第3話 君の見る風景
私と、一哉が付き合いだしてから、私は変わったらしい。
「皐? 珍しいねー」
こんな言葉を頻繁に聞くようになった。
その理由は、いつも部活優先だった私がクラスや学校の行事に積極的に参加するようになったからだろう。
だけど、それによって聞きたくない話も入ってくる。
それは、一哉の噂。根も葉もない、適当に脚色されて面白おかしく伝えられる。
勿論、私からしたら面白くなんてない。
だって、自分の彼氏を貶されているんだから。
一哉は私の彼氏です。そう言えたらいいのに。
でも、一哉は言わないでくれ、と言った。そんなことが知られたら私に変な噂が立ってしまう。それは耐えられないから。
それが、約束でもあった。
だけど、思う。私だって、一哉の変な噂を聞くのは嫌だ。一哉が気にしないって言ってても、それでも嫌なものは嫌。
「ネクラくん、ねぇ」
それでも、約束だから普通に皆に合わせてみる。
「私は、あんまり感心しないな。ただそうやって見えるからってそんな風に呼んでたら私なんてまな板吊り目さんになっちゃうよ?」
けど、合わせるだけじゃなくて自分も同じ目線に立ってみたくてこんなことを言ってしまう。
皆はまず冗談で流してしまうけど。
「それでも、かっこいいんだから皐は許す。でも、顔とかもよくないんじゃねー」
何も知らないで、そんなこと言うんだ。
表には出さないけど、凄く苛々してる。こんなとき、役者でよかったって思う。自分の感情を表に出さないようにするのには慣れたから。
大体、私は可愛くなりたいのに、カッコイイはないだろコンチクショー。
とにかく、ここは私の精神衛生によろしくない。知ってるのは部活の皆くらい。
今度からお昼ぐらいは部室で過そうかな。
真剣に考えてみる。
だけど、行ったからといって一哉に会えるわけでもない。
はぁ。どうしたらいいんだろう。
放課後。
一旦帰った一哉に迎えに来てもらって、いつもの、短時間デートが始まる。
デート、とは言っても結局はただのお散歩。
大きな公園の中をゆっくりと2人で歩きながら話す。
今日あったこと、明日の約束、次のデートの行き先。
話すことはいろいろある。だけど、言えないことだってある。
私は、一哉と付き合ってるんだって、皆に言いたいよ。一哉は本当は外も中もかっこいい、凄くいい人なんだって言いたいよ。
それを伝えたい。でも、言えない。
だって、言わないことが約束だから。
その前提で、一哉は私のことを受け入れてくれた。でもね、一哉。それって、淋しくない?
一哉は悔しくないの? 皆に悪く言われて。
いつも、私だけ居てくれればいいって言うけど、私は不安だよ。
伝えたいよ。
いつも思ってること。生きてく中で、私1人じゃ駄目なんだよ。だから、伝えたいよ。
「ねぇ、一哉」
隣を歩いていた一哉がこっちを向いた。
「ねぇ、今のままで、本当にいい?」
一瞬、何のこと、みたいな顔をされたけど、すぐにこっちの言いたいことを理解したんだと思う。首を横に振った。
「やっぱり、駄目なんだ……」
何となくどころじゃない。絶対、この返事が返ってくることは分かってた。
じゃ、分かってて訊いた私は何なんだろう。
多分だけど、理由は分かってる。私の、我侭。
いつだって一哉に会いたい。一哉の傍にいたい。なのに、現実は、一哉と交わした約束はそれを許さない。
理不尽だと思ってしまう。一哉が変な目で見られたりさえしなければこんなことで悩まなくてもいいのに。
もしも、私が一哉と同じ立場に立てるなら、こんなことを気にしなくてもいいのかな?
