第20話

一眠を終え蚕は二齢になったらしい。らしいというのは、よく見ると以前よりも灰色っぽくなり少しだけ大きくなったからだ。脱皮した抜け殻は薄い膜だ。ほんの数ミリ大きくなった程度だが、育つと愛着がわくのは分かる気がした。名前を付けた子供たちは日々の成長を逃すまいと夢中で観察をしていた。最初は毛虫、といっていた少女も、二齢になったのを見ると、その成長に何か思うことがあったのか、桑をとってくるようになった。

自宅に戻れば、手を洗って、蚕を入れている菓子箱の蓋を開け数を確認し様子を見る。温度が二十七度になっているのを確かめる。新しい桑の葉を置いておけば、自然と移動するのだが、爪楊枝で救い上げ、新しい葉へ移すのが楽しい。黒から濃い灰色になった蚕たちは、持ち上げると、糸をはいているようだった。繭を作るときだけかと思ったら、そうでもないらしい。


一匹ずつ移動させ、最後にまだ一匹周りより一回り小さな蚕を移動させた。すでに最初に移した蚕の小さな口が桑の下から穴をあけ始めていた。それを見るのが密かな楽しみになっていた。固い場所だと一度はかじりかけて、また別の場所をかじっているのもいれば、葉脈をくいちぎれないのにそこに何度も食らいつくやつもいる。飽きなかった。理科が好きなのだと思い出した。多分子供と接するのも、押し付けられたことでも理科に関することなら書類仕事よりもよほど自分にとっては楽だった。三日に一回、桑を取りにいくのも苦ではなかった。小さいころにやった自由研究を思い出して、家へ帰ってから観察日記をつけるのが習慣になっていた。

あと少しで今日の分が終わるというとき、電話が鳴った。


『もしもし、ゆかり?幸一のこと聞いた?』


母からだった。


「結婚のこと?」


あ、えさから一匹脱落。爪楊枝で救出する。


『あんた知ってたの?』


声がとがった。兄よ、何をした。何が、どうなっているのかわからないまま身長に言葉を選んだ。


「数日前だけど」

「ああそう」


どうやら、正解だったらしい。母の声は少し落ち着きを取り戻した。自分だけが蚊帳の外じゃなかったことに安堵した。そんな雰囲気だった。わが母ながら単純な人だ。なかなかに出来のいい兄は、母にとって自慢の息子であり常々

「結婚するなら私の納得する子を連れてきなさい」といっていた。父と私は兄が結婚できなかったら母のせいだ、と言っていたものだ。そのくせ、見合い話を持っていっては兄につれなくされているのだから世話はない。スケッチブックを取り出す。


『それで結婚式の日取りは聞いた?』

「いや、まだ」


母は電話越しにでもわかるほど意気込んだ。


「それが聞いてよ、三週間後に結婚式するって」

「三週間?」


それはまた急なことだ。忘れかけていた存在が黒く心を侵食し始めた。

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