史上初の共闘

 10日程前、人界にあった魔族が支配するエリアを解放し、その勢いを駆って“異界洞トロン・ゲート”を通り魔界へと侵攻して来た一団の報告は魔王も聞いていた。

 それが、人界における最高クラスの戦力たる「勇者パーティ」であり、いずれは魔王城に訪れるだろうと言う事も彼は報告として受けていたのだった。

 しかし魔王を含めた魔界首脳部の見解は、勇者の一団が魔王城に侵攻して来るまでには数週間を要する筈であり、それまでに対抗策を思案すると言う事に留まっていた。

 そしてその「策」もある程度は形となりつつあり、より具体的な検討を行おうとしている矢先でもあった。

 今日もその議題が最優先事項であり、勇者一団がもたらす被害予測を行いそれに対する支援体制を確立する段取りを話し合う予定だったのだ。


 だが蓋を開けてみれば勇者パーティは既に魔王城へと到達しており、その一員が今、魔王の目の前にいるのだ。

 彼女達の侵攻スピードは完全に魔王達の予想を上回っており、彼等は明らかに虚を突かれている状態であった。


「……いいわ、なら一緒に上まで行きましょう」


 彼女の言動から色々と思案を巡らしていた魔王の耳に凡そ理解の及ばない声が飛び込み、彼はすぐに声を発する事が出来なかった。


「……え……?」


 魔王にしてみれば、彼女が魔界を荒らす勇者一行の一員ならば、今この場で仕留めてしまうのも止む無しだと考えていた所だった。

 元より不意の遭遇と言う状況なのだ。

 理知的な話し合いなど望めるべくも無く、互いの立場を考えれば自然な流れで戦闘になると考えられもした。

 そんな中に突如持ち掛けられた同行の提案は彼の思考と全く相反しており、即座にその言葉へと対応する事が出来ずにいたのだ。


「だ―――か―――ら。上の階層まで一緒に行きましょうかって言ってんのよ」


 彼女は手を腰に当てて、先程の言葉を繰り返した。


「……だが……」


 今の魔王は、先程まで物騒な事を考えていた者とはとても同一人物と思えないほど戸惑いを見せていた。

 まさか人族である彼女から魔族である自分に共闘の提案が持ちかけられるなど、それこそ魔王には思いもよらない事なのだった。


「心配しなくても、この地下通路を抜けるまでよ。でも勘違いしないでね? あんたが不審な動きを見せれば、すぐにでも斬り捨てるから。私、こう見えても人界の勇者なの。悪いけど、あんたなんかよりずぅっと強いんだからね」


 彼女は完全に、目の前の魔族が魔王だとは思っていない様であった。

 そしてわざわざ、自分が勇者である事を打ち明けたのだった。


 ―――やはり勇者……。


 魔王はその言葉を聞いた途端、戦慄に近い緊張感が高まるのを抑えるのに必死であった。





 魔王の目の前にいる勇者を名乗る少女は、完全に戦闘状態を解除している様だが彼には油断する事など出来なかった。

 それは彼女がいつ考えを変えて、こちらに襲い掛かって来るか分からないからだ。

 少女は勇者であり魔王を、そして魔族を敵だと考えている。……その筈だと、魔王は考えていた。

 今はその考えに至っていない様だが、それもいつ豹変するか分かったものではないのだ。

 それに彼女が勇者であると明確に知れた今、魔王はその勇者と雌雄を決する為にのだった。

 魔王は魔界の統治者であり、魔界最後の、そして魔界最高の戦力である。

 万一、彼が倒れる様な事となっては、魔界そのものが崩壊してしまうのだ。

 彼女は勇者であり、高い戦闘力を有している事は想像に難くないのだが、それがどれ程なのかはさしもの魔王であっても判断する事は出来なかった。

 もしここで戦端を開いても、彼女に勝てると言う保証はどこにもない。

 それに今の魔王は普段着に近い状態であり、完全武装で乗り込んできた勇者と渡り合うには余りにも心許なかったのだ。

 彼がこんな所で負けるなど決して許される事など無く、それ故今すぐ彼女に戦闘を挑むなど出来なかったのだった。

 もっとも、乗り込んできたのは全員勇者であり、もしも彼女ではない他の者が落ちてきていたのだとしても、魔王としてはすぐに決断できない状況に追いやられてしまっていたのだが。