隣にいたい。今だけじゃない。ずっと、どこでも、いつまでも。そのためだったら何でもする。だから傍にいたい。
「皐さんは、後悔してない?」
「してない。したくない」
後悔なんてしたら私は潰れてしまう。
一哉に想いを伝えたことを否定するということは、今の私を全て否定することになる。駄目。それは駄目。
「一哉は、後悔してるの?」
「少しだけ、してるかもしれない」
そっか、私は一哉を苦しめてるのかな。
今になって、後悔した。私は自分の思いを一哉に押し付けてしまったんだ。
「僕がこんなだから、いつも皐さんに辛い思いをさせてるから。でも、変わるのは怖い。いつも、僕は皐さんのためにありたいから。変わってしまって、周りに受け入れられて、皐さんのためだけになれないのが怖い。
でも、もしかしたら。あと少しで変わるかもしれない。だから、ちょっとだけ待っててほしい」
あとちょっとって、どういうことなんだろう。
一哉はそれっきり、この件に関しては口を噤んでしまった。
「うん、そろそろ遅くなるし、帰ろうか」
いつものように、今日の終わりを告げる言葉。
それが私の口から出てきた。
本当に、いつもと同じ。私は1人暮らしだから、家に招いたっていいのに、いつもこうだ。
別に、悪いわけじゃないと思う。金曜とか土曜は泊まりの日が多いし。だけど、いつも平日は誘えないでいた。
「そうだね。送ります」
そして、ゆっくりと話しながら家路に着く。
だけど、今日は少しだけ違った。
「でも、よかった」
「え?」
一哉が不意によかった、なんて言うものだから何事かと思った。
「僕は、皐さんといること、後悔されてないんだってわかったから。
僕なんかが彼氏でいいのかって、ずっと悩んでたんだ」
そっか。
一哉も一緒だったんだ。一哉も悩んでたんだね。嬉しいって言うのはちょっと不謹慎かもしれないけど
「だから、よかった」
心底、ほっとした。そんな顔をしてた。
それを見てて、不覚にも顔が真っ赤になってしまった。
今のはやばい。あんな笑顔、ふと零れたあの笑顔は目立つわけじゃないけど、すごく存在感があった。
暫く、消えそうにないなぁ。…悪くないけど。
それから、金曜日。
いつもは一哉がうちに泊まりに来たり、デートに行ったりする日。だけど、今日は少し違った。
「明日?」
「はい。12時ぐらいに駅のいつものポストのところで待ち合わせしませんか? 一緒にどこかランチにでも行って、それからゆっくりと過しましょうか。映画に行ってもいいですし」
いつもなら、『今日、家に行ってもいいですか?』ぐらいなのに、今日は違った。
いつも、デートはその場で適当に歩いて、どこかお店に入ったりするぐらいだった。
「いい、けど。どうかしたの?」
「いえ。ちょっと、ありまして」
これだけ言って、後は何も言わなかった。
「それでは、また」
これが、金曜日のお別れのとき。
で、土曜日。
普段は何を着ていこうかと悩むことはあまりないけど、今日はちょっと気合を入れていこうと思った。だって、明確にどこに行こうって言われたのは初めてで。
と、言ってもだ。
生憎と制服以外のスカートは持ってない。そうなると必然的にパンツルックになってしまうけど、まぁいいよね。
薄いグレーのYシャツと細身のジーンズ。いつも通りになってしまった。
化粧しようにも一哉はあまり派手な化粧は好きそうじゃなかった。正直、手詰まり。
髪だっていつもあまり伸ばしてない髪を下ろしてるけど、それを好きだと言ってくれたし。
「…… もしかして、本当にいつも通り?」
いつもと何も変わらなかった。
スカート、買ってみようかな。
それはともかく、ちょっと早いけど行こうかな。
駅までは凄く近い。
学校が決まって、1人暮らしすることになって両親が探してくれたアパート。駅から近いのが売りだった。だって、徒歩2分だから。
ということは、いつもの待ち合わせ場所なんてすぐに着いちゃうわけで。
だけど、今日はすぐに出られなかった。
だって、一哉と知らない女の子が話をしてたから。
「じゃ、此花さんはどうなのさ?」
一哉の声だ。
じゃあ、相手の人が此花さんなんだ。でも、どこか険悪な雰囲気。
「何が?」
途中からで、どんな経緯でこんなことになったのかがわからない。わからないけど、何となく、此花さんがどういう人かは理解できた。
一哉をネクラくんって呼んでるうちの一人だ。だって、教室で聞かされた。
後輩の何人かがテストの結果で最下位だった子が一哉に告白して1ヵ月恋人をするっていう罰ゲームをしようとしてるらしいって。
ふざけるなって思った。人の領域に土足で、遊びで、自分勝手な感情で踏み込んでこようとしてる。
許せなかった。
だけど、こんな黒い気持ちを一哉に気付かれたくなくて隠してた。
でも、今その相手が一哉の前にいる。言っておけばよかったんだ。
