最後の手紙

マスカレード

第1話

 久しぶりに実家を訪ねた。


 子供が小さなころは、祖父母と孫がお互いに会いたがるので、私は子供を車に乗せて高速に乗り、片道1時間の道のりをよく往復したものだ。


 だが、子供がすっかり手を離れ、友人たちと一緒にいるのを好むようになってから、実家へ足を向けるのは、どんどん間隔が開いていった。


 キッチンの勝手口から入って辺りを見回すと、きれい好きな両親は、相変わらずどこもかしこも手を抜かずにぴかぴかに磨き上げているようで、シンクもテーブルも曇りがなく、余分なものが無い部屋は整然と片付いていた。


 広い庭も同じように、欠かさず手入れをしているようで、芝生に混じる雑草もなく、枯山水を模した石を敷いた池にも、落ち葉は一枚も落ちていず、花壇には季節の花が咲き乱れていて、いつ見ても写真のように美しい庭だった。


 小さなころから汚さないでと言われ続けた私にとっては、キッチンとダイニングに続く居間に腰を下ろすときでも、邪魔にならない場所を探してしまうような窮屈さを感じる家でもある。


 大きな庭と大きな家を整然と保つには、常に細かい気配りと体力がいる。両親はいつもエネルギッシュに働き続けていて、芸術肌の私とは興味を持つものも、行動も違う人種のように感じていた。


 でも、最近体力が落ちたと電話でこぼすことが多くなり、元気づけるために何か月ぶりかで実家を訪ねてみた。

 ダイニングテーブルを囲ってお茶を飲み、最近の話に花を咲かせながら二人の様子を見ていたが、とても元気で私が元気づけるまでもないとほっとする。


 和やかな団らんを遮るように、郵便配達のバイクのエンジンの音が大きくなって停まり、家の壁に組み込まれた郵便ボックスの中に、郵便物が放り込まれる音がした。


 私は席を立って玄関に行き、壁の一角にある取手を開いて、投函された沢山の郵便物を箱から出そうとすると、私の手を滑りぬけ、一枚のはがきが音もたてずにひらひらと、磨きこまれた床の上に着地する。


 腰をかがめて拾おうとして、見るともなしに文面に目がいってしまい、たった数行の乱れた文字を読んで衝撃を受けた。


「友よ、今までありがとう。

 これが最後の手紙になるだろう。

 これからは、思い出の中で人生を分かちあおう」


 裏を返して見ると、代筆を頼んだのか、きれいな文字で父の名前と、差出人の名前が書いてある。見てはいけない物をみてしまったような気まずさと、切なさが同時に押し寄せ、慌ててはがきを郵便物の一番下に隠すと、素知らぬ顔でリビングに持っていった。


 父は次々と郵便物に目を通して、要るものと要らないものに仕分けして、一番下にあったはがきの差出人に目を留めると、一瞬口元をほころばせてからそれを裏返した。


 途端に驚いたような顔になるが、すぐに表情を隠し、数行しかない文章をなぞるように視線が何度も上下する。

 ぎゅっと口が引き締まり、ハガキを持つ手が少し震えているように見えた。


 父は電話の横に置いてある電話帳を繰り、番号をプッシュしたが、呼び出し音が鳴る間にも緊張して待っていることが、受話器を握りしめて変色している手から伝わってきた。


 母も私も口を利かず、新聞を読んだり、パソコンの画面を見るふりで、神経は父の電話の相手へと集中していた。父がハッとして姿勢を正す。どうやら相手に繋がったようだ。


「ああ、もしもし、和弘です。佐竹和弘。ああ、手紙をもらったよ。いったいどうしたんだ」


 父が頷きながら相手の話を聞いている様子から、相手がまだ元気にしゃべっているのだと分かり、私はほっとして肩の力を抜いた。ところが、次の言葉でパソコンをいじっているフリもできず、父の背中をじっと見つめてしまった。


「脳梗塞?ああ、右半身の麻痺でそんなに長い間リハビリをしていたんだ。そうか、それなのに一生懸命書いてくれたんだな。ありがとう」


 父の声が詰まって、肩が震えている。いつも背筋をぴんと伸ばして姿勢の良い姿を見慣れているだけに、丸まった背中から父の感情が滲み出てくるように感じた。


「そんなに、連れないこというなよ。これからだって会えるだろ?うん。手紙や年賀状は書けないなら仕方ないよ。また、会おう。会いに行くよ。さよならなんて言うなよ」


 父の声が裏返って眼がしらを抑えて会話が途切れた。

私に向き合うときは、いつも心配をかけまいとするのか、元気一杯に振舞っているのに、同年代の友人を失おうとしている今、虚勢も崩れ、父はたただの老いた人のようだった。


 こんなに痩せていただろうか?私は父をそっと見つめた。

 指の脂肪はほとんど無く節くれ立って、シミが濃く浮いている。

 友人に会いにいくよといいながら、その実、もう運転さえも覚束なくて、遠くへ出かけることもなくなった父には、それがどんなに虚しい口約束なのか分かっていて、泣くまいと必死で歯を食いしばっている。


「ああ、元気で。またな」


 受話器を置く手が震え、こちらを振り向いた父の目は真っ赤だった。

 誰も何も言わず、母もさっと席を立って、父のためにお茶を入れてテーブルの上に出す。

 父はハガキを手にして、小学生が書いたような文字をじっと眺めていた。


「お父さん。私が運転していこうか?その住所温泉街でしょ?旅行がてら泊まりがけで行ってみようよ」


 ハガキからパッと目をあげ、父がテーブルをはさんで身を乗り出した。

「ほんとか?連れていってくれるか?」


 いつもかくしゃくとして、私の上に君臨していた親は、子供のように期待を込めた目で私を見つめる。私が頷くと、父はサイドボードにあった便せんを持ってきて、ありったけの思いを込めて書き始めた。

 そして、友人の最後の手紙への返事は、電話での約束を果たす言葉で締めくくられた。


「待っていてくれ。必ず会いにいくよ」



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