「……それに……その……」


 僅かの間にも思案を馳せる魔王へ、勇者が言葉を続けた。

 しかし先程までの自信に溢れた物言いでは無く、頬を赤らめたその姿は身を捩りどこか恥じらいの表情を浮かべている。

 敵意を含んだ緊張感を抑え込み深く現状について思案していた魔王には、何故彼女が突如豹変したのかその過程を完全に見落としており、殆ど不意を突かれた彼は息を呑んで彼女の言葉を待った。

 だが、魔王が言葉を失っていたのはそれだけが理由では無かった。


 目の前の少女が取る仕草が余りにも可憐であり、その振る舞いは彼女が勇者である事を一瞬忘れさせるだけの威力を持っていたのだ。

 白く美しい肌を持つ頬に薄っすらと薄紅色の赤みが差し、それが魔王の灯す魔法光で闇黒に浮かび上がり幻想的ですらあった。

 更に少女の美しい金髪が、キラキラと星の様に瞬き彼女の表情に華を添えている。

 片耳にだけ掛かった銀の髪が魅惑的な光を彩り、生きているかのように色彩を変えていた。

 まるで絵画の中の聖女か女神の如き表情を見せる目の前の勇者に、不覚にも魔王は魅入ってしまっていたのだ。


「……あたしには……あんたが必要なの……」


 そして次に勇者が発した言葉で、魔王は完全にフリーズしてしまった。

 まさかこんな場所で、これほど可憐な少女に告白されるなど、如何な魔王と言えどもとても予測しようがなかった事であった。


「……ゆ……」


 魔王は詰る喉に必死で空気を通して、何とかその一言を絞り出した。


「あたしには、あんたのがどうしても必要なのよ!」


 しかし魔王が全ての言葉を絞り出しきる前に、勇者が彼に被せて言葉を続けた。


「……へ?」


 カウンター気味に言葉を被せられた魔王は、呆けた声を出して動きを止めてしまった。

 彼女は魔王の右手……その人差指……厳密にはその指先に灯る魔法光を全力で指差していたのだ。


「あ……あたし、魔法で光を灯す事が出来ないのっ! こ……細かい制御コントロールが必要な魔法が昔っから苦手なのよっ!」


 そう言い放った勇者の指先はプルプルと震えており、恥ずかしさに耐えているのが一目で分かる程であった。

 先程まで感じていた気持ちと、彼女のセリフより受けた動揺に逆撃を食らう形となった魔王は、その言葉がすぐに浸透せず僅かの時間呆然としてしまった。

 しかしその後に込み上げてくるのは、完全に毒気を抜かれてしまったと言う思いから来るものであった。


「……プ……アッハハハハハッ!」


 突如大笑いを始めた魔王に、視線を上げた勇者はキッと彼を睨み付けるものの、自分の行動が余りにも滑稽だったと気付いたのだろう。


「ふふふ……あははははっ!」


 彼女も屈託なく、大きな声を上げて笑い出してしまった。

 暫く魔王城地下通路内には、その場に不釣り合いな笑い声が木霊した。




「……分かった……分かったよ。一緒に上の階層へと向かう階段を探そう」


 一頻り笑い終えた魔王が、未だに笑いの余韻が抜けきれない勇者にそう承諾した。

 目に涙を浮かべていた彼女であったが、その言葉で僅かに表情を改めると右手を出して彼の言葉に答える。


「それじゃあ、少しの間だけ共闘と行きましょう。その間は、人族も魔族も関係ないからね! 私の名はカレン、カレン=スプラヴェドリーよ。カレンって呼んで構わないわ」


 カレンから差し出された右手を握り締めて、魔王も笑顔で自身の名を名乗った。


「宜しく、カレン。俺の名は……あ―――……アムルだ」


 少し言い淀んだアムルだったが、カレンがそれを気にした様子はない。

 それよりも、魔王には先程から少し気に掛かっている事があった。


「……え―――っと……構えずに、そのままでいてくれよ」


「……え……? あんた、何言って……っ!?」


 カレンが全てを言い切る前に、アムルの身体からは明らかに魔法光と思しき光が発せられていた。

 未だ握手した状態で完全に無防備なカレンは、即座に体を強張らせてアムルと繋いだ手を放そうとする。

 しかしそんな彼女の行動に、当のアムルは目を瞑ったまま何の対応も取らずに、ただその場で集中を高めていた。

 カレンにはアムルの手を即座に振り解く事が出来たが、そんな彼の態度から不思議とそれ以上の抵抗を試みず、その場の成り行きを見守る態度に変わったのだった。

 手から伝わる感触で現在カレンがどういった状態なのか把握していたアムルは、集中を高めながらもその口端を僅かに吊り上げていた。


(……判断も度胸も申し分ないな……。流石は勇者、気に入ったよ)


