閑話1 ある学生の小野間に対する印象

 小野間志穗さんは、いつも凛としているような女性だった。見た目は可愛いのに、クールな雰囲気を醸し出す人。


 私が彼女を最初に目撃したのは高校の入学式の時だった。彼女は新入生代表の挨拶で壇上に上がり、祝辞のお礼と抱負を読み上げていた。


「あたたかな春のおとずれと共に、私たちは……」


 高く透き通るような声で、私と同い年の女性とは思えないような賢そうな雰囲気があって、代表の挨拶も緊張することなく堂々とした態度で行う姿を見て凄い人なんだと思った。


 入学式が終わった後、彼女の噂もよく聞いた。小中学生の頃から人を寄せ付けないオーラを放っている人。親しくしている友人も居ないらしくて、放課後はいつも一人で居たという。


 高校生になっても変わらず一人で過ごすことが多い小野間さん。誰かと一緒に談笑している姿を見たことが無い。近寄りがたいというオーラを感じて、容易に声を掛けづらかった。


 成績優秀だし、体力測定でスポーツも万能だということが発覚した。しかも美人で、並の感性の持ち主では関わり合いになるのは難しいだろうと判断していた。遠目から、彼女の動向を観察するだけで精一杯だ。




 ある時、私が担任の先生から雑用を押し付けられた時のことだ。資料室から重たいダンボール箱を持ってくるように言われた。なんで私なんだろうと、心の中で疑問と不満を吐き出していると彼女が目の前に現れた。


「あ」

「こんにちは」


「あの、えっと……こんにちは」


 ダンボール箱を抱えて運んでいる最中、向かい側から歩いてきた小野間さんと不意に目が合った。そして初めて交わした挨拶。思っていたよりも、普通に彼女から挨拶をしてくれて私は、アワアワと慌てていた。すると向こうから質問をしてきた。


「そのダンボール箱、どうしたの?」

「あ、これは、えっと、その」


 彼女は、慌てて上手く答えられない私が落ち着くまで待ってくれていた。深呼吸をして、改めて質問に答える。


「先生から、雑用を押し付けられちゃいました」

「重そうね。貸して、私が代わりに運んであげる」


「え?」


 そう言って、私が持っているダンボール箱を奪い取った小野間さん。しかも、軽々と持ち上げてしまう。あんなに重かったのに、彼女にとってはそれ程の重さじゃないらしい。


「重いんですけど、大丈夫ですか? 雑用は私が先生から」

「心配しないで大丈夫。それよりも、貴女のほうが心配。腕が震えているし任せて」


 私の言葉を遮って、任せてと言ってくれる小野間さん。正直言って、ダンボール箱を持っていた腕が限界ギリギリだった。だから、彼女のお言葉に甘えて任せることにした。


 ダンボール箱を預けて軽快になった私と、ダンボール箱を受け取って運んでくれている小野間さんと並んで学校内を歩く。


 職員室までダンボール箱を運んでもらっている間、何を話したら良いか分からず、しょうもない天気の話をしてしまった。


「いい天気、ですね」

「そうね」


「……」

「……」


 すぐ会話が途切れてしまう。もっとお話してみたいと思うけど、横でダンボール箱を運んでもらって、さらに鬱陶しい会話を繰り広げたら怒るだろうと思って、結局は思うように話せないまま目的地に到着してしまった。


「扉を開けてくれる?」

「あ、はい。もちろん」


 両手が塞がっている小野間さんの代わりに、急いで職員室の扉を開いた。すると、扉を開く大きな音が職員室の壁に響いて、中に居た先生たちの注目を集める。


「お、持ってきてくれたか河野。っと、もうひとり?」

「小野間です」


 私に雑用を押し付けた先生が気付いて、声を掛けてくる。そして隣でダンボール箱を持ってくれている小野間さんにも気付いた。その瞬間、先生がピタッと動きを止めたのを私は目撃した。


「ダンボール箱、ここに置いていいですか?」

「え? あ、お、おう。地面の上に置いてくれ」


 平常心を保ちながら凛々しく対応する小野間さんに、目を見開き畏怖を感じているように見える先生。


「えっと、なんで小野間がここに?」

「河野さんの手伝いで、持ってきました」


 小野間さんの口から、私の名字が飛び出した。知ってくれていた事に驚いて、次に嬉しくて喜んだ。


「そ、そうなのか。ありがとう」

「今度から力の必要な雑用は、男子に頼んで下さい」


「す、すまん。次からは気を付ける」

「失礼します」


 威厳を感じる堂々とした態度で、先生にものを言う小野間さん。むしろ先生のほうが恐縮した態度で接しているのを見て、小野間さんは本当に凄い人なんだと思った。言いたいことをハッキリ伝えて、そのまま職員室から出ていってしまった。



 これが私と小野間さんとの間に起こった小さな接点となる出来事だが、強烈に記憶として残っている思い出だった。



 そんな事があって、またしばらく経って彼女が学校に来なくなった。根も葉も無いような噂を流されて、学校中で陰口を叩かれるようになっていた。


 なんとか解決してあげたいと思うけれど、私なんかではどうしようもなくて、何も出来ずに事態を見守ることしか出来なかった。


 小野間さんがイジメに遭って登校拒否をしている、という噂も聞こえてきたけれど私は嘘だと思った。万が一、彼女がイジメられたとしたら、自力で跳ね除けるだろうと思ったから。学校に来ていないのは、何か別の事情があるんだろうと私は確信していた。


 しかし事実は、小野間さんが本当にイジメの標的にされ精神的に病んでしまったという事らしい。それでも、私は信じなかった。彼女がイジメを受けて弱っている姿が全くイメージできなかったから。


 イジメの被害が本当だったと発覚した瞬間から、学校内ではピタッと小野間さんに関する話し合いが行われる事は無かった。自分たちの学校で、イジメがあった事実を受け入れられない先生や生徒が多かったのだろう。


 彼女の話題はタブーとして、高校では語られなくなった。話題にも出てこないし、小野間さんは最初から居なかった、というような扱いをされていた。


 時間が経つにつれて、少しずつ生徒達から小野間さんに関する記憶は薄れていったと思う。私も一回だけ会話したことがある程度で、友達でもなかったから小野間さんの記憶が薄れていく。


 けれど、小野間さんは凄い人だった、というイメージだけは私の中に強烈に残っていた。あんな人が、女優やタレントのような平凡な自分とは違う、芸能界に行ったりするんだろうな、と思ったりもする。


 まさか後になって、あんな形で再び小野間さんの置かれた現状を知る事になるとは予想できなかった。そして彼女の活躍を知って喜ぶ事になる未来について、この時の私はまだ知らない。

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