第50話

でっぷり肥った五齢の蚕たちは食べることだけが生きがいのようだった。そんな彼らが身を削るように繭を作っていく。


団扇一つにつき、蚕十匹で作る絹の団扇は白い光沢のある物になりつつあった。縁の部分だけ竹がむき出しになるのではと心配したが、蚕は見事に竹と竹の間に糸を張った。片面が白くなるとひっくり返す。蚕たちはまた何事もなかったかのように糸を吐く。最初に糸を吐きだした三匹は当初の大きさの半分になっていた。動きも鈍く、明らかに色が変わって、黄味を帯びていた。


しばらくすると一匹が動きを止めた。細い楕円形になったまま動かなくなった。蛹になるのだろう。繭の中で行われるはずの過程をこの目で見られることに静かに興奮した。


同時にひどくむなしくなった。身を守るために作ったはずの繭の中ではないことにも気づかず、彼らは糸を吐きだす。そして平らな絹の団扇の上でころりと固まる。

指でつつけば繭を作り出そうとする蚕たちと比べ表皮が固くなっていた。夜になるころには、節が明らかに硬くなっていた。指で摘まんだ先に、薄皮一枚張り詰めた琥珀色の鎧の感触が伝わる。そうか、抜け殻というのは元はただの皮膚か。

窓ガラスに映った自分の頬を摘まんだ。


赤い糸をつくろうとマジックで塗った蚕と色素を含ませた餌を食べさせていた蚕が糸を吐きだした。薄い赤だったが、嬉しかった。メトロノームのように体を揺らしながら吐く赤い糸を私はずっと見続けた。しばらくは赤い糸を吐いていたがその後は白い糸になった。やはり、もともとのものを変えるなんてそう簡単に出来っこないのだろう。それでも他の蚕は糸が薄いところに移動させたりと、きれいな団扇を作るために動かしたが、赤い糸を吐いていた蚕だけは触らなかった。自由にさせたかった。


「きれいだな」


章がシャッターを切った。

あれから、同棲は解消したものの、章は毎日蚕を見に来たという名目の元、家に来た。


「今日はできないよ」


生理の期間に彼にあったことはなかった。だから、できない日に会うのは初めてだった。いつもよりシャッターを切るスピードが速い、気がした。


「ああ」


彼はカメラを置くと、私の横に座った。肩が触れ合う距離。指が重なる。


「あのさ、俺、一緒の空間にゆかりがいるだけで結構幸せなんだ」

「うん」


彼は出来上がった団扇を持ち上げた。明かりに透かして目を細めた。ぷくりと膨らんだ喉仏に指を伸ばした。


「何すんの。痛いよ」

「うん、寝る」

「もう?」

「眠い、から」


お腹痛かったりするのか、と纏わりつく彼がうるさくて、手を下腹部に当てた。


「動いている」


彼は手を離してまじまじと私の腹を見た。


「赤ちゃんいるとかじゃないよな」

「いないから」


馬鹿じゃないの、と言いながら、私は暗い布団の中で笑った。痛いのに、笑った。


「初めてだね」


眠りに落ちる前に言われた言葉に、何かが剥がれ落ちていく気がした。

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