「気付いてないんだ。じゃ、教えてあげようか? それとも、自分で気付きたい?」
だけど、一哉は相手に必死になって諭そうとしてる。
そうか。だから変わるかもしれないって言ってたんだ。だったら、私は最高のタイミングで出て行こう。
きっと、一哉は私にこの光景を見せようとしてたんだ。
私には一哉が変わろうとしてるところを、相手の此花さんには現実を。
どうでもいいけど、あの人。胸、大きい。何で私まな板……
「だから、何の話?」
「気付かないみたいだね。僕が知らないとでも思ってた? ネクラくんって呼ばれてるって事」
そう、一哉は初めから知ってた。なのに、周りは一哉を見ないから気付いたりなんてしなかった。
「え」
ほら。だからあんな間抜けな顔をする。
「現実を、さ。知ってもらいたくて来てもらったけどさ、外見だけしか見てない人だって事がよく分かったよ。何となく一番理解できそうにない此花さんがテスト最下位をとる気がしてたし。
だから、ちょうどいいよね? 僕は学校で目を集めたくないからあんな風にしてたけど、君たちはそこしか見えてない。だったら、知ってみるのもいいと思うよ? 遊びで、勝手に僕に好きな人も、付き合ってる人もいないって思ってたんだから、いろんな意味で現実を知るべきだと思うよ?」
そろそろ、出るべきかな。相手の人はまだ、一哉に私という彼女がいることを知らない。いないと思い込んでるはず。
だったら、今出て行けばショックになると思う。
「お待たせ。って、あれ?」
恰も今来たように見せかけてみる。
「一哉、その人は?」
「ん。ある意味最低の人」
鳩が豆鉄砲喰らったような、そんな顔をしてる。勿論、此花さんが。
「最低? 一哉がそんなこと言うなんて」
でも、最低という単語には十分に驚かされた。普段は絶対にそんなこと言わないのに。口に出さなくてもそれだけ憤りを感じてたって事かな。
気付いてあげられなかったな。
「まぁ、これで僕の用件は終わり。じゃ、皐さん、約束通り、ランチにでも行きましょうか?」
「いいの?」
あのままで、という言葉は飲み込むことにした。
「はい」
そこで、此花さんがずっとこっちを見たままだって事に気付いた。
やっぱり、締めはきっちりしとかないとね。
「その顔、何がどうなってるか分からないって顔してるね。だけど、考えてほしい。これ以上、答えはあげない。自分が何をしてきたのか。
あまり言いたくはないけど、皐さん、ずっと自分には付き合ってる人がいるんですって言いたかったって、聞かされて…僕が彼氏なんかでいいのかって、悩んだりした。けど、それでも僕といたいって言ってくれた。
僕は、君たちの罰ゲームの材料なんかじゃないし、『ネクラくん』でもない。僕は柴田一哉。1人の人間で、皐さんの彼氏だ」
ここまで言ってくれて嬉しかった。
でも、此花さんはどうかな?今まで自分がしてきたことを突きつけられて、いろんな人を傷つけてきたことを知った。
それで、何を思ったんだろう。
うん。最後は私の役目だね。
「顔を、上げて」
ゆっくり、優しく言い聞かせるように言った。
「一哉は、あなたのこと、別に嫌いじゃないから。ただ、本当はいい人なのに目を向ける方向が少し逸れてるから『裏側』に気付けないだけだって」
そう。皆、私の外見で勝手に寄ってきて、女の子が告白してくる。
それは、誰も私の裏側を見ないから。私は、一哉のことが大好きな、ただの女。
でも、誰もそこまで見ない。
「だけど、あなたはこれで気付くことができた。なら、それでいいと思うの」
だからといって、私は誰かを糾弾するつもりなんてない。
そんな権利はないから。
でも、1つだけ、言わせてもらいたいこともある。
「ただ、胸があるものだから…凄く嫉妬もしたけど」
その重石はまな板に対する厭味なのか。
「一哉。私をだしに使ったでしょ」
一哉と入ったレストランで、一言。
「そうだね。だけど、もう隠すつもりもないしね」
「へ?」
我ながら、間抜けな声を出してしまったと思う。
だけど、あれだけ周りに隠そうとしてきた一哉だけに意外でならなかった。
「僕、今度から正式に映研に入ることにしたんだ。で、もう目立ってもいいかなって」
目立ってもいいかな、というのも変な言い方だけど。
でも、何がこうさせたのかは気になるところ。
「何で? 前はあんなに嫌だって言ってたのに」
一哉は少しだけ考えてから言った。
「僕は、皐さんと同じ景色を見ていたいから。だから、同じ世界にいようって思ったんだ」
あぁ。聞いてしまえばなんて単純。
でも、これは不意打ちだ。またしても顔が真っ赤になってしまったじゃないか。
「嬉しいけど。最近、一哉不意打ちばっかり」
ちょっとだけ、悔しかった。
でも、いいな。こういうのも。
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