 呪文を心の中で詠唱しながら、アムルは別の思考でそんな事を考えていた。




 得体のしれない相手の異変と言うのは、不意を突かれると言うその一点だけをとっても不気味であり恐怖の対象である。

 ましてや敵対関係にある者の変化など、警戒して然るべきであろう。

 だがもしも慌てて手を振りほどく様な過剰反応を見せれば、つい今しがた交わした握手が嘘になってしまう。

 相手を信じる……その決意を実行するだけでも、随分と胆力が必要な事なのだ。

 そしてそれをカレンは、僅かな逡巡に留めて実行していた。

 だからアムルは、カレンを高評価したのだが。


 実際にカレンはそこまで考えた訳では無く殆ど“勘”で行動していたのだが、ここは知らぬが花と言う事だろう。


 そして、アムルの魔法が完成する。

 アムルとカレンが繋いだ手より、優しく暖かな魔法光が溢れ出した。

 その光は手だけに留まらず、二人の……特にカレンの全身をより強く光り輝かせその効果を発揮して行く。


「……これって……まさか……?」


 その途端、彼女が上階から落下する時に負っていた無数の切り傷が即座に消え失せて、元の美しい肌を蘇らせてゆく。

 全身フル装備だったカレンは大きな怪我こそ追っていなかったが、やはりあれだけの高さを落下して全くの無傷とは言えなかったのだ。


「……ふい―――……」


 暫くの後、二人の身体が纏っていた光も消え失せ。

 そして、アムルは大きな溜息を一つ付いた。


「アムル……あんた、やるわね。神の癒し以外での回復って、とっても難しいってマーニャが言ってたわ。それなのに、さっきあんたが使った魔法は……随分と高位だったじゃない」


 アムルは、心なしかカレンの手に加わる力が強くなった様に感じた。


(しまった……迂闊だったか……!?)


 カレンの言葉とその手に込められた力で、アムルは自身の行動が相手の警戒心を掻き立てるものになっている可能性に気付き、僅かながら後悔していた。


 彼としては他意もなく、ただ擦り傷だらけの彼女を見て起こした行動だった。

 種族は違えど、アムルから見ても美しいと思われるカレンが全身擦り傷だらけだと言う事を気にした結果だったのだ。

 もっとも、当の本人にそれを気にしていた様子はなかったのだが。


「……ありがとう」


 だがその後に齎されたのは、飛びっきりの笑顔を湛えカレンの謝意を示す言葉だった。

 余りにも自分の感情に明け透けなカレンに、アムルはまたも僅かに見とれてしまった。


「でも、貸しとか借りとも思わないからね。あんたと私は、人族と魔族なんだから」


 そう言ってカレンは、今度はニヤリと口角を持ち上げて少し意地悪な笑顔を浮かべて見せた。

 先程までと違い、その表情は余りにも凛々しく男前と言う表現がぴったりだった。


「……ああ、そんな事は考えてないよ。これはそう……サービスってやつだ」


 そんなカレンの表情を向けられ、漸く自身の感情の手綱を取り戻したアムルは彼女と同じように口の端を吊り上げてそう返した。

 そして二人は随分と長い握手を終えると、カレンの提案した方角へと歩を進めだしたのだった。


 魔王と勇者が手を組むと言う有史以来初めての出来事は、互いの人格が幸いとなり相反する事無く行われようとしていた。

 因みに、先程の自己紹介の折り魔王が僅かに名乗る事を逡巡したのには訳がある。

 そもそも「アムル」と言う名は、厳密に言えば彼の本名ではないのだ。

 しかし、彼は嘘をついている訳ではない。

 そして何も、本名を語る事によって自分が魔王であると知られてしまう事を危惧したからでもない。

 アムルが名乗るのを躊躇ためらった理由、それは。


 ―――面倒くさかった……。


 ただその一言に尽きるのだ。

 彼は自分が親しいと感じた者には、「アムル」と愛称で呼ばせているのだった。

 先程の僅かな間は、一瞬戸惑ったからに他ならなかったのだ。


(自分で言うのも、相手に覚えてもらうのも面倒臭いからな……)


 心の中で第二十八代魔王、アムモルターリス=ウルチモ=ズローバ=サタナスⅡ世は、溜息をつきながらそんな事を考えていたのだった。

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