第11話 【十一】


「なにとぞご寛恕のほどを!」


 若君の足元にひれ伏す留守居役。


「大山!?」

 

 大山は、とがめる主を一顧だにせず、


「若君さまへのご無礼、衷心よりお詫び申し上げます!」


 せっぱつまった形相で、再度平伏。


「若殿におかれましては、国替えの御沙汰があってより、ご心労のあまり不眠つづきで……おそらく、そのためにお心が乱れ、あのようなおふるまいを……」


 百姓たちの江戸登りは今回が二度目。

 前回は、昨年十二月半ば――国替えが伝えられたひと月後には、早くも第一陣が江戸に来ていた。


 しかし、このときは、宿からの通報を受けた庄内藩士が身柄を拘束し、越訴は未遂に終った。

 今回は、百姓たちの動向を事前に把握できず、駕籠訴を阻止できなかったのだ。


 そして、駕籠訴とは別の一組が、御城至近の和田倉御門内で騒動を起こしているのを藩士が見つけ、あわてて藩邸に急報。

 激高した忠発が会津屋敷ここに乗りこんできた――という流れらしい。


「おっそは、ならぬのか?」


 大野の陰から、そっと問いかける金之助。 


「おっそをするゆえ、ぎみんなのであろう?」


 大山の弁明を聞いても、幼児には忠発が取り乱す理由がわからない。


「若さま、事はさように単純でありませぬ」


 傅役が小声でさとす。


「こたびの国替えでは、これといった落ち度のない酒井家が、半分以下の石高の長岡に減封されるのです。

 この理不尽な御沙汰については、ほかの大名家からも疑問の声が上がっております。

 なれど、御領内の百姓どもが大挙して江戸に登り、御城近くでたびたび騒動を起こせば、話は違うてまいります」


「ちがう?」


「つまり、このようなことがつづけば、『酒井家は庄内の百姓どもを統制できておらぬ』『領内不行き届き』と見なされ、減封のよい口実となってしまうのです」


 百姓たちのおかげで、世間では、酒井家に対する同情の声が高まっている。

 しかし、その騒ぎがあまり大きくなると、今度は逆にそれを転封の理由づけに利用され、退路を断たれる可能性がある。


「うー?」

 

「さようでございます! ですから、若殿は、けっして会津の若君さまを軽んじるお気持ちなどなく、百姓の姿を目にして、つい大声を……」


「いや、もうそれくらいで」


 懸命の弁解に、山川も折れた。


「それがしも、いささか意地の悪い物言いを。こちらこそ、陳謝せねばならぬ。

 ならば、ここは互いに水にながし、手打といたそう」


「かたじけのう存じまする!」


 留守居役は喜色をうかべ、三度目の平伏。


「なにも、そこまで」


 どうにか収まりかけた場に流れる、忌々いまいましげなつぶやき。


「ほう?」


 ふたたび山川の眼に、危険な光が。



「ときに大山殿、左衛門尉さまはいつ江戸に?」


 ほがらかに話をふる山川。


(ご家老、なぜ、それを?)


 幕府から出府を命じられた庄内藩主・酒井忠器が、まだ江戸入りしていないのは周知の事実。

 それをあえて聞くというのは?


「いえ、いまだ予定が……。聞くところによりますと、国許では御城下に何万という百姓が集まり、発駕を阻んでおるようで」


 相手の真意が読めず、ためらいがちに言いわけをする。


「そうであったか」


 想定内の返答を得、ゆったりとうなずく老臣。


「さようなこと、そなたらには関係あるまい」


「関係ない……ですかな?」


 憮然とする男に、山川は挑発するような視線を投げかける。


「そうではないか。百姓どもは、おそらく御城ちかくにある屋敷ゆえ、ここに――幕閣でもない会津中将に、訴状を出したのであろう」


「じつは、わが会津は、貴藩と同じ、表年下向・裏年参勤の家にございましてな」

 

 突然、別のことを言いだす山川。


「昨年は庚子こうしの年。当家も下向の年にて、わが殿は、例年どおり根雪も解けた四月、会津に下向なさったのです。

 なれど、昨年霜月、なぜかわが殿は急きょ呼びもどされ……。すでに小雪がちらつきはじめておりましたゆえ、かなり難儀な道中であったとか」


 そう言って、意味ありげにニヤリ。


「霜月?」


 いぶかしむ酒井。


「あっ!」


 なにか気づいたらしく、青ざめる留守居役。


「そ、それでは、当家に国替えの御沙汰が下ったのとほぼ同じころに?」


「時期的には、そうなりましょうな」


 余裕の表情で答える山川。


「ど、どこからの命にて?」


「ふふふ、在国中の大名を呼びもどせる御方など、日ノ本広しといえども、そう多くはござらぬ」


「く、公方さま!?」


 事の重大さに気づき、蒼白になる庄内藩世子。


「あるいは、次の御方……」


「「右大将さまが!?」」


 戦慄する主従。



 四年前の天保八年、四十五歳で将軍位を継いだ十二代将軍家慶には、二十七人もの子がいた。

 だが、そのほとんどが夭折し、いま残っている実子は四男・家祥ただひとり。


 徳川幕府において、右大将とはすなわち将軍世嗣を指す。

 ただし、家祥は、父が将軍職についた天保八年九月、従一位右近衛大将に任じられたが、病弱なためか、まだ正式な世嗣としてのお披露目はされていない。

 とはいえ、現時点では、実質的に次期将軍であった。



「おお、これはいかん! 御家の秘事をうっかりと。いまのは忘れてくだされ」


 わざとらしく慌ててみせる山川。


 しかし、大野は、


(これは、酒井たちに言っているのではなく、百姓たちに言い聞かせているのではないか?)


