主人公、襲撃者と和解する 3
――件の男が部屋に入ってくる。
たったそれだけのことだけでも彼我の実力差を理解できた私は、彼との会話を始める前に、部下達を部屋から立ち去らせることにした。
その理由は単純で、居ても居なくても役に立たないと同時に、目にしている光景が話し合いの間ずっと続くという状況に耐え続ける自信がなかったからであった。
――しかしながら、その意図を説明しようにもするわけにもいかなかった。
だから、二人きりになるまでにはそれなりに時間を使う形になってしまっていた。
まぁ主と認めた人間が敵と同じ部屋で二人きりになる、というのをすんなり認められるわけもないので、当然といえば当然の結果であったのかもしれないが。
私の方も下がれと命じることしかできなかったというのが一番の原因だったのは間違いなかっただろうと、そう思う。
確かに、事情を説明すれば素直に下がる者の方が多かっただろうことは間違いないけれど。
――それはすなわち、彼がそれだけの危険人物であると理解させるに等しい。
すると、その危険性を理解した誰かが先走って手を出す可能性も生じてしまい――より悲惨な状況を作り上げる羽目になることが想像できてしまったから。
……そうなってしまえば、すべて終わりだ。
ほかにとれる選択肢はないと、強権を使ってどうにかしてやろうとしたのだった。
そしてそんな経緯でもって、理由を求める部下達を無理やり外に押しやり、完全に人払いが終わった後で。
二人きりになった部屋に漂う沈黙を破るように、彼はこんな風に口火を切った。
「……それじゃあそろそろ、人様の胸に風穴開けてまでしたかった話とやらを聞かせてもらおうか」
彼の口から出てきた挑発的な物言いに思わず眉をひそめてしまったけれど、吐息をひとつ挟んで表情を戻して、冷静にと自分に言い聞かせながらこう応じた。
「まずは、お互いにどこまで状況を把握しているかを確認したいと思っているんだが。
どうかな?」
彼はこちらの言葉を聞いて、ははと短く笑ってからこう言ってみせた。
「余計な真似をしそうなバカを思い通りにしたかったが失敗した――たったそれだけの話だって言うのに、それの何を確認しなければならないと言うんだ」
「…………」
状況をあまりにも端的かつ的確に表現した内容に閉口していると、こちらの様子に構うことなく、彼は続けてこう言った。
「あんたがそう判断した経緯に興味はない。
俺がはっきりとさせておきたいことは、この件を後腐れなく終わらせるために必要な損得の勘定だけだよ」
「……まるで自分が勝者だと確信しているような言い方だが。
お前は、今自分が置かれている状況を本当に理解できているのか?」
なんでもないことを言うように自然な様子で言葉を続けた彼に向かって、少し声音を落とした声で脅しめいた問いかけを投げてやった。
確かに彼の言う通りに、こちらが襲撃したことをきっかけにした一連の出来事の結果は――勝敗は、既に決していた。
……あちらの勝ちで、こちらの負けだ。
ただ、決した勝敗が覆らないように、互いの身が置かれている環境も変わっていない。
……ここが彼にとっては多勢に無勢を強いる敵地であることにも変わりはない。
見苦しかろうと無様だろうと、足掻けば新たに勝敗をつけることもできるのだと。
この問いかけは、そんな事実を改めて理解させるためのものでもあった。
とは言え、彼にそんな脅しの効くような人間ならそもそもこんな状況にはなっていないのも、確かな事実であった。
せめて少しでも戸惑いや躊躇いが見えれば可愛げがあったのだが、
「さて、どうだろうな。
理解は出来ているつもりだが、その理解に実感が伴っているかどうかは怪しいかもしれないな。
……まぁいずれにせよ、決まってしまった勝敗を覆したいというのであれば行動に移せばいいだけだろうさ。
そしてその決断を止めることは出来ない。お互いにだ。そうだろう?」
彼は小さく笑いながら首をすくめてそう応じるだけだった。
「……随分と腕に自信があると見える」
いやいやそれでも最後の抵抗にと、視線を鋭く、睨みつけるようにしてみせてそう言ってみたけれど。
結果は散々だった。
