第23話
夏の雨は突然やってきた。梅雨が戻ってきたような雨が五時間目から降り出していた。学校にある忘れ物の傘を子供たちに貸し出すと、職員室に戻る。
「ではお先に失礼します」
「ああ、また蚕。お疲れ」
一応観察日記をまじめにつけているからか、予定外の仕事だったからかそれとも単に関心がないからか。一足早く学校を抜け、桑をとりに行くことは他の先生に何も言われなかった。もっとも、桑の葉を取って帰宅すればは勤務時間を超えるのだが。
夕立だと思っていた雨はなかなか止まなかった。桑の葉をとるとすぐに車に戻った。昔のように、桑の枝を切らなくても、葉っぱだけもいで水分を拭き、密閉できる袋に入れて冷蔵庫に保存しておけば長くもつことが分かった。子供たちは蚕の数も多いことと桑の葉当番があるので、小さくとも枝で持ってくる子が多かった。葉っぱだけもってくるよりも、枝で持ってくる方が登校時に誇らしく感じるらしかった。
ラジオから流れる懐メロにはノイズが混じる。たたきつける雨にワイパーは役に立たなかった。雨の音だけの林道をおりると等間隔に電灯が並んでいる。車中には車体をたたく雨の音だけが伝わってきた。
街中に入った二番目のバス停の前に和哉はいた。予備校帰りらしい子供たちが、近くの民家の軒先にたむろしている。その中で傘を持っているものもいるのに、入りきれなかったものに貸すこともしない。玄関の明かりで参考書を開いている。その隣で雨にぬれている人間の存在など目に入っていないようだった。ヘッドライトが彼らを照らせば、皆いっせいにこちらを見た。バスでないとわかるとすぐに視線を元に戻した。一瞬、濡れた和哉と視線が合った気がした。ライトをつけている車の運転席が見えているはずはないだろう。そう思うが、そらした彼の視線が脳裏にやきつき、数メートル先で車を止めた。
「和哉君、だっけ。乗れば」
折りたたみ傘を差し出せば、あからさまに迷惑な顔をした。このがき。
「風邪、引きたいの」
正直、彼の弟でなければどうでもいい。街灯の下で彼の姿をみて気が変わった。
「ここからだと私の家のほうが近いわね」
学ランだからよくわからなかったが、上から下まで水がしたたっていた。鞄は濡らさないように胸に抱えていた。
「よけいなことするな」
車に乗せても彼は不機嫌だった。
「何、あそこでずぶぬれのままがよかった?別に誘拐なんてしないけど。なんならお兄さんに電話かける?」
未成年者略取や青少年保護条例にひっかかろうとは思わない。
「そうじゃない」
フロントガラスを睨んだまま彼は携帯を手にとった。
「これって」
章の予備のスウェットに着替えた和哉はエアコンの下に陣取っていた。
「ああ、お兄さんのよ。サイズはちょうどよかったみたいね」
ホットミルクを渡す。章から連絡はまだない。仕方がないので、今日は章の家に泊る予定だったと話す和哉をいったん私の家に連れてきた。合鍵を使って入ることはできたが、初対面に近い身内の前ではためらわれた。この時間帯なら章は帰宅中だ。そのうち連絡が来るだろう。
「牛乳かよ」
「ぬれねずみのお子様にはこれでしょ」
不満そうだったが、いくら着替えたとはいえ冷えているのだろう、指先を温めるようにカップを包みこむと、彼は黙ってミルクに息を吹きかけた。猫舌らしい。
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