ただ話すだけの夢

泉宮糾一

2014年 月の上



 灰白色の大地。



 

「なあ、ここはどこなんだ」


 わからない。でも、夢の中だと思う。


「夢? それはどうして」


 俺の寝入りは早いんだ。スマホのアラームをセットして、頭から布団をかぶる。すぐに眠れるから、こんな見知らぬ場所に行く暇もない。


「苦しいそうな寝方をするんだな」


 子どもの頃からそうしてきたんだ。今更変えられない。


「子ども……そうか、君は大人なのか」


 まだ未成年だけど、少なくとも君よりは大人みたいだ。


「どうしてわたしが子どもだとわかる?」


 背丈が低いから。


「そんなことで? 心外だ。小さい大人だっているだろう」


 大人なのか。


「いや、ちがう」


 なら問題ないじゃないか。


「結果的にそうかもしれないが、過程が気に入らない」


 面倒な子どもだな。理屈っぽい。


「それも偏見だぞ。頭が空っぽな大人だっているはずだ」


 もう続けなくていいだろ。大人じゃないってわかったんだから。


「決めつけられるのは嫌だ」


 わかった、わかった。泣くな。


「泣いてない」


 顔真っ赤だぞ。


「……」


 座ろうか。


「椅子がない」


 地面でいいだろ。なんか白いけど、気にするな。お、あれは地球かな。とするとここは月なのかな。


「来たことあるの?」


 初めてだよ。


「なんで慣れてるの」


 そうかな? まあ、所詮、夢だし。


「なんか、ひらりとしてる。やっぱり大人だ」


 どういう意味?


「大人は私の質問にまともに答えない」


 ああ、君はあれだな。質問攻めをして困らせるタイプだな。


「いけないことかな」


 いけなくはない。子ど……いや、若いときは俺もそうだったよ。


「どうして変わったの」


 こんなこと聞いて何になる、って怒られて、何も言い返せなかった。というか、確かにって思って、妥協した感じかな。これ以上聞いても意味ないなって。


「嫌じゃなかったのか。無理やり黙らされたみたいじゃないか」


 それは、当時は感じたかもしれない。でももういいんだよ。時間も経ったし。今ではうやむやにするのが当たり前になった。


「それが妥協」


 そう。


「妥協しないと生きられない?」


 そうだね。とてもじゃないけど、勘違いや不条理でいっぱいの世の中を生きていくのに、妥協なしじゃつらすぎる。


「知らなかった」


 少しずつ知っていけばいいよ、こんなこと。


「さっき言ったことは訂正する」


 何?


「君は他の大人とは違うんだな」


 どうして。


「わたしの話を聞いてくれる」


 君の周りの人は、もっとそっけない?


「ママもパパも聞いている暇がないらしい」


 それじゃ、寂しかっただろう。


「いや、そんなに重くは考えてない。一人も悪くないかなって思ってる」


 なんだ、お前も妥協してるじゃないか。


「え、本当に? それじゃわたしも大人?」


 そこまでは言ってない。大人になりたいの?


「ならなくちゃいかない。ママもパパもそれを望んでいる」


 忙しいママとパパが?


「わたしに構っていられないのなら、構われなくてもいいようにしっかりしたい」


 なんか、悲しいな。


「悲しくない。一方的に決めつけるな。さっきも言っただろ。一人も悪くないんだよ」


 泣くなよ。


「なんだと」


 顔が赤い。


「……体質だよ」


 普通のときは、真っ白なのにな。


「綺麗?」


 不健康。


「……ひねくれてる」


 そうかもしれない。


(にゃー)


「あ、猫だ!」


 もっさりしてるなあ。


「おりゃー」


(にゃー)


「わしゃわしゃ、簡単に捕まえられた」


 人に慣れているんだな。


「君も撫でるか」


 わしゃわしゃ。なんでここに猫がいるんだろうな。


「君の猫?」


 飼ってないよ。


「じゃ、多分夢を見てるんだよ。君の夢とわたしのと、この猫のが合わさってるんだ」


 そんなことあるかね。首輪とかないの。


「ない」


 手がかりないな。


「あるいは想像上の産物かもしれない」


 それは、お前にも言える。


「君にもだよ」


 怖いな。やめようか、この話。


「うん」


(にゃ?)


