夫婦三題噺
@aki89
掃除機、寝台列車、ねこ
『星の列車』作:夫
ガタンゴトン、ガタンゴトン…。
規則的な音と揺れの中で、僕は目を覚ました。
ここはどこだろう。見慣れない光景だった。
ぼんやりとした頭のまま、毛布を払う。
低い天井に、狭く簡易なベッド。通路を挟んだ向こうでは、椅子の上で一匹の猫がくうくうと寝息を立てている。
どうやらここは、寝台列車のようだ。
ベッドの横、備え付けられたカーテンを開ける。
そこには見渡す限り、満天の星空が広がっていた。
いや、正確に言えば星"空"ではない。
視線を下げても、地面らしきものが見当たらないのだ。
どうやらこの列車は、宇宙を漂っているらしい。
僕はまだ半分眠ったままの頭で、その光景を眺めていた。
そうして暫く呆けていたところ、不意に声をかけられた。
「もし」
慌てて辺りを見回す。
通路へ身を乗り出してみたが、誰もいない。
ふと下を見ると、いつのまにか目を覚ました猫がこちらをジッと見つめていた。
猫はゆっくりと口を開く。
「やあ」
先程と同じ声が、そこから聞こえてきた。
「少し、よろしいかね」
猫はそのままゆっくりとした口調で話しかけてきた。
他の乗客と出会うのは、珍しい事だそうだ。
「この列車は、宇宙の端にあるからねえ」
見てごらん、と促され通路側の窓を覗くと、そこには先程とは対照的な真っ暗な世界が広がっていた。
この列車は、星空を吸い上げる掃除機だそうだ。
宇宙の縁をゆっくりと、ひと回り、ふた回り。
暗闇との境界線をなぞりながら、星を吸い取っている。
そうしていなければ、この宙は際限なく拡がり続けてしまうのだという。
「宇宙が膨らみ、拡がり続けるのと同じ調子で、この列車は星空を吸い込み続けているのさ。
何処へ向かうわけでもなく、ただ延々と周り続けている、いわゆる"環状線"というやつですな」
ベッド側の窓から顔を出してみると、長い長い列車が、確かに内側へカーブしているのが見えた。
「だから乗客なんて滅多に来やしない。たまに迷い込んでくるうっかり屋がいるくらいさ」
君のようなね、と猫は笑う。
にやにやとした笑みはしかし、悪戯だが妙に微笑ましいものだった。
貴方はずっとこの列車に乗っているのですか?と、僕は猫に尋ねた。
「ああ、ここはとても寝心地がいいのでね」
猫は目を細めて答える。
「列車の揺れというのは、まるでゆりかごのようだ。それにここは暖かいし、毛布もいくらでもある。
猫というのは、元は『寝子』という。眠るのが一番の幸せなのさ」
いくらか退屈が過ぎるところはあるけどね、と。
猫は体を丸めながら言う。
その顔は確かに、幸せそうだった。
「ただ、ここのところバランスが崩れてきていてね。宇宙と列車のスピードの、釣り合いが取れなくなってきだんだ。
何事にも終わりか…ふわぁ…、それか始まりというものが訪れるものなのだろうね」
欠伸混じりだった声は、段々とあやふやな形になってゆく。
「何処へ行かずとも、ただずっとこうしていられればそれでいいのだけれどねえ…」
僕は再び夢の世界に戻っていった猫に毛布をかけ、腰掛けていたベッドに倒れ込んだ。
目を閉じ、星空の縁を走る列車の姿を思い浮かべる。
長い長い列車は、ほとんどわからないほどゆるいカーブを描きながら、ゆっくりと進み、星を飲み込んでゆく。
そんな姿を空想しながら、僕もまた、静かな眠りの中に沈んでいった。
星の波打ち際を、列車はどこまでもどこまでも走り続けてゆく…。
………。
……。
…。
キキーッ、という音と大きな揺れに、僕は目を覚ました。
ちょうど、目的の駅に着いたところだった。
僕は慌てて席を立ち、吐き出されるようにホームへと降り立つ。
危ないところだった。
いつのまにかもう夜だ。
どれだけ眠ってしまっていたのだろう。
もしかすると、寝ている間に一周していたのかもしれない。この列車も環状線だ。
空を見ると、街の明かりになんとか抗った星の光が、ささやかに瞬いていた。
さっきまで見ていた夢を思い出す。不思議な夢だった。
星の海を行く列車を思い浮かべながら、僕はぼんやりと考えを巡らせる。
バランスが崩れたというあの列車は、いずれ全ての星を飲み込んでしまうのだろうか。
それとも拡がる宇宙によって、彼方へと押し流されてしまうのだろうか。
取り留めのない空想に、僕は後者の方がいいなと思った。
だってその方が、あの猫がずっと幸せに眠っていられるから。
改札を抜けたところで、後ろから発車のアナウンスが聞こえた。
この列車も、はたしていつまで周り続けるのだろう。周り続けていられるのだろう。
振り返り見た列車の中に、一瞬、あの猫がいた気がした。
ドアが閉まり、列車は走り出す。
ガタンゴトン、ガタンゴトン…。
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