖心と理不尽への怒りに、傷だらけの右手に力を込めてみるが、茶色の泥は大した手ごたえもなく、指の間をすり抜けていくだけだった。


「……くそ……ちくしょう……」


 意識が遠のいてゆく。降りしきる雨の音も次第に聞こえなくなり、ついには視界がぼやけてくる。五感が完全に狂ってきている──そのせいか、俺は自分の前方から歩いてくる人影の存在に気が付かなかった。


「ひどい傷ですね。まだ息がある、しかし今にも死んでしまいそう……」


 女の声が聞こえた。俺は首を少しだけ動かして、前を見る。全身黒い身なりの人物が、俺のことを見下しながら佇んでいた。ああ、きっとこれが、俗にいう死神というやつに違いない……。


「……この場所は……レイビスでしょうか。酷いことをしますね、あの人も……」




 その人影は俺の傍にしゃがみこんで、覗き込むように俺の顔を見つめてきた。既に俺の視界は曇りガラス越しの風景のように滲んでいて、そいつの表情は判然としない。俺の汚れた顔を優しく撫でながら、静かに語り掛けてくる。


「あなたは……彼らを恨みますか? あなたの生活を理不尽に奪った連中を……」


「……」


「大国の連中……あなたの知り合いたちの命を蹂躙した奴らを、恨んでいますか? 憎んでいますか? 悔しいと思いますか?」


「……う……うう……」


 そいつが何を意図して喋っているのかは分からない。死にかけの人間に対して、何故そんな問いかけをするのだろう。しかし俺の声帯は、ほとんど無意識の内に声を絞り出していた。


「……悔しい……憎い……」


「……」


「……あいつらが……心の底から憎い……」


「フフ、そうですか。……そうですよね」


 甘ったるい声の返答。その直後、声を出したことで限界が訪れたのか、俺の視界は急速に光を失っていった。全てが黒色に塗りつぶされていく。何も聞こえなくなっていく。何も考えられなくなっていく……。


「……いいでしょう。そう思うのなら、力を与えましょう。あの愚かな連中に、復讐を遂げるだけの力を……」


 目の前の影は、最後にそんなことを言った。


 それが俺の、最期の記憶だった。

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