 うさんくさい芝居にこめられた老人の想いを、少年は嗅ぎ取った。


『今回の転封については、幕府上層部にも疑問を抱いているものがいる。

 そして、いま善処しようと試みている。

 だから、おまえたちもあまり無茶をするな。

 これ以上騒ぎを大きくするな』と、伝えようとしているのでは?


 そうでなければ、山川ほどの人物が、【うっかりと】主家の秘密をもらすはずがない。



「なれど、なにゆえ、右大将さまが会津中将を?」


 硬い表情で問う忠発。

 どうやら山川の真意が、こちらにも伝わったらしい。


「会津には、藩祖保科正之公が遺された藩是がございます」


「藩是?」


「その中に、

『一、婦女子の言、一切聞くべからず』という一条があり、また

『一、まいないをおこない、こびを求むべからず』

『一、面々依怙贔屓えこひいきをすべからず』

『一、士を選ぶに、便辟便佞べんへきべんねいなる者を取るべからず』

 とあります」


「「…………」」


 黙すふたりに、山川はしずかな笑みをむける。


「こたびの国替えは、公的には公方さまの御名で発せられておりますが、まことは御父君・大御所さまの強い御意があって出されたものであるは明らか」


「いかにも」

 

 情報収集を任とする庄内藩留守居役も大きく首肯。


「そして、その背後には、大奥からの強い要請と、大御所さま側近からの口添えがございます」


「存じておる」


「さらに、大奥と側近を動かしたのは、川越の松平大和守。

 窮乏する川越藩が、豊かな領地を手に入れるためおこなった策謀――御子を養嗣子として迎え、御腹さま(生母・将軍側室)を取りこみ、要路に多額のワイロを贈って佞臣らに口利きを依頼し、ついに望みどおりの幕命を引きだしたのです」


「「さよう」」


「女子による国政への関与、ワイロと媚び、えこひいき、佞臣……すべて会津の藩是で禁じられているものばかり。

 わが殿は、こたびの国替えには、ひと一倍いきどおっておられるのです」


「だが、右大将さまは?」


「右大将さまは、そうした不正の温床となりやすい大奥を嫌悪なさっておいででした。

 ゆえに、ご自分のお考えと同じ藩是を持つ会津には、かねてより信頼を寄せておられたのです」


「そうだったのですか」


 感に堪えぬといった風情の大山。


「こたびの国替え――罪なき酒井家が大減封のうえ移される国替えに、大儀などありませぬ。

 右大将さまはこれをなんとか撤回させるため、御父君に働きかけ、わが殿を江戸に召還し、連日策を練っておられるのです」


「「なんと……」」



 会津松平家は、とっくの昔に――あの門前での越訴などより、はるか以前に、この騒動に巻きこまれていた。

 

 たしかに言われてみれば、大野が随従してきた昨年十一月の江戸登りは、通常の参勤ではなかった。

 会津松平家の参勤は、四月参府(江戸到着)・御暇(江戸出発)と決められており、本来なら江戸にもどるのはこの天保十二年初夏。


 椿がしきりに気に病んでいた『会津が厄介事に巻きこまれる』という心配も、大野が青ざめた『御家訓と世論の板ばさみ』という懸念も、すべて杞憂。


 会津侯は、将軍に呼びもどされ、御家訓の教えとは逆の魑魅魍魎ちみもうりょうが発した腐臭ただよう幕命撤回のため奔走している。


 御家訓の教えにも、世論にも反しておらず、さらに、巻きこまれたのではなく、自ら進んで飛びこんでいた。

 

 では、今朝のあわただしい登城も、きっとなにかの対応を協議するために、家祥から呼び出されたのだろう。


(山川さまが、『諌めてお聞きになる御方なら』と嘆いていたのは、そういうことだったのか)

 

「おそれながら、摂津守さまより、百姓どもの方がよほどわかっておるようですな」


 かすかにトゲのある言葉に、忠発は気まずそうに視線をそらした。


「幕閣でもないわが殿に、訴状を持ってきた百姓どもの方が、よほど」


「……ようわかった」


 忠発の表情はおどろくほどおだやかになっていた。


「無礼を……いたした。心から詫びる。ゆえに……」


 男はしばしためらったあと、


「ゆえに、わが庄内のこと、なにとぞ……」  


「必ずやわが殿に」


 はじめて心からの笑顔を見せ、力づよく請けあう会津藩家老。


「じゃまをした」 


 かるく会釈し、きびすを返しかけた忠発だったが、ふいに動きを止め、幼児と少年を見やった。


「大野、と申したな?」


「はっ」


 強すぎるまなざしにとらえられ、息苦しくなる少年。


「『しゅ辱めらるれば、臣死す』、か」


「は?」


「若君は、よい家臣をお持ちだ」


 秀麗な顔がゆがみ、声にはなぜか悲愴なひびきが。


「わが家中には……わたしのために命がけで憤慨してくれる者など、ひとりもおらぬでな」


「は? え?」

  

「若殿……」


 放心する大山を残し、庄内藩世子はすばやく身をひるがえし、座敷をあとにした。



 と、そのとき、


「まてー」


 横をちいさな影がすり抜け、座敷から走り出ていった。


 あわてて後を追う傅役たち。


「まだなにか?」


 ぜーはーと呼吸を乱す子どもに、やさしい目をむける男。


「ひ、ひゃくしょうを……ひゃくしょうを……」


「百姓?」


「しざいは、ならぬ」


「…………」


「ひゃくしょ……ころして……なら……ぬ……」


 一瞬、ちいさな体がフワッと浮きあがったように見えた。


「「「若さまーっ!?」」」


 悲鳴があがる。


 床に接する直前、大野の腕がかろうじて若君の身体それをすくい上げた。

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