第21話

「それじゃ招待する人も大変じゃない?」

「身内だけでやるからいいって。もう式場も全部手配してあるから、おふくろたちは来てくれるだけでいいからって」


ようは完璧に蚊帳の外に置かれたのだ。それが母には納得がいかないらしかった。


「ゆかりからも言ってちょうだい。結婚は個人のことじゃないのだから、ちゃんとしなさいって」


未婚者の私がそれを兄に告げたとて説得力にかける、といったが絶対頼むわよ、といって電話は切れた。とりあえず連絡はするけど、結果に責任はもてないとだけいっておいた。


アドレス帳から出すまでもなく、以前の着暦に兄はいた。


「もしもし、今いい?」

『おう、ゆかりか。どうした』

「どうしたじゃないよ。結婚式のこと、母さん怒ってたよ」


爪楊枝の上、蚕はしゃくとりむしみたいに動いていた。爪楊枝を縦にしてみたが、落ちなかった。


『ああ、やっぱりか』

「やっぱりって。わかっていたなら」

『わかっていたからだよ。俺は由美子と結婚するって決めたんだ。あの人を説得していたら、結婚遅れるだろ。それに俺は早くあいつとの子供が欲しい。できちゃった婚はあいつが嫌がるから』


自分でわかった。今、頬が動いた。目が熱い。鼻の奥がつんとする。それがどんな現象をもたらすのか知っている。唇をかんで、目を閉じる。ゆっくりと口だけで笑った。


「それなら、そう言ってやればいいのに。別に母さんも孫の顔が見たくないわけじゃないだろうに」


手を振った。落ちればいい、そう思った。電話の向こう、兄は珍しく自嘲気味に笑った。


『あの人が嫁に求めるのは、俺との子供を育てていけるか。自分の老後の世話をできるか。つまりそういうことだ。あの人の基準にあるのは自分なんだ。俺が幸せになる、とか言いながらさ』

「そう、え?」


蚕が空中に浮いている。まさか。手を小刻みに揺らした。蚕も揺れる。上ってもこないが、落ちそうにもない。爪楊枝の先にクモのように垂れ下がっていた。


『ああ。俺はあの人の面倒を見る気は有るが、そのために結婚するわけじゃない。由美子が好きだから、愛してるからするんだ』


目をこらしてもよく見えないが、たぶんそこに糸がある。蚕が糸を吐くのは繭を作るときだけではないのか。小さな灰色の黒い頭部と爪楊枝の間をつまんだ。感触はほとんどなかった。爪楊枝をもった右手と糸をつまんだと思われる左手を離せば、蚕は左手の下、揺れていた。


「おまえにいっても仕方ないよな。お袋に直接言えって話だよな」


蚕の衝撃に、幸か不幸か兄の話は頭にあまり入ってこなかった。あの人最後まで話す前にヒステリー起こしそうで怖いんだよなあ、兄は冗談めかした。


『とりあえず、お袋には俺から電話しとくから。面倒かけたな。ありがとう』

「兄さん」


ようやく我にかえった。


『なんだ』

「ううん、なんでもない」


蚕は揺れる。


『そっか、じゃ切るぞ、またな』


冷たい機械音が鼓膜を震わせた。それきり何も聞こえなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る