【理解】そして蕾が結ばれる
人は理解できないものを目の前にした時、多くの場合拒絶反応を起こす。起こさざるを得ない。
だってそうだろう。眼前に佇む銀色の筒。時々唸りを上げ、思い出したかのようにところどころがピカピカと光るそれを、父親だと言われたところで理解できない。
「ぁー……これが?」
僕が首を傾げ、白衣の男性(何度か見たことがある。父の助手の一人だ)に聞くと、彼は頷いた。
「お父様の成し遂げた偉業は素晴らしいものです。ですので、【理解】への接続による保存を優先させていただきました。それが」
その結果が、これ、と。
「会話、できるんですか?」
どう見ても筒だ。まぁ、声をかければ音楽や配信動画を検索して流してくれる端末だってあるんだ。それくらいできるだろうと思い至るのが自然だが、この時僕は面食らってしまっていた。
だって、どうみても光る馬鹿でかい水筒だ。
「えぇ、もちろんですとも。ただ音声入力には対応させておりません」
「どうして」
雑音が多くて、と助手の人が答える。拾う音域は狭められるだろうに、よく解らない。人の声の帯域にだけ対応させるわけには行かないのだろうか。
問えば、
「あぁ、ええとですね……これはその、機密に触れることなので……」
「あ、すいません。まぁ、父が関わるような仕事はだいたいそうでしたから」
「これからも、そうだと思いますよ」
書面上は故人ではない、という事実に感情が追いつかない。
肺に花が咲いて、荼毘に付したのは一ヶ月前。
死因は人体に花が生える病、結花病。その第一人者だった父は、皮肉にもその病に倒れた。当時の(そして今も)死亡率は百パーセント。生き残ったものはいない。感染経路を突き止めた父の功績はたったそれだけで偉業と崇められた。そして同時に、世界は絶望した。
空気感染によって広がる病。汚染されていない箇所はほぼ存在せず、宇宙船のような設備を地中に作ることで人間は生活圏を確保せざるをえなかった。
だから、ここも当然穴蔵の中。太陽を見たのは何度あるだろうか。中学生の頃、防護服に身を包んで空を見上げたのが懐かしい。
今はそれを振り切る。目の前の父と向かい合う。
感情的な母がいたらどんな反応をしたろう。彼女はもう家族関係ではない。姉は母と比較して落ち着いているほうだが、僕のように冷淡ではない。きっと、姉を基準にしたほうがいいのだろう。
僕は、向かい合った父との対話方法に驚いた。
「キーボード、ですか」
「脳直結型は人間側に負荷が大きすぎまして……あ、いえ、これは【理解】接続者が人間でないという意味ではなく……」
「あ、大丈夫ですよ。まぁこれを前に人間でございと言われても、ねぇ?」
苦笑で返す。
「しかし久しぶりだな」
そういって鍵盤を叩く。
そういえばピアノはついぞ下手なままだった。限られた閉鎖空間の中で楽器なんてものを触らせてもらえる、その幸福の意味を理解していなかった。
『おはよう、父さん。これ、死亡時じゃなくてその一ヶ月前の脳がインプットされてるんだって?』
叩けば音の代わりに文字列が並ぶ、後ろで助手が息を呑む音がする。
驚いているのだろうし、家族間でこんな話題をいきなり切り出すのも異常なのだろう。
……そもそも。【理解】接続者とその家族との会話サンプル自体が極めて少ないのかもしれない。
だから、助手がどんな反応をしようと無視することにした。
『想也か』
『カメラでの視覚的な認識は許可されてないみたいだね。耳と目が無い状態でよく発狂しないな。一ヶ月でしょ』
『仮想空間にアバターを作って暮らしている。今こうして会話するのもキーボードだ。もちろん現実では機械が光っているだけだろうが』
難儀しているわけではないのか。
それを聞いて……見て? 安心した。父が狂ったコンピューターの一部になったとしたら、それはそれで【理解】の計画そのものが頓挫したことにほかならない。
『そんなことより、死の一ヶ月前の私のあげたデータで有用なモノは』
『無いよ。全然無い。辞世の句みたいなものばっかり書いて、世を儚んでた』
『それは……』