「笑わせるようなことを言うなよ。世の中ってのはそれぞれが勝手に動くことで回ってるんだ。
事情も、自信も、是非も可否も関係無い。
結果がよければ喜んで、ひどけりゃ後悔する。それだけだろうが」
ため息つきでそう言われてしまっては、もうどうしようもなかった。
少なくとも自分ではどうすることもできそうにないと実感して、白旗をあげる気分でこう言った。
「……そう思える精神があることをこそ自信があると呼ぶのだと思うがね」
この言葉は素直な賞賛のつもりだったが、彼はそう捉えなかったようだ。
「そう表現することもできるかもしれないな」
あるいは、単に彼にとっての自信とは私の言ったそれではないと、そういうつもりで反応しただけだったかもしれないが。それはもはや瑣末なことだった。
――これ以上の探り合いを続ける意味はない。
「問答はもう十分だな。
認識している状況は、お互いに一致していると判断しよう」
「そりゃあなによりだ。それでどうするんだ?」
ことこの場においてやるべきことが残っているとすれば、それは粛々と勝敗にまつわる勘定を済ませることだけだった。
そのために必要な言葉を口にする。
「まずは君の望みを聞こうか」
こちらの言葉を聞いて、彼は目を見開いて驚くような様子を一瞬だけ見せたものの、その驚きを笑いで噛み潰しながらこう答えた。
「金だ。金がもらえればそれでいい。
生きるために必要なものだけが、俺にとって欲しいものだ」
そうして彼の口から出てきた望みは、彼の為したことを思えばあまりにもささやかな内容だった。
その内容こそが意外だった私は、意図を確認するためにこう言った。
「それは、私の首を持って行くだけで叶えられる望みでもあるように思えるが」
彼は嫌なことを聞いたと言わんばかりに顔を歪ませると、ため息を吐いて表情を戻してからこう応じた。
「長く生きることがわかっているのなら、地位と名声はしがらみにしかならんだろう。
今のあんたがやっているような要らぬ苦労をわざわざやってやるつもりはない。
俺は楽に生きられればそれでいいんだからな」
その言葉に含まれた、要らぬ苦労という単語に、
「……おまえが何をどこまで知っているというんだ」
口からついそんな言葉が漏れていた。
その声に、怒気が篭るのを止められなかった。
交渉の場において激昂するなどありえない行為であり、ましてやこんな状況でやっていいことではないとわかっていたはずなのに。
だからこそ、やってしまったと、内心で叫びながら後悔していたわけだが。
このことが原因で現状がより悪い結果に転ぶことはなかった。
なぜなら、
「……ああ、そうだな。
俺はあんたじゃないんだから、それが要らぬ苦労であるかを判断する立場にはなかったな。
少々言葉が過ぎたようだ。失礼した。
あくまで、俺ならそこまでする義理はないだろうに、と思ったがゆえの発言だった。
気分を害したようであれば謝罪を追加しよう」
彼はそう言って、こちらの激昂をさらりと受け流しただけだったからだ。
ゆえにこう思った。
――こりゃあ敵わんわ、と。
取れる分だけ取ってやろうと思う人間にはいくらでも付け入る隙があるけれど、取るべきものを最初から決めている人間に隙などそうそう出来やしないのだ。
……要は詰みというやつだ。
大人しく話を終わらせてしまおうと、そう考えてから口を開く。
「……いや、謝罪は結構だ。話を戻そう。
金が欲しいという話だったな。
しかし、それを聞き入れることができるかどうかは金額によるとしか言えない」
「そう警戒しなくてもいい。
せいぜい、ひと一人がそれなりの期間を生活できる程度の金しか望まんよ」
すると、彼はそう応じながら書類をひとつこちらに投げ飛ばしてきた。
どこに持っていたんだという野暮な突っ込みはせずに、書類を受け取った。
「…………」
そして内容を確認してみれば、この書類が銀行の発行している契約書類のそれだということと、彼の望む金の額が理解できた。だから言う。
「この金額は、その言葉から想像してしまうものよりは随分と高いように思えるがな」
彼はそう言われるだろうことがわかっていたのだろう。