 話が途切れたな。


「なんの話をしてたんだっけ」


 忘れた。


「わたしも」


 広い大地と光る星々。大きな月。


「見上げてるわたしと猫を抱く君」


 夢だな。


「静かな夢だ」


 嫌か?


「どうせ夢なら派手な方がいい。突拍子も無い変な感じが好き」


 夢は記憶を素材にして作られるんだぞ。


「なっ、この殺風景はわたしのせいだというのか?」


 そうかもな。


「……しかしこれは、君の夢でもあるんだろ」


 まあな。


「殺風景な生活か」


 ……そうだな。


「そのうえすぐに人を小馬鹿にする嫌な奴」


 おい。


「目も死んでる」


(にゃー)


「だよな」


(にゃ)


 まあ、そうだな。


「ひらりとするのか」


 大人だからな。


「違う、君はそうしない人だった」


 それは、ここだけだよ。普段はひらりひらりだ。


「嫌だな」


 なに。


「ひらりとする君は嫌い」


 好かれたいとは思ってないよ。


「君のことはどうでもいい。わたしが嫌なんだ」


 どうした、急にエゴイズム丸出しで。


「言いたいことは言っておきたかったんだよ」


 よくわからない子どもだな。


「あ、また子ども扱いしたな」


(にゃー)


 空が白んできたな。


「夜が明けるのか」


 というか、夢が終わるんじゃないか。


「なんだよ、わたしは起きたくないぞ」


 仕方ない。目覚めなかったらその方が怖い。


「結局最後まで子ども扱いか」


 事実は事実だからな。


「大人になったら、会えないかな」


 さあ、この世にいるなら会えるんじゃないか。


「じゃあ、待ってろよな」


 え?


「いつか鼻を明かしてやる」


 ……そうか。


「約束するか」


 いいよ。


「よし」


(にゃー)


 ほら、もう結構明るい。子どもは早く学校へ行きな。


「あ、ああ……」


 うん?


「いや、うん」


 ああ、なるほど。


「なに」


 お前、学校に行けない感じか。


「なっ、お前なんで、どうして」




 声は滲んで消えていった。




    *

 

 

 朝の日差しがカーテンの向こうから細く差す。

 部屋は少しずつ明らんでいく。

 

 変な夢を見た。

 名前も知らない生意気な子どもと、言い合っている夢だ。


 声を出そうとして、嗄れた音しか出てこない。

 これが普通だ。

 夢は身体の感覚が薄かった。

 だから、いくらでも話していられたのだと思う。

 

 気分は上を向いていた。

 とても珍しいことだ。

 

 光が暖かい。

 遠くで鳥の声がする。

 その合間に、なにかが鳴いた。

 聞き覚えのある鳴き声に、急いで窓を開けた。

 外に広がる花咲く木の香しさを全身に浴びた。

「いたんだな」

 黒いシルエットが遠くに見える。あの猫だ。

 目があったと思ったら、すぐに塀を登ってしまった。

 聞き慣れた声とともに、その姿が向こう側へと消えていく。

 

 塀の途中で、千切れた鈴が転がっていた。

 首輪の残骸だった。

 

 飼い猫というのは、案外俺とおなじなのかもしれない。

 

 振り返って、部屋をみる。

 碌に片付けたこともない部屋。

 ここから出たくなくなって、もう何年になるのだろう。

「まずいな」

 このままじゃいられない。


 猫がいたのだから、あの子だって本当にいるのだろう。

 もしも何かのはずみで今の俺が見つかったら、失望されてしまう。

 大人に憧れるあの子に、こんなものは見せられない。

 

 今まで何年もできなかったことだ。

 一抹の不安はある。

 だけどやる気も湧いている。

 やはり人と話したからだろう。

 

 そんな話を、したくなった。

 伝わる相手はあの子しかいない。

 


 青い空の下。照り映える白いコンクリート。

 どこか遠い街にいる君を勝手に想う。

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