なんと三点リーダーまで出力される。父の意識を模倣したものが存在する電脳網空間で、父の物真似をしているアバターが、わざわざ三点リーダーなんて情緒溢れるものを使う。
『我ながら、情けない。この精神状態を基本値にしておいて本当に良かった』
と、いうことは、
『内外から基本値を弄れる?』
『多少は。限界は設定されているが……あー、すまん。機密だったか? まぁ、多少は目を瞑ってくれ。どうせログが残る』
くすくすと笑う。
『どうしてもメランコリックな気分に浸りたくなったら、辞世の句を送るよ?』
『やめてくれ。死ねないのに死にたくなる。まぁ、感情の数値を少し調整すればいいんだが』
便利だな、と素直に関心する。
違和感なく目の前の会話相手が生前の父だと理解できる。再現度が高いなんてものじゃない。本当にそのままだ。
『さて、親子の感動の対面はもういいか。サンプルは取れたろう』
画面に映る文字と助手の人を交互に見る。
少し困った表情だ。それはそうだろう、これが標準的な親子の会話とは思えない。実父を一ヶ月前に亡くし、その四十九日も開けない内に機械になった父親そっくりの父親と平然と会話しているのだ。
『あまりいいサンプルではない気もする。これ、姉さんの方が良かったんじゃない?』
『まぁそう言うな。家族だけと決まっている。困ったことにな』
さて。
助手の人を伺い、お互いに頷く。
『本題に入ろう、【理解】』
『望むところだ、人間さん』
【理解】をメインに据えた世界再生機構には致命的な欠点がある。
技術は日進月歩するものだ、ということ。
つまり、
『ハードウェアの更新をし続けなければ【理解】は時代遅れのポンコツになる。もしくは恐ろしく効率の悪い器械に成り下がる』
『率直に、私の……【理解】の寿命は?』
『二年』
ふむ、と画面から返事。いや、そんなことまで打鍵しなくてもいいだろう。父が何かを考え込むとき、顎に手をやる癖を思い出す。アバターも同じことをしているのだろう。
『【理解】に接続したまま外部からこの巨大な知能のハードウェアをアップデートできる存在が必要で、ソフト面とハード面を交互に行うわけだな』
『今はまだハードの心配をする必要はないけど、最終的にほとんどすべての人類を接続者にするなら、そう』
『しかし不思議な議題だな』
『親子の会話サンプルだよ』
『これが?』
『これが』
『ところで、ただの病気の研究者である私がその片割れに選ばれた理由を聞いても?』
『最終的に、ハード面はナノマシン……よりちょっと大きいくらいの機械でまかないたい…‥あ、これ機密だ。まぁ、ここに至って隠し事はいいか』
お互い様だな、と何食わぬ顔で手札を出していく。
研究畑の縦割りは無駄だ。かつてのワールドワイドウェブの強みは横糸にあった。知識も知恵も全てを結集させなければ見えるものが見えてこない。
『なるほど、結花病の形態が使えるかもしれない、と』
『他のウィルスでも良いけど、どんな部位にでも、どんな生き物にでも感染して花を咲かせられる適合力は類を見ないからね』
『なるほど、我々は最大の敵を味方にする、と』
一通りの会話が終了し、別室に連れられた僕は代わり映えのない部屋と服と食事を与えられ、ぼうっとしていた。
どんな反応をすればよかったのだろうか。
拒否反応や混乱では会話が進まない。だから、姉でなく僕で良かったのだろう。
「失礼します」
プシュッと音を立てて扉が開く。先程の助手だ。
今日の仕事は全て終わったはず。一体なんの用件だというのだろう。
「あの、聞きたいことがありまして」
「……父は、死にましたよ。これでいいですか?」
「……いえ、いや、はい。ありがとうございます」
でも、と相手を待たず追い打ちをかける。
「でも、あれは間違いなく父でした。僕の所感は以上です」
「……失礼します」
忙しくなるのは明日からだろう。強張った体をゆっくりとほぐし、
「【理解】。消灯を」
世界が真っ暗になる。
この自分が仮想空間の住人だったとして、僕は一生気付け無いだろうな。
そう思って、ベッドに潜り込み、意識をシャットダウンした。
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