ははと声をあげて笑った後で、にやりとした笑みを浮かべたままこう言った。
「命を失うよりは安いだろう?」
――まったくその通りだ、畜生が。
そう思いながら、ため息とともに言う。
「……了解した。この金額で決着としたい」
「結構。ならば、これでこの話は終わりだな」
そう言って、彼は席から立ち上がった。
今にも立ち去りそうな勢いの彼に、急いで声をかける。
「待ってくれ。まだ話は終わっていない」
「……なんだ、書類なら必要事項を書き込んだ上で銀行に出してくれりゃあいいが」
「違う。こちらの要望をまだ聞いてもらっていない」
彼は言われて思い出したように、ああと頷いてから、しかし立ち上がったままこちらを見る形でこう返してきた。
「聞くだけは聞こうか」
その言い方に反発したい気持ちが湧き上がってきたものの、今度はなんとか宥めて表に出すことなく処理した後で、どう言えば伝わるだろうかと考えてから言った。
「――あまり派手なことはしないでもらいたい。
君はさきほど、世の中は勝手に動いて回るものだと言っていたが、それでもその世の中の均衡が保たれるように努力しているものが居ることを覚えていてほしい」
そう言うと、彼はなんだそんなことかと、呆れとも疲れとも取れる表情を浮かべながらため息を吐いてこう返してきた。
「こんな派手な真似をするのは、ひとまずここまでだ。
だから、その点については安心していい」
「……どういう意味だ?」
「俺は元々こんな危ない橋を渡るつもりはなかったって話だよ。
さっき言っただろう?
俺は楽に生きていけるだけの稼ぎがあればそれでいいんだって。
そこに他意はないんだ」
じゃあどうして、という問いかけを口にするよりも先に答えが来た。
「返さなければならない負債があった――と言えばそれまでだが、端的に過ぎるか」
一息。考えるような間を置いてから言葉が続いた。
「物語の主人公というものは、展開が進むにつれて、段々と大きな敵と戦わなければならないものだろう?
だから、俺もそうする必要があったという話さ。
――なぜそんな真似をする必要があったのか?
それは力を得た対価として娯楽を提供するために、その行動こそが必要だと判断したからだ。
在野の悪人、そんな悪党の集団、大きな権力をもつ組織、国、社会を二分するような何かと来て――次に来るとすればそれは神か世界かというところだが。
予想が正しければ、既にそこは終わっているし。そもそも、そこまで付き合うつもりもない。
だから終わりというわけだ」
そうやって彼から告げられた内容は、理解のできるものではなかった。
おそらくは事実を例えたのだろうということだけはかろうじて理解できたが、それだけだった。
――なぜならば、彼の言葉には理解に至るための情報が欠けているからだ。
負債とは誰に対するもので、その娯楽とは誰にとってのものなのか。
肝心な部分の情報が抜けていた。
「…………」
こちらが困惑している様子をわかっていて楽しんでいるのか、彼はにんまりと笑いながらこう続けた。
「――まぁ俺の事情なんてどうでもいい話さ。
今のあんたにとって重要なことは、今後の俺が考えなしに暴れまわるかどうかだ。そうだろう?
そして、俺にそんな気はさらさらないと、そこだけわかってくれればそれでいいんだ」
もっとも、俺に害を為すものだと判断すればその限りではないがなと、呟くようにそう付け足した後で。
彼は今度こそこちらに背を向けて歩き出した。
「ただ、どうしても俺が教えた理由、その内容を理解したいというのなら――今もここを覗いているだろう、この世界で最も強くてかっこいい彼女に聞くといい。
今なら快く答えてくれることだろうよ」
そして、彼はその言葉を言い切ると同時に姿を消して。
「――あははははははは!
ええ、ええ、そうね。あなたに言われては是非もない!
だから、今なら彼の言う通り――私が直々に、あなたが知りたいことを教えてあげてもいいわよ」
代わりというように。
心底楽しくて仕方ないと笑いながら、魔女と呼ばれる女がすぐ横に現れたのだった。
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